50.神の加護
リストリットはそれから一年をかけて、兵を増強し、糧食を蓄えた。
アルトゲイル皇国の経済支援を利用し、国外から食料品を買い集めたのだ。輸入品は値上がりしたが、国産品の値上がりは抑えることができていた。元々豊かだったウェルバットは自給率もそこそこある。一個師団駐屯による物価上昇と比べれば、民衆の不満を抑えることができた。
また、アルトゲイル皇国軍が駐屯している期間に限定した大幅な減税を行い、実質的な物価上昇を抑え込み、民衆の不満も緩和させた。この財源も経済支援で調達した。
ウェルバット王国軍は総兵力を一万五千にまで増やし、兵士たちは訓練に明け暮れた。さらに追加で傭兵部隊を新設して兵を募った。
アルトゲイルへの軍事技術供与の要請は打ち切り、代わりに駐屯軍との共同軍事訓練を要請し、テスティア女皇はこれを承諾した。
戦い慣れたアルトゲイル皇国軍の兵士たちによって、ウェルバット王国軍の兵士たちの練度は一年間で見違えるほど上がっていった。
その間、アルトゲイル皇国がウェルバット内外から睨みを利かせ、周辺各国がウェルバット王国に手を出すことを許さなかった。
軍事同盟をウェルバットと結ぼうとする国も居たが、リストリットは首を縦には振らなかった。また、アルトゲイル皇国も、ウェルバット周辺国家と軍事同盟を結ぶことを拒否し続けた。
ウェルバット王国がしているのは、露骨な開戦準備だ。
兵を増強し、練度を上げ、軍事同盟を結んだアルトゲイル皇国軍との連携訓練も行い、糧食も充分と言える量を蓄えている。
標的となるのはどこになるのか予想が付かず、どの国も不安に怯えていた。
弱小国家を狙い領土を広げるのか、大物食いで強国に襲い掛かるのか。同盟を結んでいるアルトゲイル皇国との同時侵攻も考慮すれば、どの国も狙われる可能性があるのだ。
大物食いならば、今までウェルバット王国を財布扱いしていた三国が最も可能性が高いとみられたが、エグザム帝国とエウルゲーク王国は災害復興が足枷となり、充分な対応が取れずにいた。
いつ、どこと開戦するか分からない――そんな空気がウェルバット国内のみならず、周辺各国に満ちていた。
ウェルバットの民衆に戦争を恐れる空気はなかった。守りはアルトゲイル皇国軍が居る以上、攻められることはないからだ。
逆に周辺各国は、国内の不安を抑えるのに苦心していた。災害の爪痕が残るエグザムとエウルゲークはここでも苦しめられた。
諜報部からの報告を読み上げたリストリットは、予想通りの展開に笑みを浮かべた。
これでウェルバット王国軍が単独で三国を降せば、アルトゲイル皇国軍が引き上げても簡単に攻め込まれることはなくなる。脅せるような相手とはみなされないだろう。”エウセリアの財布”から脱却することができるのだ。
そうして国力を蓄え、アルトゲイルに返済を行いつつ、長い時間をかけてさらに兵士たちを増強し、強い国へ生まれ変わらせるのだ。
元から豊かな国だ。頻発していた献上金の負担がなくなれば、経済支援の返済を行っていても、そう長い時間はかからないと予想していた。おそらく、リストリットが在位中に終わるだろう。
『どうした? リストリット。顔が緩んでいるぞ?』
開け放たれた執務室の扉の前に、ノヴァとアイリーンの姿があった。
一年が経ち、二人は十五歳になっている。背が伸び、ノヴァは男性らしさを、アイリーンは女性らしさを増していた。
アイリーンは間もなく十六歳だと言い張っていたが、皆で相談の結果、二人の誕生日は遺跡で目覚めた日を十四歳の誕生日と定めていた。
いずれにせよ、ウェルバット王国での成人を迎えている。
それに合わせて、ノヴァとアイリーンは人間社会でも正式に夫婦として婚姻していた。名実ともに伴侶となったのだ。
「ん? なんだ、そんなに緩んでいたか?」
『ああ、お前とニア、俺とアイリーンの挙式以来のにやけっぷりだ。そんなに思い通りに事が運んだか?』
あの日以来、リストリットの信頼は修復された。
ノヴァやアイリーンと、遺跡で結んだのと変わらぬ信頼関係を維持していた。
お互いの挙式では互いが言祝ぎ、笑顔で迎えた。心から友と言い合える仲だ。
「それほどか……まぁその通りなんだが、そろそろ、どこかの国を攻め落とす頃合いだ。お前たちも、準備をしておいてくれ」
『その心配は不要だ。俺たちはいつでも応じてやれる。お前はただ、その時に頼めばいい。”今から攻め落としてきてくれ”とな』
リストリットは苦笑を浮かべた。
「俺の考えは前も伝えたが、決してやり過ぎるなよ? 属国化して、自治を任せるんだ。あまり軍事力や国力を削り過ぎるな――やはり心配だな。俺が陣頭指揮を執った方がいいかもしれん。兵もお前たちに怯えるだろうしな」
