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真実の愛がなくなってしまった後、待っていたのは。  作者: 家具付


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3 断捨離するセラフィ

「うっ、うっ、う……」


人生でこんなにも泣いたのは初めてだった。赤ん坊の頃は泣いていたかもしれないが、その記憶はないので、初めてと言っていいだろう。

セラフィは涙を流したまま、本当は恋人だと信じていたローレンスのために買ってきた小さな焼き菓子を、強引に口の中につっこみ、とにかく食べた。今日は夕飯を作る気力はなくて、でも何かを食べなければ明日に差し障りがでる事くらい、もうセラフィは知っていたのだ。

小さな焼き菓子は、この生活になってからは、自分のためになんて買った事がない贅沢品で、それでも、ローレンスが笑って

「ありがとう。僕の恋人はとてもすてきな人だ」

そう言ってくれたから、余裕がある時は彼のためだけに購入してきたのだ。

セラフィは本当に久し振りに感じる、甘さにいっそう涙が出てきそうになり、それを何とかこらえて、ぐいっと水を飲んだ。

ローレンスはワインを飲みたがる事も多かった。貴族はワインを日常的に飲むものだから、飲み慣れたものを飲みたかったのだろう。

だがこの辺境の土地でワインは作れず、外から運んでくるほかないため、王都よりも、もしかしたらワインの値段は一本辺り高かったかもしれない。

セラフィはワインの平均的な値段を知らないが、買うたびにいつも、高いなと思ってきていたのだ。

いっそやけ酒として、それを飲み干してしまおうかとも思えたのは、少し胃袋の中に食べ物が入った事で、ほんのわずかに悲壮感が和らいだ時だった。

そのためセラフィは戸棚を開けたのだが、ワインは一本も残っていなかった。あんなに買ったのに、もうローレンスは飲み干してしまっていたのだ。

まるで水代わりに飲んでたんだな、とセラフィはぼんやり思い、もう寝よう、と普段より遙かに早い時間に就寝の支度をし始めた、その時だった。


「セラフィ! セラフィ! 今月の家賃をあんた、まだ払ってないだろう! 今月の給料日はいつなんだい?」


どんどん、とかなり強めの音で扉がたたかれ、聞き慣れた大家のおばさんの声が響いた。

セラフィは、今日だけはその声を聞きたくなかったのだが、家にいるのは明かりがついているからとっくに知られていて、居留守も使えない。

無視はよくないので、扉を開けると、おばさんがいつも通り、少し不機嫌そうな顔で立っていた。

そして泣き顔のセラフィを見た後に言う。


「あんたねえ、ちょっと前までは、息子がセラフィは頑張りものだから、ちょっと優しくしてあげろって言っていたから、手加減していたけど。最近息子は、もうセラフィだって一年も暮らしていて、勝手が分かっているから大丈夫だろうっていうし、家賃の取り立てに手加減はしないよ。ほら、さっさと給料日がいつなのか教えな。その日のうちにくれば、あんたは間違いなく家賃を支払うだろう? そういう信用はしているんだ」


「……それは、その」


今日だけは誰かと話したくなかったのに、とセラフィは心の中で呟いた。しかしおばさんはセラフィの事情を知らないのだから、気遣いをするわけもない。


「もしかして、怒られすぎて今月の給料をもらえないとかかい? あんた、家賃を支払わなかったら追い出されるってわかってるだろう? 金がないなら家にある物を売り払ってでも用意しな」


