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12 引き抜きを受けるセラフィ

「……あ」


「あ……」


一度警邏や医療院から疑われた後の生活は、特に大きな変化をもたらす事無く続き、それから二週間が経過していた。

その間にも、アルヴァンの回復の早さを調べたいという医療院からの頼みで、体の検査などを受けたアルヴァンだが、結果としては


何も特徴的な部分はない。おかしな薬の痕跡などはない。何故これだけ早く、あり得ない回復を見せているのかが分からなさすぎて不気味だ。


という物しかなかった。

セラフィからすれば、早く元気になってくれるならその方が、ずっといいのに、医療院からすれば頭を抱える問題であるようだった。

そんな事があっても、日常はあまり変わらない。変わる事をセラフィもアルヴァンもしなかったのだから当然だ。

そんなある夜の事、夜中にふと目を覚ましたセラフィが、かすかな台所の物音に気付いて、どうしたのだろう、ご飯のくずを食べに来たネズミがいるなら、追い出さなくちゃと小部屋から出て行くと、台所の流しの前に、アルヴァンがぼんやりと立っていたのだ。

一人で立って、大きな物音をたてる事無く動ける程に、回復していたなんて思いもしていなかったセラフィは、あ、と小さな声しか出せなかった。

アルヴァンの方は、水を飲みに来ていたのだろう。そう言えば手元の水差しの水を、寝る前に補充し忘れた事を、セラフィは思い出していた。

立ったまま水を飲むアルヴァンの喉が上下して、少しコップからこぼれた水が彼の首筋を伝って、どうしてかセラフィはどきりとした。

介助して最初の頃などは、お風呂の介助もしていたのだから、半裸くらいだったら見慣れていて、それ位の事でどきりとするような間柄でもなかったはずなのに、セラフィは確かに、自分の知らない部分がどきりとした事を自覚していた。

そして、水を飲み終えたアルヴァンが、右手でコップを流しに置いてから、あまり上手に動かなかったはずの左手で、水道の蛇口をひねり、軽くコップをすすいだ。

そういった日常の行動がまだおぼつかないから、セラフィはこの家にいて良かったのだ。

だが、日常生活に支障を来さなくなるくらいに、アルヴァンが回復したのなら、自分はもう用済みだな、とセラフィは客観的に自分を判断した。

……できるなら、もっとここにいて、アルヴァンさんと暮らしていきたかったけれども、介助とかがいらなくなったなら、自分のいる意味がない。

セラフィの口から、再び小さな声が漏れたのはそんな時だっった。

そしてその声を聞かれる前に、小部屋に戻ろうとしたのに、アルヴァンが気付いたのか、彼女の立っている方を見やったのだ。

そして、小さく彼も言葉を発した。

どこか気まずそうな声だった。悪い事をして、隠していたのに見つかってしまった子供のような、いたたまれないと言いたそうな、そんな声だ。


「……アルヴァンさん、もう普通に動けるくらいに、体が回復していたんだ」


セラフィは平静を装った。どきりとした事を隠したかったのだ。


「……数日前から、そんな気がしていたんだ。だから君が寝入っている時間に、どれくらい動けているのかを確認していた」


「それの見立てに失敗して、怪我とかをしたらどうするつもりだったの?」


「その時は、適当にごまかそうと思っていた。気が急いてしまってとか、そんな理由を」


アルヴァンはそう言って、視線をそらさないセラフィをただ見つめる。

顔の半分が、動く事を忘れたような無表情なのは今更で、体は良くなっていても、顔まではうまくいかないんだな、とセラフィは思った。


「もう、何をしても問題がないのかな」


セラフィは出来るだけ明るい声を出そうと、無理矢理声を明るく持って行こうとした。

だって、アルヴァンの体が良くなったのはいい事で、自分が悲しがったり寂しがったりする理由では無いはずなのだ。

自分はアルヴァンと、何かの特別な関係じゃない。介助人と、雇っている側であるだけ。ほかに意味のある言葉などない間柄だ。

彼女の空元気ににたものを、どう感じ取ったのか、アルヴァンが答える。


「日常生活の大部分には、おそらくは支障を来さないだろう。こんなに早く、これだけ回復できたのは、きっとセラフィのおかげだ。君が、一生懸命に手助けをしてくれたから、心を折らずに、機能回復訓練を受ける事が出来たんだから」


「……私の?」


機能回復訓練は厳しいものだ。体験した誰もがそう言う。でもそれに毎日通い、受け続けたのはアルヴァンの精神が並でなくて頑強だからで、あきらめたりしなかったからで、セラフィの介入はどこにもないはずだ。

だというのに、アルヴァンはセラフィがいたからだと、何か勘違いを起こしてしまいそうな事を言う。


「俺は、君の頑張りに応えたくて、機能回復訓練を受け続けたんだ。……正直に言うと、あまりの大変さに投げ出したくなる事も、あったんだが」


「わ、私がしていたのは、当たり前の事で、ほら、だって、私はマルタさんに雇われてて、あなたがとびきり特別だから、っていう話じゃ」


セラフィの声はひきつっていた。だって勘違いを起こしそうだ。自分の為に頑張ったんだ、というような言葉を向けられて、浮かれないでいられる程、セラフィは世慣れしていなかったし、すれてもいなかった。彼女は、少し世間の女の子よりも、運が悪くてひどい目に合い続けていただけで、中身は少しだまされやすいだけの、ただの女の子なのだから。