『どうした、身体が疼くか? ”竜殺しのリスナー”にも、最近なれていない。腕が鈍っていないか不安か?』
「ははは! お見通しか! その通り、政務ばかりで肩がこる。久しぶりに、大暴れしたい気分だ」
リストリットは政務の合間に時折、ブルームスと剣を交える事はあった。
だが神を相手にしていると、全く勝ち目がないと分かるだけだった。己の未熟さも痛感するが、さすがに戦闘訓練に参加する余裕はない。
わずかな時間を見繕っては鍛錬もしているが、命を懸けた戦闘からは久しく離れている。勘が鈍っているのは間違いなかった。
『ならば、お前もニアと共に戦場に出るが良い。お前たちの事は、俺たちが守ろう。思う存分暴れるが良い。ウェルバット王国軍は、一人の死者も出すことなく、敵国を降すだろう』
「頼もしいな。まさに神の加護だ。では、近いうちに出兵する。その時に声をかける」
『ああ、それで構わん。いつでもよい。好きな時に言え』
『私たちの力、きっちりその目に焼き付けるといいわ!』
いつものように、優しく柔らかい笑顔でアイリーンは笑った。
”人を殺したこともなければ、殺したくもない”と言った少女は、今や喜んで戦場へ赴き力を貸してくれると言う。
今でも、そんな少女を戦場へ送りこむ事に葛藤は覚える。だが、彼女は少女に見えて神の如き存在だ。それも嫌という程思い知らされた。ならば、人間である自分が庇護すべき対象ではないのだ。
ノヴァもアイリーンも、慈愛に満ちた神だと思うことにする――それが、リストリットなりの落としどころだった。神に逆らえば、人間には死が待って居る。それだけなのだ。
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――第二離宮にあるノヴァとアイリーンの居室。
そこには引き続き、テスティアとブルームスの姿があった。
テスティアは姿を変え、一人の女魔導士としてそこに居た。
ブルームスは一人の傭兵としてそこに居る。
表向き、テスティア女皇はアルトゲイル皇国に帰国し、内政を行っていることになっている。
実態は、テスティアが遠隔通話で本国の高官に意志を伝え、国家を運営していた。
ブルームスは傭兵の伝手を使い人員を集め、ウェルバット王国傭兵部隊の隊長を務めている。
ノヴァはアイリーンと共にソファに腰かけ、ゆっくりと紅茶を口に運んでいる。
アイリーンが背後に控えるブルームスを眺めて尋ねる。
『ブルームスさんって、反抗的だと聞いていたけど、この一年間でそんな姿を見た覚えがないわね。性格が変わってしまったのかしら』
ブルームスが静かに応える。
『ノヴァ様の御言葉に逆らう必要が、この一年間なかった。それだけです』
ノヴァが愉しそうに言葉を添える。
『なに、数百年も生きていれば、こいつの反抗的な態度も見られるだろう。それ以外は基本的に寡黙な男だ。他の神が居なくなった今、尚更反抗する理由も減ったのだろうさ』
『数百年単位じゃないと反抗しないのを、反抗的と言っていたのね……他の神がそれだけ従順だったのでしょうけど、神様の時間感覚に慣れるのはまだまだ先ね……』
カップを傾け、紅茶を一口飲んだアイリーンが今度はノヴァに尋ねる。
『ねぇノヴァ、いつ頃、どこに攻め込むと思う?』
『やはり最初は、ミドロアル王国だろう。エウルゲーク王国、エグザム帝国は災害復興が足を引っ張り、軍事だけに国力を注力できん。どうしても対応が遅れる。ならば後回しにして、無傷のミドロアル王国を叩くだろうな。こちらの兵が疲弊する前に最大戦力で叩く。時期は、一か月以内だろう』
『私たち夫婦、最初の共同作業ね! 楽しみだわ!』
『ククク……そうだな。テディも張り切っているようではないか。存分に力を使ってやるが良い』
『そうするわ。守りの力はテディに借りるつもりよ。さすがに、火竜の息吹まで使うのは、ミドロアル王国軍が可哀想かしら?』
『いや、初手だからこそ、きちんと全力で力を見せつけてやれ。だが、殺し過ぎないように気を付けろ、とも言われたな。そこは注意しろ。火竜の息吹など、人間の軍隊が丸焦げになるからな。せいぜい最初の戦闘で見せる程度にしておこう』
『テディも、遺跡で息吹を使えば負けることはなかったのにね。あの工房を傷つけたくなかったのね』
『お前との思い出が詰まった、大切な場所だからな。お前と再会するまでは、テディにとって何物にも代えがたい宝物だったのだ。仕方あるまい』
アイリーンは胸にあるテディの鱗を大事に手で包み込んだ。
思い出を命よりも大切に想っていたテディに、感謝の念を伝えていた。
ノヴァはそんなアイリーンの頭を、ゆっくりと優しく撫でていた。




