51.アイリーンの初陣
――ウェルバット王国、第一離宮。
今では前国王ビディコンスと前王妃テナーの管理する場所である。
前の持ち主であるウェルトは、未だ消息不明扱いだった。国内での目撃情報もなく、国外に身を潜めたのではないかと言われていた。
元々、外見も王族らしさを持たぬ王子だった。市井に紛れたウェルトを探すのは難しい。彼が自分から戻ってくるまで見つかることはないだろうと思われた。
持ち主が変わった第一離宮は全て改装され、ビディコンスが管理している現在は見違えるようになっていた。
王の重責から解き放たれて一年、ビディコンスには往年の輝きが戻っていた。
人を惹きつけ、率いる力――全てではなくとも、それを取り戻していた。
たった一年間の静養でここまで回復したのだ。表情も若々しい。もうそこに、疲れ切った老人は居なかった。
その姿に、妻であるテナーも、また臣下たちも胸に熱い想いを抱いていた。そこまでの重責を背負わせていたことに、また王の力になれていなかったことに、負い目を感じても居た。
だがビディコンスはそんな彼らを笑い飛ばし、日々を笑顔で過ごしている。
「我が国も、リストリットに任せておけば何の問題もない。不安は全くない。肩の荷が下り、ようやく目が覚めた。私は、どれだけ目が曇っていたのだろうな。テスティア女皇に働いた無礼の数々も、いつか詫びねばなるまい。あの子供たちにも迷惑をかけた。彼らにも詫びを入れ、またいつか茶を共にしたいものだ」
テナーはその笑顔に、かつての王の姿を見た。自分が支えていくのだと決意させた、若き頃の姿を。
喜びの涙を浮かべつつ、ビディコンスに語りかける。
「そうね……でも、ウェルトの行方が知れないのよ? 心配ではないの?」
ビディコンスはそれにも笑顔で応える。
「ウェルトに王族は荷が重すぎた。あいつは市井に紛れ、庶民として生きる方が幸せな男だ。ならば、好きなように生きさせてやるべきだ。今はきっと、どこかで伸び伸びと暮らしていると願っておこう」
それが叶わぬ願いなどとは、知る由もない。
前国王、前王妃として、リストリットやニアの力になりつつ、ビディコンスは幸福な余生を妻テナーと共に過ごしていった。
そんな両親の姿を見て、改めてリストリットは”あれが潮時だったのだ、アイリーンは正しい選択をしたのだ”と思い知り、感謝をしていた。
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ある日を境に、ウェルバット王国の軍部が慌ただしく動き、開戦の準備が速やかに進められた。
ミドロアル王国に宣戦布告を行い、両軍が国境に部隊を展開していた。
ミドロアル王国軍一万に対して、ウェルバット王国軍一万五千と傭兵部隊五千、合わせて二万の兵力が、互いに睨みを利かせていた。
王国内の全兵力を動員し、国内の守りをアルトゲイル皇国軍にすべて任せる――最初で最後の大きな一手だ。
兵の質は明らかにウェルバット王国の分が悪い。それを数で補い、互角に持ち込んでいる――傍目には、そう見えていた。
ミドロアル王国はアルトゲイル皇国軍の動きに目を光らせている。伏兵の可能性を捨てる事は出来なかった。それに対応する布陣を取る為、より一層ウェルバット王国軍が有利だ。
陣頭指揮はリストリット国王自らが執り、五千の兵を率いて先陣を切る事になっていた。
その傍にはニアが付き従い、ノヴァとアイリーン、テスティアとブルームスの姿もある。
全員が騎乗し、戦場を一望していた。
六人が馬を集め、リストリットが口を開く。
「まず、俺が第一軍五千で切り込む。その後から後続の部隊がなだれ込むから、ノヴァたちはそれを補佐してくれ」
