(21)
沢木君と入れ替わりに風見君が部屋に入ってくる前に、テレビ横に置いてある以前風見君に貰ったカイロを枕の下に急いで隠した。
3週間ぶりに見る風見君は、表情も柔らかくなったように見えた。真っ黒なストレートの髪もわずかに伸びて少し印象が違っている。
「うわぁ この果物すげえ」
「それ沢木君が持ってきてくれて…げほげほっ…」
大丈夫?と、側に来て背中をさすりながらスーパーの袋を見せて申し訳そうにする。
「すまん…俺 持ってきたのラーメンだ。あ、でも今日のは生麺タイプだから」
得意げに言うのがおかしくて吹き出してしまう。
それから、兄の布団を干して貰ったりストーブの給油をして貰ったり、お昼には卵をとじたラーメンを作ってくれた。一緒に食べながら、一昨日長野からこっちに帰ってきたことや、お母さんと一緒に断酒の為の自助会に参加しようと思っていること、依存症と共に併発している鬱も快方に向かっていることなど、色んな事を話してくれた。
「風見君はラーメン好きなんだね」
「俺は麺とスープとネギが好きでさ、それらを一緒になおかつ一番美味しく食べられるのがラーメンだと思うんだ」
「げほっ……うどんやお蕎麦じゃ駄目なの?」
「あぁうどんと蕎麦も好きだよ。和風だしのスープもいいよな。美味い老舗の店知ってるから今度…ん」
風見君の携帯が鳴った。受け取ったメールを見て呆れる様な表情をした後、二ヤリ笑いをしながらメールを返信している。
「風見君、悪い顔してる…」
「親父が女に振られたんだってさ。おめでとう、って返してやった。いちいちメールしてくるなっていつも言ってるのに。どーせあいつのことだから、すぐに新しい女作るんだろうし」
「ちょくちょく連絡くれるなんて仲良いんだね」
「どこが!」
むすっとした子供の様な顔をする。風見君は毛嫌いしてるようだけれど、風見君のお父さんの方は繋がりを持とうとしてるように思える。でも内容的に喜べないのも無理もないなぁ。
夕方になって帰るように促したが、兄が帰るまでここにいると言う。
「お兄ちゃんは出張中で今日は帰らないの」
「んー。じゃあ8時になったら帰る」
「お母さん大丈夫? 早く帰ってあげた方がいいよ」
「連絡入れるし大丈夫さ。タオル替えるね」
寝ている私のおでこに乗っているタオルを、冷水に浸して絞りなおしてくれる。
「熱下がらないな…」
心配そうな顔で覗き込んでくる。風見君は本当に優しい。優しすぎると思う。
ただの友達の私にここまでしてくれる。
不意に両親の姿が脳裏に浮かんだ。私が熱を出して寝込んだ時、両親は……
「私のお父さんとお母さんはね、私が熱を出しても見向きもしてくれなかったよ」
「見向きもしない?」
「うん。興味がないっていうか、どうでもいいみたいな?」
風見君が不思議そうに首を傾ける。
「お洒落で活発で社交的でバリバリ働いて。素敵な両親だったの。カッコいいお父さんと美人のお母さん。私の自慢だった。ただね、子供に全然興味が無かったの。泣きわめいて寂しいと訴えても耳に入れてくれなかった」
声を荒げても、両親の顔色一つ変えられない自分が情けなかった。
「家に居ないことが多くなって、それぞれ別の住処を持つようになって…帰ってこなくなった」
ベッドの傍らに長い脚を折りたたんで座る風見君を見ると、困ったような沈鬱な表情をしていた。言うべきじゃなかったと気づく。また彼の優しさに甘えてしまった。
「ごめんね。重い話しちゃって」
「…いいさ」
「風見君はやさしいね。いつもお世話になってばかりでありがとう」
「世話になったのは俺もだし。そうだなぁ、また手伝ってくれればいいよ」
「手伝う?」
「由佳さんとの仲を取り持とうとしてくれたことあったろ。あんな風にまた手伝って貰いたいんだ」
