Case 1-2
「それでは冴月さん。肩の力を抜いて、リラックスしたら状態でそちらにお座りください」
「はい」
椅子型の装置「M to D」の前に案内された琴子は、佐伯に言われたとおりにゆっくりと座った。
「では起動します何か体調に異変を感じましたらすぐに申し出てください。あと、背もたれからなるべく体をを離さないようにお願いします」
「分かりました」
佐伯が椅子に接続されたパソコンを操作すると、小さな機械音とともに「M to D」が起動した。
「それでは只今より、記憶の情報化を行います。....アバターの正確性という観点から、僕達もいくつか、込み入った内容が含まれる質問をすることがありますが、冴月さんが答えたくないと思ったことには答えていただく必要はありません」
人に説明しながらの方が記憶の思い出し作業が正確になるんですよ、と続ける佐伯に琴子はにこりと笑った。
「大丈夫です。私が答えられることにはなんでも答えますから」
パソコンの前の織宮が準備が整ったよ、と合図をすると、用紙を挟んだバインダーとペンを持った佐伯が琴子の前に椅子を置き、では、と質問を始めた。
「では最初に........冴月さん、貴方がこのプロジェクトを介して『会いたい』と考えている方はどなたですか? もちろん一人でなくとも構いません。なるべく姓名まで教えていただけると助かります」
「はい。私が会いたいのは......幼稚園の時に離れてしまった親友....花町霞と、立垣遥香です」
佐伯はふむ、と紙に書き留めた。
「親友ですか......離れた、というのはどういったご事情が....?」
「私が父の仕事の都合で引っ越してしまって。今みたいに携帯なんて持っていませんから....私がかなり遠方に引っ越したこともあって、それっきりになってしまって」
「なる、ほど........」
佐伯は「希望理由」の欄に「引越しによる離別」と記入した。
「お二人ののご年齢は......冴月さんと同じ、という認識でよろしいですか?」
「はい」
佐伯はありがとうございます、と言い、織宮に視線を向けた。
「先生、いかがでしょうか」
「そう、だね....できないことはないと思うけれど......最初だし、も少し詳しいことが知りたいね。当然同姓同名の人だっているだろうから....例えば性格とか、特技とか、容姿に関係することをデータ化したい」
「わかりました。....冴月さん、今から記憶の明確化のために少し込み入った事柄をお伺いいたします。我々に話したくないことがありましたら、遠慮なく仰ってください」
よほど気にしているのか、数分前とほとんど同じような文言を口にする佐伯を見た二人は思わず笑った。
「....それでは。お二人の性格をお伺いしてもよろしいですか?」
「はい。えっと......霞はなんというか、溌剌としていて体を動かすことが好きでした。遥香は......遥香は逆に物静かで落ち着いていました。ピアノの演奏が上手だった覚えがあります」
「ありがとうございます。では、次にお二人の見た目などをお願いします」
「はい。霞は....」
。。。。。。。。。。。。。。。。
「......これで情報化作業は終了です。冴月さん、長時間のご協力本当にありがとうございました」
最後の回答の記入を終えた佐伯は椅子から立ち上がり、琴子に深々と頭を下げた。
「いえいえそんな....私の方こそ霞と遥香のことをちゃんと思い出すことができて楽しかったです」
琴子は笑顔で答え、電源の落とされた「M to D」から立ち上がった。
「体調に異変はありませんか?」
「いえ、大丈夫です」
佐伯はそれなら良かったです、と言い、琴子をもとのソファへ案内した。
「これで本日の作業は終了です。この後我々の方でアバターの作成を行いますので、完成したタイミングでこちらにお越しいただくことになります」
「わかりました」
「では、僕からは以上になりますが......先生は何かございますか?」
織宮は少し考えた後、ああそうだ、と口を開いた。
「いい機会だから1つ試したいことがあるのだけれど....冴月さん、今の冴月さんと冴月さんの記憶の中の2人とは随分年齢が開いてしまっているよね。君が希望するのであれば、高校生の容姿をした2人のアバターを作成してみようと思うのだけれど....どうかな?」
「「そんなことができるんですか?!」」
これには「Eve」の制作に深く関わっていない佐伯も初耳らしく、琴子と2人で驚きの声を上げた。
「ふふふ、言っただろう?『Eve』の検索ネットワークにさえ引っかかれば、例え個人情報だろうがなんだろうがアバター作成に使われる、ってね」
「......できるのなら、お願いします。霞と遥香とは対等に話がしたいから」
「了解したよ。ただ、今の2人の容姿につながる情報がなければ、冴月さんの記憶の中の容姿になることは了承してもらえるかな?」
「はい、わかりました」
。。。。。。。。。。。。。。。。
「....本当に会えるのかな。高校生の霞と遥香......本当にできるのかな......」
佐伯に見送られて国立技術研究センターを後にした琴子は織宮の言葉を反芻し、期待と不安を抱きながら家路へとついた。
そしてその期待と不安は佐伯も同じように持っていた。
「織宮先生、よいのですか? 僕も先生の事を疑っている訳ではないのですが....いや、もちろんです成功すれば大きな成果ですよ? 僕達の試行では試していませんし、今後冴月さんのようなモニターが来るとは限りませんから。ですが......」
「彼女をいたずらに喜ばせるのはよくない、と言いたいのかな?」
コップに残った麦茶を飲みながら答えた織宮に佐伯はそうです、と頷いた。
「安心しなさい佐伯君。私も不可能なことは言わないよ。元々このパターンは予想していたからね。再会希望者が被験者の中では幼少だが今の姿の『再会』を希望する....十分ありえる話だ」
「まあ、そうですけど....」
「私の計算では技術的には可能だよ。あとは情報さえあれば、ね」
織宮はコップを机に置き、「記憶情報を選択してください」と表示されている「Eve」の前に座った。
「さあ佐伯君。冴月さんをあまり待たせてはいけないよ。早速取り掛かろうじゃないか」
「......そうですね! できるかどうかはやってみないとわかりませんし!」
笑顔で言う織宮見て、佐伯も自分の憂いを振り払った。
「じゃあ、アバタ―の構築を始めよう」
織宮はマウスを手に取り、先程データ化した「サエツキコトコ」と名の着いたファイルをダブルクリックし、「検索人名」と表示された箇所に「花町霞 立垣遥香」と入力した。そのままエンターキーを押すと、画面に「情報収集中....」と表示され、読込中を示すマークがくるくると回った。
「今回は2人分だから....どのくらいかかるだろうね」
「僕達の実験では最短で30分、最大で6時間程かかっています。その後アバターの確認、モーションチェック、サーバーの作成等々ありますから、アバターが仮に12時間で完成したとしても、3〜5日はかかると思います」
織宮はふむ、と頷いた。
「なるほど、つまりアバター次第、ということか。私達は有名人で実験することが多かったからね......今回は一般人だから、大分かかるかもしれないね」
織宮は情報の取捨選択も大変だろうし、と「1%」と表示されたディスプレイを見ながら付け加えた。
「ただ近しい人物ですから、記憶は鮮明ですね。容姿もはっきりと覚えているようですから同姓同名が....となる可能性は低いようですが」
佐伯も「記憶状態:良好」と表示された画面を見つめた。
「......とにかく、私達はアバターが出来上がるまで見ていないといけないから.... 」
佐伯はええ、と頷いた。
「長く、なりますよね。軽食、買ってきましょうか?」
「お願いするよ、佐伯君」
織宮はディスプレイを見つめながら静かに笑った。