(14)
風見君の声で目が覚める。
ドアの向こうで電話をしているみたいだ。
「行かねえって。…ああ。家にも来るなよ」
昼寝前よりも増して不機嫌な声。
誰と話してるんだろう?
すぐに話は終わったようで、部屋に入ってきて私と目が合う。
「ごめん。声で目が覚めた?」
「今のは…」
「親父」
大きく息を吐いて、私の斜め左前の、いつものコタツの定位置に座り肘をつく。
壁の掛け時計を見上げながら、少し間を開けて口を開いた。
「今度仕事でこの近くに来るから食事しないかってさ。親父の新しい女と一緒に。行くわけねえ。」
「それはつらいね…」
一度、家族のことを何かほのめかして言うのを聞いたことはあったけれど、ちゃんと聞いたことは無かった。
風見君にもそんな家庭の事情があったのか。
「ご両親は離婚されてるの?」
「あぁ、1年前に」
「なら今はお母さんと一緒に暮らしてるんだね」
「…母さんはアルコール依存症で、年末から実家の長野の方で入院治療してる」
え………。
アルコール依存症…。
思いもよらない言葉が出て来て驚いた。
アルコール依存症については薄い知識しかないが、家族の負担はかなりのものなはず。
「風見君、兄弟は?」
「俺は一人っ子」
「そんな……じゃあ一人で頑張ってきたの…? 風見君は優等生で落ち着いてて…全然そんなふうに見えなくて…」
「母さんを守れなかった情けない優等生だよ」
そう言って空笑いする様子に胸が苦しくなる。
「まさかそんな環境だったなんて………知らなかった」
「ごめん、重いよな。変な話してすまん」
「そういう意味じゃないの。気づいてあげられなくてごめん…私…何を見てたんだ……」
ずっと彼のことを見ていたつもりだったのに。
今までつらい環境で一人で頑張ってたなんて。
3年見て来たのに全く気付かなかった。
私は風見君の何を見ていたんだ。情けなさで涙がこみあげてくる。
「…顔洗ってくる」
急いで洗面所に駆け込み、声を出さないように泣いた。
自分が学校で一番不幸じゃないかと思っていた時もあった。
でも私の問題は過去に終わっいて、兄がずっと守ってくれて。
何事も無く高校生活を送っていたときに、彼はとても大きな問題を背負って1日々々を乗り越えてたんだ。
ぱしゃぱしゃと水を浴びて涙を洗い流してから部屋に戻った。
「携帯鳴ってたよ」
「ありがと」
「受験前に言う話じゃないよな。ほんとごめん。ちーちゃんも親のこと慣れたって言ってたけど、俺も慣れたし大丈夫だから。まぁ、依存症には未だに慣れないけどね」
そう言ってまた無理に空笑いをする。
いじらしくて衝動的に抱きしめたくなるのを抑えて、携帯を開いた。
「由佳からのメール。シュークリーム作ったから持ってきてくれるって。ちょっとこっち来て」
「何?」
風見君を台所に連れていく。
「私、晩御飯の材料買いに出かけてくるから、由佳にミルクティー淹れてあげて二人で食べててね。ミルクティーは、牛乳と水は半々で熱して、火を止めてから茶葉を淹れて3分蒸らして。茶こしでカップに入れて、最後にシナモンパウダーをほんの少し入れるの。この缶が紅茶の茶葉で、こっちがシナモンパウダーね」
「えっえっ? ちーちゃんもいなよ」
「行ってくるから頑張ってね。さっきのこと来て俄然応援したくなっちゃった。風見君は幸せにならなきゃ」
私にはこんなことしか出来ないけれど…風見君には幸せになって欲しい。心からそう思った。