45.神の思し召し
居室に向かい廊下を歩くノヴァとアイリーンが、静かに会話をしている。
『ねぇノヴァ、本当に手を出さずに見守るの?』
『俺とアイリーンが手を出せば、あいつは矜持を傷つけられたと怒るだろう。ならば、どうしようもなくなるまで、俺たちは手を出すべきではない』
『でもそれでは、この国が攻め込まれてしまうのでしょう? 国民が可哀想よ?』
ノヴァがニヤリと笑う。
『”俺たち”が手を出さねば良い。話を聞いていた限り、アルトゲイルが力を貸せばミドロアル王国にはなんとか対応が可能だろう。だがエウルゲークとエグザムとやらは、荷が重いようだ』
アイリーンが小首を傾げて尋ねる。
『では、どうするの? 私たち以外が手を出すの?』
『そうだ。その二国が、すぐに軍事行動を起こせないような状況を作り出そう』
まだよくわかっていないアイリーンが尋ねる。
『それはどいうこと?』
『テスティアとブルームスに、それぞれの国を襲撃させる。首都が突然、天変地異に巻き込まれれば、出兵どころではなくなるだろう。今用意している開戦の為の物資や人員を、民の救済に回す事になろう』
『あら、それなら確かに”私たち”は手を出してないわね。でもそれでリストリットさんが納得するかしら?』
『黙っておればわかりはしない。テスティアたちが神として力を振るえば、人間がそれを認識することはできん――あんな不器用な男は、神が助けてやるとしよう』
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リストリットはビディコンスに進言し、テスティア女皇と共に速やかに周辺各国に”アルトゲイルがウェルバットと軍事同盟を結んだ”と報せを走らせた。
同時に国内の軍備を整え、いつ侵攻されてもいいように備えた。
それでもミドロアル王国は兵力を国境付近に展開し、いつでも国境を超えられる状態を維持していた。
エグザム帝国、エウルゲーク王国もまた、部隊の展開を急いだ。
――アルトゲイルが本気でウェルバットと軍事同盟を結んだと思っていなかったのだ。アルトゲイルに利点が何一つない同盟である。
確かにウェルバット王国にテスティア女皇が滞在している。だが偽のテスティア女皇の署名である可能性が高いと思われていた。なりふり構わぬウェルバット国王が偽書をまき散らしたと判断した。何故ならば、未だアルトゲイル皇国本国からは、ウェルバットとの軍事同盟の布告がないのだ。
この状況は一週間後に急変する。
ウェルバット王国にはアルトゲイル皇国の兵三千が到着し、ウェルバット王国軍二千の兵士と共に、ミドロアル王国軍五千と対峙した。
アルトゲイルの軍旗を見たミドロアル王国軍は侵攻を諦め、兵を引き上げた。ミドロアル五千の兵では、アルトゲイル三千は荷が重い。ウェルバット軍が足を引っ張っても五分、踏み潰すのは不可能だと判断された。
同時期、エグザム帝国とエウルゲーク王国では巨大な竜巻が発生し、首都を大混乱に陥れた。
両国は対応に追われ、兵力を展開するどころではなくなり、国民の救済に追われた。
その竜巻の爪痕は深く、多くの民衆が家と職を失い、数か月の間、両国は動きが取れない状態が続いた。
その間に、アルトゲイルから五千の追加兵力がウェルバットに到着し、ウェルバット領内でエグザム、エウルゲーク方面に展開した。
またアルトゲイル皇国が直々にウェルバットと軍事同盟を結んだと周辺各国に布告したことが広く知られるようになり、エグザム帝国、エウルゲーク王国は共に、ウェルバット王国への軍事侵攻を諦めざるを得なくなった。
――リストリットとノヴァの口論から十日後。
ミドロアル王国軍が兵を引き上げ、エグザムとエウルゲークに天変地異が発生した頃。
リストリットは執務室で報告書を読み、無事ミドロアル王国軍が撤退したことを知り、胸を撫で下ろしていた。
「あとは、エグザムとエウルゲークだけだが、これはアルトゲイルからの追加兵力が到着するのを待つしかないな。隣国の進軍開始とアルトゲイルからの兵力到着、どちらが早いかだが、分の悪い賭けになる」
リストリットは隣国がウェルバトからの軍事同盟布告を無視する可能性が高いと踏んでいた。テスティア女皇の署名付きの書状を各国に出しているが、偽の署名――偽書と断じるだろうと読み切っていた。
