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1 幸せなセラフィ

セラフィはとある辺境の町で、恋人と二人で暮らす女の子だった。

恋人はろくに収入がないのだが、あまり積極的に働くことをしない男で、しかし見た目だけは大変によいものがあり、セラフィのひもと陰で言われている男だった。

セラフィはそれを気にしなかった。

いいや、気にする余裕があまりない、というのが正しいのかもしれなかった。

セラフィは毎日の食事のために、休日もなく必死に酒場で働き続けている少女で、いつもにこにこと笑っている女の子でもあった。

この辺境での生活は、彼女にとっては体験した記憶がないような暮らしで、とにかく何につけてもお金がかかり、どれだけ毎日一生懸命に働いてもお給金の全部、いやほとんどは、高級志向な恋人の手に渡っていて、恋人の浪費に使用されていた。

故にセラフィの恋人は、恋人と言うよりもひもである、と言われるようになっていたのだが、それでもセラフィは気にしていなかった。

借りている物件が、恋人が譲れないとごねた設備のために、割と高額な家賃を支払わなければならなくても。

毎日の食事で、割と値段の高い家禽の肉がなければ食事ではない、デザートが付くのが当然だと主張する恋人のために、二人暮らしとは思えない金額が使われていても。

セラフィの身なりは身の丈にあったどころか、なんとか古着屋で値段交渉をして安く購入した物で、しかし恋人は体の寸法を測って仕立てるような高級店のものしか着たくないと主張したことから、二人の見た目はまるで、主人と召使いのように周囲に写っていたとしても。

セラフィは幸せだと思っていた。

だって恋人であるその人は、今までの生活も、今までの身分も、今までの婚約者も、そう、何もかもを捨てて、それでも真実の愛のためにセラフィを選んでくれた人だったから、彼女は愛をささやいてくれる彼と、二人身を寄せ合って暮らす今が、一番幸せだと思っていたのだ。

たとえどんなに仕事で怒鳴られたとしても。

たとえ家賃の支払いのために、大家の息子に一線は越えないが、みだらな事を強いられても。

たとえ毎日の食事の支度のために、日雇いの農作業や家畜の世話で、農奴のようにこき使われる事があっても。

セラフィはそれらを受け入れて、まだ頑張れるのだと踏ん張っていたのだ。

だって、自分のことを真実の愛の恋人と言ってくれる人が、家で待っていてくれるんだから。

二人暮らしにはちょっと広いおうち。まだ結婚していないから、別々の寝室だけど、二人のために恋人が、うちの中は豪華な方がいいと選んでくれた細かなものがいっぱいあるおうち。

二人のためだけの世界になってくれる、防音性能の高い、すてきなおうち。

そこで、大好きな恋人が、毎日笑顔で帰りを迎え入れてくれる。

そして、自分は笑顔でただいまと言って、すぐに食事の支度をして、洗濯物を取り込んだりその他のことをしたりして、恋人のためにお風呂の支度をして、寝室を整えてあげて。

それがセラフィの幸せの形をしていて、彼女は現状に、普通の人が考えているよりも不満を持っていなかった。

この人が毎日、帰りを待ってくれているのだから、まだまだやれるし頑張れる。恋人とちゃんと結婚をしたら、きっと恋人に似たかわいい子供も産まれるから、もっとお母さんとしてがんばらなくちゃ。

セラフィはそうやって夢を見て、毎日を暮らしていたのである。

しかし。

その日はいつもよりも、酒場が混んでいて、だから機嫌のいい客がくれるチップをもらえて、それが臨時収入だった。それがあったから、セラフィは恋人の分の小さな焼き菓子を購入する事ができて、きっと彼が喜んでくれると、彼の笑顔だけを考えて帰宅し、……息を飲んだのだ。


