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15 出発したセラフィ

「気をつけていくんだぞ」


「うん」


「体が資本だからな。無理をするんじゃないぞ」


「わかってるよ」


「……いつでも、この家に戻ってきていいんだからな」


「え?」


バララッド辺境伯の本邸に出発するその日、セラフィは明け方に家を出るその時に、最後の言葉をアルヴァンと交わしていた。

アルヴァンの言葉のほとんどが、家族を案じる様な調子のもので、セラフィはこの人ともっと一緒にいたかったし、この人のために働きたかったな、と思いながらその言葉を受け止めていた。

そんなやりとりの中でだったのだ。

アルヴァンはセラフィが思いもしなかった事を言ったわけである。


「いつでもって。もうここは私が帰ってくる場所じゃないんだよ」


契約は切れた。アルヴァンの体が日常生活を送れるようになるまで、居候するという契約は、アルヴァンの想定以上の回復力の結果、もう意味をなさなくなったのだ。

それゆえセラフィが、帰ってくると言える場所はどこにもなくなったはずなのに、アルヴァンは戻ってきていいというのだ。


「セラフィ。いいか、逃げ場がどこかにある状態で働くのと、逃げ場がどこにもない状態で働くのでは、心の余裕に大きな違いがあるんだぞ」


「……」


それはセラフィにはあまりよく分からない感覚だった。というのも、セラフィはいつでも、逃げ出せる場所がある環境で何かをしてこなかったからだ。

どこにいても、セラフィは逃げ場になりそうな場所などなく、今いる場所で、何とか踏ん張り続けてきていたのだ。

アルヴァンの所に来るまでは。

アルヴァンの所は、逃げだしたいほどの苦しみや、体が壊れるような疲労などはなく、とても温かい場所で、外出して誰かに心ない事を言われても、家に帰るととたんに安心する、そんな場所だった。

それが心の余裕とかいうのならば、アルヴァンの所は間違いなく、心の余裕を生み出す場所だった。


「セラフィ。いいか、君は俺の特別な女の子なんだ。たとえ、他にどんな人間が、セラフィに対して色眼鏡を持った目で見ていたとしても、俺にとって君は、どんな事があったとしても、幸せに笑い続けて欲しい女の子なんだ」


アルヴァンの言葉は、今まで誰から聞いたものよりも、優しくて温かい。

今もそうだ。過去に向けられたローレンスの愛の言葉よりも、ずっと心の中にしみこんでいく気がしていた。

きっとそれは、真心と言うものがアルヴァンには存在しているからだろう。

上辺だけの甘い言葉ではないのだろう、きっと。


「だから、その子がつらい思いをし続けながら、逃げ出せる場所もなく苦労する可能性があるなら、俺は逃げ場所になる所を渡すまでの事なんだ」


そういって、アルヴァンはやや無造作な調子で、大事な物を渡す調子とは少し違った感じで、セラフィに小さな物を渡した。


「これは、家の鍵でしょう? どうして今渡すの?」


アルヴァンの家の鍵は、契約を切った時に、雇用主にあたるマルタに渡していた。マルタはアルヴァンの身内という事で、もしもアルヴァンが調子を崩していた場合に、様子を見に行ける様にと鍵を持つ事にしたと言っていたのだ。

余る鍵などどこにもないはずなのに、アルヴァンは鍵を渡している。

一体。


「マルタさんにも話は通してある。この家が留守でも、セラフィはここに帰ってきていい。……小部屋の方も、セラフィがいつ来てもいい様に、あけておくから」


「……アルヴァンさん」


セラフィは声が震えてきた。こんな事ってあるの。夢じゃないの。

彼女はじっとアルヴァンを見て、震えた声で問いかけた。


「アルヴァンさんのおうちを、私の帰ってきていい場所だって、おうちだって思ってていいの……?」


「あまり豪華なおうちではないけれど、そう思ってくれていい。たとえ俺がここを出なければならなくなっても、この部屋はセラフィが帰ってきた時のために、誰にも貸さないでおくから」


