49.守るべき存在
その日、現国王ビディコンスから、第二王子リストリットへ王位を譲る意志が広く示された。
翌日の午前中に譲位式が行われ、正式にリストリットがウェルバット第三十二代国王として即位した。
弱冠二十四歳での即位だ。だが、臣下から不満の声が上がることはなかった。
また、この事は午後になり王都中に広まり、王国の内外にも広く布告された。
国民も若き王を歓迎し、国内を明るい空気で染め上げた。
――譲位式から数日後、リストリットは国王の執務室に居た。
ニアは王妃の執務室で、前王妃テナーから指導を受けつつ、政務をこなしている。
前国王ビディコンスは第一離宮に居室を移し、ゆっくり心と体を休めていると、傍仕えが報告を上げて来ていた。
机に座り、政務を進めながらも、リストリットの胸中は混乱したままだった。
謁見の間で見た父親の姿は、疲れ切った老人のそれだった。アイリーンが言う通りであれば、その姿こそが、父親が隠し続けていた本来の姿なのだ。
それを王の意地と矜持で無理を押して振舞っていた。それが歪みとして現れ、周囲に迷惑を振りまいていたのであれば、彼女が言う通り、潮時なのは明らかだった。
周囲の誰もが、この事を待ち望み、祝っていた。
これでいいと、頭では理解していた。
だが、心が付いてこなかった。
国家国民より優先してでも守るべきだと心に固く誓った少女は、リストリットが決断できないならば、友である自分が手伝うと軽く言ってのけ、やってみせた。
彼女を守るなど、思い上がりではないのか。自分より強い力を持つ存在を守る必要など、どこにあるのか。
己の誓いが揺らぐことで、己の矜持も揺らいでいた。
己を見失いかけている。そう感じていた。
『リストリットよ、そこまでだ。考えるのを止めよ』
書類から顔を上げれば、執務室のソファにはノヴァが一人で座っていた。
「なんだ、また認識阻害か?」
『今回はきちんと扉を開けて入ってきたぞ? ノックはしていないがな。それに気づけぬ程、お前が思い悩んでいただけだ』
既に、互いの間の信頼に傷が入ったと感じていた。
もう無条件に信頼する事が、出来なくなっていた。
ノヴァが大きく溜息を吐いた。
『――ふぅ。だから言ったであろう? 俺もアイリーンも、古代遺物として、兵器として扱われても構わぬ、と。そして”お前は今のお前で在り続けろ”とも言った。お前はあの時の自分の在り方を忘れるな』
リストリットは無言で俯き、その言葉を聞いている。
ノヴァはその様子を確認し、言葉を続ける。
『俺やアイリーンを兵器として認識する事は、人の道を踏み外す事にはならん。正しく兵器としての能力がある。そして俺たちを運用する事は、一兵卒を戦場へ派遣する事と変わらぬと心得よ。兵士とて人間。人の心を持った存在だ。ならばお前は、為政者として同じように運用すればよい。アイリーンの力を正しく認識できたのであれば、彼女を兵士として考えても仕方があるまい。それは人の世界で普遍的な行為だ。だがお前の信念は維持し続けよ。憐憫を感じた守るべき存在を、命を以て守ると誓った己を見失うな。俺とアイリーンは守るべき存在ではなかった。お前こそが守られる側だった、それに気づいた。ただ、それだけなのだ』
リストリットは、ノヴァの言葉を噛み締めた。
己の矜持が立ち直る感覚を得ていた。
”アイリーンは守るべき存在ではない”と、ノヴァが言ってくれたからだ。
勝手に憐憫を感じていただけで、それは思い上がりなのだと言ってくれたのだ。
リストリットは顔を上げ、ノヴァを見つめた。
「お前は、それを言うためにここに来てくれたのか?」
リストリットの表情を見て、ノヴァの頬が緩む。
『お前が己を見失えば、ビディコンスの二の舞となろう。それでは、王位を譲らせた意味がない。それに、これでお前は俺やアイリーンに頼むことができるようになっただろう? ”隣国を攻めるのを手伝ってくれ”と』
愉しそうに笑うノヴァに、リストリットは苦笑で返す。
