44.傭兵情報網
ウェルバット第一王子ウェルトは、その日から姿を消した。
失踪者として国王ビディコンスは捜索するよう指示を出したが、それ以上の事はしようとしなかった。
唯一の功績とも言えた旧型魔力回復薬は市場から姿を消し、何も残せなかった男は、死体も、魂も残せずこの世から消滅した。
葬儀を挙げる事も出来ず、墓もなく、このまま人々から忘れ去られていくのだろう。
その夜、リストリットは私室で静かに酒を呷っていた――兄を弔う酒だ。
今だ婚姻していないニアは、彼女の私室で眠りに就いている。
ソファで幼い頃の兄との思い出に浸りながら酒を呷り終わると、リストリットは静かに窓辺に立った。
独りで窓に臨む王都の街並みを見下ろし、そこで眠りに就く民に思いを馳せた――この国を、民を守れるのは、自分しか残っていないのだ。
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翌日、リストリットの執務室にノヴァとアイリーンが姿を見せた。
「ん? どうしたノヴァ。何か用か?」
リストリットは以前の姿に戻っていた。わだかまりを心の奥に沈め、時間が傷を癒すのを待つ――強靭な精神を持った男だ。
その様子を見て静かに笑みを浮かべたノヴァが、リストリットに尋ねる。
『駐屯するアルトゲイル軍を受け入れる準備は進んでいるのか?』
質問の意図が解らず、困惑しながらリストリットは応える。
「どうした? お前が気にする事でもないと思うが――テスティア女皇から一週間後に三千の兵力が到着すると伝えられている。それを受け入れる準備はもう済んだ。後続の兵力が来るらしいが、それはまだだ」
それを聞いてノヴァが思案しながら応える。
『一週間後か、なるほどな。ならば寸前で間に合うかどうか、といったところか』
怪訝な表情でリストリットが尋ねる。
「どういう意味だ? 何を知っている?」
『ブルームスベイルゲイルがミドロアル王国の情報を持っていた。早ければ一週間後には五千程度の兵力がこちらに向かってくるだろう、とな』
リストリットの顔に険しさが増す。
「五千か。苦しいな――だが何故、奴がそんなことを知っている?」
『ブルームスベイルゲイルは、人間社会で傭兵ブルームス・ゲイルとして生きている。ミドロアル王国でも傭兵の情報網を持っていた。出兵する兵士として傭兵に声がかけられていたらしい。予想できる規模がおよそ五千だろうと言っていた。――今、この国が用意できる戦力はどれくらいだ?』
「ミドロアル方面なら、今から用意して二千がいいところだな……アルトゲイルの兵力と合わせても五分か。兵士の質の差はあるから、戦力差ははっきりとは言えん。我が軍がアルトゲイルの足を引っ張るだろうから、五分に持ち込めるかも怪しいな」
『では、今すぐ用意できる兵士は何人だ?』
「今すぐ?! 今、ミドロアル方面に配置している守備兵は五百だ。今王都に居る守備兵ですぐに動かせるのは五百程度、合流させて一千がいいところだろう」
『そうか。では提案だ。そのミドロアル方面の守備兵五百を以て、直ちにミドロアル王国に攻め込む。そのまま相手の王都まで直進し、王都を陥落させる。お前は五百の兵の糧食の手配だけすればよい――どうだ?』
リストリットは椅子から立ち上がって声を上げた。
「でたらめにも程がある! そんな遠征に付いてくる兵士などいない! 脱走兵が続出して軍の形を維持する事すら難しくなる! 兵士の質が違うんだ! ミドロアル王国の軍と衝突すれば、同数でも即座に全滅なんだぞ?!」
『敵兵はこちらが始末してやる。他国が見て、ウェルバット王国の軍がミドロアル王国を降したと見えればよい。お前は軍の形を維持する事のみに努めろ。そうだな、五十人でも残っていればよい――可能か?』
リストリットは訳も分からず、それでも頭の中で思案を巡らせる。
「……俺が陣頭指揮を執ったとしても、難しいな。我が軍は他国に攻め入った経験がない。そんな兵士を鼓舞しても、五十人も残せる保証はできない。だが、何をする気だ?」
『エウルゲーク王国、エグザム帝国もこちらに攻め入る準備に入ったらしい。そう遠くないうちに開戦するだろう――これも傭兵情報だ。その前に、ウェルバット王国の軍事力が上がったと見せる必要があろう。開戦を躊躇わせて、アルトゲイル皇国からの後続兵力が来るまでの時間稼ぎができれば良い』
アルトゲイル皇国の武力を取り込む希望を得たビディコンス王は、周辺国へ献上金を渡すことを拒否しだした。
その結果、約束の期限を過ぎても献上金を渡さないウェルバット王国へ、制裁の為の出兵が行われるのだ。
周辺の強国はウェルバット王国へ身の程を思い知らせる為、必要以上の戦力で踏み潰しに来るだろう。
そうして乗り込んで、王国にある金品を強奪し、献上金の代わりとするのだ。
それは根こそぎ奪われる献上金の争奪戦――強国たちが同時期に動く理由である。
早い者勝ちの総取りなのだ。
