48.魔導士アイリーン・ウェルシュタインという少女
アイリーンが執務室を去った後、リストリットはニアに真剣な表情で語りかける。
「……ニア、しばらく嬢ちゃんを見張れ。危険な行動に出るようなら、なんとしても防げ。だが命までは捨てるな」
ニアはきょとんとしてその言葉を聞いていた。
確かに恐ろしいことを口にしたが、遠慮のない子供にはよくある事だ。
アイリーン程頭が回るなら、口にする事が賢しくても不思議ではない。
それにニアの目には、アイリーンにこれといった変化は感じられなかったのだ。
なぜリストリットがここまで深刻なのか、理解できなかった。
「その言い方、まるでノヴァくんを相手にするみたいね。相手はアイリーンちゃんよ? 先史文明の魔導士とはいえ、そんな危険な存在とは思えないわ。さっきの様子も、いつものアイリーンちゃんよ? 最後の笑顔も見たでしょう?」
リストリットがあの笑顔に感じたものは全く別だった。
一見、いつも通りの優しい笑顔だ。
だが熟練の剣士としての勘が、目の前の存在が如何に危険なのかを警告していた。
まさにノヴァを前にしている時のような戦慄を覚えたのだ。見た目に騙されてはいけない存在だ。
リストリットは言い含めるように、改めてニアに警告を告げる。
「あれを今までの嬢ちゃんだと思うな。ノヴァを相手にしているものだと思え。身の危険を感じたら、すぐに逃げろ」
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アイリーンは真っ直ぐ王宮のビディコンス国王の居る場所を目指していた。
どうやって知ったのかはわからないが、迷いなく進んでいく。
途中の衛兵たちも、彼女を止める気配はない。それどころか、気づいている様子すらない。
遠くから様子を見ていたニアには、理解ができなかった。
――魔法術式を使っている様子はないのに、なぜ?
そしてアイリーンは王宮の奥深く、国王の居室の前に居た――既にビディコンスは、執務室にすら常駐しなくなっていた。
ノックもせず扉を開け、中に入っていくアイリーンの様子を呆然と見た後、慌ててニアは後を追った。
だが扉の前に控える衛兵に止められ、中に入る事は出来ない。
「ニア王子妃とはいえ、ここは陛下の居室、断りなく中に入れる事はできません」
その衛兵の言動に混乱しつつ、ニアは口を開く。
「たった今! 女の子が中に入っていったでしょう! 何故その時に止めなかったの?!」
「女の子? なんのことです? ――とにかく、陛下に許可を頂いてからです。少しお待ちを」
衛兵の一人がノックの後、扉の向こうに呼びかける。
「陛下! ニア王子妃がお見えです! 陛下!」
衛兵が顔を見合わせる。
就寝するにはまだ早い。返事がないのは普段なら有り得ない。
中には王妃も居るはずだった。どちらの返事もないというのは考えられない。
――緊急事態の可能性が高い!
「陛下! 失礼します!」
断りを告げつつ、衛兵の一人が慌てて扉を開ける。
中には、虚ろな表情をした国王ビディコンスと、それに戸惑う王妃テナー、そして、その前に立つアイリーンの姿があった。
アイリーンが振り向き、微笑んで衛兵に語りかける。
「国王陛下は”問題ない、下がれ。ニア王子妃には帰ってもらえ”と仰ってるわ」
「はっ! 了解致しました! 失礼致しました!」
衛兵は何の疑問も抱かず、扉を閉め、ニアに向き合った。
「陛下は、ニア王子妃には帰って欲しいと仰せです。今日の所はお引き取り下さい」
ニアは、たった今、目にした光景が信じられなかった。
何故、衛兵は疑問を抱かないのか。
何故、アイリーンの言う事を陛下の言葉だと信じているのか。
魔法術式を展開せず、どうやってこれほどの芸当をしてのけたのか。
ニアは葛藤した。
冒険者としての勘で、身の危険すら感じる状況だ。相手が何をしているのか、察知も理解も予想もできない。自分の手に余るとしか思えなかった。
だが、この場を逃せば取り返しがつかなくなる。アイリーンは陛下に何かを施そうとしている。止めるなら今しかない。
あれがノヴァだったなら、自分は諦めて殿下に報告に戻るだろう。自分がこの場でどんな手を打とうと、力づくで無力化されるのが明白だ。誤認させられたら、何があったかもわからなくなってしまう。ならば今見た正しい情報を、迅速に持ち帰る事を優先すべきだ。
しかし、中に居るのはいつもと変わらぬアイリーンだったのだ。ならばどうするべきなのか――リストリットの言葉が蘇る。
”ノヴァを相手にしているものだと思え”
ニアは扉に背を向け、リストリットへ報告するために離宮に足を向けた。
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「……これで、ニアさんにもわかってもらえたかしら」
アイリーンは、敢えてニアに認識阻害魔法をかけていなかった。
自分を未だ侮るニアに、今の自分を正しく理解してもらうには、これが手っ取り早いと思ったのだ。
改めてビディコンスに向き直り、アイリーンは再び言葉をかけ始める。
「ねぇビディコンスさん。あなたの役目はもうおしまい。最後の務めは、王位をリストリットさんに譲ることよ? 解ったらお返事して頂戴?」
ビディコンスは壊れた人形のように言葉を繰り返す。
「私の役目はもう終わった。最後の務めは、王位をリストリットに譲る事だ」