「俺は戦争が嫌いだ。国民に負担を押し付け、命が失われる。やらずに済むなら、やりたくない。今はもう、アルトゲイル皇国軍が駐屯している。攻め込まれる心配も、金を脅し取られる心配もない」
ノヴァの目がわずかに冷たく光る。
『今は、な。だが為政者ならば、先を見よ。こんな不平等な条件での軍事同盟や経済支援を、アルトゲイル皇国の人間が快く思う訳があるまい?』
リストリットは、ノヴァに言われてハッとした。
現在のウェルバット王国がアルトゲイル皇国から受けている支援は手厚い。
無利子無期限での経済支援。
無条件での平等軍事同盟と、一個師団の派遣と駐屯。
現在ウェルバット王国の領土を守っているのは、アルトゲイル皇国の名前と、一個師団のアルトゲイル皇国軍だ。
対して、ウェルバット王国は一切アルトゲイル皇国に利益を返せてはいない。将来的にも、それが可能になる目はない。
今も既に、アルトゲイル皇国内部で不満が燻ぶっているのは想像するまでもない。
不満が表面化し問題になれば、テスティア女皇は反対の声を押し切ってこのまま支援を続けるか、支援をすべて打ち切るかの二択に迫られる。
支援を打ち切れば、即座に元の苦境に戻されるだろう。ウェルバット王国の軍事力は、依然として何も変わっていない。
反対の声を押し切って支援を継続すれば、遠くないうちに不満が暴発し、アルトゲイル皇国内部で混乱が起こる。そうなれば、一個師団をウェルバット王国に駐屯させている余裕もなくなるだろう。結果は支援を打ち切るのと変わらなくなる――いや、アルトゲイル皇国との確執が生まれる分、こちらの方が将来的に見て現状より悪化すると言っていい。
つまり、残されたわずかな時間で、ウェルバット王国は何らかの手を打っておかねばならないのだ。軍事力を強化し、周辺の敵対国家を叩き、”エウセリアの財布”に戻らない為の手を打たねばならない。
ノヴァが言っているのはそういうことなのだ、そう理解した。
「……お前は、どうしたらいいと思う?」
『それを考えるのも、決めるのも王であるお前の仕事だ。俺はお前に大きな恩義が二つある。お前の兄を救ってやれなかったという借りもある。三つの敵対国を滅ぼすくらいは手伝ってやる』
三つ――ミドロアル王国、エウルゲーク王国、そしてエグザム帝国。
この三国をウェルバット王国が降せば、その周辺各国はウェルバットに一目置き、弱小国家とはみなさなくなるだろう。
今までウェルバットを財布の様に扱ってきた三国だ。良心が咎めることもない。
その為には準備が必要だ。これだけの国家を降した後、その領土を管理する必要がある。そんな人材も軍備もウェルバット王国にはない。短期間でそれを揃える力もない。
ならば、滅ぼしてはならないだろう。攻め込み、決定打を与えつつ、瀕死の所で手を緩め、不平等条約を結ばせ、こちらに攻め込めないようにする。属国化だ。
ウェルバットの国力を踏まえれば、それぞれの領土の自治を任せつつ、こちらに攻め込めなくするのが最善だろう。
急に戦争の準備を行えば国民に大きな負担を強いる。
ならば、時間をかけて準備を行い、それから攻撃を仕掛ける。
アルトゲイル皇国の不満を抑えられる期限は、長く見積もって三年といったところだろう。早ければ一年で問題が表面化する。
ならば一年かけて出兵準備を整え、敵対する三国を畳みかけるように降していく。時間はかけて居られない。速攻で片を付ける必要がある。弱兵であるウェルバット王国軍だけでは不可能だ。
その為に、ノヴァとアイリーンの助力が必要だ。二人ならば、ウェルバット王国軍が三国を降したように見えるよう力を貸すこともできるだろう。
「……俺に、ウェルバット王国に、お前とアイリーンの力を貸してくれ」
ノヴァが愉しげに笑った。
『ようやく言えたな。そう、それでいい。俺たちはお前の懇願を聞き届けよう。俺たちは神だ。お前が身を案じるような存在ではない――では、やるべき準備を進めるが良い』