「っ」


セラフィはこらえきれなかった。ぼろりと涙がこぼれだして、セラフィはうつむいて泣き顔を見られないように、しようとした。

実際にうつむいたのだけれども、アルヴァンはわしゃわしゃと、セラフィの頭を子供にするように、かき回すようになでて、こう言った。


「いってらっしゃい、セラフィ」


「……!」


セラフィは瞠目した。行ってらっしゃいは、ただいまと対になる言葉なのだ。

それは、気をつけていってらっしゃい、必ず帰ってきてね、という言葉の略称なのだから。

セラフィはこぼれだした涙を拭う事も忘れて、顔を上げて、ぐいと笑顔を作って、しばらくは見られないだろうし、これから先、見る事もかなわなくなるかもしれない、優しい人の顔を見つめて、息を吸ってから言った。


「いってきます、アルヴァンさん」


それから袖で涙を拭って、セラフィは家の前ではなく、大通りに一時的に止められている、バララッド辺境伯の紋章付きの馬車に乗ったのだった。






バララッド辺境伯の本邸があるのは、今いる辺境の町よりもやや国の内側にあり、そこはたくさんの貿易のための道が走っている。

大変に栄えた町で、辺境伯というものはお金持ちになるんだな、と思う十分な要素があるわけだ。

今まで暮らしてきていた辺境の町は、そういった豊かさとはやや縁遠い町で、国王がセラフィや第三王子を処罰するにふさわしい場所だった。

そこでふとセラフィは気付いた。

自分はあの町で暮らすようにと王の命令で向かった。

しかし、そこから出て行くのは問題が発生しないのだろうか、と。

この事で辺境伯の方は、国王に話を通したのだろうか、と思ったのだ。

だが、辺境伯という立場の人がそう言った事情を把握せずに、問題大ありな評判だったセラフィを雇う事はあり得ない。

きっと国王に許しをもらった後なのだろう、とセラフィは納得する事にしていた。

これも辺境伯に挨拶をする時に、聞く事も可能だろう。

セラフィは窓の外を見た。あの町に行くまでは、ずっと王の命令で窓のない閉じこめられている様な馬車に乗せられていた。罪人の馬車だ。

それ故に、こうして馬車の外の景色を眺めながら、目的地に行くというのは新鮮な気持ちでいたわけだった。






「すごいにぎやかな町だ……」


セラフィは馬車を降りてそう言った。事実だった。今まで暮らしていた町よりも、遙かに栄えている町としか見えない。

人の行き交いも多く、目を回してしまいそうだ。そんな場所から少し行って、広い庭というか、もはや庭園と言っていいだろう場所を門の内側に持つ屋敷の入り口まで案内されたセラフィは、少しおののいていた。

自分の知っている貴族の屋敷と言うものと、桁が違いすぎていたからだ。

もっとも、セラフィの知る貴族の邸宅というものは裕福だが男爵家のそれで、辺境伯はさらに数段格上の相手なので、比較するのもおかしな話だったかもしれなかったが。

セラフィは現れた使用人に案内され、目を疑うほど立派な通路を通り、いかにも一番偉い人が仕事をしている空間に、連れられたわけだった。


「失礼いたします、殿様。お呼びになられていた方がきました」


「うむ」


入ったそこは正しく執務室と言っていい場所のようだった。きっといろいろな采配を待つ書類なのだろう、それらが詰みあがっている。

セラフィは使用人に促されたので、少し前に進み出て、一礼をした。

目上の者には先に一礼を。礼もせずにつったっているのは無礼。

それ位の事は、一年も貧乏生活をしていたとしても、頭の中から忘れる事ではなかった。


「想像よりも細腕の女性だな」


殿様……辺境伯がそう言った。たしかに地方だと、領主をお殿様と言う言い方で呼ぶ話も多いし、なんなら自分の父も支配する土地ではお殿様だったので、セラフィはそれに違和感を覚えない。