リストリットは吐き捨てるように舌を打ち鳴らした。
「――チッ! 勘弁してくれよ。ここにきて強国三国相手の戦争まで起こるってのか! だがアルトゲイルの兵力が駐屯すれば、簡単には攻め入ってこないはずだ。例え三千でも、大国アルトゲイル皇国を敵に回す力は周辺国にはない。必ず躊躇する」
『攻め入られる前に、アルトゲイル皇国の兵が居る事を周知できればな。相手がアルトゲイル皇国三千の兵士ごと、こちらを押しつぶせる兵力を用意していたら、気づかないふりをして押し切られる可能性もあるだろう。為政者ならば、間に合わない場合も想定しておけ。先に打てる手は打つものだ』
「……ならば、我が国とアルトゲイルで今すぐ声明を出せばいい。こちらから戦争をしかける必要なんてない」
『わからんか? この機に目障りなミドロアル王国を叩き潰す、そう言っているのだ。ミドロアル王国を叩き潰してやれば、ビディコンスも安心し、頑なな態度を少しは軟化させるだろう。奴にアルトゲイルの軍事技術を渡さない為にも、これは有効な手だ』
「だが俺が率いるとして、たった五百の守備兵でどうやってミドロアル王国を攻め落とすというんだ?! あの国には三万の兵力がある! お前がやると言うが、お前だって三万の兵を降すような強大な力を振るう事などできない身体だろうが?!」
ノヴァが冷笑を浮かべて応える。
『ふん。神も侮られたものだな。今はテスティアと共にブルームスも居る。あいつらは二柱揃えば俺の半身ともいえる力だ。今の俺でも二人が傍に居れば、三万程度は相手をしてやれる。アイリーンもお前の力になりたいと張り切っているぞ? 先史文明の魔導士の力、見せてやろうではないか』
「嬢ちゃんまで戦争に駆り出そうってのか?! 俺はお前たちを人殺しの道具にしたくないと、何度言えば分かる?!」
『このまま放っておけば、いずれかの国が王都まで攻め入るだろう。アルトゲイルからの後続兵力が到着するまで時間がかかる。そうなればいずれにせよ、俺たちの出番だ――俺たちにも、憂さ晴らしをしたい時くらいある。お前の兄を救えなかった鬱憤を晴らす場くらい、よこせ』
「――っ! くそ! だがお前たちがそこまでの力を振るえば、兵士や陛下に必ず怪しまれる! どうする気だ?!」
『古代遺物であることをまだ隠したいのか? 試しに学校に通っては見たが、アイリーンは同年代の子供とすら共に過ごすことができなかった。人間である時から異質な子供だ。今更古代遺物であることが露呈しようと、大した問題ではない』
「だとしても! 隠せる間は隠し通す! お前たちを兵器にするのは、俺の矜持が許さないと言っただろう?!」
『……頑固な男だな。仕方のない奴だ。ならば穏便な手を打てるだけ打て。テスティアと共に速やかにウェルバット王国とアルトゲイル皇国が軍事同盟を結んだことを周辺各国に報せるがいい。それでも国境を超えてくる国は出る。それに対して、お前はどうする?』
「……エウルゲークとエグザムが用意する兵力の情報はあるのか?」
『残念だが、直近の細かい情報まではわからん。ミドロアルと同等かそれ以上と見るべきだろう。こちらが用意できる兵力はどの程度だ?』
「エウルゲーク方面が五千、エグザムが三千といったところだ。我が国は総兵力一万だ。これで余力はない」
『……厳しいな。アルトゲイル三千の兵はいずれかにしか加勢できまい。ならば守り切れるのは一か所のみになるだろう。残り二国は王都まで辿り着くと思え。ここが襲われれば、俺たちが打って出ざるを得まい――だが、お前が俺たちを隠し通し、穏便に済ませたいというのであれば、あとはその場その場で対応するしかあるまい。その結果この国の領土が荒らされるが、それはお前が選択した結果だと心得よ。奴らは進軍経路にある街を略奪し、民を殺すだろう。それを未然に防ぐ手を提示してやったのに、その差し出した手を払いのけたのはお前だ。それを忘れるなよ?』
リストリットの眼差しに迷いはなかった。
真っ直ぐ、ノヴァの瞳を射抜くように見つめている。
――国民に恨まれようと、アイリーンのような運命を背負わされた守るべき少女を、自国の戦争に巻き込むべきではないのだ。民を守れないのは、己の力不足。恨まれるのも、死ぬのも、己の責任として受け止める。
「覚悟の上だ。人の矜持を捨てるくらいなら、この国と運命を共にする。その俺の我儘に国民を巻き込むのだとしても、その責任を背負って俺は死ぬ」
ノヴァは大きく溜息を吐いた。
――この期に及んでまだ綺麗ごとを捨てられんか。不器用な生き方しかできん男だ。
だが直ぐに笑顔で語りかける。
『やはり、為政者としては失格だな。だが、お前はその在り方を忘れるな。己を見失ったビディコンスようにはなるな。お前は、お前で在り続けろ』
アイリーンもまた、リストリットに微笑んでいる。
『私も、そういうリストリットさんが好きよ。いつまでも変わらないで居てね』
リストリットが見守る中、ノヴァとアイリーンは執務室を後にした。