「ローレンスさま、一体どこでそんなすてきな衣装を買えたんですか? そんな衣装、うちにありましたっけ?」


セラフィを待っていたのは、一人掛けのソファに主人のように座っている恋人で、恋人の身なりはこの辺境の町では見た事がない、豪華絢爛な衣装だった。

まるで、辺境の町にやってくる前のような衣装で、セラフィは戸惑い、問いかけた。

そして、それに対してのローレンスの答えは、平然とした調子なのがおかしく思える物だった。


「僕に似合う服は、やはり王都の特別に仕立てた物だな。本当に久し振りに、我慢する事なく服を着ることが出来て気持ちがいい」


「あの……ええっと……?」


王都。特別に仕立てた物。意味の分からない単語ばかりで、セラフィは本当に理解が追いつかなくなり、また問いかけた。


「我慢って……町一番の仕立て屋さんに、いつも頼んでいたじゃないですか」


「ふん、所詮ど田舎の仕立て屋だ、程度がしれている。僕はいつも本当に不愉快だったんだ。だというのにこの町一番の店はあそこで、うんざりしていた」


「……そんな話をされたって」


セラフィはそれ以上言えなかった。それはセラフィがどうにか出来る範囲を超えていたのだから。仕立て屋の腕やその他の物まで、セラフィが改善させられるわけもない。


「着心地の悪い服に、寝心地の悪い寝台。口に合わなさすぎるまずい食事。そして僕を王子だと敬わない環境! 僕はもう限界だったんだ」


それを言われても、セラフィにはどうする事もできない。何をすればいいのかもわからない。

呆気にとられて黙ったセラフィに、恋人は立ち上がり近付いて、彼女を上から下まで見下ろして、こう言い放った。


「僕は王宮のある王都に戻る事が決まった」


「え、じゃあ、私ももちろん一緒ですよね? 結婚するんですもんね?」


思っても見なかった話に、セラフィはそう問いかけた。恋人はとある事情で親兄弟から縁を切られ、この辺境の土地に追いやられたわけで、家族のいる王都に戻るのならば、それは自分も一緒にだ、と思ったのだ。

だって二人は愛し合っている恋人で、結婚しようと誓い合った仲なのだ。

たとえ愛情表現が、手を握るくらいで、キスすら行っていない関係でも。

それはセラフィがお願いした事で、セラフィはそう言う事をするのは結婚してからだ、と決めている女の子だったからだ。

一緒に王都に戻れるのならば、恋人の家族が自分達を許してくれたからだ。

きっと今度こそ、二人の仲を認めてくれて、家族にもお祝いされる結婚が出来て、と綺麗な希望を持ったセラフィに、恋人のローレンスは告げた。


「あの目の覚めるような美貌も、可憐な容姿も見る影もなくなったお前なんか、愛するわけもないだろう、ぼろ雑巾」


「ひ、ひどい……あ、あなたが望む生活のために、一生懸命に働いていたんだよ? あなたがほしいものを買うために、食べたいものを食べるために、暮らしたい家で暮らすために!」


「はっ、当たり前だろう? お前が僕のために身を粉にして働くのは、身分を考えれば当然の事でしかない」


「じゃ、じゃあ、毎日愛してるって言ってくれたのは? 大好きだよって笑ってくれたのは!?」


色々な仮定ががらがらと崩れていく音をどこかで聞きながら、セラフィは叫んだ。

こんなに大事にしていて、大好きで、愛している恋人から信じられない言葉ばかりが告げられているのだ。

セラフィは足下から崩れていきそうで、それでも必死に踏ん張って立っていた。そうしなかったら座り込んでしまいそうだった。

ちがう、きっとちがう、なにかの悪い冗談だ。

そう思ったセラフィの叫ぶ声に、ローレンスは醜く汚れたものをみるまなざしで彼女を見て、言い放った。


「あんなの、そうしていればお前が何でもするからに決まっているだろう?」


「そ、んな」


セラフィはとうとう立っている事も出来ない衝撃に襲われて、へなへなと座り込んだ。その時だ。


「殿下、そろそろお時間でございます」


そういって物陰から現れたのは、王室直属の騎士の身なりをした男性で、ちらっとセラフィを見た後に、ローレンスへ言う。


「お別れはすみましたか」


「お別れを言うほどの相手でもない。僕に本当にふさわしい女性は、もっと教養があって美しく、家が豊かな女性だ」


「殿下のご身分ならばその通りでしょう」


「はやく城に帰ろう。ここにいるのはもう飽き飽きだ」


ローレンスはそう言って、セラフィをちらりと見て言う。


「さようなら、醜い悪女のセラフィ」


「ひどい……」


言われた言葉のあまりの中身に、出てきた言葉はそれだけで、セラフィは座り込んだまま、出て行く王子と、もめた時のために待機していたのだろう複数の騎士達を見送る事になった。




こうして、セラフィの手に入れたはずの幸せは、音を立てて崩れ落ち、もう何も残らなくなったのである。

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