10.アイリーン
ノヴァからアイリーンを受け取ったリストリットは、彼女を横抱きに抱えた。
その様子を見ていたニアは、慌てて荷物から別の着替えの長衣を引っ張り出した――殿下の目に、この年頃の少女の全裸を触れさせるなど、あっていいことではない!
ニアが急いで少女に長衣を纏わせ、やっと胸を撫で下ろす。
そのままノヴァの後に続いて、リストリットは歩を進めた。
広間の一角にノヴァは向かい、指をさした。
『仮眠用の寝台がそこに在る。邪魔なものをどけて、そこにアイリーンを寝かせろ』
よく見れば、確かに寝台らしきものがある。
上に乗っている余計なものをニアが片付け、リストリットがアイリーンを横たえた。
横たわるアイリーンの額にノヴァが手の平を押し当て、魔力を集中させている。
その魔力がアイリーンの全身に行き渡る頃、わずかにアイリーンの瞼が動いた。
アイリーンは薄く目を開けたが、それ以上目を開く様子はない。
『身体機能に問題があるか』
ノヴァが魔法術式を展開し、アイリーンに魔法を施していく。
ニアがそれを解読しようと試みながら呟く。
「これは――身体補佐魔法? 駄目ね、詳しいことまでは分からない」
『そうだ。機能不全を起こしている部分を補っている。だがこれでも足りないか。純粋な魔力不足だな。何か別の、魔力を補給する手段が必要だ』
リストリットが懐から魔力回復薬を取り出し、ノヴァに手渡した。
「これは使えそうか?」
ノヴァは薬を受け取ると検査魔法で中身を調べ始めた。
次第に怪訝な表情になり、薬を眺めている。
『……酷い薬だな。だが、有効成分は含まれている。これを試してみよう』
そう言うと薬を口に含み、アイリーンに口移しで飲ませ始めた。
ニアが思わず口元を両手で覆い、頬を染めた。
リストリットも呆気に取られて眺めている。
若い少年少女の、情熱的なキスシーンを突然見せつけられたのだ。驚きもする。
アイリーンの喉が動き、薬を飲み込んだのが分かった。
すぐにノヴァが離れ、アイリーンの様子を観察している。
アイリーンの目が更に開いていき、その瞳が露になった。
その色はノヴァと同じ、眩い金色――竜と同じ色の瞳だ。
だが目は虚ろなまま、天井を見上げている。
ノヴァが静かに、アイリーンに尋ね始める。
『アイリーン、自分の名前を憶えているか?』
アイリーンが応える。
『――私は、アイリーン。アイリーン・ウェルシュタイン』
『では、年齢はいくつだ? 覚えているか?』
『――十四歳、よ。もうすぐ、十五歳になるわ』
『自分がどうなったのか、覚えているか?』
『――ある日、突然胸が苦しくなって倒れて……ずっと苦しくて、不安で、辛くて……ベッドから起き上がれない日々が一年も続いて……とっても苦しい夜が来て、でも、誰も傍に居なくて、お父様を呼んだわ。……駄目ね、それ以上は、思い出せない』
アイリーンの目が、尋ねてくるノヴァに向けられた。
『金色の瞳の男の子……そう、あなた、ホムンクルスなのね』
ノヴァが再び尋ねた。
『お前は、自分の瞳の色を覚えているか?』
『もちろんよ? 私の瞳は、青い空の様に、目の覚めるような青』
ノヴァが空中に水鏡を作り、アイリーンを映し出した。
『自分の瞳が今、何色かわかるか?』
アイリーンの顔が驚愕で彩られた。
『――嘘、何故、私の瞳が金色なの?!』
ノヴァが優しい笑顔で、アイリーンに語りかける。
『おまえならば、理解できるはずだ。お前が本当に、稀代の天才魔導士、アイリーン・ウェルシュタインならば』
アイリーンは思案を巡らし、水鏡に映った自分の瞳を見つめていた。
『――そう、私はあれで死んでしまったのね。あなたも私も、お父様の作品ね? お父様の作風を感じるわ。お父様ったら、魔導の禁忌を犯したのね』
ニアが興味を持って尋ねた。
「アイリーンちゃん、魔導の禁忌とはなんなの?」
アイリーンがニアを見て応える。
『人の魂をホムンクルスに注入することは禁忌なの。国際法でも定められた、重大犯罪よ。魂はホムンクルスの動力源。人の魂を動力源とする、忌まわしい行為。こんなことをしたら、お父様の魂は冥界に行く事も出来ずに消滅してしまうわ』
アイリーンの目が、ノヴァに向けられる。