おそらく隣国がウェルバット領内まで進軍し、王都まで攻め入る頃にようやくアルトゲイル皇国からの追加兵力が王都に到着する――そうリストリットは読んだ。王都は瀬戸際で守られるだろうが、進軍経路にある町は略奪され、民は殺される。だが天が味方すれば、この結果は覆るかもしれない。神頼みだ。
傍に控えるニアがリストリットに向かって意見を述べる。
「殿下、本当によろしかったのですか? ノヴァくんに助力を頼めば、もっと確実に、早く手を打てました。戦闘が起こらなかったとはいえ、部隊を展開するだけでも我が国は消耗します。アルトゲイル軍三千の糧食の準備はなんとか間に合いましたが、市場では食料品の価格が上がり、民衆から不満が出ています。これから追加の兵力まで駐屯するようになれば、さらに物価が高騰するでしょう」
リストリットは頭を抱えて悩んでいる。
アルトゲイルの一個師団――およそ一万人が新たにこの国で生活をするのだ。
戦闘の為の糧食に限らず、兵士たちが国内で日々生活していくのに必要な設備や消耗品も、一万人分の需要が生まれる。
ウェルバットの供給能力では、そこまで急激な需要の変化に即座に対応する事は出来ない。
生産調整が終わるまでの数か月から一年以上の間、生活必需品が品薄になり、物価が高騰する。
物価が落ち着くまで数年を要すると思われた。その間、民衆たちの不満は高まっていくだろう。
アルトゲイルから駐屯中の全ての物資を持ち込むわけにもいかない。物価の高騰は避けられない問題だ。
「そーなんだよなー。だから戦争が嫌いなんだよ。最初に迷惑をこうむるのが民衆なんだ。だが、あいつらを兵器にするくらいなら、おれはこの選択で間違っていなかった。そう思う」
その目は清々しい眼差しだった。己の決断を後悔していない。そう物語っている。
その視線が机の上の報告書に落ちる。
「それに、諜報部からの速報で、エグザムとエウルゲークで天変地異――巨大な竜巻が起こったという報告があった。被害規模に拠るが、これで両国の進軍を遅らせられるかもしれない。あっちの国民には悪いが、被害が大きいことを祈ろう」
ニアは意表を突かれて驚いた。
「両国で竜巻ですか。初耳ですね。竜巻が自然発生する気候ではなかったはずです。しかも両国とも同時期ですか」
顔を見合わせたリストリットとニアは、一つの可能性に思い至っていた。
「……ニア、ノヴァとアイリーンはどうしてる?」
「はい、世話係たちの報告では、毎日紅茶を飲んで過ごしているとの事です。外に出かける様子はありませんでした。ただ、ノヴァくんから”そろそろアイリーンに教養の教師を付けたい”と要望が出ています」
だが彼らは認識阻害魔法で常に周囲に行動を正しく認識させずに生活している。
その場に居るように誤認させつつ、外出した可能性をリストリットたちは考えた。
しかし彼らがこの短期間でこの国とエグザムやエウルゲークを往復する事は不可能だろう。早馬を走らせたとしても不可能な距離だ。
それにニアも、都度彼らに会いに行っている。少なくとも長時間、離宮から離れたことはないだろう。
「……転移魔法で移動した可能性はどうだ?」
「転移魔法は、移動先の座標を知らなければならないと言っていました。ノヴァくんもアイリーンちゃんも目覚めて以後、この国から外には出たことがありません。両国に転移する事は不可能でしょう」
「そうか。なら、神の思し召し、と考えるしかなさそうだな。あいつらが直接手を下した訳でないのなら、納得するしかあるまい。俺はあいつらに、そこまで求めなかったからな」
二人とも、ノヴァが間接的に関与していると薄々勘付いては居る。
だがリストリットの意思を尊重し、あくまでも穏便に事態を抑えつつ動いてくれたのだと理解していた。
リストリットが報告書を何気なく眺めながら、呟くように言う。
「あいつらに、何か礼をしておきたいな」
ニアは微笑んで頷いた。
「そうですね。夜会にでも誘ってみますか? たった一日と少しですが、一度はアルテイル魔導学園に通ったのです。知り合いに会える良い機会になるかもしれません」
リストリットは頷いた。
「わかった。俺が主催で夜会を開く。学園で同じ学級に通っていた子供たちに、招待状を出しておいてくれ」




