(22)
店に入ると、絹のようなサラサラとした髪が店の照明に照らされていて、僕と待ち合わせている彼女だと分かる。淡いピンクのセーターに、ベージュのチェックのスカートを履いている彼女の向かいに腰を下ろした。ショートケーキを食べていたようだ。
「由佳ちゃん、君はいっつも甘いもの食べてるねえ」
「研究よ、研究」
「ほー」
「お菓子作りの参考にする為よぉ。甘いものが大好きってわけじゃないからね」
それにしては何とも美味しそうに食べている。結局、彼女は僕の前で3個のケーキを平らげた。
店を出ると、店に入る前より外気がさらに冷たくなっていた。
「ほら」
手を差し出すも、軽く首を振って拒否される。仕方なくコートのポケットに手を入れ、小柄な彼女がついてこれるよう、ゆっくりと歩道を歩き出した。
「どこに行くの?」
後ろから不安そうな、か細い声がかかった。
「すぐそこの僕のマンション。あ、借りてるのは父親だけどね」
「やり部屋ってわけねぇ」
「ハハハ、すごい言葉知ってるね。まぁ、否定はしないよ。元々は僕がギターやるから、防音設備のある練習場所として借りたのがきっかけなんだ。けどもう引き払おうと思ってる。大林の家に近いからね」
彼女の歩みが止まる。振り向くと彼女の青白い顔が見えた。僕を見て表情がさらに凍り
つく。僕は今とても険しい顔つきをしているのかもしれない。僕の悪い癖。欲しい物がどうにもならない時に、そのようになるとよく母に知らされた。
そのまま僕のマンションまで二人は無言だった。
清潔で整然としたリビングに彼女を案内する。ハウスキーパーが週に一度掃除をしに来るのもあるが、僕自身が掃除好きで整理整頓しないと気が済まない性格なのも大きい。
家具はダークブラウンで統一されていて、その他小物を含めシックな雰囲気をかもし出すようコーディネートしている。
彼女をソファーに座るよう促すと、僕は台所で彼女が好きらしい紅茶を淹れた。
「はい、どうぞ」
「ありがと。………ちーちゃんが淹れてくれた紅茶の方が美味しいな」
「へーえ、今度イトコさんに淹れ方教えてもらうか」
僕もゆっくりと紅茶を口に含む。二人とも何も話さず、掛け時計の秒針の音が部屋にカチカチを響く。そんな時間がしばらく続いてから、彼女がごちそうさま、とカップを置き意を決したように話しだした。
「大林先生の事、今日言おうと思ってたの。…ほんとよ。隠しててごめんなさい」
「別に謝ることじゃないよ。隠すも隠さないも、誰と会うかも君の勝手さ」
「そ…それはそうだけど…」
「……まだ会ってるの?」
「ううん、もうお別れを言ってきたわ」
「ふぅん」
内心ほっとする。別れていなければ、彼を社会的に追い詰めたかもしれない。
「夏に初めて付き合ってた人に振られて……ショックでショックで……泣きながら学校から帰ってたことがあったの。その時に先生に会って。…それがきっかけで度々会うようになって、寂しさを埋めて貰ってたの」
「好きだったの?」
「好きだったけど…恋愛感情は無かったと思う」
「へーえ。恋愛感情も無いのに振られた寂しさに擦り寄って、で、俺があらわれたらポイ捨てか」
「………」
「風見だって、元彼と似てたから気になった。だから君から振らなかった。最低だね」
「……そうよ。私は最低の女よ」
彼女の目がうるむ。それでも目はそらさずじっとこちらを見つめていた。
「僕も似たようなもんだよ」
ソファーから腰を上げ窓辺に足を進める。壁に体重を預けながら、窓の下を見下ろした。
「この下に、君と大林が二人で歩いてるのを見てからさ。気になって仕方なかった。一度じゃない。何度も何度も二人で通ってた。見るたびに他愛のないことと自分に言い聞かせて必死に忘れようとしたよ。でも無理だった。むしろ余計に気になるばかりだった。いくら女を連れ込んでも、いくら女を抱いても、ずっと由佳ちゃんのことばかり考えてたよ」
「何故私なの……見てたなら嫌ってくれればいいのに」
「だなぁ。嫌いになれればどんなに良かったか。ねえ」
