12.テディ
『凄いわ! 自分の足で歩くだなんて、一年ぶりよ?!』
笑顔をキラキラと輝かせて、アイリーンが早足で歩いてく。
ニアの照明魔法が照らす、さらに先を、迷いなく進んでいった。
彼女には生前の記憶で、この場所の間取りが、暗闇でも手に取るようにわかるのだ。
それほど父親の工房に通い詰めていたのだろう。
照明魔法の明かりが届かない暗闇に向かって、ぺたぺたと足音を響かせてアイリーンの姿が消えていった。
リストリットがノヴァに尋ねる。
「いいのか? 嬢ちゃんを先に行かせても。他の侵入者が居るかもしれんぞ?」
『構わん。欠損はあるが、警戒魔法が生きている。この工房の警戒監視機構には俺も管理者として登録されていて、全体を把握できる。今この時点で、お前たち以外に侵入者は居ない。それにこの先で、彼女が見たくないものが待って居る。そこで嫌でもアイリーンの足は止まる』
「見たくないものが待ってる? そりゃどういう意味だ?」
『その時が来ればわかる』
リストリットは首を傾げながら、ノヴァと共にアイリーンの後を追い、古竜が居た広間へ向かっていく。
広間では、引き裂かれたミドロアル王国の兵士たちの死体がいくつも転がる中、部屋の中央で古竜が横たわっていた。
古竜にはいくつもの槍が刺さり、切り裂かれた跡がある――竜殺しの為の武具を持ち込んでいたようだ。竜に特化した、竜の堅い防御を貫く魔法を付与した高価な武具である。
リストリットは周囲を見回し、疑問を感じていた。
激しい戦闘が繰り広げられたことは、死体の有様で分かる。だが、構造物が傷ついている様子がないことに、リストリットは首を傾げて居た。
竜の息吹の跡がないのだ。息吹がなければ、竜の脅威は著しく落ちる。魔法属性を帯びた古竜の息吹は、一息で軍隊が消し飛ぶ威力がある。広間とはいえ、こんな狭い空間で使われれば、即座に全滅だ。息吹を使われないように立ち回れる戦士でなければ、生き残る事は出来ないだろう。だがそれほどの実力者は滅多にいない。さらにこの空間では立ち回りにも制限が付く。まず無理だと判断した。
つまりこの古竜は、この場所が傷つくような行動を取っていなかった。床や壁に押し潰された兵士は居ない。すべてが爪や牙で切り裂かれている。それはそれで脅威だが、これなら並の軍隊でも勝ち目がある。その理由は考えてもわからなかった。
なんにしても、ミドロアル王国兵と古竜は激しい戦闘を繰り広げた末、兵士たちが古竜を降した。その生き残りが、リストリットの切り捨てた三人だったのだろう。
何故か古竜は攻撃手段を選んでいたようだが、多大な犠牲者を出しながらも、あれだけの古竜をこの短時間で降すだけの戦力――まともに対面していたら、勝てたかはわからない。運が良かったのだ。
その傷つき、倒れた古竜を前に、アイリーンが呆然と立ち尽くしている。
リストリットが近づいていって声をかける。
「どうしたんだ嬢ちゃん。蒼い顔をしてるが」
アイリーンはそれに応えず、ゆっくりと古竜に近づいていく。
リストリットが慌ててアイリーンの腕をつかんで引き留めた。
「あぶねぇ! まだ生きてるかもしれん! 迂闊に近づくな!」
『テディ! テディが死んじゃう!』
半狂乱で泣きながらリストリットの腕を振り払い、アイリーンが古竜の頭に駆け寄った。
『テディ! ねぇテディ目を開けて! まだ死んじゃダメ!』
竜の瞼が動き、わずかに開いた。
その瞳がアイリーンを捉える。
リストリットとニアは腰を落とし、いつでもアイリーンを救い出せるように構えた。二人は今すぐ動きたかったが、最期に竜がどんな行動に出るかわからない。このまま息絶えるのを待てるなら、待ちたかった。もう間もなく、竜の命の火は消える。それは確かだ。
ノヴァは動かず、悲し気にアイリーンと古竜を見守っている。
『テディ! やっと会えた! 久しぶりねテディ! わたしよ! アイリーンよ!』
古竜が喉を鳴らし、満足そうに微笑んだ気がした――リストリットにはそう見えたのだ。その事にリストリットは愕然としていた。
古竜から『アイリーン』と言葉が発せられる。その事に、アイリーンが笑顔になった。
リストリットとニアは己の耳が信じられなかった。竜が人間の言葉を発するなど、聞いたことがなかったからだ。
アイリーンが笑顔でもう一度古竜の名前を呼ぼうと口を開ける――だが、古竜の瞳から急速に光が消えていき、それっきり動かなくなった。
アイリーンは呆然としたまま、古竜の顎に縋りついて名前を呼んでいる。
そうしてすべてを理解し、嗚咽を上げて泣きはじめた。
