7 説得されるセラフィ
「マルタさん、そんな無茶苦茶な事を、こんな若い女の子に強いては」
呆気にとられていたアルヴァンが、はっと我に返ってマルタに反論をする。
だがマルタの方は負けるつもりが欠片もない。
じろりと親戚の坊主を睨んだ後に、こう言ってきた。
「アルヴァン、あんたがいくらそう言ったとしても、あんたの体が不自由なのは変わらないんだよ。あんたは助けは必要最低限でいい、と言いそうだけどね、利き腕も満足に動かせない、今のあんたには必要最低限よりも若干手助けが必要だ」
アルヴァンさんは左利きなのか、だから、右手で食器を持つと、ぎこちない動きだったのかと、セラフィはここで知り、そして納得した。
どうりで動きが少し変だったのだ。利き腕がうまく動かないなら、かなり不便な思いをしているだろう。
そして、マルタの言葉はセラフィの方にも向いたのだ。
「セラフィ。あんたもよく分かっているだろう? 今からあんたの希望に出来るだけ沿った賃貸を探すのが、どれだけ大変かって。でもこっちの提案なら、アルヴァンの手助けをすればいいんだ。あんたみたいなのには簡単だろう?」
「そ、それは別の大家さんをマルタさんが紹介してくれれば……」
セラフィはとっさにそう言ったのだが、マルタは無理だよ、と現実を突きつけてきた。
「このあたりで、私のところよりたくさん物件を扱っている大家はいないよ。それにあんた、ほら、あれだろう」
ほらあれだろう。マルタの言いたい事をセラフィは素早く察した。
いいや、とある事を思い出したのだ。
前の物件を借りる時に、セラフィは名前を少し名乗っただけで、あまたの大家から門前払いよろしく断られたのだ。
それは、セラフィという名前に付随する、悪女の肩書きのせいだった。
誰も、やっかいな事情を持った悪女なんて相手に、自分の持っている物件を貸したがらなかったのだ。
ましてや、国王様に睨まれて、追い出されてきたという相手なら尚更。
なんとか国王の指定してきた、この辺境の土地までたどり着いたあの当時はとても大変で、身元を引き受けてくれる保証人もつけられなかったセラフィは、何件も何件も不動産を取り扱っている所をはしごし、最後の最後、唯一まともに話を聞いてくれたのが、ここ、マルタの所だけだったのだ。よくまあ話を聞いてくれたものである。
くたびれ果てて、よれよれのセラフィが話す内容を、マルタは聞いてくれて、物件を貸してくれたのだ。
家賃をちゃんと支払う気があるなら、悪女だろうが店子だ。と。
マルタはそう言ったセラフィ側の事情を聞いていたし、知っていた。出会ったばかりの時のセラフィが、当時町でどういった扱いを受ける羽目になっていたのかも、知っていたからこその発言なのだ。
「あんた、ほかの所で物件を、今度こそ借りられると思っているのかい? 無理かもよ?」
という現実的な話をマルタは匂わせてきているのだ。
それにセラフィは沈黙した。またあれを繰り返すのは大変だ。
沈黙したセラフィに、アルヴァンも、鈍感きわまりないわけでもないので、何かあると察した様子だった。
「まさか、セラフィは家をなかなか借りられない事情が? ならばなおさら、俺があの家をあきらめればいい話で」
「馬鹿言うんじゃないよ! あれはあんたの持ち物だ。あんたが死んだ事になったからこっちに渡ったけどね、あんたの物なんだよ。さて、いい加減にじれったくなってきた。セラフィ! あんた、ここはこのマルタおばさんの言う事を聞いた方が、あんたにとって利益になるよ」
おばさんと言われる人間は強引な部分を持っている。そんなマルタは、セラフィにそう言ってきた。
確かに悪い話ではないのだろう。とセラフィだって分かっている。体の不自由な人の家に、住み込みで働くお手伝いさんんがいる事など、貴族どころか、ちょっとお金のある平民だって珍しい話じゃない。そう言う仕事をしているのだと、胸を張って言う事だって出来る。セラフィに損はほとんどない。
まして雇い主がマルタならば、細かいところもきっちりと話し合わせてくれるだろう。
マルタはこの界隈でも、話の分かる懐の広い大家と評判なのだから。
ちょっと家賃の取り立てがうるさいとも言われているが。
しかし、アルヴァンには、もっと別の問題があるように思われたのだろう。
「こんな若くてきれいな女の子が、俺のような男の家で、住み込みで働いていたら、変な噂が」