「げほっ…風見君もしかして…もう新しい好きな人が出来たの?!」
気恥ずかしそうに笑ってうなずく。いくら何でも早すぎるよ風見君…。
由佳の次にまた誰かを好きになることは当然あるだろうし、かすかな覚悟はしていたけどまさかこんな早いなんて。
「風見君気が多いよ。ちょっと幻滅」
「う…」
ショックはあるがやっぱり風見君には幸せになって欲しい。そういう想いも好きなのと同じくらいあるのを自分の中に確かに感じる。
「分かった、手伝うよ。私で力になれるか分からないけどね」
「サンキュ」
「で、誰なの? その好きな人は。同じ学校の人?」
「まだ内緒。卒業式に言うって決めてるから」
「変なの。今言えばいいのに」
風見君は何も答えずにこたつに入りテレビを見出した。
私もベットで横たわってテレビに見入る。今日は学校一の美青年沢木君と、ずっと好きだった風見君がお見舞いに来てくれた。元々は由佳のおかげとはいえ、私には本当にもったいないなぁ、と思う。
風見君の新しい好きな人はどんな子なんだろう。由佳と似た様な子なんだろうか。卒業式が終わると疎遠になると思っていたのに、こんな繋がりが卒業式後も続くことになるとは。
そんなことを考えていると、テレビのお菓子のCMであるものを思い出した。ベッドから出てよろよろと台所に向かう。冷蔵庫の一番上の奥に入れていた濃い紺色のナイロンの包みを持ってくる。
「げほっ……はいこれ、遅くなったけど義理チョコ」
義理チョコではない。が、義理チョコでないといけないのだ。それでも渡せることがすごく嬉しい。精一杯笑顔を作って手渡した。
「おー、ありがとな」
チョコを渡せた充実感の後、寒気と体の震えがどっと来た。まだ熱は強く体を蝕んでいるようだ。
「ごめん、少し寝るね…。冷蔵庫のお弁当、勝手に食べていいからね」
冷蔵庫には兄が買ってきたコンビニ弁当が食べきれないほど入っている。
「あぁ、おやすみ」
ベッドに戻ると、程なく眠りに落ちた。
どれだけ寝たのだろう。目を覚ますと、とてもとても温かく、例えようもない心地よさを感じた。
布団だけじゃ無い。何か大きな温かいものに密着している。
…これは…まさか………。
どうやら腕らしきものがすっぽりと私の体を包んでいた。
顔を上げると、すぅすぅと穏やかに寝息を立てる風見君が、カーテンの間から漏れる柔らかい朝日に照らされているのが見える。
「か、か、か、か、か、か…」
風見君が何で一緒に寝てるんだ…。
自分の服を確認する。服はちゃんと着ている。昨日のままだ。
「んー……。ちいちゃん…はよ……」
「か…かざみくん…………げほっげほっ」
咳が治まるまで私の背中をなでてから、自分のおでこを私のおでこにくっつける。数秒そうしてじっとした後、優しく笑いかけてきた。
「はは…顔真っ赤。だけど熱は随分下がった」
また大きな腕で私の体を引きよせる。
「良かった。昨日の夜、熱が上がって大変だったんだよ」
安堵したのか、ほうと大きな息が私の頭にふりかかった。
温かくて本当に心地良い。吸い込まれるような魅力的な心地良さ。ずっとこうしていたいと思ってしまう。
………だ、駄目だ流されちゃ!
「風見君!こんなことしちゃ駄目でしょ! ばかばか! 何てことするの!」
「体冷えるから。ほら、中に入って」
起こした体をまた再度引き寄せられる。
「暖かい。へへ…人間湯たんぽ」
「湯たんぽ替わりにしないでよう!」
「ちょっとは安心する?」
「……?」
「昨日うなされてたから。こうやったら安心したのか静かに寝たんだ」
そうだったんだ。熱にうかされていたのだろう。昨日、両親のことを思い出してしまったのもあるのかもしれない。
「役得、役得。へへへ。昼まで寝させて…おやすみ」
「……ばか」
好きでもない人にここまでしちゃ駄目だよ…風見君のばか。