ニアがノヴァに、小さな声で尋ねた。
「ねぇノヴァくん。もしかしてあの古竜は――」
『そうだ。アイリーンの愛玩動物だ。七歳の誕生日に、アイリーンが父親にねだって作ってもらった竜だ。それ以来六年間、アイリーンが病床に就くまで、ずっと共に居た。そして奴はアイリーンの死後二千五百年間、アイリーンを守り続けた。死ぬ前に愛しい主人に一目でも再会できたのだ。満足して死んでいったよ』
アイリーンは変わり果てた古竜の姿を一目見て、テディだと直感していた。
古竜も蘇ったアイリーンの姿を一目見て、それがアイリーン本人だと即座に理解していた。
二人の絆がどれほど深かったのか、それだけで見る者に伝わってきていた。
幼い頃の、たった六年の輝かしい記憶の為に、二千五百年の孤独に耐えた古竜――リストリットは、この古竜に対して畏敬の念を感じていた。
「なぁノヴァ。あの古竜を、なんとか弔ってやることはできないか。このまま躯を晒すのは、いくらなんでも哀れだ」
いつかこの場所が他の侵入者や冒険者に見つかった時、古竜の躯は必ず解体され持ち去られる。
竜の躯は宝の山だ。魔導の素材に溢れている。使えぬ部位はない、そう言える程だった。
だがこの健気な竜を、そんな目に遭わせたくはなかった。
ノヴァはリストリットの眼差しの意味を理解し、頷いた。
そのままアイリーンに近づいていく。
『……アイリーン、テディを弔う。気が済んだら離れるんだ』
アイリーンは何度も古竜を撫でた後、立ち上がって数歩下がった。
『ノヴァ、お願い。あの子を綺麗な場所に連れて行ってあげて。あの子はとっても綺麗好きだったのよ』
『わかった。星幽界に送り届けよう。あそこほど美しく清潔な場所はない』
ノヴァが手を向け魔法を発動させる。魔法術式に取り囲まれた古竜の身体が光の粒になって散り散りになっていった。
そのまま光の粒は消え去り、古竜の居た気配だけがそこに残された。
ノヴァがアイリーンの手を取り、一枚の小さな鱗を手渡した。
『……これは?』
『テディの鱗だ。せめてあいつの身体の一部くらい、お前と共に生きさせてやってくれ。後で首飾りに加工しよう』
アイリーンは涙を流しながら頷き、胸に鱗を抱きしめていた。
ノヴァがアイリーンの肩を抱き、先へ歩き出す。
リストリットとニアは、その後ろを少し離れて付いて行く。
ニアがリストリットに小さな声で語る。
「ノヴァくんがあんなことを言うだなんて、ちょっと意外だったわ」
「そうか? テディとアイリーン、二人の心が最も救われる選択を採っただけだろう」
「私たちには傲岸不遜だったわ。それが、あんな感傷的な言葉をかけるだなんて」
「よく思い返してみろ。ノヴァの言動は思いやりに満ちている。あいつは優しい男だよ」
リストリットは王族だ。人の上に立つ者として生を受け、生きてきた。
人を見る目は確かだという自負を持っている。
例え神だろうと、リストリットの心はノヴァを優しい男だと感じていた。
あの少年には魂と意思があり、人と分かり合える心があると確信した。
ならば、想像を絶する強大な力を持っていようと、ノヴァと自分は理解し合えると思えた。
逆鱗に触れたら国が亡ぶだろうが、そうでなければ話が通じるはずだ。
ならば、管理は可能だと判断した。国民に害が及ぶことはないだろう。
逆に悩ましい問題も抱えてしまっていた。
ノヴァとアイリーンは古代遺物だ。人間ではない。それは揺ぎ無い事実だった。
それでも、人と同じ心を持った存在なのだ。
そんな彼らを、物のように扱うことは出来なかった。
兵器として扱う真似を、リストリットの心が嫌った。
だがウェルバット王国の置かれている状況は厳しい。
国王が彼らの存在を知れば、必ず飛びつく。
わずかな望みだろうと、彼らの力を、そして身体を解析しようと全力を尽くすだろう。
アイリーンを言いくるめて戦場に送り出し、アイリーンを守ろうとするノヴァが敵兵を殲滅する――そんな人の矜持など欠片もない現実が待って居る可能性すらあった。まさに反吐が出る現実だ。
――陛下に知られる訳には、いかなくなっちまったな。
苦渋の選択だ。国家国民を守りたい。だが、ノヴァやアイリーンを利用したくもない。
特にアイリーンには、幸福な生を全うして欲しかった。
これは現代にノヴァを目覚めさせ、そしてアイリーンを目覚めさせることになった自分の責務だ。
――また別の古代遺跡が見つからねーかなー。
それこそ夢物語だと理解していながら、リストリットは国を救う別の方法を模索し始めていた。
先を歩くノヴァは、そんなリストリットの心を、静かに見守っていた。




