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6人部屋の病室前に貼ってある患者名の中に、以前と名字が違う母の名前があった。

そっと覗き込んでみると一番奥の左の窓際のベッドに女性がいる。

記憶にある面影より少し老けているが、まぎれもなく母だ。

意を決して中に入っていく。

「ちかげ?」

「えと…こ、こんにちは」

「久しぶり。来てくれたのね」

「うん、久しぶり…」

「遠いのにありがとう。ほら、ここ座って」

柔らかい微笑みが私を包み込む。

ベットの脇の丸椅子に座り、何だか居心地が悪くて顔を伏せた。


「成長したわねえ!びっくりしちゃった。綺麗になって…」

「そ、そんなことないよ」

「大学合格したんだってね。先日ここに来てくれた貴史もすごく喜んでたわ。よく頑張ったわねえ。おめでとう」

「ありがと…」

「貴史は相変わらずね」

「お兄ちゃんは…全然変わらないよ」

「ほんとね。馬鹿演じて周りを和ませて、昔の貴史のまんまだったわ。千景も変わらないわね」

目の前にいる母は随分変わった気がする。

数年前までずっと一緒に暮らしていた母親なのに、話しているとまるで別人のようにも思える。


「手術は大丈夫そう…?」

「うん。そんなに難しい手術ではないみたい。でもどうなるか。こればっかりは運命に任せるしかないわね」

「きっと上手くいくよ」

「ええ、ありがとう」

病室に、40十代半ばの男性と、3歳くらいの二人の女の子が入って来た。

「ママァー!」

「ママ、ココア持ってきたでー!」

顔つきが二人そっくりなのでおそらく双子なのだろう。

男性と双子の3人が母のベットの前まで来て…ハッと気づいて身体がこわばった。

「こんにちは」

穏やかな男性が優しい挨拶と共に、私ににっこりとお辞儀をする。

そうだ、この男性が母親の新しい夫なのだ。双子の女の子はこの男性との母との子供に違いない。

挨拶をしなければと思うものの、中々言葉が喉から出てこなかった。

「後で飲むわね。ありがとう」

「このひと誰なん?」

「だれー?」

「あ、この人はね、千景といって私の」

「あ!」

咄嗟に言葉をさえぎる。

「え、えっと、友達待たせてるから行くね。頑張ってね! 絶対に大丈夫だからね! じゃあ!」




「はやっ!」

風見君が座る待合室のソファーに、私も倒れるように座り込んだ。全身の力が抜けるようだ。

「早過ぎ。ちゃんと話せたのか?」

「う、うん」

実際は動揺して逃げてきてしまった。

母の新しい家族に会うことは想定していなかった。我ながら浅はかだなぁと思う。

「面会時間7時までだってさ。7時まで居ていいけど?」

「ううん。もういいの」

会ってみれば何ともあっけない。

大きくふぅと息を吐く。何年も貯め込んだわだかまりを吐き出すように。

隣を見れば、私と同じくらいの年の女の子が並んで座る母親とにこやかに談笑している。

私が手に入れられなかった当たり前の風景。

そういえば、お母さんって言えなかったな。一度だけでも、またそう呼びかけたかった。




京都の祖父の家で、風見君と3人で夕食のすき焼き鍋を囲む。

「こっちの大学来て一緒に暮らすの楽しみにしてたんやけどなぁ。受かったのにあっちの方に行く言うて。ほんま残念や」

昭和一桁台に建てられた平屋建ての家で、家具なども古く何十年も前にタイムスリップしたようだ。

黒電話、火鉢、もう使ってはいないが台所には釜戸。整った和風の庭に面した長い縁側もある。

風見君がこういうレトロなものが好きなようで、訪れたときに随分興奮していた。


「ごめんね、お爺ちゃん。えっと、お兄ちゃんやっぱり放っておけなくて」

風見君の力になりたいから、とは言えるわけもない。

「ええよええよ。そら、こんな彼氏おったらこっちに来れんわなぁ。ちーちゃんも隅におけんなあ」

「彼氏じゃないよ。お友達だよ、お、と、も、だ、ち! 分かった?お爺ちゃん」

