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24.アルジェント様の方が悩んでいる気がする

 

 父親が倒れてから暫く経った。

 父親は、まだ目覚めない。



 あと十日もすれば、死亡認定が降りてリエット家の当主及び借金の責任者は私になる。




「ふう……」


 孤児院から戻ってきて、私は自宅でひとり息をついていた。



 オルビス侯爵に事前に話をして、孤児院の子どもたちの様子を見てきたのだ。

 久しぶりに会う彼らは、記憶よりも少し大人びていたけれど、私に集まってくるときの顔はやはりまだまだ子どもなのだと思わせた。



 孤児院の責任者……私の父親が事故で意識不明という話は、子どもたちも既に知っていたらしい。

 自分たちはこの後どうなるのかと不安そうにしていた。



 一方で、誰が責任者になっても自分は大丈夫、何ならここから出て行っても構わない、という子もいた。

 ――恐らく、あれは強がりだ。

 まだ十歳にも満たない子どもにそんなことを言わせてしまったことが悲しい。

 やはり、子どもたちには何不自由なく暮らして欲しい。



(そのためには、サーフィスと婚約する……やはり、それしかなさそうね……)



 自分で事業を興して金を稼ぐことも考えたが、どうしても売上を出せるか不確実なものになる。子どもたちを働き出しても問題ない年齢まで世話するには、婚約して公爵家に家の事業を保障して貰う方がいい。



 公爵家に支援を打ち切られないように、未来の夫となるサーフィスの機嫌は損ねてはいけない。



 彼は女性が好きだ。結婚しても女性遊びをやめるつもりはなさそうだ。

 だが、私はそれを許容しなければいけないだろう。



 ……仮に、孤児院の子どもたちに夫について聞かれたら、どう答えよう。



 正直に答えたくは無い。子どもたちに結婚生活なんてそんなものだと思って欲しくはないから。

 だから、子どもたちに聞かれたら上手く誤魔化すしかない。



 今までだって、ギフト関連で色々な人に嘘をついて無事に過ごしてきた。

 これからもきっとうまく嘘をついて諸々やり過ごすことは出来る。



 ……色々やり過ごす生活、か。



(いつかは貴族の務めを果たして結婚するものだとは思っていたけど、こんな結婚生活が待っているとは予想出来なかったな……)



 同じような家格の男性と結婚して、父親は私を盛大に祝ってくれて。

 裕福な生活が出来る訳でなくとも、力を合わせて領民の為に頑張る。

 そんな夫婦生活がいつかは出来るものだと思っていた。

 自分からすれば現実的な未来予想――なんて思っていたけど、どうやら夢と消えることになりそうだ。



 ――でも、家が完全に没落したり、孤児院の子どもたちが路頭に迷うより、ずっといいはず。

 私のささやかな夢なんて、今は考えるべきじゃない。


 …………。



 ――リン。



「……うん?」



 ひとり下を向いてテーブルに座っていると、家のベルが鳴った。

 今は夜の時間で、誰かが来る予定は無かったはずだけど――と思いながら、私は玄関に出る。



「ノエル……。すまない、こんな遅くに」

「……アルジェント様?」




 ++++



 月明かりに照らされた玄関先のアルジェントは、どこか青白い顔をしている。冬の夜の寒さが身体に沁みているように見えた。

 彼によると、家の仕事の帰りでこちらに寄ったらしい。今日中にまた別の場所に行く必要があるが、その前にうちに来たのだという。



 働きづめの彼の体調が心配になった私は、とりあえず彼を応接間に通して飲み物を出すことにした。身体を温めることは万事にいいと父親に聞いたことがあるからだ。



 アルジェントのリクエストを聞いて、私は茶葉で紅茶を淹れる。



 カップを口に含んだアルジェントは、一息ついて声を出した。



「すまないな、わざわざ……。口当たりも香りもとてもいい。それにカップをあらかじめ湯で温めているな。身体がとても温まるよ。ありがとう」

「いえいえ。私が好きでやったことですので」



 アルジェントの礼を受け取って、私は心の中で思う。

 ――学園で店員としてアルジェントのオーダーを聞いたことはあるけど、こうして面と向かってリクエストを受ける方がいいな、と。



(そうした方が、アルジェント様の好みに合わせることが出来る。

 アルジェント様はお忙しい方だから労ってあげたいし、私としてもアルジェント様の好きなものを知れるのは嬉しい)