最後を冗談めかして言ってみせると、少し安心したように彼女も微笑んだ。すぅと息が吐かれる。そして、あのね…とゆっくり言葉が切り出された。
「沢木くんはとても素敵な人だと思うわ。私はあなたを好きなんだと思う。風見くんよりも。でも自分なりにけじめをつけたいから、今は誰とも付き合いません。好きになってくれて、本当にありがとうね」
真摯にじっとこちらを見つめながら一言一言気持ちを込めるよう語られた。彼女なりの精一杯の誠意がこめられていたように思える。
彼女が断ることは薄々分かっていた。予測していた答えだった。
でもずっと心にこもっていた不安が晴れてるのを感じる。答えにそぐわない笑みが漏れた。
「嬉しいよ」
理解出来ないんだろう、彼女が僕を見て不思議そうに首をかしげる。リスのように愛らしい仕草に見えた。
「これで本当のスタートラインに立てたと思わない?」
「……?」
「嬉しいんだ。君と本音で話せてさ。僕はそう思うよ」
沢木くんがコタツに入って紅茶を飲んでいる。
タイミングが悪いとかで、結局由佳に振られてしまったらしい。
けれど、昨日や以前見かけた怖い雰囲気は微塵も感じられない。どこか清々しいような、落ち着いた穏やかな笑みを浮かべていた。
「ん…。確かにイトコさんの淹れる紅茶は美味しいね。レシピ書いといてくれる?」
「いいけど」
レシピを書く間、コタツの向かいで沢木くんが卒業旅行かカラオケか…とぶつぶつ楽しそうに呟いている。
「書いたよ。友達との予定でも考えてるの?」
「うん、由佳ちゃんとの。何に誘おうかねえ」
「……えっ? 振られたんでしょ?!」
「確かに振られたけど。振られても諦めるわけないじゃん。僕だよ、僕」
ポンと胸に手を当てて、得意げに言う。いくら沢木くんでも振られたら諦めないとストーカーだよ、と喉から出かかりそうになるのを必死にこらえた。
「えと…もうすぐ卒業だし……諦めることも大事じゃないのかな?」
「あぁ、卒業だけど大丈夫。君っていう接点があるからさ、イトコさん。そうだ、ちーちゃんって呼ばせてもらうね。由佳ちゃんとの大事な接点、仲の良いイトコのちーちゃんが僕のキューピットってわけ!」
「……は?」
「君と仲良くすれば由佳ちゃんとも繋がりが出来るってことさ。これからもよろしくね。ちーちゃん。ンフフフフ」
「……お断りします」
私の返答を聞くいなや、沢木くんは肩をふるわせて笑い出した。
「アハハハ。そう言うだろうと思ったよ。俺も風見のこと君に協力するからさ、持ちつ持たれつでどう? 昨日も僕のおかげなんだし。そういえば、昨日何か進展あった? お見舞いシチュエーションっておいしいよねえ」
「べ、べ、別に何も。た、ただお見舞いに来てくれただけだし。それに私はもうきっぱり諦めるんだから! 勝手に連絡して呼んだりしないでね」
「目が泳いでる。君は分かりやすいねえ。フフフッ」
必死に否定していると、玄関のベルが鳴り扉が開く音がする。続いて、こんにちはー、と可愛らしい挨拶が聞こえた。
「ちーちゃーーん。…げっ。沢木君がなんでここにいるのよ!」
「やぁ由佳ちゃん。さっきぶり。 ちーちゃんのお見舞いに来てるんだよ。風邪引いてるらしいよ」
「まっ! 水くさい! いつも心配事は言わないんだから! 私の風邪移ったんでしょお? 言ってくれればいいのにぃ」
「熱も下がったしもう平気だよ。あ、そうだ。お弁当余って困ってるの。もし良かったら食べてくれない? コンビニのケーキもあるよ」
「食べる!」
台所でお弁当を電子レンジで温めている間、二人の騒がしい声が聞こえる。
「まさか、ちーちゃんに手を出そうとしてるんじゃないでしょうねぇ?」
「心外だなぁ。俺は由佳ちゃん一筋だよ。ほら見てこの目。純粋できらっきらしてるでしょ」
「全然信じられない! あんた胡散臭すぎるのよぉ、もう!」
今まで通り。まるでさっき振った、振られた者同士とは思えない。何より由佳が楽しそうだ。
その後は、ささやかで賑やかなコンビニ弁当のパーティになった。