「否定しすぎ…」

風見君が呆れた顔をしていたが、こういうことはちゃんとはっきり否定しておかなきゃいけない。

「そんな照れんでええて。ほらほら、食べや。爺ちゃんが作った春菊やでえ」

「だから違うってば!」

そういえば風見君と初めて一緒に夕食を食べた時も鍋だったなと思い出した。



お風呂に入ってから、14畳ある祖父の畳部屋の書斎に私が寝る布団を敷いて貰った。

風見君はふすまの向こうの仏間だ。そのふすまが開く。

パジャマを着た風見君が布団を持ち上げて入ってきた。

「……何してるの」

「仏壇が怖いからこっちで寝る」

「私の御先祖様だから大丈夫よ。それに前科2犯の風見君を入れるわけ無いよ!」

「初犯は風邪の時か。あれは仕方ないだろ。けどもう1犯って?」

「仕方なく無いし、最低だよ。もう1犯は病院でお尻触ったでしょ」

「ええっ、あんな一瞬のをカウントするのか」

「一瞬ならしてもいいことですか?」

「………悪かった」


言葉とは裏腹に、敷いた布団にいそいそと潜り始める。

掛け布団を引きはがそうとするが、風見君がしっかり掴んでいてびくともしない。

「俺、あんだけ勉強教えてたのに京都の大学も受けたなんて聞いてないんだけど」

「…あ、うん。滑り止めだよ。あっちでも試験受けられたし」

「滑り止めでこんな遠くの大学普通受けないだろ」

確かに…。さっきと同じ言い訳を繰り返した。

「最初はね、こっちの方に来ようかと思ってたの。でもお兄ちゃん放っておけないなぁって」

「せやな。彼氏がおるから来れへんねんわな」

「彼氏ちがうし! それに何故関西弁…なんか間違ってるし」

「じゃあおやすみ。電気消しといてくれ」

「おやすみ。……ってこっちで寝ちゃダメ!」

「こっちでいいよ。俺、我慢するから」

「我慢するのは私の方! 我慢するなら来なくていいし。仏間の方で我慢すればいいでしょ」

足の方から布団を引っ張り仏間の方に戻そうとするが…重くて動かない。

諦めて、布団と布団の間に持ってきた荷物で簡易バリケードを作る。

「変なことしないよね? 約束してくれる? 絶対だよ?」

「何その必死さ。逆にして欲しいってこと? 煽ってる?」

「煽ってません…。絶対に何もしないで下さいね。何かしたら大声出すからね」



もう…と聞こえるように溜息をついて、文机に向かう。

便箋にペンを走らせる。書く文は、病院から祖父の家に向かう時に決めていた。

「手紙書いてるのか?」

「もう書けたよ。お母さん宛ての手紙をお爺ちゃんに預けて帰ろうと思って」

「明日手術後会いに行けばいいじゃん」

「ううん。もう会わないの」

えっ?と、風見君が布団の中の身体をこちらに向ける。


『お母さん、元気でいて下さい。ご家族とずっとお幸せに。』

便箋をそっと折りたたむ。短くて月並みだけどこれでいい。


「お母さん幸せそうだった。手術の不安なんてどこへやら。すごく穏やかな表情してたよ。顔つきが別人みたいだった。だからもういいんだ。会わなくていいの」

「………。…そっか」

目に溜まった涙がこぼれるのがばれない様に、急いで電気を消し布団に入った。


「君じゃ駄目な人もいる。それが例え親子でもさ。」

風見君の優しい声が聞こえる。何だかいつもより優しさがこもっている気がした。

「そうだね…」

「反対に他人でも君じゃなきゃ駄目な人もいる。そんなもんさ」

「他人でも私じゃなきゃ駄目な人…? あっ、そっか。友達ってことだね」

「うーん。まぁ……そういうこと。」



来て良かったと思う。

心のどこかでさ、離婚したことや、私を置いていったことを後悔してるんじゃないかって。

でもちっともそんなことなくて、新しい家族がいて、未練なんてちっとも残らないくらい幸せなことが分かった。

だからさっき書いた手紙は、別れの手紙だ。

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