アイリーンは優しく笑顔で語りかける。
「よくできたわ。とても偉いわね。これ以上、他の人に迷惑をかける前に、王位を譲ってしまいましょうね。あなたは今まで、よく頑張たわ。もう休んでいいのよ?」
ビディコンスはゆっくりと頷いた。
王妃テナーは、アイリーンに気づかず、王の虚ろな様子にただ戸惑っている。
「ビディコンス! どうしたの! しっかりして!」
「私の役目はもう終わった。最後の務めは、王位をリストリットに譲る事だ。私はもう休む。お前はニアのことを、助けてやってくれ」
「ビディコンス!」
その様子を見て満足したアイリーンは、来た時と同じように扉を開け、部屋を出ていった。
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――第二離宮の執務室。
リストリットはニアから報告を受け、唇を噛み締めていた。
ニアも気持ちを共有しているようだ。眉をしかめて俯いている。
「嬢ちゃん……なにがあったんだ」
「アイリーンが本来の実力を出しているだけですよ」
その言葉に慌ててリストリットとニアが振り向く。
いつの間にか、執務室にノヴァが居た。
――入ってきた覚えはない。転移魔法らしき気配もなかったはず。
驚く二人に、ノヴァが優しく笑いかける。
「僕が本当にアイリーンを一人でここに来させたと思いましたか? あの時、僕も一緒に居たんですよ」
つまり、リストリットたちは認識を阻害されていた、と暴露した。
信頼を傷つけられた気がするリストリットは、悔しさを胸に尋ねる。
「……何故、こんな真似をした?」
ノヴァは少年らしい笑みで応える。
「今の、本来のアイリーンを見たあなた方が、何を考え、どう行動するのか、それを確認していました」
「本来の嬢ちゃんってのは、どういう意味だ?」
「先史文明の魔導士は神と同じように、魔法術式を展開しなくても魔法を行使できます。つまり、傍目には神の能力と変わりません。本質的には、神の能力も似たようなものです。この略式の魔法術式は、難易度が高く、魔力効率も著しく悪いので、多用できる人間は多くは居ませんでしたけどね――先史文明で稀代の天才魔導士と言われたアイリーンなら、あなたたちに気付かれないように魔法を行使するぐらい、簡単にやってのけるんです」
「……今までそんな様子はなかった」
「今までは不完全な身体でした。魂の出力が足りない状態です。そんな状態で魔法を使う危険性を、彼女は充分知っている。だから彼女は、自分から必要以上に魔法を使うことは控えていた。特に、消耗が激しい略式の魔法術式を使うことはなかった。それだけです。僕やテスティアも非効率な略式の魔法術式は控えていましたから、あなたたちが分からなくても仕方ないですね。それでも僕は時折、目の前で使っていたんですが、あなたたちは神の能力だと認識してしまった――そういう事です。出会いの時から使っている翻訳魔法が良い例です」
「つまり、嬢ちゃんの身体の問題が解決したから、嬢ちゃんは好きに魔法を使っている、そういうことか」
「ご理解いただけたようですね。かつては様々な法律で魔法術式の使用に制限がありました。ですが現代の法律に、先史文明の魔導士が操る水準の魔法行使を律するものはありません。まぁ違反したからと言って、彼女を取り締まれる人間も居ませんけどね。彼女も伸び伸びと魔法を使っているでしょう――そろそろアイリーンが戻ってきます。後の事は、彼女から直接聞いたらどうですか?」
室内の空気が張り詰める中、執務室の扉がノックされ、アイリーンが姿を現した。
アイリーンは自分を見るリストリットの目を見て、いつものように柔らかく笑ってみせた。
「あら、リストリットさん。とっても怖い顔ね。ニアさんから話を聞いて、不安になってしまったの? 大丈夫、私は今まで通りのアイリーンよ? 心配しないで。単に今まで、あなたたちが私を侮っていた。それだけなの。私は何度も、自分には力があると伝えていたはずよ? 生前から今と同じことは出来ていたの」
リストリットは、頭を金槌で殴られたかのような衝撃を、その言葉に受けていた。
この少女の運命に、憐憫を感じていた。
確かに、力のない少女だと、勝手に決めつけ思い込んでいた。
だが超技術を誇った先史文明で、稀代の天才魔導士と呼ばれた程の少女だ。現代の常識が通用しない相手だという認識に欠けていた。
現代において、その脅威はノヴァと大差がないのだ。その事に、ようやく気が付いた。
リストリットは、慎重に言葉を選んで尋ねる。
「父上に、何をしていた?」
「ビディコンスさんの奥底に眠る本心を掘り起こして、表層に固定化しただけよ? ビディコンスさんはお疲れよ。もうすべてをリストリットさんに託して自分はテナーさんと休みたい。そう思っているわ。王としての意地が、それを許さなかっただけ。でももう潮時よ――すぐに呼び出されるわ。リストリットさんがこれから目にするのが、心の奥底で眠っていた本来のビディコンスさんよ」
その言葉の意味をリストリットが理解するよりも早く、執務室の扉がノックされ、兵士が言伝に現れた。
「殿下、陛下が重臣と共に謁見の間でお待ちです。直ちに来て欲しいと」
「……わかった。すぐ行く。ニア、お前も来てくれ」
リストリットはのろのろと立ち上がり、ニアと共に謁見の間に向かっていった。




