13 事情を聞くセラフィ
エレナという名前に聞き覚えがなかったので、セラフィはどういう人なのだろうと気になったのだ。
これにはきちんとした理由があり、セラフィは一年以上前に、貴族の子女が集まる学校を卒業した経歴がある。
この時彼女は、生徒会の有能な事務であり、数多の貴族の子女の名前を知る仕事を背負っていた。
同年代の貴族の子女の名前のほとんどを暗記し、立場や婚約関係を暗記し、軋轢が起きないようにと細心の注意を払う文章を考えるのも、セラフィ達生徒会の人間の役目だったのだ。
そのセラフィの記憶の中に、バララッド辺境伯の末の娘のエレナ、は引っかからなかったのである。
これは一体どういう事なのだろう。
覚えていないと言うよりも、あの家の子供は三人いて、一人は跡取り息子。一人は次男。そして長女という構成だったはずなのだ。
そこで末の姫君と言われると、いくら記憶を漁っても答えが出てこないので、詳しそうなマルタに聞いたわけである。
自分たちの町を治めている代官を、束ねて支配しているのが辺境伯という事なので、マルタも多少は話を知っている様子だった。
「セラフィは知らなかったのかい、まあ……あんたのあの働き方を見るに、そう言う情報が回ってくる知り合いもいなさそうだからね、聞き覚えもないか」
マルタはセラフィの言葉に頷いてから、
「簡単な話と、ちょっと込み入った話とどっちがいいかい」
と問いかけてきた。どうやら多少詳しく聞くと、長い話になりそうなのだろう。
だが、前情報が何もないのは、これからの自分に関わるので不安だったセラフィは素直に、
「少し込み入った方を、聞かせてください」
そう答えたわけである。頷いたマルタが、先ほどまでお茶を飲んでいた卓に座り、セラフィも向かいに座った。
「お館様の末の姫君であるエレナ姫様はね、簡単に言っちゃあ後妻の娘なんだ」
「後妻……」
「そう。お館様が、ここよりさらに辺境の土地に、魔物討伐にむかった時にね、出会った女性がその後妻さ。で、この時お館様は長女のクレア姫様を産んだ後に、そのまま儚くなってしまった奥様の後、誰とも再婚していなかった」
自分の父の男爵よりまともな状態で、再婚してるな、とセラフィは内心で思った。
自分の父である男爵は、妻がいる状態で愛人として、母を囲っていたのだから。
そんな思いを抱いたセラフィの事を気にせず、マルタは続ける。
「この女性は強い女性でね、お館様が魔物に襲われて命の危機って時に、身を挺してお館様を守ったんだ。で、お館様はそのせいで、顔に醜い傷が出来たこの人を、責任をとって後妻にした」
「うわあ……男女が逆ならラブロマンス」
「だねえ」
命を懸けて助けてくれた人との結婚。物語なら大団円の一つの形だ。
そんな感想を言うのは普通の事で、マルタはさらに言う。
「この女性……奥方様って皆呼ぶんだけどね、奥方様は出来た人で、前の奥方様と、お館様の間の子供達とも、結構良好な関係を作ったんだ。お母様じゃないけど、家族って形で。逆に、子供達が無理に奥方様をお母様と呼ぶと、怒っててね。無理矢理呼ばなくていいわ! あなたたちがお母様って呼びたい方をそう呼ぶのよってね」
「すごい人……」
「そ。そのすごい人とお館様の間に産まれたのが、エレナ姫様。皆お祝いしたいんだよ。でもそれがいけなかった」
「え?」
すてきな話に暗雲が立ちこめてきた。聞き返したセラフィに、マルタは教える。
「前の奥方様のご両親は、この結婚も、出産も大反対だった。奥方様がどんなになさぬ仲の子供達を大事にしていても、気に入らなかった。そして、奥方様の子供に、自分の孫が立場をとられるという疑心暗鬼にかられ続けていた。お館様も、奥方様も、それはありえないって姿勢だったんだけどね。
で、皆がエレナ姫様の誕生をお祝いした物だから、いよいよ孫の立場が危ういと思った義両親の方達は、エレナ姫様が十歳の誕生日に、婚約者が発表されるその日に、エレナ姫様を呼びだして……ごろつきにさらわせた」
義両親の隠蔽工作で、発見がとても遅れてね。……エレナ姫様は一時行方不明になった。とマルタはため息をこぼした。
「ようやく所在がわかったエレナ姫様は、国境線の町の、春を売る店に売り飛ばされていた。エレナ姫様はとてもきれいな方だったからね、……逃げないように、足の健を切られていた。そして、貴族の姫様としては手遅れな事になっていた」
「うそ……」
聞く限り、エレナという少女に悪い所は一つもない。なのに、そんなひどい目にあったのか。
どれだけ、辺境伯の前の奥方様の両親は、おかしくなっていたのか。
「それで、救出しても、傷が大きすぎるって事で、もうどこにもお嫁に出せないって話になった。エレナ姫様は、あらゆる未来が絶たれた事で、荒れに荒れてね。……学校にあこがれがあったそうだよ。兄や姉が楽しく教えてくれるそこが、とてもあこがれだったんだ。でも、そこに通う事も出来ない。どんなに頑張っても、足の傷が自分をじゃまする……エレナ姫様は、手が着けられないほどわがままな少女に育ってしまってね。今じゃいろんな意味で、かわいそうなエレナ姫って通ってんだ。それがエレナ姫様ってわけだ。……こういう話が平民まで流れてきたのも、エレナ姫様をおとしめるために、義両親の手の者達が、おもしろおかしく吹聴した結果なんだけどね」
「あ、足の健は、魔法薬でも治せなかったんですか、骨折だってあっという間なのに」
「エレナ姫様のために、ご兄弟もご両親も、あらゆる手を尽くして、薬を手に入れて、試したんだよ。でも、皆効果が無くてね。ひどい時には、エレナ姫様が寝込む事もあったって聞くよ」
「じゃあ、どうしてそれなのに、私を」
「アルヴァンの事が知られたんだろうね。……毒で寝たきりになるはずの男が、起きあがって、普通に歩いている。医療院の薬以外で、何か特別な事があるなら、介助している女の子の力としか考えられない。この子が奇跡を起こしたんだ……って誰もが考える。そしてあんたは献身的で、親身になって世話を焼き、まるで聖女のようだ。って噂になれば、もう藁にでもすがる思いで、あんたを呼び出すだろうよ」
「……でも、まだアルヴァンさんの所をやめる話は」
「なくても、辺境伯の方が優先されるだろうよ。あちらはここら辺一帯を支配する強力なお方だからね」
アルヴァンとは、ちゃんとお別れを済ませるんだよ、とマルタはいい、帳面の記録も終わったから、今日は早くあがっていいよと言って、セラフィを返してくれたのだった。