6.竜峰山
リストリットたちは竜峰山最寄りの街、ピークスの雑貨屋に来ていた。
ここに必要な物があるはずだと、ニアが言うからだ。
彼女は両手いっぱいの香木を抱きかかえ、会計台に叩きつけるように置いた。
竜避けの香木――これを焚いて居れば、竜峰山近くの街道で竜に襲われる危険性を抑えることができた。
竜が忌避する香りを発し、小さい竜には効果が十分に望めた。
店主が出てきて、その量に思わず目を見開いた。
「おいおい、なんて量だ。こんなに大量に焚かなくても、街道を行くだけなら一個あれば足りるぞ」
ニアはにっこりと店主に微笑む。
「これだけあれば、山を踏破するのに十分な量だと思わない?」
店主が更に目を瞠って驚いた。
「山って――竜峰山に踏み入る気か?! あの中じゃ、こんなもの気休めにしかならねぇぞ?! 死にたいのか?!」
ニアは気にせずに香炉と、香木を詰める背負い袋、そして糧食を追加で会計台に置いた。
「気休めでいいのよ」
会計を済ませたニアは、荷物をリストリットに運んでもらい、馬に括りつけた。
リストリットも不安に思い、ニアに尋ねる。
「なぁ、気休めでいいってどういうことだ?」
「まぁいいからいいから。あなたは私を信じていて」
二人は竜峰山山麓に向かい、一路馬を走らせた。
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竜峰山の麓で、ニアは香炉に香木を置き、火をつけた。
独特の香りが辺りに充満していく。この香りを竜の鋭敏な知覚は嫌うのだ。
だが大型の竜、特に百年以上を生きる古竜には効果が薄い。
竜峰山には多種多様な竜が生息している。当然、古竜も多く居るのだ。
リストリットはニアに言われた通り、彼女を信じて見守っている。
ニアは隠遁の魔法術式を改変し、自分とリストリットを対象に発動した。
二人は今、隠遁魔法の魔力に包まれている。その魔力からは、竜避けの香木の香りがしていた。
ニアが満足そうに頷き、口を開く。
「香木の性質を術式に組み込んだわ。竜が私たちを感知することを、無意識に忌避する。そういう術式よ」
通常の隠遁魔法は、知覚されることを防ぐ術式だ。
だが竜の鋭敏な感覚は、その程度で防ぎきれない。
その竜の知覚が自分たちの気配を察知することを無意識に忌避するように、術式を改変したのだ。
無意識に忌避する為、鋭敏な知覚であろうと隠遁魔法で防ぎきれる可能性が高い。
リストリットがニアに尋ねる。
「これで、どれだけ効果が見込める?」
「大型の竜でも効果が見込めるはずよ。でも、古竜はわからないわ。古竜は個体差も大きい。どこまで通用するかは賭けになる」
リストリットは僅かに逡巡した。だが、この程度の賭けに乗れないようでは、古代遺物争奪戦に勝利する事など、できはしない――そう決断した。
「わかった。先を急ごう。もう他の勢力が山に侵入していてもおかしくないはずだ」
報告にあった冒険者一行は、およそ二か月前に古代遺跡を発見していた。
彼らはクランこそ異なるが、愛国心が強く、リストリットを慕う者たちだ。だが彼らから話を聞かされた者たちすべてがそうではない。
古代遺跡の情報は高く売れる。金目当てに情報を売る商売をする者たちも多くいる。
王宮内の役人にも、そうやって情報を売る不届き者が居る。
二か月もあれば他国に話が届き、古代遺跡発掘隊を編成し、派遣されるには十分な時間だろう。
王宮に居る王子であるリストリットの元に冒険者の報告が上がるまでは、どうしても時間がかかる。それが口惜しかった。
これが”竜殺しのリスナー”であったなら、二週間もせずに噂が耳に入っていたはずだ。
最近は政務をこなす時間が多く、冒険者として活動できていなかった。間の悪さを恨んでいた。だが、まだ手遅れではない。
二人は慎重に山道を歩きだした。
****
リストリットたちは竜の気配を避け、報告書に有った遺跡の地点目掛けて進んでいた。
その日は竜避けの魔法が功を奏し、竜と遭遇することなく夜を迎えた。
だが火を焚く事はできない。山風を外套で防ぎ、水と糧食で夕食を済ませた後、ニアは眠りに就いた。
魔法を維持しながら眠ることができる――ニアが一流の魔導士である証だ。
リストリットは香木が途切れないよう、不寝番を担当した。
この魔法は、香木を焚いている間しか効果を発揮しないと告げられたからだ。
リストリットは、短期間ならまともな睡眠を取らなくても戦闘能力を維持できる――兵士として、戦士として必須の能力だ。
報告書だけでは、遺跡の詳細な場所までは分からない。目視に頼って探さねばならないので、陽が落ちる夜間は直ぐに体を休めていた。
朝が近づき、遺跡を目視するのに十分な明るさだと判断すると、リストリットはニアを起こし、先を急いだ。
三日目の夜、不寝番をしているリストリットは遠くで竜が騒ぐ気配を感じ、その方角に目を凝らした。
わずかに小さな明かりが見える――他の侵入者だ。
竜峰山の竜たちは、何故か侵入者を見つけると襲い掛かる性質があった。
竜は縄張り意識が強い生き物だが、それにしても異常なほど警戒心が強いのだ。積極的に侵入者を探し、排除しようとする。
夜間に明かりを付けるなど、自殺行為だ。それを知らないとなると、他国の人間だろう。本来、竜にそんな性質はないのだから。
数日間は運よく見つからずに済んでいたのだろうが、とうとう明かりが竜に見つかったのだ。
遠くで竜が騒がしくしていたが、しばらくすると明かりが消え、竜たちの気配が落ち着いた。
彼らの命運が尽きたことを確信し、リストリットは僅かに胸を撫で下ろした。
だが、やはり他国の人間が侵入してきていた。他の侵入者が居る可能性も高かった。急がなければならない。
周囲が明るくなり、ニアを起こして先を急いだ。