惨劇が始まる
「お待ちください!」
「!」
アランが主の惨事から目を逸らすために目をつぶった瞬間、会場に男の声が響いた。
「……?」
アランがゆっくりと目を開けると、
「……なんのつもりだ。ガイア」
騎士団長のガイアが騎士たちを止めていた。
ソルドがそんなガイアを冷たく見やる。
「殿下。さすがにここで二人の首をはねるのは些か印象が良くありません。いくら金と力で馬鹿な貴族を集めても、さすがに恐怖で逃げ出す者も出てくるかと」
「……」
ガイアの進言をソルドは吟味する。
数々の武勲をあげ、貴族社会でも確固たる地位を確立しているガイアだからこそソルドもその話を聞いているのだろう。
「庶民はいくらでも何とかなります。ですが、金を持つ有力な貴族を逃がすのは得策ではありません。せめてどうか、場所を変えるなどの配慮を」
「……ふむ」
ガイアに耳打ちされ、ソルドは少し冷静になったようだった。
「それもそうだな」
ソルドは騎士たちに剣をしまうように指示する。騎士たちは剣は鞘に戻したが、サリアとアランの二人は取り押さえられたままだった。
「皆さま! 大変お騒がせしました! ガルセンティア公国との間にあらぬ誤解が生じているようです! 大変申し訳ないのですが、私は彼らから詳しくお話を聞かなければならないのでここで失礼させていただきます!
夜会は引き続き盛大に行いますので、皆さまにおかれましては存分にお楽しみいただければと存じます!」
では、と優雅にお辞儀をするとソルドは会場をあとにした。
「立て!」
サリアとアランも騎士たちに立たされ、ソルドのあとについていかされる。
二人が会場から出る頃には、会場はもう当初の盛り上がりを取り戻していた。
「……殿下。計画はいかがしますか?」
先を歩くソルドとガイアが何やら話している。
「予定通りだ。そろそろ動かせ。奴らが先に到着したら適当に脅しておけ」
「はっ」
ソルドが命じるとガイアは部下の騎士たちに指示を出す。数人の騎士がその場を離れる。
計画とは何なのか。
アランはソルドの狙いを掴めずにいた。
「入れ」
しばらく歩いていたソルドがピタリと足を止める。豪華な装飾が為された片開きの扉。牢のような場所ではなく、ただの部屋のようだ。
「……サリアだけだ」
「なっ!」
サリアと別々にされることを知ったアランが再び暴れる。
が、ソルドは懐から抜いたナイフをサリアの首もとに近付ける。
「ひっ!」
「っ!」
それを見てアランが押し黙る。
「……おまえは地下だ。少し分からせてもらえ」
「くっ!」
「アランっ!」
ソルドが合図すると、アランは騎士たちに抱えられて別の場所に連れていかれてしまった。
「……貴様はこっちだ」
「いやっ!」
ガイアに手首を掴まれてサリアは部屋に放り込まれる。
「……」
その部屋は豪華な意匠ではあったが極めて普通の部屋だった。窓が大きく、城下の様子をよく見ることができた。
部屋にはベッドやクローゼット、ソファーにテーブルセットなどが置いてあり、誰かの私室のようだった。
部屋にはサリアとソルド、そしてガイアと数人の騎士がいた。
拘束を解かれたサリアはソルドたちから少しでも距離を取ろうと後退る。
それを見たソルドがハァとため息を吐く。
「先ほどは殺すなどと言ったが、まだ貴様を妃にするつもりはある」
「!」
すぐにでも斬られると思っていたサリアは下がる足を止める。
「まだ各国への言い訳は立つ。貴様を人質にしてガルセンティア公国軍を帰らせ、公爵名義で誤解があった旨の説明と謝罪をしたためた書状を書かせれば問題はない。多少のお咎めはあるが公国にはさほどダメージなく物事は終わるだろう」
「……」
サリアはあの父がそんなことをするとは思えなかったが、それよりも気になることを尋ねることにした。
「……なぜ、そうまでして私を?」
ただの隣国の、しかも属国の王女にすぎない自分になぜそこまで拘るのか。サリアにはその理由が分からなかった。
「貴様が神の奇跡とやらを宿す聖女だからだ」
「で、でも、私には奇跡は……」
即答するソルドにサリアは戸惑う。呪われた聖女と呼ばれ、神聖を宿さない自分なのに、と。
「それは、確かめてみなければ分からんではないか」
「……え?」
ソルドの瞳にぎらりと光るものを感じたサリアは嫌な予感がした。
「すべてはそれ次第だ。貴様に本当に神の奇跡はないのか。それとも力が眠っているだけなのか。俺は、それを確かめたくて仕方なかった。
本当にそんなものがあるのなら俺のものにしなければ。脅威ならば、自分の力にしてしまえばいい」
「……」
怖い。
サリアは改めてソルドをそう思った。
強欲、支配欲、征服欲。
楽しそうに語るソルドからは、そんな感情しか感じられなかった。