【夜分に邪魔してしまったが、ノエルの淹れる茶はとても美味しい。毎日共に茶席を囲みたいものだ。俺も淹れ方を勉強したい。彼女の喜ぶものをあげたいな……】



 ――やはり、今日もアルジェントの心の声が聞こえる。


 ギフトの力を抑える薬を飲み続けているが、どういう訳か学園にいた頃のようにうまくいかない。



 でも、以前ならば何とかならないかと悩んだだろうけど、今はそこまで切迫した気持ちにならない。

 恐らく、彼と共に過ごせる時間が残り少ないと理解しているから、私は穏やかな気持ちでいられるのだろう。

 諦めている――ともいえる。



(アルジェント様と一緒にどこかに食事に行ったり、食卓を囲んだり……、そんな時間が出来たら、素敵だろうな。


 まあ、これからは彼と私的に会うようなことは無くなるだろうから、叶うことは無いんだろうけど……)



 そんなことを内心で考えつつ、私はアルジェントに話しかける。



「最近はアルジェント様は家の仕事でお忙しかったのですよね。こんなに遅くに来て頂かなくても、別の都合のいい日に来てもらった方がご負担にもならなかったでしょうに。それとも、お急ぎのことなのでしょうか。父親に何か起きたとか……」

「いや、そういう訳ではない。リエット伯爵は毎日治療を試みているが、回復はしていない」

「そうなのですね……」

「だが、俺にとっては急ぎの用事だった。伯爵家の借金の話が先に進む前に、君と改めて話しておきたいと思った」

「……」



 アルジェントの話を聞いて、私は密かに唇を噛んだ。

 ――彼は、私のことを気にしてくれているんだ。

 以前に好ましく思っていると告白されたとはいえ、まだ私たちは何の関係も無い。客観的に見えば、ただの学園の先輩と後輩でしかない。アルジェントが私に何かする義理は無いのに……。



 私の内心をよそに、アルジェントは言葉を続ける。



「君の婚約者候補……サーフィスとは、もう話したか」

「ええ。顔合わせのときに、オルビス侯爵が二人の時間を設けてくれて」

「そうか。聞かせてほしい。彼をどう感じた?」



 アルジェントの質問に、私は一瞬言葉に詰まる。



【ああ、聞きたくない。こんなことを聞いて、万一ノエルにサーフィスと一緒にいて楽しかった、なんて言われてしまったらどうするんだ。……何も言わないでくれ、ノエル。俺はもう立ち直れなくなってしまう。


 ……だが、聞かなければどうにもならない。ノエルは恐らく自分からは不平不満を言おうとしないだろうから。


 出来れば、サーフィスのことは嫌な人間だと思って欲しい。顔合わせのときに嫌な印象を受けていればいい。

 ああでも、ノエルが嫌な思いをしてしまえばいい、と思うのはどうなんだ。俺も嫌な人間だ……】



 このように、ギフトでアルジェントの声が続々と流れてきたからである。



(アルジェント様は、私から話を聞きたいのか、聞きたくないのか、どちらなのかしら……)



 ちなみに、アルジェントの表情はいつもと同じく無表情である。彼は内心が本当に顔に出ないんだなと、私は密かに感心してしまう。

 とりあえず、ここは表向きの発言に答えることにした。



「サーフィス様は、今まで私があまり会ったことの無いようなお人でした。学園生活についても聞きましたが、奔放なお人、といいますか……」

「……それで?」

「正直なところ、彼のような方と婚約することになるのは予想していませんでした。ですが、孤児院の子どもも含めて家を援助してくれるというのは魅力的だと思います。目的のためなら、結婚生活も受け入れられるだろうと……そう思っています」