「初めまして、セラフィ・ルベル。私がこの土地を国王陛下より預かっている領主、ガストル・ル・バララッドだ。君の噂はいろいろ聞いたが、一つ聞くとしよう」


何を聞くのだろう。セラフィは少し身構えた。身構える彼女に、バララッド辺境伯はこう問いかけてきた。


「君は奇跡を起こせるのか? 寝たきりになるはずの男を立ち上がらせたと聞くが」


「起こせません」


「なんと?」


バララッド辺境伯は目を鋭くした。何を言うのだと言いたそうな彼に、セラフィは静かに答えた。


「お殿様のお耳に入った噂が、どのようなものかは存じませんが、私に奇跡を起こす力はございません。正直に申し上げますと、何故寝たきりになるはずの男が、歩き回るほどの回復を見せたのか、私も全く分からないのです」


バララッド辺境伯はセラフィを観察している。嘘ならば切り捨てるだろう強い瞳だ。

しかしセラフィの方も嘘を吐くわけにはいかないので、知っている事実を答えるしかできないのだ。


「申し訳ありません。……期待にお応えできるかも、分からないのです」


「なるほど。分からないと申すか。……だが君が世話を焼いた男が、奇跡的に立ち上がった事は事実。その事実にすがって、君を呼び寄せたのだから、君が知る事実を言ったところで、罰する事はない」


「ありがとうございます」


「さて、君はいろいろと問題を起こして、辺境のあの町に陛下のご命令により、追い出された身の上だと調べられた。そしてその後、第三王子とともに許されたとも調べがついている」


「……!」


セラフィは目を見張った。ローレンスは王都の方に帰って行ってしまった。

その時に、どうやらセラフィも許されていたらしい。それは初めて聞く話で、なるほど許されていたから、辺境伯もこちらに自分を呼び寄せたのだと合点した。


「つまり君は、こちらに来たという事で陛下に罰せられるわけではない。君はそこを心配していそうだったからな、先に教えておこうと思った」


「あ、ありがとうございます」


「そして、君に私の末の娘の世話をしてもらう事は決定している。少し人見知りをしてしまう娘だが、性根の悪い子ではない。多少は噂を聞いているだろう」


「……お殿様のお耳に入れるには、あまりに不愉快なものでしたが」


「そうだな。亡き妻の両親が、非道な噂をばらまいた。一度広がった噂を全て覆す事が出来るのは神の所行だ。……エレナにはひどい事になってしまったが。さてセラフィ、これが契約書だ」


セラフィはそういって、バララッド辺境伯が示した書類を確認した。

要約すると、この本宅の使用人部屋ではなく、エレナ姫の部屋の続きの間の脇にある小部屋が自分の生活する部屋になり、給料は週金貨三枚という破格の金額で、そのかわり休みになる日は年始の聖女光臨の週だけだと言う事が書かれていた。

