(13)
2月に入って学校は自主登校になった。
受験生の私は登校せず、家で勉強することにした。
朝食を作って兄を送り出して、もう少しだけ寝ようと布団に入る。
うとうとと浅くまどろむのが心地良い。
しばらく経つとインターホンが鳴った。この時間に来るのは多分由佳だ。
渋々暖かな寝床を抜け出して、パジャマのまま眠気まなこで玄関の扉を開ける。
「おす」
私服の風見君がいた。
カーキ色のジャケットに、グレーのストライプのマフラーをしている。
私服姿を見るのは2度目だっけか。
「ちょっと…何でこんな朝早くに…」
「早くってもう9時だよ。いつも通り起きたけど暇だったから家庭教師に来た。ハハ、思いっきり寝起きだなぁ」
「うっ」
とりあえず、兄の部屋に風見君を押しこめて、着替えを済ませて顔を洗い髪を整える。
好きな人に寝起き姿を見られるなんて。兄の部屋の扉に苛立たしく言葉を投げかけた。
「もう。他にやること幾らでもあるでしょうに。バイトするとか、運転免許取るとか、由佳を誘うとか。そだ! 由佳の家に行ってきなよ。このすぐ近くだから」
「女の子の家に急に行けるわけ無いだろ」
今、女の子の家に急にやって来てるのは誰なんだぁ! 夕方はともかく朝からなんて全く聞いてないぞ。
女の子扱いしてくれて無いことは、確定的に明らかです…。ぐふぅ。
ダイニングテーブルを見ると、5食1パックのインスタントラーメンがナイロン袋に入って置かれてある。
「ラーメン、風見君が持ってきたの?」
「あぁ、後で昼飯に食べようで」
安くて美味しくて大好物だけど…女の子の家に持って行くものじゃないよぅ。
それから、いつものように勉強して。
昼には風見君がラーメンを作ってくれた。
冷蔵庫の野菜を使っていいと言うと、あり合わせの野菜が刻んで茹でられてたっぷり入っていた。
コタツに入って一緒に食べる。
何故こんなことをしてるんだろう。変な関係だなぁ、と思う。
ラーメンをすする目の前の大好きな人は、私をきっと妹のように思ってるんだろう。
近いけど遠い、時間制限有りの関係。あと一週間だ。
「受験まであと一週間だなぁ」
私が考えてたことと同じ声が聞こえる。
彼を見ると不思議な表情をしていて、表情の意味を読み取ろうとしたけれど結局分からず仕舞だった。
「ふぅ。美味しかったぁ。ごちそうさまでした」
「おそまつさま。つか、こっちこそいつも悪いな。夕食頂いて」
「いいのいいの。賑やかで嬉しいしお世話になってるから。お茶淹れ直してくるね」
茶葉を換えて、いつの間にかうちで風見君専用になっている湯呑に玄米茶をこぽこぽと淹れた。
「屋上でさ、なんで泣いてたの?」
ふぅふぅとお茶を覚ましながら風見君から声をかけてくる。
沢木君に屋上に拉致された時のことか。
「あれはね、沢木君が相談に乗ってくれてたの。私が勝手に泣ちゃって」
「何を相談してた?」
「………」
「何で沢木なんだよ。泣くようなことを何であいつに言うんだ? 俺に相談すればいいじゃん」
そ、それは…。
優しい風見君が心配してくれてるのは分かる。でも風見君には言えないよー…。
いつになく不機嫌な表情を浮かべているのが見える。
風見君のこんな表情を見るのは始めてだ。
「今度はそうさせてもらうね。ありがとう」
言い繕っても不機嫌に曇った表情が直らない。
私は視線を湯呑に落として黙りこくってしまった。
話題をそらさなきゃ。
そういえば、沢木君が何かを風見君に言えって言ってたような。
ドイツ語のおまじないだったかな。
確か彼が言ってた言葉は、ええと…
「イッヒ リーベ ディッヒ」
だった気がする。
「イッヒ リーベ ディッヒだ。うん」
風見君がきょとんとして目を大きく見開く。
「それ俺に言ってんの?」
「うん」
「意味分かってる?」
「知らない。何かのおまじないらしいんだけど、どんな意味があるんだろうね」
「………。おまじないじゃない。『君を愛してる』って意味のドイツ語」
「─────!! ゲホッ ゲフグエッホッ ゲホゲホ……」
「大丈夫?」
お茶でむせた私の背中をなでてくれる。
「急に愛の告白されてビビった」
「ゲフ……し、しないわよ! 風見君は由佳が好きなんだもの」
あの意地悪イケメンめええええぇ。
何て事を言わすんだ!
よりによって愛してるとか…。
でも。
『簡単さ。好きです、って言えばいいんだ』
沢木君はそう言ってた。気持ちを伝えるって案外簡単なんだな。そう思った。
もちろん意味が分からなかったから言えたんだけど。
「…ちーちゃん、俺はさ」
「ん?」
「…いや、受験終わったら言うよ。寝よ寝よ。お昼寝タイム」
お茶をごくごくと飲み干して、私に背を見せる向きでコタツに寝転がる。
──受験が終わったら。
受験が終わったら、ちゃんと気持ちを伝えてみようか?
今さら私に許されるのかな。
ゆっくりお茶を味わってから、私も静かにコタツに横たわった。