「なら……リエット伯爵に死亡認定が降りたら、婚約の話を受けるということか」

「そう、ですね……」



 私の話を無表情で聞いているアルジェントは、内心で様々なことを思っているようで、その声が流れ込んでくる。



【ノエルはサーフィスの印象はあまり良くないようだな。とりあえず、ほっとした。

 あいつは女生徒と何度もトラブルを起こしているような輩だ。ノエルがそんな男に惹かれることが無くて良かった。


 ――だが、果たしてノエルはずっとこのまま、サーフィスと距離を取ってくれるものだろうか。


 出会いが最悪だったからこそ、後は印象が上がるばかりで、段々と夫婦としての絆が芽生えてくる……そんな物語も沢山ある。


 ノエルは健気だから、例えサーフィスが旦那としての責任を果たさずとも、妻として奴に尽くすのだろう。俺にしてくれたように好きなものを聞いて、それを作って……。

 サーフィスは領地の事業など放置して遊びほうける男だが、ノエルは公爵家の事業も手綱を握って、何とかしてしまうのかもしれない。

 サーフィスがそれに絆される可能性も大いにありうる……。



 仮に俺がノエルに会いに行ったとして、サーフィスに向かって微笑んでいる彼女を見てしまったら……。



 嫌だ。考えたくもない。


 ノエルとサーフィスの生活は冷め切っていて欲しい。サーフィスがノエルに色々やってくるとしても、ノエルは一切動じないで欲しい……! そうすれば、俺が後々で迎えに行くことも出来るはずだ。


 だが、俺の望みのためにノエルに白い結婚を強いるのが正しいのかというと……


 俺は……俺は……!】



(アルジェント様……、もはや私以上にサーフィス様との結婚生活を真剣に考えている気がするわ……)




 彼の持ち前の頭の回転の速さ故か、あらゆる懸念が私の頭に流れ込んでくる。

 そして、アルジェントの顔色がどんどん青白くなっているような気がする。

 玄関先で会ったときに、アルジェントは体調が悪いのかと心配になったものだが、彼はもしやずっとこの手の心配をしていたから具合を悪くしていたのではないか。



(アルジェント様は優秀なお方なのに、私がアルジェント様以外を好きになるかもしれない、という不安は大きいのね……)




 客観的に見れば、私はアルジェントのことが好きだとしっかり伝えられていないから、それもやむなしなのか。

 家のことが片付いたときに改めて返事をする予定だったけど、それも無くなってしまったから。


 でも――この場で礼くらいは伝えても、罰は当たらないだろう。




「アルジェント様。学期末のパーティのときに言ってくれたこと……嬉しかったです」

「……!」

「あの後に家のことでトラブルがあったので、残念ながら話はお流れになりそうですが。それでも、あの時に教えて貰ったダンスのやり方は忘れません」



 私はそう言って、アルジェントに頭を下げた。



 ――思えば、私は一時でも楽しい時間を学園で過ごせた訳だ。

 この後に待っている生活は今までとは大きく変わるだろうけど、それでも楽しかった時間を反芻することさえ出来れば乗り越えられる……そんな気がする。




 顔を上げると、アルジェントがじっと私のことを見つめている。



「ノエル」

「はい」

「君が家のことを最優先しているのはわかった。仮に借金関係の話が無くなって、リエット伯爵の意識が戻ったら、君はサーフィスとは婚約しない……そういうことだな?」



 その質問に、私は少し緊張する。

 ……この話をアルジェントから公爵家に伝えられたら、もしかしたらこの婚約の話も破談になるのだろうか。



(でも、サーフィスは私が婚約に乗り気じゃないってことに気付いていたわ。公爵家もその話は承知の上で私との婚約話を受けたみたい。だから、アルジェント様にその話をしても、問題は無いか)



 私は息を深く吸って、そしてアルジェントに答えた。



「……はい。家の問題が解決出来て、そして父親が回復したら、私の進退は父親と話し合って決めようと思います」

「わかった。その話を聞けて、良かった」



 アルジェントはそう言って息をつくと、椅子から立ち上がった。



「ノエル、紅茶をありがとう。君も大変な時期なのに手間をかけさせてしまってすまない。この後は身体を休めて欲しい」

「……アルジェント様も、ゆっくり休んで下さいね」

「ああ、わかった。ありがとう、ノエル」



【……正直なところ、あまり休む時間はない。ノエルとサーフィスが婚約する前に、俺の出来ることはしたい。

 こんな状況だが、ノエルと囲む食卓はとても良かった。これからもこんな日々を続けるために、俺が何とかしなければ……】



(アルジェント様……)



 アルジェントの言葉と心の声には齟齬がある。

 彼は私に嘘をついているんだ。


 だが、ギフトで聞いたことを彼に伝えることも出来ず、私は玄関先でアルジェントを見送ることしか出来なかった。


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