それだ。

ふと唐突にセラフィが思いついたのはそれだった。

そうだ、家にある物で、すぐに必要じゃない物は、皆売り払ってしまおう。

だって、ここは恋人が望んだおうちで、捨てられたセラフィがずっと暮らしていくには、あまりにも広すぎるし贅沢だ。

それに、恋人の趣味で、購入されていた、色々な物も自分には必要のない物だ。中古品としてなら、二束三文でも売れる。


「大家さん」


「なんだい? って、中がやけに静かだね。いつもならあんたの恋人が、音楽をならしている頃だろう」


「明日ここを出て行きます。家の中にあるいらない物を、買い取ってくれる宛を知ってますか」


「……いきなり何を言い出すんだい」


「だって、ここは私が暮らすには、あんまりにも大きくて、お金がかかるから」


力なくセラフィが言葉を発すると、大家はだいたい察したらしい。

家の中から聞こえない、普段は聞こえてくる音楽や、その他の生活している人間の気配がない事で伝わったのだろう。

大家のおばさんはため息をついた後に言った。


「捨てられたね、あんた」


「はい」


他人に言われるととてもきついものがある。時間が癒す暇もなく、他人に指摘されるのは傷口が開くような思いだ。

大家のおばさんはしばし黙った後に言う。


「あんた、あんなに尽くしてたのにね。でもあんな顔だけの男、あんたみたいな働き者には必要のない男だったよ。あんたは、あの男にはもったいない女の子だ。そうだ、うちの息子なんてどうだい」


「……今は考えたくありません……」


大家の息子は大嫌いだ。だって家賃の支払いを給料日まで待ってほしいとお願いした時、セラフィに裸になって絵の練習につき合えと言って、そして彼女の体を写生の練習だとかいって、遠慮なく触ってきたのだ。

あの手の恐ろしさは、今でもはっきり覚えている。今でもそれを思い出すと身がすくむ思いになるのだ。

幸い、セラフィが必死に抵抗したので、最後の一線は越えず、彼女は自分の貞操を守れたが、大家の息子は、彼女が働きすぎでやせ衰えて、写生する裸婦として適さなくなるまで、そう言う事を強いたのだ。

そのせいで、セラフィは大家の息子が大嫌いだし、今では顔を見ると血の気が引いて立っていられなくなるかもしれなかった。

大家の息子は絵の勉強をしている、町の評判としてはそれなりに好青年だが、弱い立場の女の子には、優しくない男だったのである。

セラフィも町の評判を信じた結果、ひどい目にあったといえるだろう。

そんなセラフィの言葉に、大家のおばさんは頷いた。


「まあ、あんたあの男に尽くしまくっていたからね。いきなり、捨てられたから、はい次! なんて出来る切り替えの良さは持ってなかったんだろうね。で、ここを出て行った後の宛はあるのかい」


「ないです、でもここにはもういられないです。……なんだか、急に疲れてしまって」


「気を張ってたんだろうね。さて、そんな事情なら、今日は帰ってあげようじゃないか。明日、中古品とかを扱う知り合いの商人を連れてくるよ。それで手に入った代金で、家賃を支払った後、今度はあんたが支払えるような家賃の家を、貸してあげようじゃないか」


「どうしてそんなに気を使ってくれるんですか」


家を引き払った後の事なんて、何も考えていなかった。だというのに、大家のおばさんは親切なのか、それとも商売魂なのか、を発揮してそう提案してくる。

それがセラフィにはわからなかった。

特に、ローレンスに都合よく使われていたとわかった今は、なおさらだった。

それに対して、大家のおばさんはこう言った。


「あのね、大家にとって、近所迷惑になる事をいっさいしない、給料が入ったら必ず家賃を全額支払う、そういう店子は大事なんだよ。自分の持っている物件に、ろくでもないのは誰も入れたくないのさ。あんたの素行は、はなまる百点、別の物件を紹介したくなる店子なのさ」


ほめられているのか、皮肉られているのか全くわからなかった。だがセラフィは、こくりと頷いて、ゆっくり休むようにと告げてくる彼女がさって行くのを見送り、今度こそ眠ったのだった。




「いや、状態のいい物を持っているね、君は」


中古品を扱う、大家の知り合いの商人はセラフィがいらないと言った物、つまりローレンスのために購入したものや、ローレンスの残した高級な衣類、それから新しい家にも持って行きたくない、ローレンスが選んだ家具その他を半日かけて査定し、驚くべき高額な金額をセラフィに掲示した。


