19.仮約束
アルジェントの心の声を聞いて、何故か彼は初対面の頃から私で恋愛の妄想をしているらしい――ということはわかっていた。
実は彼は内心は女性好きで、色んな相手で妄想をしているんだろう、でも表に出さない限りはそっとしておこう……というのが、私の考えだったけど。
アルジェントがこうして特定の誰かに向かって好意を表しているのは初めて見た。
しかも、それが私だった。
様々な感情で私は混乱していたけど、嬉しい――と感じているのは確かだった。
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学園のパーティでダンスをするとき、そこには様々な意味合いがあるらしい。
既に婚約者がいる生徒が、自分の配偶者はこの人だと周りに紹介したり。
まだ付き合っていない男女だとしても、ダンスを了承した場合、『あなたのパートナーになっても構わない』という意思表示になるのだとか。
アルジェントはパートナーの話に触れながら私を誘ったから、その話も承知済みなのだろう。
私はオルビス家との取り決めで、家に何かあったとき、政略結婚の道具となる予定だ。
アルジェントはそれを知った上でこんな話を持ち掛けてきている。オルビス家にとって、私たちのやり取りは問題にはならないのだろう。
…………。
「すみません。私は、行けません」
アルジェントの誘いを、私は断った。
アルジェントがダンスに誘ってくれたこと自体は、嬉しい。
これから何度も、一人で反芻してしまうだろうと思うくらいには。
でも受けられない。
理由は沢山ある。
そのうちの一つは、アルジェントは私の人間性を誤解しているということだ。
本当にさっき自覚したことだけど、私は無意識のうちにアルジェントに憧れていて、彼に少しでも近付きたい、みたいな下心が多少はあった訳で……。
アルジェントは自分に近付こうとする生徒を苦手に思っていたらしい。が、アルジェントが苦手に思っている人間と私とでは、恐らくそれほど差異が無いのだ。
それに、ギフトでアルジェントの心の声を聞いていたことも関係している。
アルジェントが何を妄想していたか、私ははっきりと覚えている。今日のところは力を抑えられているために心の声を聞かずに済んでいるが、この先もそういられるかはわからないのだ。
……だが、これらのことを彼に伝えたくはない。
だから、表向き言える理由のみ彼に伝えるようにした。
「私は踊り方もわかりませんし、衣装も持っていません。そんな私が行っても、アルジェント様の評判が下がるだけだと思います。なので、行けません……」
私は、そう言って断った。
が、アルジェントはまだ言葉を続ける。
「踊り方がわからないなら簡単な曲で参加しよう。男側……俺がリードするものなら、初めてでも難易度はそう高くない。衣装は、俺が今から用意しようと思えば出来る。それに、衣装無しで制服で踊っている者もいる」
彼の言葉を聞いて、私は考える。
アルジェントが今回のパーティ用の装飾をどこかに隠して、終業式後に一気に飾り付けをしたように、パーティ用の衣装を今から準備することも出来るのだろう。
だが、私は尚も首を振った。
「パーティにペアで出た人は、周りからも何かあると見られるでしょう」
「……それは否定出来ないな」
「アルジェント様と共に出る人は、どうしても注目されるはず。恐らく私の家の事情やオルビス家との関係も知ることになる。私の家は依然として借金があって、まだ返しきれると決まった訳ではない。家の力が弱い人と付き合っていると思われると、やはりアルジェント様の評判は下がってしまうと思います」
「俺にとって、周りからの評判はさほど重要ではないが」
「私は……アルジェント様ほど、芯が強くないです。自分の家の評判が広く知られるのは避けたいと思ってしまいます……」
アルジェントの言葉に、私はそう返した。
「そうか……」
アルジェントは、もう誘いを続けてこなかった。
その代わりに、自嘲するように薄く笑みを浮かべる。
「……俺は、今まで学園で過ごす中で……君の気を惹こうと思って色々やってみたことがある。でも、大体は上手くいかなかった。今回もそうなったとしても、何もおかしくはないな……」
「……アルジェント様」
「ノエル。君に会いに来るのに、度々家の借金の事情を口実にしていた。だが、借金のことがあるとしても、本来ここまで顔を合わせる必要はない。ノエルは一人で勉強をこなせるくらい優秀なこともわかった。だから……もうやめよう」
「え……」
「学園には二学期以降も引き続き通ってもらう予定ではあるが、これまでのように呼び出したり、待ち合わせをするのはやめにする。何か相談したいことがある場合も、書面でやり取りするだけで問題ない。今まですまなかったな」
そう言って、アルジェントは一歩引いた。
(私は、何をしたかったのだろう……?)
