16.ニアの葛藤
アイリーンの再構築にかかった一分が経過しても、ノヴァの再構築は終わらなかった。
この再構築は全身を激痛が襲う。実際、ノヴァの額には再び玉のような汗が浮かんでいる。
多重並列展開している魔法術式の数も、アイリーンの時よりかなり少ない。全体で百に及ぶか、という程度の数だ。それでも、人間離れしているのは変わらないのだが。
平然と痛みに耐えるノヴァの様子に、ニアが堪らず尋ねた。
「どうしたの? まだ終わらないの? 問題が起こった? 痛みが邪魔をしてるの?」
ノヴァは淡々と応える。
『痛みなど、俺にとっては大した問題ではない。無理をして急いでも消耗が著しく増えるだけだ。必要がなければ、あんな無茶はしない』
リストリットが呆れたように声を出した。
「お前……嬢ちゃんが痛がる時間を一秒でも減らすために、とんでもなく無理をしてたってことか?」
『アイリーンが痛みを感じる時間など、ないに越したことはない。当たり前のことを聞くな』
一時間弱かけて、ノヴァの再構築が終わった。
つまり、アイリーンに対しては痛みを与える時間が最小になる様に、最大限細心の注意を払いつつ、五十倍以上の速度で迅速に終わらせていたのだ。
リストリットはもう、その過保護振りに呆れて言葉もないとばかりに頭を掻いている。
ノヴァが再構築の終わった身体を動かして確認している。その様子を、三人は座り込んで見守っていた。
ニアがノヴァに声をかける。
「どう? ノヴァくん。ここまでの道中も、かなり辛そうだったけど。もうそんな感じではなさそうね」
平然とした表情ではあったが、昼間歩いている間、ノヴァは額に玉のような汗を浮かべていた。
かなりの苦痛を受けながら歩き続けていたのだ。
ならば体力も、相当に消耗していたはずだった。
無理して急がずに時間をかけたのは、その影響もあったのかもしれない。
身体の確認を終えたノヴァが、皆と同じように火を囲んで座り込み応える。
『――もう痛みはないな。俺の魂は、出力不足という訳ではない。これで問題はなくなった。だがアイリーンの身体は油断できん。補佐魔法を使っているとはいえ、負担はある。定期的に身体の再調整をした方がいいだろう。できれば一週間に一回程度が望ましいが、二週間程度なら意識を失うことはないはずだ。だが、それ以上は意識を失いかねん。再び目覚める事ができるかはわからん。最悪の場合、魂がその身体を離れ、冥界に向かうだろう』
魂が身体を離れる――それはつまり、アイリーンが二度目の死を迎える、という事だ。
リストリットが頭を悩ませた。アイリーンがこのまま救いを得られずに死ぬなど、許すわけにはいかない。
「となると、竜峰山からピークスを経由して王都までがだいたい十日間だ。ピークスで回復薬が調達できなければ、一泊せずそのまま馬を飛ばせば最短で七日で着けるが、往路で無茶をさせたから馬が途中で潰れかねない。俺たちの馬はそれなりに上等の駿馬だ。ピークスで代わりの馬は見つからないだろう。普通の馬では日程に遅れが出る。馬にも無茶はさせたくない。下山まで残り二日かかるとして、嬢ちゃんが目覚めてから王都まで最短で十三日か。日程に余裕はないな。何事もなければ良いが、道中で調整ができないなら、結構な賭けになる」
ノヴァがアイリーンを見つめながら応える。
『道中で調整か。街に立ち寄れればいいが、お前の言種では途中に街はないのだろう? ならば王都に向かう道中の木陰でアイリーンに全裸になってもらう事になる。だがそこに問題はない。魔力回復薬の在庫だけが問題だ。回復薬が切れれば同じ結果が待つ。ピークスで調達できることを祈るしかないな』
アイリーンが身体を震わせて我慢できずに声を張り上げた。
『問題大ありよ! 野外で全裸になれって、さすがにそれは全力で拒否したいわ?! 嫌よ、木陰で再調整だなんて!』
ノヴァは憤るアイリーンの目を見つめ、淡々と応える。
『お前は、自分の命と羞恥心、どちらを選ぶのだ? お前が恥を忍べずこのまま死にたい、と言うのであれば止める事は出来ないが、俺はお前を失いたくはない――どちらにせよ、最悪の場合そうなる、というだけだ。回復薬は最短日程分はある。考えておく必要はあるが、何事もなければ心配はない』
アイリーンは何も言い返せず、真っ赤になって黙りこんでしまった。
男の子から”お前を失いたくはない”等と言われたのは初めての経験で、戸惑っていた。
中々情熱的な告白である。
ニアはそんな二人を”初々しいわねぇ”と、暖かく見守っていた。
あんな言葉をかけてもらえるアイリーンに、再びわずかな嫉妬を感じてもいた――目の前の甲斐性無しに、ああも平然と決定的な言葉を口にする度胸がありさえすれば、と。
当の本人は、暢気に糧食を火にくべながら齧っている。何もわかってる感じはしなかった。
ニアが溜息交じりにぼそりと呟く。
「――はぁ。アイリーンちゃんがちょっとだけ羨ましいわ」
「なにか言ったか?」
「――なんでもないわよ!」
その夜は不寝番も要らないとリストリットは判断し、四人はそのまま眠りに落ちていった。
****
リストリットは引き続き、アイリーンを背負い前を進んでいる。
ニアとノヴァは、その五メートル後ろを、追いかけるように歩いていた。
ニアの瞳には、時折楽しそうに会話するアイリーンとリストリットの姿が映っている。
――やっぱり、潮時なのかしら。
なんどそう思ったか分からない問いを自分に投げかけ、その度に心が嫌がるのを抑えきれない――これもまた、繰り返してきたことだ。
ノヴァはそんなニアの心を見守っていたが、ついに我慢ができずに口を開いた。
『ニア、もう清算するべき時だろう。意地を張らずに想いをお前から告げるか、あの男を見限るか、選ぶべきだ』
ニアは伏し目がちに応える。
「――わかってはいるのよ。でも、あの人から言葉が欲しいの。それが言えない人だというのも、わかっているの。それでも諦められないのよ」
ノヴァが大きく溜息を吐いた。
『お前たちには恩義がある。これでもお前たちの為を思っての言葉だ。お前はもう若くはない。刻限は目前だ。迷っていられる猶予は、もう残っていない。決断の時だ――男はリストリットだけではない。あの男は魅力的な男だろうが、お前も魅力的な女だ。今ならまだ、他に選択肢がある』
ニアの目に涙が浮かぶ。
「――全部、全部わかっているの。だからそれ以上は、今は許して頂戴」
『結果を出してこそ、人は次へ進める。成就するにせよ、破綻するにせよ、一歩踏み出して結果を出すべきだ。お前はただ、自分から動いて今の関係が壊れるのを恐れているだけだ。身分の差など、お前たちの間では大した問題にはならん。逃げる口実を探しているだけだと、自覚するべきだろう』
ニアは言葉を返せず、すすり泣くだけだった。
――全部わかっている事。それでも、あの人から最後の言葉が欲しい。
『――はぁ。重症だな。まぁよい。そうやって無為の生を送り、後悔のまま死んでいくのもまた、人間だろう。神である俺は、そんなお前たちを見守ってやる』
風は前から吹いていた。
風下に居る二人の会話は、前を歩くリストリットたちには届かない。
リストリットとアイリーンは、変わらず時折和やかな会話を交換し、前を向いて歩いていた。