「こんなに……?」


「ああ。だって君、調度品だって食器だって、家具だって、衣類だって、ここみたいな家賃の家にあるわけもないような、王都でだって使われる物ばかりだからな! それがほぼ使用されていない、新品といっても過言じゃないような状態で、売りに出されるんだから、これくらい当然だよ」


セラフィはその金額が、自分が必死にこの一年と少し、働いた金額とほぼ同じか、それに色が付いたといってもおかしくない金額だったので、商人の掲示した金額を、交渉せずに受け取る事にした。


「すごいな、あんた。これ全部、自分で買ったんだろう。ほら、この食器一式は、購入者名の入った証明書もある。それも全部に! 証明書があるって事は、あんたがお金をちゃんと支払って買ったって事で、あんたが相当働いたって事も証明できるし、盗品じゃないって証明でもある。こういう証明書があるのは、中古品を扱う店にとって、金額を上乗せする材料なんだよ」


セラフィはそこで、何か購入するたびに、証明書に名前を書かされていた事が幸いしたのだと知った。


「ありがとうございます」


「さて、そこから、家賃のこの金額をマルタさんに渡してっと」


商人は話が通っていたので、家賃分を大家のマルタに支払い、残りをセラフィに渡した。

ものすごい重みが皮袋から伝わってきて、セラフィは銀行に行かなくちゃいけないな、と思った。こんな大金が家の中にあるなんてとんでもない。警戒心がないにもほどがある事くらい、セラフィもわかっていたのだから。

幸いセラフィは、銀行に一つだけ口座を作っており、爪の先に火をともすような倹約で、緊急時のための微々たるお金を入れていた。

そこに入れていいだろう。だって自分が働いて手に入れたお金が、戻ってきたような物なのだから。

……お金がいらないなんて事は、言えない世界だ。お金があった方が生き延びやすいのが世界で、もしもの時に他人よりも頼れる物の一つとして、お金は上げられるのだ。

ないよりはあった方がいいもの。それがお金という奴である。

そして皆買い取られて、家の中はすっからかんになり、セラフィは当面必要な持ち物を背負って、大家の仕事場に、大家のおばさんとともにむかったのだった。




「セラフィの希望を皆叶えると、今と同額っていう物件しかないよ」


「……やっぱり難しいですか」


「まあね。今よりもましなのを紹介してあげたいんだが、条件が多すぎる」


「……」


セラフィはうつむいた。ローレンスと生活していた家は、彼の最低限の希望という物をすべて叶えた物件で、そのためセラフィは、辺境の土地の平均的な物件の条件を、知らないで一年過ごしてきてしまった。


「……おばさん、ここは?」


セラフィは、おばさんの掲示した物件の買かれた用紙のいくつかの中から、目に止まった物を指さした。

それはセラフィの希望に一番添っている物で、家賃も今と比べたらけた違いに安く、希望者が大挙して申し込みそうなところだった。


「今は誰も借りていないようですけど」


「……ああ、ここかい。ここは私の親戚が暮らしてたんだけどね。敵国で捕まったって聞いてから、消息がしれなくて三年が経過して、うちに回ってきたんだよ」


「つまりここは、事故物件……」


「そういう言い方もするね。前の住人がそういう運命をたどったから、借り手がいないんだ。ほら、よく言うだろう? 前の住人が悲劇的な運命をたどると、次の住人も同じ運命をたどるって」


「……でも、ここ、家具とかも皆ついてるんですよね」


「そうだね。……あんたまさか」


「おばさん、私、ここにします。……ほら、ほかのだと、予算超えちゃうので」


「……警告はしたよ、あんたがそれでいいなら、かまわないけど」


大家のおばさんは、やせ細って疲れ果てている少女をじっと見た後に、そう告げた。持ち主が止めているのに、そこがいいと言うならば大家は、それを強く止める必要がないのだ。


「まあ、一ヶ月以内に問題が起きて、出ていきたくなったら、掃除を自分で全部やってくれるって言うなら、違約金とかを取らないで契約を終了して、あげようかね」


大家が言える優しさはそこまでで、セラフィは契約書を書いてから入居費用を支払い、新たな家で暮らす事を決めたのだった。

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