それをノヴァが手で制した。
『まぁ待て。最初の一撃だ。大暴れできる最後の機会とも言える。あまり兵士を殺してはならんのだろう? だがこの場に居るミドロアル王国軍は壊滅させる。ここは、俺とアイリーンに任せておけ。お前は兵士たちが怯えぬよう努めろ』
「……わかった、そうしよう。だが、そこから先は俺たちに任せると約束してくれ」
『もちろんだとも。ウェルバット王国の兵士が勝たなければ意味がないからな。敵の王都を陥落させるまでがお前たちの仕事だ。俺たちはそれをやりやすいように、奴らに恐怖を植え付けるだけだ。ついでにウェルバットの兵士にも、自分たちがどんな加護を受けるのか、その心に刻み込んでもらうとしよう』
リストリットが頷き、ウェルバットの兵士たちに声をかける。
「ウェルバットの勇敢なる兵士たちよ! これよりわが友が敵軍を壊滅させる! だがそれは、この一度きりだ! 彼らの力を、その目でしかと確かめよ! ここから先は彼らの助力を得られる! お前たちに力を貸してくれる存在の偉大さを、その目に焼き付けよ!」
ニアが拡声魔法で全軍に伝達した内容に、兵士たちは戸惑った。
リストリット王の友――ノヴァとアイリーンのことは、王宮でもよく知られている。一時期は前国王がアルトゲイルの皇族だ、と王宮内で周知していた二人だ。リストリット王の代になって”あれは疲れて錯乱した前王の妄言だった”と訂正され、それもまた話題になって印象に残っているのだ。
その年若い二人だけでミドロアル王国軍一万を壊滅させるなど、夢物語としか思えなかった。神話にしか登場しないほど非現実的な話だ。
再びリストリットが声を張り上げる。
「信じられない気持ちはわかる! だが彼らにはその力がある! その事は、これから現実として目にするだろう! だが決して恐れるな! 彼らは我が友、我が盟友だ! 決して我が国を害する存在ではない! 彼らを信じられなくとも、私を信じて付いてきて欲しい! 我が軍に一人の死者も出すことなく、必ずや勝利する事を、ここに約束しよう!」
リストリットの人望は篤い。
その王が、ここまで言うのだ。王を信じようではないか。そんな気運がウェルバット王国軍に満ちていった。
そして王が言う友の力を目に焼き付けようと、彼らも状況を見守り始めた。
ノヴァは愉しそうに笑っている。
『ククク……上出来だ。これなら、脱走兵は出まい。あとは都度、声をかけてやれ――ではいくぞアイリーン。テスティアとブルームスはウェルバット王国軍の面倒を見てやれ』
ノヴァとアイリーンの馬が、二騎のみで敵陣へ駆け出していく。
ミドロアル王国軍一万は戸惑ったが、応戦しない訳にもいかない。
百騎の騎兵が、応じるように前へ出た。
二つの軍が接触し、二人が切り捨てられる――そう思われた瞬間、アイリーンの口から雲の様に巨大な炎が吹きつけられ、接近する百騎ごと、背後のミドロアル王国軍を焼いた。
火竜の息吹だ。その炎は一瞬で人間を炭化させ、ミドロアル王国軍三千の姿が地上から消えた。
そのまま、さらに切り込んでいくノヴァとアイリーンを恐れ、戸惑いつつも、ミドロアル王国軍はなんとか士気を立て直し、周囲の兵士が彼らへ殺到していく。
だが、ノヴァもアイリーンも、そしてその乗騎すら、剣も槍も弓も通さなかった。魔導士部隊による魔法攻撃すら、彼らは意に介さない。
あらゆる攻撃をそよ風の様にあしらいながら、敵軍奥深くへ二人は進んでいく。
彼らの前に立ちふさがる者は、再び火竜の息吹で地上から姿を消した。
逃げ惑い始めるミドロアル王国軍に対して、空から雷が降り注ぎ、次々とその姿を炭へ変えていく。