『あなたも、ホムンクルスとは思えないわ。言動がそれらしくないもの。……あなたも、人間の魂を入れられているの?』
ノヴァが優しく微笑んで応える。
『俺はどうやら、神の魂を持つようだ。思い出せんから、それ以上はわからん。少なくとも、人間の魂ではない。記録にも、誰の魂をこの身体に入れたのかまでは、残されていない』
アイリーンの目が、辺りを見回した。なんとか上体を起こし、さらに周囲を観察していく。ニアの照明魔法で照らし出されたわずかな範囲だが、それでもアイリーンには異常が理解できた。
『ここは、お父様の工房よね? 何故、こんなに長い年月が経過したかのように朽ちているの? お父様はどうなったの?』
『今は、お前が死んでから二千五百年が経過している。当然、お前の父も死んでいる。記録に残されている、ヴォルディモートからの最後の言葉だ――”お前を孤独にして済まなかった。もうお前を一人にはしない”』
その最後の言葉は、声と口調が別人――老人の物に変化していた。
おそらく、アイリーンの父親の肉声を真似たのだろう。
アイリーンは涙を浮かべながら叫んだ。
『そんなことを今更言われても遅いわ! 私はあの時! あの瞬間に救いが欲しかった!! それに今! お父様は傍に居てくださらないじゃない!!』
その痛ましい叫びに、リストリットとニアの胸が張り裂けそうになった。
救いを与えてやりたいが、自分たちには何もしてやることができない――無力感に苛まれた。
ノヴァが優しく応える。
『ヴォルディモートはもう居ないが、俺が居る。俺はお前を孤独にしない為に作られた存在だ。お前を決して、一人にはしない』
泣き出したアイリーンを、ノヴァは優しく抱きしめていた。
ニアがそっとノヴァに尋ねる。
「二千五百年って、何故そんなことがわかるの?」
ノヴァがそれに応える。
『工房の時計が一部、生きている。それが正しければ、今はあれから二千五百年後だ。俺たちの身体は、アイリーンが死んでから間もなく製造された。俺たちの身体も、製造されてから二千五百年が経過している』
アイリーンがようやく泣き止み、口を開いた。
『――ホムンクルスの耐用年数はそんなに長くないわ。とっくに崩壊していてもおかしくない。それで、さっきからずっと全身が苦しいのね。もう息をするのも嫌になりそうよ。私、また死ぬのね』
アイリーンはどこか達観した様に告げた。
リストリットが慌てて尋ねる。
「どういう意味だ? 苦しいのか嬢ちゃん! なんとかならないのか?」
ノヴァが噛み砕いて説明する。
『俺たちは今、生きながら腐り落ちている、と言えば分かるか? 身体補佐魔法程度でどうにかなる段階ではない。肉体の再構成が必要だ。だが、魔力が足りん――リストリット、さっきの薬、あるだけ出してみろ』
リストリットは一瞬怯んだ。
あの薬は副作用がある。一度に大量に服用すると、廃人になりかねない。
だが今、目の前で少年と少女が生きながら腐り落ちているという。
それを救う手段は今、これしかないだろう。
大きく溜息を吐いて覚悟を決め、手持ちの魔力回復薬がつまった背負い袋をノヴァに投げ渡した――これでノヴァが廃人となれば、その罪と罰は全て自分が背負う、その覚悟をしたのだ。
「それでほぼ全てだ。だが、使い切らないでくれ。帰り道で使うことになる。できれば半分くらいは残しておいて欲しい」
ノヴァは頷き、魔力回復薬を一本飲んだ。
『……足りんな。もっと必要だ』
次々と回復薬を飲み干していく。半分近くを飲み切って、ようやくノヴァの手が止まった。
『……これならいけるだろう。アイリーン、まずは精査魔法を使う。服を脱げ』
――医療行為で服を脱ぐ。それはよくあることだ。下着を晒すことになってしまうが、命には代えられない。
アイリーンは仕方なく服に手をかけ――長衣の下が全裸であることに気が付き、慌てて襟元を固く握りしめた。
『ちょっと! この下は全裸よ?! 十四歳の乙女に、同年代の男の子の前で全裸になれというの?!』
『検査の為だ。わずかな兆候も見逃したくない。恥ずかしがっている場合ではないと、わかっているだろう?』
ニアが痛ましいものを見る表情でアイリーンを励ました。
「アイリーンちゃん、あなたの為よ? がんばって!」
