18.男たちの沽券
リストリットとニアが買い物から宿に戻り、部屋の扉を開けた。
部屋の中ではノヴァとアイリーンが、背中を向けあって座っていた。
ノヴァは落胆しながら思い悩み、アイリーンは不機嫌な様子を隠そうともしていない。
今までと様子の違う二人に戸惑いつつ、リストリットが声をかける。
「おいおい、どうした二人とも。なにがあった?」
アイリーンが険しい目付きでリストリットを睨み付けた。
『ノヴァがリストリットさんみたいに不甲斐ない事を言うから、ちょっと頭に来ただけよ!』
リストリットが顔をひきつらせ絶句した。
なんとか立ち直り、アイリーンに応える。
「……子供ってのは、容赦がないな。少しは手心を覚えてくれ――”アンジェ”、部屋に残って、アイリーンと話をしてくれ。俺は外でノヴァと話をしてくる」
ニアが頷くのを確認し、リストリットは荷物を置いてノヴァの肩を抱き、宿の外へ向かった。
****
――宿の裏手、人の来ることがない袋小路。
ノヴァが防音結界を張り、二人は石段に腰を下ろした。
ノヴァは部屋を出てからも思い悩み、憂いた表情が続いている。
「それで? なにがあったんだ?」
『――アイリーンが俺と同じ時を歩みたい、と言い出した。俺は少し考えさせてほしいと応えた。お前が真に幸福になる選択をさせてくれと。だがそれは、お前やニアと同じように逃げる口実を探しているだけだと責められた。俺にはニアを責める資格など無い、とも言われたよ』
リストリットが驚いて聞き返す。
「――ちょっと待て、ニアを責める? お前が? なんでまた?」
『お前とニアの関係は、もう清算するべきだと助言した。だが、彼女はどちらも選べないと言った。だから、それは逃げる口実だと責めた。今の関係を壊すことを恐れているだけだと』
リストリットは呆気に取られた後、がっくりと項垂れ、大きく溜息を吐いた。
しばらくしてゆっくりと顔を上げ、睨み付けるようにノヴァを見た。
「……お前、余計なお世話って言葉を知っているか?」
リストリットの刺すような視線を受け止めつつ、ノヴァは冷静に見つめ返す。
『ならばお前は、ニアの年齢を覚えているか? 人間の女が子を成せる期間はそれほど長くはない。彼女の刻限はもう目前だ。高位の貴族子女が子を成せないなど、有り得ないのだろう? ならば、もう迷っていられる猶予はない。結論を出すべきだ。お前は彼女から若さを奪い去り、時間を奪い去った。これ以上彼女を無為に縛り付けるような真似は止めろ。今なら、彼女には選択肢が残されている――ニアにも、想いを告げて玉砕するか、お前を見限って他の男の元へ行くか選べと責めた』
リストリットの目が冷静になり、ノヴァの目をまっすぐ見つめ返す――アイリーンが告白し、ノヴァが返事を保留した態度に彼女は憤っていたのだと理解したのだ。
「そうか、それを嬢ちゃんに聞かれていて、お前も彼女を受け入れるか、拒絶するか選べと責められたのか。まさに、俺と同じ状況だ。嬢ちゃんは情熱的だなぁ」
ニアは己の貞淑を賭けて勝負に来た。それといい勝負ではないかとリストリットは思っていた。
苦笑を浮かべるリストリットに、淡々とノヴァは語る。
『時間をくれと頼んだが、その応えが”少しだけ待つが、腑抜けた答えを返して失望させたら、その時点で自分は死ぬ”だからな。情熱的を通り越して、恐ろしく苛烈だ。神が十四歳の人の子に脅された。滑稽な話だな』
ノヴァは自嘲の笑みを浮かべていた。
アイリーンを失うのが死ぬほど恐ろしいと感じていた。
どうしたら彼女を失わずに済むのか、その答えは明白だった。だがその結果、彼女が不幸になる気がして、結論を口に出せなかったのだ。
リストリットも、貞淑どころか命懸けの勝負を挑んだアイリーンに頬が引きつった。
彼女は、自分を殺したくなければ受け入れろ、とノヴァに選択を迫ったのだ。拒絶するにも細心の注意を払って言葉と態度を選ぶ必要があるだろう――いや、彼女はノヴァを得られない人生に生きる意味を見いだせなかったのだ。意味のない生ならば、いつ終わらせても変わらないという判断だろう。そしてノヴァと自分の間に、曖昧な関係すら許さなかった。確かに、恐ろしい程の苛烈な情熱だった。
リストリットはノヴァの様子を観察するが、どうも彼女の真意が伝わっている様子もない。この分では、アイリーンが失望して命を絶つのは避けられないだろう。
――仕方ねぇ。一肌脱ぐか。
リストリットが静かに尋ねる。
「嬢ちゃんがお前と同じ時を歩むってのは、どういう意味だ?」
