Case 1-1
その少女はいつも2人の友に囲まれていた。
晴れの日も、雨の日も、楽しい時も、悲しい時も、文字通り共にあった。
暖かな日差しの中、このままずっと一緒にいられることを、3人の少女は信じて疑わなかった。
「ほんとうに、バイバイするの?」
荷物が積み込まれたトラックの後ろ、白色の車の前で、2人の友が泣きじゃくっていた。
「大丈夫だよ! きっとまた会えるから! お手紙だって書くし!」
気丈に振舞っている少女も、泣き出す寸前だった。
「コトコ、そろそろ出発よ」
車の中の母の呼びかける声を聞き、少女は別れの言葉を口にした。
「ぜったいにまた会いに来るから! わたしたち、とおくにいっても友達だよ!」
果たすことのできない、儚い約束だった。
。。。。。。。。。。。。。。。。
「....メールだ ......『国立技術研究センター』......『モニターのお願い』?」
月日は流れ、高校生となった少女のもとに、一通のメールが届いた。
「詐欺ではない、みたいだけど....」
今までの中で最も丁寧に書かれた文面の末尾には、「国立技術研究センター織宮研究室主任補佐 佐伯澪」と記されていた。
「まあ......行くだけ行って見ようかな」
少女 ― 冴月琴子は誰にともなく呟くと、返信用フォームに入力を始めた。
「でも、なんのモニターだろう。私でも務まるものなのかなあ........」
そしてそれは、かつての儚い約束が、再び動き出した瞬間でもあった。
。。。。。。。。。。。。。。。。
「ようこそお越し頂きました。冴月琴子さん」
「いえ、こちらこそ。わざわざ送迎までしていただいて......」
琴子がメールを受け取った数日後、彼女の姿は国立技術研究センターの前にあった。近未来を想起させるような建物入り口で、メールの送り主である佐伯澪、という男性が笑顔で出迎えた。
「........失礼ですが、随分お若いんですね。研究者、と仰られていたので、もう少しこう....ご年配の方かと」
琴子の素直な感想に、佐伯はフロントに向かいながら苦笑した。
「自分で言うのも何ですが、よく言われますねえ。僕ももう28になるのですが....こちらの世界では、まだ子供みたいなものなので」
佐伯は琴子に来客用の名札を渡し、研究室が並ぶ無機質な廊下を歩きだした。
「僕はもともと民間の企業に務めていたんですけどね、ある日突然このセンターに引き抜かれまして。それでまあ......気がついたら織宮先生の元で研究に従事することになっていたんですよ」
「織宮先生?」
「ええ。織宮先生は僕の研究室の主任でおられまして、人工知能や情報技術に精通していおられるのです。ここにいらっしゃる前はさる大学で教授をされていたそうで......まあ、とにかく素晴らしい方なのです」
「は、はあ..........」
嬉々として語る佐伯に戸惑いつつも、きっと威厳のある高尚な人物なのであろうと、琴子は自分の中で納得した。
廊下の突き当りにあるエレベーターに乗り2階へと上ると、4つめの部屋の前で佐伯は足を止めた。
「お待たせ致しました。こちらが僕と織宮先生の研究室です」
佐伯は「織宮先生研究室」と札がかけられた扉を、コンコンとノックをした。
「織宮先生、僕です。モニターの方をお連れしました」
「ありがとう佐伯君。入ってくれて構わないよ」
織宮の声を聞いた佐伯は扉に手を掛け琴子を促した。
「さあ、どうぞ。お入りください! 」
「は、はい。失礼します」
琴子が恐る恐る足を踏み入れると、想像していたよりもかなり開放的な空間が広がっていた。埃一つない床に、整頓された本棚。むしろ琴子自身の部屋よりも綺麗であるといっても過言ではない程だった。
「織宮先生、こちらがモニターを引き受けてくださった冴月琴子さんです」
研究室には場違いなパステルグリーンのソファの前に立っていた織宮は、佐伯の紹介を受けて一礼した琴子ににこやかに話しかけた。
「ようこそ来てくれたね。私は織宮孝太郎。佐伯君から聞いているかもしれないけれど、この研究室の主任を務めていてね、今回のモニターも私と佐伯君で募集したんだ」
「先程のご紹介して頂きました、冴月琴子です。私立百合ノ宮学園高等部の3年生で、生徒会長を務めています」
礼儀正しく自己紹介を終えた琴子に、佐伯が立ったままでは何ですから、とソファに案内し、奥にある冷蔵庫から麦茶を取り出した。
「すみませんこんなもので......何分、研究以外のことには疎いもので........」
「いえいえそんな。ありがとうございます」
琴子の前にコップを差し出し、向かい側に座る織宮の前ににも置いた。
「佐伯君ありがとう。....では冴月さん、あまり時間を使わせてしまうのは申し訳ないから、早速だが説明に入ろう」