必要なものは随時執事や使用人頭などに相談して決定し、必要資金を渡される事になるという。

また、屋敷で見聞きした事を第三者に吹聴する事は、当たり前だが禁止されている。これもありふれた契約だった。

これはかなり拘束された生活のようだが、お嬢様の小間使いはそういったものなのだろう。

そういえば、男爵家で義姉のリリアンヌの召使いの真似をしていた時も、これよりがちがちに支配されていた事を、セラフィは思い出した。

あれと比べればずっとまともな仕事である。

それゆえにセラフィは納得し、その書類に署名をしたのだった。




「さて、ビビアン。彼女をエレナに会わせてやってくれ」


「かしこまりました。セラフィさん、こちらへ」


「あ、あの、セラフィで結構です」


「エレナ姫のお世話係の方は、皆軽い敬称をつけて呼ぶのですよ」


「そうだったんですね……」



知らない事が多く、セラフィはお屋敷の規律はお屋敷ごとに違うのだなと改めて実感したわけだった。

そしてビビアンに連れられて進んでいくと、本宅から渡り廊下でつながれた建物に案内され、セラフィは少し戸惑ったため問いかけた。


「あの、ビビアンさん。一つ伺ってもよろしいですか?」


「はい」


「エレナ姫様は、こちらの離れにお住まいなのですか?」


「はい」


「……どうしてと、聞いてもよろしいんでしょうか」


「エレナ姫様は、魔力変換率が極めて高い方なのです」


それだけで、何を伝えたいのか、セラフィでも察する部分があった。

魔力変換率が高いと言われている少女が、精神的に荒れているならば、それは周囲に影響を与える。

本宅に何か、ひどい被害があった事があったのだろう。

……離れに入れなければならないくらいに。

離れの入り口が見えてきた。入り口までも、美しい植物に覆われており、単純に離れで一人を満喫したいだけなら、十分に素晴らしい外側であった。

離れの入り口の方に、二人の男性が立っている。困り果てている様子で、顔を見合わせている彼らが、セラフィとビビアンに気付いた。


「ビビアン。そちらの方は……青い髪という事は、新しい側仕えのセラフィさんか?」


「ロイド様。オーレン様。その通りです」


「せ、セラフィともうします。よろしくお願いいたします」


ビビアンの一礼の後に、セラフィは彼らに礼をした。問われたのだから、答える事は失礼には当たらない。

長男だろうロイドは手に花束を。次男であるオーレンは手に小箱を。

どちらもきっと、エレナのために用意した贈り物なのだろう。

だが、扉の前で入れなくなっている様子だった。


「また、エレナ様が扉を閉め切っておられるのですか」


ビビアンの確認に、ロイドが頷く。


「ああ、そうだ。エレナが”施錠”してしまったから、魔力変換率も魔力量自体も負けている僕達には、開けられなくてな」


「……そうですか」


ビビアンが困ったように呟く。セラフィは問いかけた。


「一つお伺いしても良いでしょうか。エレナ姫様は魔力量が多く、魔力変換率も高く、そして適性は何に当たるのでしょうか」


「エレナの適性は、結界なんだ」


「適性が結界の方が、閉じる魔法である”施錠”を使用されているのですね……それは簡単には開きませんね」


魔法の威力などは、魔力変換率が物を言う。だがさらにそれを強化するのは適性であり、適性のある魔法の方が、どんな人間も強い魔法を操れるのは常識だった。

適性のある魔法の方が、通常の魔力変換率を若干超えた数字を出せるのである。

セラフィは扉を見て、少しだけ考えてから問いかけた。


「何故、エレナ姫様はお兄様達に会わないのでしょう」


「……エレナは家族に、会いたがらなくなってしまったんだ。もう何年も、エレナと顔を合わせるのは使用人だけで」


「僕も兄様もカリナも、会えていないんだ。何回訪ねても」


オーレンが肩を落としてそう言った。妹を案じているのは間違いなかった。

だが、エレナの方は彼らを拒否しているのだろう。


「ビビアン、エレナにこれを渡してあげてくれないか。もう仕事の時間が来てしまうんだ」


「ビビアン、これも頼みます。僕の方も合間の時間でやっときたので」


そういって、ロイドとオーレンはビビアンに花束と小箱を渡す。

ビビアンは一礼し、セラフィもそれに合わせて一礼し、彼らが遠ざかってから、ビビアンは扉を叩いた。


「エレナ様、あたらしい側仕えを連れてきました。お開けください」


「それでエレナ姫様は開けてくださるんですか?」


「はい」


しばしの沈黙の後に、かちゃりと鍵の開く音がして、ビビアンは素早く扉を開き、セラフィに視線で来るように促して、中に入っていったのだった。

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