アイリーンは真っ赤になりながら、涙目で訴える。
『無理よ! あなたなら、十四歳の女子が同年代の男子の前で全裸を晒すことがどれだけ恥ずかしいことか、わかるでしょう?!』
ニアは言葉に詰まった。
――確かに、死ぬほど恥ずかしかったのだ。
十年経った今でも、鮮明に思い出せるあの夜を思い出していた。
思わずニアの頬も赤く染まっていた。
「ごめんなさい。確かに無理ね。私にはあなたに共感しかできないわ」
だがリストリットは残酷な真実をアイリーンに告げた。
「嬢ちゃん……可哀想だが、嬢ちゃんの全裸は一度、ここに居る全員に見られている。もちろん、ノヴァにもだ。命が掛かってるんだろう? 諦めて、服を脱いだ方がいい」
アイリーンが涙を零しながらニアに助けを求めた。嘘だと言って欲しかったのだ。
ニアは、申し訳なさそうに「嘘ではないの。ごめんなさい」と呟いた。
『……そう。一度見られているのね。なら! 二度も三度も変わらないわよね! 見られて減るものではないのだし!!』
アイリーンは自分に言い聞かせるように叫んだ後、固く目を瞑って長衣を脱ぎ捨て、全裸を晒して横たわった。
その顔は羞恥で真っ赤に染まり、目を瞑ったまま涙を零している。
ニアはただ、アイリーンの心境に共感を覚えていた。”物理的に減らなくても、精神的には削られるのよね”、と。
『さあ! 煮るなり焼くなり好きにして!』
ノヴァは静かに、優しく言い聞かせるように語りかける。
『そう興奮するな。お前を悲しませたくて指示している訳ではない。必要以上に見たりはしない。事が済んだら、速やかに服を着て良い――それとリストリット、貴様は後ろを向いていろ』
リストリットはそれで気が付いて、慌てて背中を向けた――せめて、男の目は減らしてやった方が良いだろう。
ノヴァは速やかに検査魔法術式を多重並列展開し、アイリーンの身体を精査していく。
その様子に、ニアが唖然としながら口を開く。
「嘘……なんて数……五十は下らない魔法の多重並列展開だなんて、人間業じゃないわ! しかも一つ一つが高度にアイリーンちゃんに最適化されている。信じられない……」
ノヴァは淡々と検査結果を口にしていく。
『――思った以上に状態が酷い。かなり苦しいだろうに。未だ自我があるのが不思議なくらいだ。神経系すら満足に機能していない。補佐魔法をかけてこれか。やはり、速やかに肉体の再構築を実行するしかあるまい』
ノヴァは更に別の魔法を多重並列展開し、アイリーンに魔法をかけていく。その数は先程の比ではなかった。おそらく全体で数百に及ぶ魔法術式の多重並列展開だ。
ニアはもう、語る言葉もないとばかりに呆然とその様子を見ていた。
展開している数もそうだが、術式一つとっても、既にニアが理解できる範囲を超えている。
ただ、すべてがアイリーンに最適化されているだろうということだけが読み取れた。しかも適宜最適化が変化していた。展開後の魔法術式を変化させること自体が超高難度の魔法制御だ。それを平然とこの少年はこなしている。
自分を神と名乗っていたが、まさに神業の魔法行使だ。人間が及ぶものではない。
ノヴァがアイリーンに語りかける。
『これから再構築をするが、少々痛むぞ。少しの間、我慢していろ』
アイリーンの返事を待たず、ノヴァは魔法術式を進めていく。
途端にアイリーンが苦しみだし、苦悶の表情で硬く歯を食いしばっていた。
額には玉のような汗が浮かび始めている。
背中を向けているリストリットも、その声で異変に気が付いた。
「嬢ちゃん! 嬢ちゃんは大丈夫なのか?!」
『流石に、全身の体組織全てを一度に書き換える事は出来ない。正常に再構築された体組織が、隣接する異常な体組織を痛みとして通知してしまう――これは避けられん』
ノヴァは検査魔法で状態を監視しながら、アイリーンの再構築を進めていく。
背中を向けるリストリットはノヴァを信じ、固唾を飲んでアイリーンの悲鳴に耐えていた。
ニアもまた、アイリーンを見守り、心の中で神に祈りを捧げている。
一分程経過した所で、アイリーンは悲鳴を止めた。身体からも力が抜けて、ゆっくりと息を吐いた。
固く長衣を握りこんでいた手が、ぽとりと寝台に落ちた。