攻める事も、守る事も、そして逃げる事すら許されず、ミドロアル王国軍一万は呆気なく地上から姿を消した。
その様子を後方の高台で見ていた、後詰のミドロアル王国軍二千は直ちに退却し、その姿を戦場から消していった。
戦場に残ったのは無傷のウェルバット王国軍二万と、二人の少年少女――ノヴァとアイリーンだ。
圧倒的すぎる力に、恐れおののき、逃げ出そうとする兵士もいた。
だが都度、リストリットが声を張り上げ、彼らが味方であると言い含めた。
彼らの加護が、ウェルバット王国軍にはあるのだと。
軍の形を何とか維持し、リストリットは胸を撫で下ろした。
そんなリストリットの元へ、ノヴァとアイリーンが戻ってくる。その姿に、周囲の兵たち全員が下がった――近衛兵ですら、役目を忘れて下がったのだ。
ノヴァとアイリーンを避けるように、リストリットとニアの周囲から兵が居なくなった。
近づいてきたアイリーンが、紅潮した笑顔でリストリットに語りかける。
「あー愉しかった。手加減せずにテディの力を使うと、こうなるのね」
人を殺す行為を”愉しい”と言い切る少女に、リストリットは戦慄を覚えていた。
だがその恐怖を押し隠し、いつものように振舞う。
「そうか、愉しかったか」
「ええ! 生前はこんな風に力を使う機会なんてなかったもの。死んでしまった人は可哀想だけど、リストリットさんの国に敵対した時点で、死んでしまう運命だったのよ。それは仕方がないことよ。大丈夫。彼らの魂は、正しく冥界に運ばれるわ。次の生では、平和な時代に生まれるといいわね」
アイリーンも、別に殺したくて殺している訳ではない。そこは以前と何ら変わらない。
神同然の存在と成って、人の命を軽んじるようになった訳でもない。
これは戦争だ。戦場で兵士が死ぬのは当たり前と考え、割り切っているだけだ。割り切った上で、己の技能を確認し、満足した。
それはリストリットも同じはずだった。戦いの場で戦士が死ぬのは当然と割り切り、敵軍の兵士を相手に、腕が鈍っていないか確かめたいと思っているのだから。
発言者が少女だと抵抗を感じるなど、男の傲慢もいいところだろう。彼女は守るべき存在ではなく、力在る存在――ただそれだけなのだ。
ノヴァは拡声魔法でウェルバット王国軍全体に声を響かせた。
「これから先は、ウェルバット王国軍の仕事です。アイリーンと同じ守りの力を、ウェルバット王国軍の兵士は得られます。見ていた通り、いかなる攻撃も通しません。二千五百年を生きた古竜の力を、さらに強化して付与します。人も馬も、傷一つ付かない事を約束しますよ――ただし、落とし穴には気を付けてくださいね。這い上がるのが面倒ですよ?」
たった今、目にしたばかりの神がかりの力を、自分たちは保証されたのだ。
半信半疑だが、既にミドロアル王国軍を恐れる気持ちはほとんどなくなっていた。
リストリットが声を張り上げる。
「見たか! 聞いたか! 我らを傷つけられる者は、この地上に存在しない! このまま真っ直ぐミドロアル王国の王都へ向かい、陥落させる! 恐れることはない! 私が先陣を切る! お前たちはその背中を追ってこい! 必ずや勝利を手にして見せよう!」
ニアの拡声魔法でその言葉は全軍に響き渡り、次第に歓声が上がっていった。
傷つくことも死ぬこともないとわかった以上、恐れる事は何もなかった。後は先陣を切る王の背中を追うだけでよいのだ。
戦争を経験したことのない兵士たちから緊張と恐怖が去り、高揚感だけが胸を支配した。
リストリットを先頭に、士気軒昂した兵士たちが進軍を続け、ミドロアル王国王都を目指していった。




