41.享楽の神
リストリットは速やかに異教を取り締まる部隊を編成し、己も長剣を携え部隊の指揮を執った。部隊の中には、ニアの姿もある。
そのまま王宮の中庭に部隊を整列させた。ノヴァたちもそこで準備を終えて待って居る。
リストリットがノヴァに告げる。
「王宮中の精兵を三百名揃えた。人間相手なら、何とでもなる。だがそれ以外は任せる」
三百名の精兵――今、王宮に居る兵士は、総員でも千人に満たない。国王の近衛兵だろうと、なりふり構わず精兵をかき集めたのだ。
リストリットは淡々と部隊を指揮しているように見えるが、それだけ彼の怒りが激しいと言えた。
『引き受けよう。それは俺とテスティアに安心して任せておけ』
アイリーンが声を上げる。
『私も行くわ! こんなの、私だって許せない!』
だがノヴァは、優しい笑顔でアイリーンの頭を撫でた。
『お前はここに残れ。お前の守りはテディが担ってくれる』
アイリーンは自分の頭を撫でるノヴァの手を払いのけ、声をさらに張り上げた。
『何故?! ニアさんだってリストリットさんと共に行くのよ? 伴侶が戦地にいくなら、戦える力を持つ私だって共に行きたい!』
アイリーンの固い意志を見たノヴァは、溜息を吐いて項垂れた。
『そういうところも、あいつにそっくりだな……仕方あるまい。俺とテスティアの傍から離れるなよ?』
****
ノヴァは力が向かう先を示しながら、皆を先導して走った。
リストリットはノヴァの後を追い、部隊を指揮して駆けて行く。
力は住宅街のさらに先、裏道の奥にある、貧民街へ向かっていた。
リストリットが走りながらぽつりと呟く。
「こんな所に異教の根城があったのか。報告にもなかった」
『異教徒の一部だけが知る場所なのだろう。大方、失踪した諜報員も、ここに潜入しようとして失敗したのではないか?』
おそらく、生贄を使った儀式を行う場所がこの先にある。
諜報員はその場所を確かめようとここに近づき、勘付かれて捕縛されたのだろう――その末路は、次の儀式の生贄だ。
力が向かう先には、エウセリア正教の廃教会があった。
朽ちてはいるが、崩れる程ではない。
テスティアが前に出て、ノヴァに声をかける。
『まずは私が中に入ります。ノヴァ様はアイリーン様の傍へ』
ノヴァが頷き、テスティアを先頭にしてノヴァとアイリーン、そしてリストリットとニア、最後に精兵たちが続いていく。
ノヴァが魔力回復薬を飲み干し、空き容器を投げ捨てた。
心配したアイリーンがノヴァに尋ねる。
『大丈夫? もうそれで三本目よ?』
ノヴァは不敵に笑いながら応える。
『なに、問題ない。十分な量は持ち込んできている』
ニアも不安げにノヴァを見ていた。
エーテルを捕縛する魔法術式――それはニアにとって、戦慄する程高度な魔法術式だ。現代の魔導理論で辿り着ける術式ではない。先史文明でもおそらく高度な魔法だろうと容易に想像ができた。
魔法術式も複雑で、明らかに消耗が激しい類のものだ。
それを長時間維持しているのだから、消耗する魔力も尋常ではないのだろう。
ノヴァたちは力が示すまま、廃教会の奥に進んでいく。
礼拝堂の祭壇――更にその奥に、力は向かっているようだった。
ノヴァが壁を見つめてテスティアに告げる。
『テスティア、おそらく隠し部屋だ。壁を破壊しろ』
テスティアは頷き、粉砕魔法術式で祭壇裏の壁全体を崩落させた。
その奥に続く暗闇が照明魔法で照らし出される――そこには、床に大きな魔法陣が赤い線で描かれている。魔法術式を物理的に床に記しているのだ。
テスティアが嫌悪で顔を歪めた。
『血の魔法陣……こんなものを作っているのですか。アルトゲイルでは見たことがありません』
ノヴァが冷笑と共に応える。
『古き神にはよくあったことだ。この魔法術式――思い出した、享楽の神か。人間はデルグ・エストと呼んだ。生贄にされた人間の魂を食らい、報酬として享楽を与える神だ』
その場でノヴァが魔法陣に向かい、声を張り上げる。
『出てこいデルグ・エスト! そこに潜んでいるのはわかっている!』
テスティアが辺りの気配を察知し、警告を上げる。
『ノヴァ様、周囲からこの建物に人間が集まってきています』
ノヴァが振り向き、後方のリストリットに指示を飛ばす。
『――リストリット! 部隊を建物の外に展開しろ! おそらくまだ人間だが、油断はするな!』