「調べたところによると、聖女の神の奇跡とやらは人々が本当に追いつめられた時にだけ発動するものだそうだな」
「……」
サリアもそれは聞かされていた。
先代の聖女であるマリアは大凶作で餓死者が大勢出ていることに嘆いた時に力が発動したと。
「だから俺は、貴様を追いつめることにした」
「……え?」
「聖女の力があれば、俺はすべてを赦し、貴様を俺の妃としよう。だが、もしも神の奇跡が起こらなければ、貴様もあの男も、ガルセンティアも……すべて殺す」
「……っ」
静かに語るソルドにサリアは絶望を感じずにはいられなかった。
自分に、聖女の力などあるはずがないのだから。呪われた聖女とは、神の奇跡が宿っていないからこそつけられた忌み名なのだから。
「……やれ」
「はっ」
「っ!」
ガイアがサリアの方に歩きだし、サリアは思わず身構えて目をつぶった。
「……?」
が、ガイアはこちらではなく窓へと進み、何やら外に向かって合図を送っていた。
「……!」
しばらくして、城下が騒がしくなったことに気が付く。
「出てみるといい。そこからなら、城下の様子が一望できるぞ」
「っ!」
ソルドに言われ、嫌な予感がしたサリアは窓からベランダに出る。
手すりに掴まって城下を眺めると、甲冑を着た騎士たちが民を惨殺していた。
「……あ、ああ」
その光景にサリアはへなへなと床にへたりこむ。
街には火が放たれ、逃げ惑う人々の声があちらこちらから聞こえてくる。
騎士たちは女子供問わず手に握る剣でもって容赦なく人々を斬り伏せる。
「そ、そんな……」
あまりの光景にサリアは言葉を失った。
「さあ。どうする呪われた聖女。早くしないと民がどんどん死んでいくぞ? 神の奇跡とやらで騎士を止め、人々を助けてみせろ」
ソルドがサリアの後ろに立ち、嬉しそうに語る。
「……!」
そのとき、城下から別の声が聞こえた。
「やめろ! 自国の民だぞ!」
それは第二皇子ロレンスだった。
ロレンス率いる部隊が懸命に騎士たちを止め、庶民を助けていた。
「ふん。ロレンスめ。馬鹿な奴だ。おまえたちが街ではなく城に来ていれば、そもそも俺たちはもう少し手をこまねいていたというのに」
必死に走り回る弟をソルドは呆れたように見下ろす。
実際、ロレンスとその部隊が夜会に介入し、サリアたちを保護していれば、ガルセンティア公国軍は何の憂いもなくソルドを討つことができた。ソルドはロレンスの性格を読んだ上で、庶民を守ることを選ぶだろうと見越して彼らを城から引き離したのだ。
結果、サリアたちはソルドの手に落ち、人質がいるガルセンティア公国軍は容易に攻めいることができなくなった。
「馬鹿な男よ。庶民など掃いて捨てるほどいるというのに」
少しの庶民の犠牲も見過ごせない弟の愚行をソルドは嘲笑った。
「……彼らだって、同じ人間なのに」
「ん?」
サリアの呟きにソルドは首をかしげる。
「奴らはいくらだって勝手に増えてくだろう? それなら同じ人間でも多少の増減などどうでもいいだろう?」
「……」
サリアはそもそもの根本的な考え方が違うことを理解した。
彼は庶民を庶民というくくりでしか見ていない。彼ら一人ひとりに意思があり、一人ひとりがかけがいのない人間なのに。庶民という母体でしか彼らを見ていないソルドにはもうまともな言葉は通じない。
「ほら。早く奇跡を起こせ。勝手に増える庶民といえどもさすがに全員死んでしまうのは困るぞ?」
「……」
ソルドはほらほらとサリアを煽るが、サリアは悲しみにうちひしがれるだけだった。
「……はぁ」
「きゃっ!」
その様子に呆れたソルドはサリアの手首を掴んで部屋に引き戻した。
「やはり他国の民では弱いか。そうだな。こちらに向かっているガルセンティア公国の者を連れてくるか。人質を引き渡すとでも言えば来るだろう。そいつの首を目の前ではねよう。そうすればさすがに神の奇跡も出てくるだろう」
「やめて!」
ぶつぶつと考えるように呟くソルドにサリアはすがった。
これ以上もう、自分のせいで誰かが傷付くのは見たくなかった。
「……ふん」
「きゃっ!」
ソルドは懐からナイフを取りだし、サリアを突き飛ばすとともに腕を軽く切りつけた。
「……痛っ」
ドレスの袖ごと切れた赤い線からツゥーと血が伝う。
「ふむ。聖女の血も赤か。だが、自分が傷付いてもやはり力は出てこない、と」
ソルドはもはや検証するかのような調子で一人呟いていた。
「……そうなると、やはりアレか」
「……?」
ソルドはガイアに何事かを命じると、ガイアから指示を受けた騎士が部屋を出ていく。
サリアは嫌な予感に心臓の鼓動が早くなるのを感じる。
「お嬢、様っ!」
「アランっ!!」
そうして連れてこられたのは、傷だらけでボロボロになったアランだった。