『俺と共に生き、共に死にたいのだろう。だが俺は神だ。自分で死ぬことはできない。この身体が損傷しても、直して生きて行くだろう。魂が力尽きる事もない。つまり、誰かに破壊されるまで、永遠を生き続ける。彼女がそれを真に理解してるとは思えなくてな。頭で考える事と、実際は違う。必ず、生きる事に疲れ果てる。それは決して幸福な生とは呼べぬだろう』
「……それをお前は、嬢ちゃんに説明していないんだな? それですれ違いが起こった――いや、起こったとお前は判断したんだな?」
『なんだ? 何が言いたい?』
リストリットが頭を掻き、言葉を選んで口に乗せる。
「――いいか? まず、嬢ちゃんの状況を考えろ。あの子の置かれた状況で、お前と共に歩む生以外に幸福などない。人間と共に歩もうとしても、必ず彼女の異質な部分が幸福の邪魔をする。異質な自分を思い知らされ、孤独に苛まれる。嬢ちゃんはお前とならば、共に孤独を乗り越えていけると確信したんだ。幸福になれるとな。ここまではいいか?」
ノヴァが曖昧に頷いた。
「――よし、でだ。お前は嬢ちゃんがお前と同じ時を歩めない、彼女がその事を真に理解していないと思っているが、さっきの言葉を嬢ちゃんにきちんとぶつけてみろ。必ずお前が納得する答えが返ってくるはずだ。ここまでも理解したか?」
再びノヴァが曖昧に頷いた。
「――まぁいいだろう。最後にだ。嬢ちゃんが生きるのに疲れたと思ったら、嬢ちゃんと共に死ねる機能を追加する事が、二人でならできるはずだ。自分で死ねないのなら、嬢ちゃんに殺してもらえ。どんな方法だろうと、道は必ずある。違うか?」
迷いなく、説得力のある言葉で畳みかけてくるリストリットを、ノヴァは唖然と見つめていた。
自分の男女関係の事でなければ、信じられないほど頼もしい男だ。ニアが諦めきれないという気持ちも少し理解していた。こんな男が傍に居れば、他の男の元へ行こうとは思えないだろう。
ノヴァは唖然としたまま呟く。
「リストリット、お前、他人の事ならよく見えるし、口も頭も回るんだな――それが何故、ニアに対してだけはそんなに不器用なんだ」
リストリットが頭を掻きながら苦笑で応える。
「……これでも、人の世界で、人の上に立つよう生まれ、育ち、生きてきたからな。人を見る目だけは長けてるつもりだ。俺にはこんな説教をする資格なんて、ないのかもしれんがな」
ノヴァもまた、苦笑で応える。
『お互い、女から甲斐性無しだの不甲斐ないだの意気地なしだの言われて、情けない限りだな』
「それでもまだ決心がつかないんだろう? 俺もなんだ……こんな態度を、腑抜けた態度というのだろうなぁ」
リストリットは遠くを見つめていた。
ノヴァは地面を見つめながら、口を開く。
『だがアイリーンはそれを許さないと、はっきり口にした。ならば、彼女を失わない為に、俺は結論を出さねばならない。長くは待てないとも言われたが、どれほど猶予を与えてもらえるのだろうか』
「あー……俺の経験上、その思考に陥ると抜け出せない罠が待って居るから踏み留まれ。待ってもらえる、などと考えるな。自分から踏み出せ」
その罠に嵌った結果がリストリットとニアの十年なのだ。
『なんだ、わかっているじゃないか。わかっていて何故お前は自分で動けないんだ?』
「クソッ! わかっていても動けないんだよ! 怖くてしょうがないんだ! ……そうか、神であるお前も、怖くて結論を出せないのか。神様ができないことなら、人間である俺ができなくてもしょうがないなぁ」
ノヴァが冷たい目つきでリストリットを睨み付けた。
『――貴様、俺を煽っているのか?』
リストリットは飄々と返す。
「ニアを煽って泣かせたことのお返しだ」
意表を突かれたノヴァの表情から力が抜け、少年の顔に戻った。
『……お前も聞こえていたのか』
「これでも耳は良いんだ。特に、あいつの泣き声を聞き逃すことはない。何故泣いていたのかまでは、わからなかったがな」
二人が顔を見合わせ、どちらともなく笑いだし、小さく笑い合った。
”そこまで大切に想ってるのに、不甲斐ないな”と互いが互いの態度を、そして自分の態度を笑ったのだ。
しばらく笑った後、笑いが収まってから、ノヴァが石段から腰を上げた。
ノヴァを見上げたリストリットが声をかける。
「行くのか?」
ノヴァがニヤリと笑った。
『結論を出すべきなのだろう? ならば出してやろう。恩人とはいえ、人間に煽られたままでは、神の沽券に関わるというものだ――お前はどうする?』
リストリットも石段から腰を上げた。
「当然、俺も行こう。神とは言え、子供に煽られっぱなしじゃ、王子の沽券に関わるというものだ」
再び顔を見合わせニヤリと笑い合い、共に並んで宿の部屋へ戻っていった。




