28.アルジェントの話①
俺の生家、オルビス家は代々様々な事業をしている。代表的なのが事業で稼いだ金を利用した貴族相手への金貸しだ。
貴族に恩を売る一方で、オルビス家の債務者を追い詰める様は恐れられもした。
だが、やるべきことをやった上での悪評は顧みる必要はない、家の事業こそが何より大事――代々の当主はそう語ったらしい。
だが、俺がオルビス家に生まれてから一番古い記憶は、当時当主だったお祖父様の仕事ぶりでも、次期当主だった父親の様子でもなく、病床でのお祖母さまが読んでくれる本の世界だった。
当主として各地を回って仕事をしているお祖父様とは違って、お祖母様は屋敷にいることが多く、当時病弱で成長も遅かった俺をよく世話してくれたのだ。
最初の頃は、お祖母様はクラシックなお伽噺を読んでくれた。
だが、そのうち段々と方向性が変わってきた。
「……と言う訳で、お姫様と王子様はいつまでもお城で一緒に暮らしました、とさ」
「ありがとうございます、お祖母様。お話はここでおしまいなのですね」
「何を言うの、アルジェント。お姫様の話はね、ここからが本番なんだよ」
「はい?」
俺が聞き返すと、お祖母様は前のめりになって語り掛けてきた。
「王子様とお姫様は結婚して、その後暫くは蜜月の日々を過ごすの。だけど、暫くして城の中で騒動が起きるのね」
「騒動が……」
「王子様に頼るだけじゃなくて自分自身も道を切り開かなくてはいけないと判断したお姫様は、城を出奔してひとり修行をするのよ。
王子様はお姫様が自分に守られてくれないことを心苦しく思うけれど、彼女の目にかなうくらい自分も努力しようと考えるの。
離れている時間が愛を育てるのよ。そして再会した後の二人は……
まあ、今すべて話すのも味気ないわね。続きは明日以降にしましょうか、アルジェント」
「二人はいつまでも城で過ごした訳ではないのですね……」
お祖母様の趣味はロマンス小説だった。
読み聞かせてくれる絵本も恋愛が出てくるものに偏っていたし、俺がその手の話が嫌いではないとわかると、絵本から少し背伸びした小説も読ませてくれるようになった。
そのうち、俺はお祖母様から時々ロマンス小説を借りるようになった。
ただし、お祖母様はこれは他の家族には秘密よ――と言ってきた。
うちの家族が物語よりも実学的な本の方を好み、俺に対してもその手の勉強に力を入れることを望んでいるというのは、当時の歳でも理解出来ていた。だからお祖母様の言葉を守るようにした。
それから時が経ち、少し成長した俺は、お祖母様に日頃の礼を込めて贈り物を用意するようにした。
が、実際に渡すことは叶わなかった。
お祖母様は急に体調を崩し、そのまま亡くなってしまったのだ。
++++
お祖母様の葬式はつつがなく行われた。
仕事で暫く家を空けていたお祖父様も知らせを聞いて帰ってきて、喪主として客の対応をしていた。
式が終わって家に戻って、俺はベッドに横になった。
お祖母様がこの世にはもういないという事実が心を苛んで、少し休みを取りたかったのだ。
暫くしてから起きて、俺は部屋の窓を開けた。
すると、外の空気がいつもと違うことに気付く。
――何かが燃えているような、そんな匂いと音がする。
庭に様子を見に行った俺は、そこでお祖父様に遭遇した。
そして、お祖父様の前にある焚き火を見て、俺は何が燃やされているか理解した。
――それと共に、世界がぐらつくような心地がする。
焚き火で燃やされているのは、お祖母様の部屋にあったロマンス小説の数々だった。
「お祖父様……」
「ああ、アルジェントか。今、妻の荷物の整理をしているところだ。私はまたすぐ他の地方へ行くことになるから、掃除は早ければ早いほど良い」
そう言って、お祖父様はこちらをじっと見つめてきた。
「……家の中にずっといても退屈しない変わった女だと思っていたが、うちの妻は下らないことに時間を割いていたようだな。
アルジェント。
やつはお前に余計なことは吹き込んではいないな? 空いた時間は有用な学習に尽くすようにしていたか?」
「……はい。お祖母様が教えてくれたのは、有名な御伽噺が多く、今後社交をする機会で役立つと考えられます」
「ならば良し。全く、あいつは余計な心配をさせおって……」
お祖父様は本を処分し終わると、使用人に何か言いつけて屋敷の中に戻っていった。
――俺はお祖父様に嘘をついた。
あの場で、お祖母様の恋愛の本も楽しみにしていたなんて言えなかった。
++++
お祖母様が亡くなってから少し経ったある日、貴族の子供たちが出るパーティに出席することになった。
家族からは、顔合わせ程度に話してくれればそれでいい――と言われていた。最近体調を崩しがちな俺に配慮してくれたらしい。
俺はこっそり自分の鞄の中にお祖母様の本を持っていくことにした。
お祖母様の部屋にあった本は祖父に処分されてしまったが、俺が借りた分はまだ俺の手元にあったのだ。
(もう家族の言っていたノルマは果たした。知り合いのいないパーティだ、会場から多少いなくなってもばれないだろう。閉会の時間の前には戻ってくるようにしよう……)
俺はパーティからこっそり抜け出し、貴族とわかるような衣装から着替え、荷物を持って近くの公園のベンチに座った。
俺はお祖母様から借りた本を読もうと思って鞄に入れてきた。
これらの本が家で見つかったら、お祖父様に捨てられるかもしれない。その前に少しでも内容を知っておきたかった。
「……そこで、何をしているの?」
不意に、そこにいた女の子に話しかけられた。
黒い髪の女の子が、しげしげとこちらを見ている。
その服装は夜会に出るにしては素朴で質素なものだ。
先程の会場でも見かけなかった。
この子は平民なんだろうか、それならば彼女と会うのは今日限りかもしれないな――と俺は思った。
その女の子は、俺がベンチに置いた本に興味を示した。
「ねえ。それってもしかして、リリウム先生の本?」
「……!」
「色々な本があるね。私も気になってたけど、買えなかった本がたくさん。いいなあ」
「気になるなら……今読んでもいいよ」
「え、本当? ありがとう!」
女の子は本のうちの一冊を取り出して読み始めたようだ。
俺は女の子をよそに、自分の読みたいものを読むようにした。
(お祖母様……)
本の内容は素晴らしいものなのだろうが、今の俺にはあまり内容が入ってこなかった。
どうしても、亡くなったお祖母様のことを考えてしまう。
借りた本は勉強の合間に読んでいたから、中々読み進められなかったけど……。
本当は、もっと早く読んでいれば良かったかもしれない。
そうすれば、お祖母様に感想を教えることが出来たのに。
それに、お祖父様に処分される前に、他の本も借りて読むことが出来たかもしれない。
(あの対応からすると、お祖父様は……お祖母様とあまり仲が良くなかったのだろうか。ならば、俺のしたことは……)
もやもやと頭の中で考えていると、それを遮るように女の子の声が聞こえた。
「この本、薄くて読みやすそうだから、先に読んじゃった」
「……!」
「これは手書きだから、誰かが書いたものなのかしら……」
俺は、彼女の持った本にびくりとした。
それは、俺が書いた本だった。
お祖母様にいつも世話になっているお礼に、彼女の好きな恋愛ものの小説を作ろう――と思って俺が書いたものだ。
結局、贈る前にお祖母様は亡くなってしまったが。
お祖母様から借りた本と同じ棚に仕舞っていて、それをまとめて持ってきたから、混ざってしまったらしい。