麦茶を少し口に含んだ織宮が佐伯君、と呼ぶと、佐伯は「Eve」と画面に表示された白いノートパソコンを持ちながらこちらに向かい、そっと机に置いた。
「これは....なんですか?」
一見なんの変哲もないノートパソコンを、琴子はまじまじと見つめた。
「これが私達の研究成果の1つ、『Eve』だ。主に私が開発したものでね、世界でも最高レベルの量のデータを保持、アクセス、解析できる人工知能なんだ。....いろいろなものを駆使したからね、世界に存在する『データ』や『記録』と名のつくものは、ほぼ全てが入っているといっても過言....になってしまう気がするけれど」
「織宮先生! その点は自信を持たれてよいのですよ! その辺の軍や政府機関よりは圧倒的に勝っておりますから!」
「軍!? 政府?! それほどの情報を集めて、一体何をするつもりなんですか?!」
高校生にはあまり縁のない言葉に、琴子は自分が何かとんでもないことに巻き込まれてしまったのではないかと、今更ながらに感じた。
「心配しなくても大丈夫だよ。国家転覆とか、テロのために集めた情報ではないからね。それに、私達は『Eve』の情報を必要以上に閲覧することができないんだ。研究目的のためだけにもらった個人情報も含まれているからね」
「でしたら......何に?」
「『Eve』はこれだけでは使わない....あれと、あれと一緒に使うんだ」
織宮がチラリと見た先には、白を基調とし、円柱をくり抜いたような機械質の椅子と、白いヘッドセットが置かれていた。
「......すごい。だいぶ大きくて....機械みたいな椅子ですね。それとあちらは、......VR用のゴーグル?」
織宮はそうだよ、と頷いた。
「当たらずとも遠からず、かな。冴月さんが言ったとおり、この椅子は機械だと言っても差し障りはないよ。これが私達のもう一つの研究成果、『M to D』。人間の脳に存在する記憶を、この椅子を介して文字や映像....つまりデータに変換する」
「記憶を、データに......?」
琴子はにわかには信じられなかった。
「なぜ、そのようなことが?」
「これを可能にできたのはの佐伯君のお陰だよ」
織宮は佐伯の方へと目をやった。
「実は僕、大学で脳科学を専攻しておりまして、3年という年月はかかりましたが、脳の内部に存在する記憶情報を、僕たちが見える形に......つまり、データへの変換に成功したのです!」
「......すごい」
琴子は小さく驚きの声を上げた。
「それで、ここが本題なのだけれど....私達はこの『Eve』を使って、あるプロジェクトを実行しようと思っているんだ。そして、冴月さんにはそれに協力してもらうためにここに来てもらったんだ」
「....私は、一体何をすれば?」
琴子の問に、織宮はにこりと笑った。
「『M to D』を使って人間の記憶を可視化する。そしてその中でもある特定の人物....例えば、何らかの事情で会えない人に関する記憶を抽出して、それを元に実際に人物に関する情報を『Eve』で集めて、限りなく本人に近いアバターを作成する」
「本人に近いアバター......」
「そして、そのヘッドセットを使ってアバターのいるサーバーに入り、あたかもその人物と会っているかのような体験をする........名付けて、『仮想再会プロジェクト』だ」
「会えない人に、会える....?!」
琴子は思わず目を見開いた。
「ただあくまで記憶と情報から作り出したアバターだ。思考や言動、性格はある程度『Eve』で予測、プログラミングするけれど、100%本人かといわれると、否と言わざるを得ない。それに、作り物に会ったからといって心が満たされるわけではない。寧ろそのままにしておいたほうがよかった、という場合もあり得る」
織宮に代わるように、佐伯が琴子に問いかけた。
「冴月さん、貴方には選ぶ権利があります。『VMAプロジェクト』に協力してくださるか、否か。もちろん、僕達は貴方の選択を尊重致しますし、今すぐに決めることができないということでしたら、日を改めてお伺いすることも可能です」
「仮想、再会........」
琴子はたった今織宮から聞いた説明を反芻した。琴子自身の記憶と、膨大な情報から創った「データ」と会う。織宮の言う通り、現実とは全く異なるモノができるかもしれない。そっと仕舞っておいたほうがよかったと、後悔することになるかもしれない。
それでも琴子の脳裏には、在りし日の2人の友の姿が浮かんだ。今はもうどこにいるかすらも分からない。もう二度と会う日は訪れないだろう。
たとえ仮想のトモであったとしても、もう一度会えるとしたら?もう一度、その笑顔を見ることができるとしたら?
琴子に迷いはなかった。
「冴月さん、どうなさりた」
「分かりました。私で良ければぜひ協力させてください。」
琴子の選択を佐伯は驚きと、織宮は笑顔とともに歓迎した。