リストリットはニアと共に道を戻り、部隊を指揮して廃教会を取り囲んだ。
言われた通り、貧民街に住む民衆が虚ろな目で集まってきている。廃教会を取り囲み、徐々に包囲の輪を狭めて来ていた。
リストリットが声を張り上げる。
「異教徒だ! 可能な限り捕縛しろ! 抵抗が激しければ切り捨てて構わん!」
自ら長剣を振り上げ、手近な民衆から気絶させていく。
ニアも相手を無力化する類の魔法を駆使し、そのサポートに徹していた。
テスティアとノヴァが魔法陣の中央を睨み続けている。
だがまだ、古き神は姿を現さない。
ノヴァが冷笑を浮かべ、口を開く。
『どうあっても姿を見せないか。では、無理やり引きずりだしてやるとしよう』
ノヴァは魔法術式を展開し、血の魔法陣を次々と書き換えていく。
次第に辺りに濃厚な魔力が漂い始める。
アイリーンはその様子を眺めながら、ノヴァが書き換えた魔法術式を解読していく。
『召喚の魔法陣を利用して、相手に苦しみを送り付けているのかしら。世界の狭間に隠れている神の周囲を歪めていく術式ね。我慢していれば世界の歪みごとねじ切られる。これなら、隠れていることができずにこちらに出てくるしかなくなる』
ヴォルディモートの魔導知識を使っているとはいえ、今ノヴァが書き換えている術式の大部分が神の知識による応用だ。先史文明の魔導士が即座に解読できる水準ではない。
ノヴァは魔法陣を凝視しながら、感心してアイリーンに声をかける。
『ほう、さすがは稀代の天才魔導士。よく解読できたな』
『私はむしろ、お父様の魔導知識でこんなことができる方が不思議よ?』
『神の記憶の断片を利用した、ちょっとした応用だ。奴の魔導知識でも複雑に組み合わせれば、ある程度の事は出来る』
いよいよ人間には息をするのも苦しくなるほど、濃密で高圧の魔力が辺りに満ちていった。そしてついに魔法陣の中央から”何か”が姿を現した。
それは形容しがたい、黒い異形の存在。見ている者に生理的嫌悪感を覚えさせる存在だった。
ノヴァは目の前の存在を分析していく。
『ふむ、これは面白い。なるほど、封印結界の綻びに、力だけを送り込んで抜けたか。人格は宿していないようだ。人格が抜け出せる程の綻びではないらしい』
アイリーンがノヴァに尋ねる。
『それはどういう意味? 本体ではないということ?』
『有り体に言えばそうだ。神の権能を分離させ送り込んでいる。指定された命令を実行するだけの機構だな――命令は俺を滅ぼすこと、か。それで俺と同じ存在とも言える新しき神々が狙われたのか?』
冷静に古き神を解析しているノヴァに、異形の存在から魔力の嵐が叩きつけられた。
だがそれは全てテスティアが防ぎ切り、ノヴァとアイリーンにはそよ風すら届かない。
ノヴァは満足したようにテスティアに声をかける。
『さすが我が鎧だ』
『その為の我が存在です』
『しかし、こいつをどうしてくれようか。ヴォルディモートの魔導知識で解体できる相手ではなさそうだ。享楽の神と俺は、相性が良くも悪くもない。こうなると純粋な力比べになるな』
『私も守りの力に特化しています。これだけの神を滅ぼしきる力はありません』
ノヴァが対処法を考えている間にも、異形の神から攻撃は続いている。
だがその全てはテスティアが防ぎ切って見せていた。
相手の攻撃は通用させないが、こちらも打つ手を思いつけない。膠着状態だ。
『……埒が明かんな』
ノヴァが呆れていると、隠し部屋にリストリットのニアが戻ってくる。
「外の異教徒は全て捕縛した! ――こいつが兄上の仇か!」
異形の神を見た瞬間、激高したリストリットが止める間もなく異形の神に斬りかかる。
だがリストリットは簡単に異形の神が振るう魔力の暴風に吹き飛ばされ、廃教会の壁に叩きつけられた。
ニアがリストリットに慌てて駆け付け、声をかける。
「殿下!」
すぐにリストリットは立ち上がり、ニアに応える。もう神に向かって襲い掛かる様子はない。
「――問題ない! だが、俺が手を出せる相手じゃなさそうだな」
悔しそうに、唇を血が出る程噛み締めていた。
頭に血が上っていても、彼我の戦力差を冷静に分析する能力は残っているようだ。
『やはり、一筋縄ではいかぬか――ならば俺が中から奴の核を破壊しよう』




