5.不甲斐ない男
リストリットたちは竜峰山最寄りの街、ピークスを目指して馬を走らせていた。
ニアの思いついた竜避けの魔法に必要な物資が、そこで手に入るはずだった。
しばらく月夜が続く。夜を徹して馬を走らせていた。
途中の水場で馬を休め、彼らもわずかな休息を得ていた。
ニアは、思いついた魔法をより効果の高い術式に組み上げようと考えを巡らせていた。
真剣な眼差しで考えに耽る彼女の顔を、リストリットは優しい眼差しで見つめている。
青い髪と青い瞳、端正な顔立ちと女性らしい細い顎、しなやかな身体は女性の魅力に満ち溢れている。
十年前から変わらず魅力的な幼馴染に、リストリットは見惚れていたのだ。
だが、十年の月日は短くない。
出会った時は十四歳だった自分たちも、もう二十四歳だ。
何度となく、想いを告げようとした。
何度となく、想いを告げられかけた。
だが互いに、どうしても最後の決定的な一言を言えずにいた。
初めての夜を共に過ごしてさえ、言えずにいた――その行為は、王子としては許されることではない。だが、冒険者として二人きりで居た夜に、若い二人が燃え上がってしまったのだ。
リストリットは第二王子で、ニアは小さな伯爵家の令嬢だった。
身分が大きく違う。彼女の方から想いを告げる事など、できはしない。それはわかっていた。
だが、リストリットの方から想いを告げる事が、どうしてもできなかった――この関係が壊れてしまう事を恐れたのだ。
彼女が自分を思ってくれている確信はある。あるのだが、いざ言葉を口にしようとすると、拒絶されるのではないかという恐怖に打ち勝つことができなかった。
彼女が身分の差に思い悩んでいることも知っていた。
王子の妃として認めてもらえる身分ではなかった。
そんな彼女が、身を引いてしまうのではないか――そう考えてしまい、決定的な一言を言い出せないのだ。
身分差のある王子妃では、苦労も多い。そんな苦労を背負わせるより、彼女にはもっと幸せになれる道があるのではないか――そう考えてもいた。
だがそれでも、彼女を自分の傍から離したくなかった。
ならば想いを告げればいい――なんどそう思っただろうか。
だが告げようとするたびに、関係が壊れる事を恐れ、言い出せない――それを繰り返して、十年の歳月が過ぎてしまった。
見つめている彼女から若さが失われていることに気が付き、己がしたことの残酷さを嫌という程見せつけられてもいた。
貴族の女性として、もう後がない――王子妃ともなれば、子を成す義務を持つのだ。
子を成せなくなった貴族女性は、嫁ぎ先が著しく制限される。その刻限は目前だった。
今ならば、他に邪魔は入らない。
今すぐ言いだせ!――そう叱咤する自分と、関係が壊れる事を恐れる自分が争っていた。
ニアが不意に顔を上げ、口を開いた。
「どうしたの”リスナー”? 何か言いたいことがあるの?」
先ほどから、熱い視線を感じ続けていた。
いつ言葉を告げてくれるのか、ずっと待って居た。
だが一向に言葉を告げてくれない彼に焦れて、思わずニアが先に言葉をかけた。
ニアができる、最大限の譲歩だ。
淡い期待を胸に、リストリットを見つめていた。
だがリストリットは、またしても”いつもの言葉”を口にした。
「済まん、ちょっと考え事をしていた。見つめてしまって済まなかった」
そういって目線を外し、水を飲む馬の首を撫で始めた。
淡い期待が裏切られた――いつものことだ。
ニアは小さく、気づかれないように溜息を吐いた。
――もう、潮時なのかもしれない。
二人の関係は、清算すべきだ。そう頭では理解している。
だが、リストリットという男を諦めることが、どうしてもできなかった。
彼ほど魅力的な男は、この十年間でも他には居なかった。
強く、逞しく、人を惹きつけ、率いる力を持つ男だ。
それが何故か、男女の関係では決断力に欠ける。そこが不思議だった。
初めての夜も、ニアから身を寄せ、迫ったほどだ。その彼女の一世一代の賭けも、失敗に終わってしまった。
リストリットが背中を向けたまま、ニアに声をかける。
「……そろそろ馬も充分休んだ。もう行こう」
「そうね。行きましょうか」
二人は馬に跨り、ピークスの街へ急いだ。