それに、母が言っていた事もセラフィは思い出していた。

「愛には対価が必要」という物である。

仮に、アルヴァンが向けてきているのが、セラフィの献身の対価の感情なら、もう献身は必要ないのだから、対価の感情もすぐになくなって、利用するだけになるだろう。

ローレンスのように。

どんなにアルヴァンを信じたくても、心のどこかの隅っこで、そう言う疑いを持ってしまう。仕方のない事でもある。

セラフィは、心の中のどこかで、未だにローレンスを引きずっていたのだ。それはどうにもならない事だろう。このくずの王子はセラフィの恋人という肩書きを使って、自分に都合のいいように、彼女を支配していたのだから。

比較対象がそれしかいないセラフィには、もう、どう判断したらいいのか、分からない部分があった。


「セラフィ」


アルヴァンの声は穏やかで、家族からさえ向けられなかった、温かい感情がいつもにじんでいる。

それに呼ばれるのが心地よくて、セラフィはいつだって笑顔で答えていたのだ。

その声が、優しい音の連なりが、セラフィは特に好きなのだ。


「君の特別が、俺でないのは当然だろう。……だが、正直に言えば、俺には君がとても特別に思える。……ああ、こんな事をいきなり聞かされても、君も困ってしまうな。悪かった」


彼の言葉を向けられたセラフィの、どうしようもない困惑を受け取ったのだろう。アルヴァンが


「忘れてくれ。……おやすみ」


と言って、部屋の方に、支えの杖もないのに、普通よりは若干ゆっくりしているが、おかしな動きなど見せないなめらかさで歩いて戻っていく。

それを見送ったセラフィは、しばしそこに立っていたのだが、自分の両手をじっと見つめて、小さく、困り果てた声で呟いた。


「お母さん」


「愛には対価が必要なんでしょう? 私はいつか、またひとりぼっちになっちゃうんでしょう?」


だったら、アルヴァンが言う、セラフィを気遣う言葉は、一体どこからやってきた物なのだ。

セラフィが一生懸命に働いているから、愛情に似たものを向ける事だけなら、まだ、対価と引き替えだから、理屈が通る。

だが、セラフィを困らせたくないのだというその優しさの対価は、何で支払えばいいのだ。

母の言葉が少し、おかしい気がしてきて、セラフィは頭が痛くなりながらも、小部屋に戻っていったのだった。






アルヴァンが、奇跡的かつ劇的な回復を見せて、一ヶ月で機能回復訓練を終了させたという話は、あっという間に辺境の町に広がり、領主の耳にも届くようになった。

それだけ辺境のと地では、アルヴァンの名前が知られていて、その劇的な回復が数多の人々の話題になったという話である。






「ええ、っと……?」


セラフィはその日、アルヴァンが病み上がりでも出来る仕事を探すために、職業案内所に向かうのを見送った後、マルタの所で事務作業をしていた。

ある程度の計算も終わり、帳面も埋められたので、少し休憩をしようとマルタに誘われ、二人はお茶を飲んで近況を教え合っていた。

マルタはいつも、雇い主という立場からセラフィを気にしてくれるのだ。

特に、自分が頼んだとはいえ若い男との同居だ。戸惑う物も多いだろうと。そんな気遣いからの言葉を、セラフィはありがたく受け取って、いつも答えていた。そう言う時間だった時の事だ。

マルタの仕事場に、見慣れない立派な衣装の男性が現れて、


「セラフィさんはここにおられるだろうか」


とセラフィを呼んだのである。

一体なんだろう、とセラフィはマルタと顔を見合わせてから立ち上がり、その人の対応にでた。


「はい、私がセラフィです」


何か自分が問題を起こしてしまったのだろうか。申請書の記載に間違いがあったとか、そう言う話だろうか。

まず彼女が思ったのはそう言う、仕事上の間違いがあった可能性である。

だがそうではなかった。


「おお! 噂はかねがね聞いております。聖女のようなお優しいお方だと」


「えーっと……?」


悪女の評判が聞かれているなら分かるのだが、聖女のようとはこれは一体。

戸惑ったセラフィに、その立派な服の男性はこう名乗った。


「私は、このあたりの地域を統治する領主、バララッド辺境伯の名代で参りました、ヨハネスともうします」


「一体、どのようなご用件でしょう」


「実は」


辺境伯はこのあたりの辺境の土地を支配し、人々の安全を守る高位貴族である。辺境伯というのは、伯とはいうがかなり地位が高いのだ。

そして他国との交易も盛んなので、大変に豊かな貴族でもある。

そんな辺境伯の名代を名乗った、ヨハネスは丁寧にセラフィにお辞儀をした後に、こう言った。


「セラフィさん。我が辺境伯の屋敷で、辺境伯様の末の姫君である、エレナ様の介助人として、屋敷に来る事を命じます」


貴族令嬢を姫と呼ぶのはありふれた話だ。高貴な女性という事で、姫と敬意を評されるのである。

国王の娘は、王女と呼ばれるので、きちんと呼び分けもされている。

まず辺境伯ほどの身分の人間が、平民にお願いをするのはあり得ない。命令をする一択であり、こうして丁寧に人を使ってよこす時点で、相当な特別待遇である事は間違いなかった。


「……え」


なんで、どうして、どういった事情で。戸惑って困惑して、言葉もでないセラフィに、彼はこう続けた。


「セラフィさんは、二度と体を動かせない人間であっても、救う奇跡を操ると、辺境伯の本邸のある町まで、評判なのです」


これは命令ですので、逃げ出す事は認めません。名代のヨハネスはそう言い、さらにこう続けた。


「三日後までに、荷物をまとめてください。お迎えにあがります」


ヨハネスはあっという間に去っていき、セラフィはマルタと顔を見合わせた。そして、情報通のおばさんでもあるマルタに、問いかけた。


「あの、エレナ様って、どんなお方ですか?」

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