ボロ雑巾のような見た目のセラフィの、これからの評判の心配をしていたらしい。普通の、まっとうな神経の発言の一つと言っていいだろう。若い男の家に、女の子と言っていい年齢の女が、住み込みで働く事は、女の子にとって不名誉な噂を広げやしないかという、気遣いだ。
セラフィはそれに関してだけは、否定できた。
「私、もう、噂だけひどいのをあらかた広められてるから、そこはいいんだけど……」
「君はいったい何のとばっちりを受けたんだ……」
「あははは……」
とばっちり。確かにそういう言い方をする事もあるかもしれない。セラフィは男を次々と手玉に取る女狐ではないし、相手のいる男性を、誰彼かまわず寝取るふしだらな悪女でもない。
そう言った噂はすべてうそっぱちで、しかし、それが王都から流れてきたセラフィの評判だった。
ひどいのはあらかた。そういうセラフィに思うところがあったのか、アルヴァンはこう言った。
「セラフィのようないい子が、そんなにもたくさんの、悪い噂の標的になるなんて思えない。何かの間違いじゃないか。おかしすぎるだろう」
それを聞いて、セラフィは唐突に思ったのだ。こんな人の手助けなら、喜んでしたい、と。
セラフィは今まで、自分の事を知らない人間が、前評判だけで見てくる視線や言動がつらい生活を送ってきていた。
ずっと、誰かが好き勝手に流す噂に翻弄されて生活してきたのが、セラフィという女の子の半生と言っておかしくない事だった。
だが、その前評判を知らないアルヴァンは、セラフィを見て知って、セラフィの前評判は間違いだと言ってくれたのだ。
間違いだとか、おかしい話だとか、そんな事を言ってくれた人は、今までの人生で一人もいない。恋人と思っていたローレンスも、自分に絡めた噂だったから、否定をしてくれた事は一度もないのだ。理解ある大家のマルタは、悪女でも関係ないと貸してくれていたわけで、本当に、否定までしてくれる人は、アルヴァンが初めてなのだ。
この人の手助けになれるなら、多少の不自由があっても大丈夫。
セラフィはそんな気がしてきて、アルヴァンの方を見た。
「アルヴァンさん」
「なんだ、セラフィ。マルタさん、こんないい子は俺のように、どこでだってそれなりにやっていける男よりも優先……」
「私を雇ってください!」
セラフィははっきりとそう言った。
「……え?」
「私の名前はセラフィです! 特技は掃除と家事魔法と料理です! そして現在無職です! お手伝いとして雇ってください!」
アルヴァンはまた、目を見開いて黙る。マルタは何かたくらんでいた顔で笑う顔を隠していない。
マルタの夫は、うんうん、働き者のセラフィと一緒なら安心だな、と頷いている。
この場でアルヴァン側の人間はもう一人もおらず、誰もがアルヴァンの言葉を待っている状態だ。
「……私、アルヴァンさんに雇ってもらえないと、手持ちのお金が尽きたら、路頭に迷うかもしれないんです……」
セラフィはとどめのようにそう口にした。それは現実としてあり得る話で、どうにか雇ってもらった酒場が閉店したら、セラフィに残っている出来そうな仕事は、過酷な人を選ばない日雇いのものくらいなのだ。
家も見つからない今の状態で、それをしていたら、体を壊した時にあっという間に路頭に迷う。
そんなのは容易に想像が付いて、セラフィはアルヴァンをじっと見た。
アルヴァンは、セラフィがちょっと強引だと押し負けるのだ。理由は分からないが。
セラフィがじっと見つめて訴えてきているからか、それとも自分の事を客観的に見たからか、アルヴァンは数秒黙った後に決めたらしかった。
「わかった。セラフィ、これから色々と迷惑をかけそうだが……よろしく頼む」
「はい!」
セラフィは笑顔で頷いた。
「よし、あんたがうんと言ったからには、おばさんはしっかり契約書を作らなくちゃね」
途端にマルタが張り切りだす。どういうのにしようかね! と嬉しそうだ。
「マルタさんが作るのか? 俺ではなく?」
「こう言うのはね、直接雇用よりも、第三者が雇って派遣しているって方が、問題が起きた時に、感情的な結果にならなくてすむんだよ」
さすが海千山千の大家さんというだけあって、マルタは色々な事を見てきているようだった。
そのため、その言葉はとても頼もしく、彼等は同じ机で、これからの契約その他を、取り決める事になったのだった。