アルジェントのどこか辛そうな表情を見つめて、私はそう自問した。
結果として、これまでの学園生活では彼の誘いを断ることが多かった。
勉学のため、家のためには仕方ないことだと思っていて、それについては今でも後悔していないけど。
でも、試験が一段落した今も、私はアルジェントに対して冷たい対応をしている。
自分が同じことをアルジェントにされたら、立ち直れないのに。
アルジェントに実習中助けてもらえなかったら、私は今もここにいられたかわからないのに……。
「アルジェント様!」
「……?」
私は、勇気を振り絞って彼の名前を呼んだ。
不思議そうな顔をするアルジェントを前に、私は言葉を連ねる。
「今更言っても信じて貰えないかもしれませんが。私は学園でアルジェント様と過ごしていて、嫌だと思ったことは無いです。ただ、家のことや勉強のことを優先しないと、と思っていただけで……。今も、誘っていただけたこと自体は嬉しかったです。二学期以降も、これまでのように時々はお会いしたいです」
「……そうか! そうなのか……。ノエル。そう思うなら、俺は一緒にダンスをして欲しい。……構わないだろうか?」
「ですが、今も家の事情が気になっていて、他の方とのお付き合いについては考えたくない、と思っているんです……」
「……そうか」
「――なので、アルジェント様。状況が変わったら……そのときは、一緒にダンスをしに行きませんか?」
「なに?」
アルジェントが意表を突かれたように聞き返した。
――自分から誘うようなことを言うのは、勇気がいる。
だけど、言いたいことはきちんと伝えようと思った。
「家の借金の返済が終わったら、そのときは今よりも他のことに目を向ける余裕が出来ると思うんです。パートナーに対しても、前向きに付き合えるように……。ですので、家のことが何とかなったとき、また今と同じ話をしてもいいでしょうか」
「…………」
「あっ! 勿論、その前にアルジェント様が他にパートナーにしたいと思う方が出来た場合は、この話は無かったことにしていただいて結構です。なので、もしアルジェント様のご都合が良ければ……と、いうことで……」
私はつらつらと言葉を重ねた。
そして、私は内心考える。
家の借金がいつ完済になるかは、はっきりとはわからない。
だが、そのときになってもアルジェントの気持ちが変わらないなら……、自分の人間性云々についてはもう気にしないようにしよう。彼が好ましいと言ってくれた自分自身を信じるようにする。
そして、薬によってギフトの力を抑え続けることに成功すれば、今までのように後ろめたさを感じながら付き合うようなことは無くなるはず。
そんな状況になったら、私はアルジェントとお付き合いをしたい……と思った。
アルジェントは、私の言葉を聞いて、何か考えるように下を向いた。
表情が見えず、私は不安になる。
私の方から条件を付けるなんて、不躾だっただろうか。気を悪くして、全て話を無かったことにされてもおかしくない……。
やがて、アルジェントは頭を上げて口を開いた。
「ノエル」
「は、はい」
「君の提案について、承知した」
「……!」
「俺は再び君を誘いに行く。約束する」
「仮約束、仮約束です」
どこか前のめりになるアルジェントを前にして、私は慌てて訂正する。
私の訂正に、アルジェントは頷いた。
「ああわかった。仮約束だな。だが……ノエル。折角だから、この場で一つ俺の提案を聞いてくれないか」
「な、何でしょうか……」
アルジェントは、第二講堂をちらりと見ながら言う。
「――ダンスの練習をするならば、今が丁度いいと思う。この屋上には密かに魔法で結界を張っておいたから、周りからも見れないし、誰も入ってこない」
「そ、そうだったのですね。言われてみれば、先程から誰も入ってこないな、と思いました」
「ああ。だから……この場で俺と今、踊ってくれないか」
「ここで……」
「今はまだパートナーとしてのダンスではなくて構わない。状況が整ったときは――会場で、改めて踊ろう。……それで、問題ないか」
そう言って、アルジェントは私に手を伸ばした。
そうこうしているうちに、第二講堂から音楽の前奏が流れるのが聞こえる。ダンスの曲が変わったのだろう。
「……はい」
私は、アルジェントの手を取った。
その日は冷える天気だったけれど、屋上で踊っている間は、アルジェントの手が温かくて、少しも寒さを感じないと思った。
二章終わりです。




