夜会
「……」
「……」
さんざん大衆の無惨な姿を見てきたサリアとアランは城についた途端、愕然とした。
日が沈みかけた城には余すところなく煌々と明かりが灯され、広大な庭園には見目麗しい珍しい花々が咲き誇り、城内は煌びやかな装飾がこれでもかと施され、豪奢な夜会を見事に演出していた。
「ようこそいらっしゃいました」
二人を出迎えたのは最高級の生地が使われた服に身を包んだ大勢の執事とメイド。
床には文字通りホコリひとつなく、立派な赤絨毯が敷き詰められていた。
「……もはや、呆れてくるわね」
「……ええ」
民には重税を課し、自分たちはその金で贅沢三昧。
まさに絵に描いたようなその構図を見せられ、サリアもアランも開いた口がふさがらなかった。
「武器の類いはこちらでお預かりしますね」
「……ああ」
にこやかに、されど有無を言わせぬ態度の執事にアランは腰に差した剣を差し出す。
慣例とはいえ、敵地のような場で武器を手放すのは心許なかったが、それだけこの場は安全が保障されているということ。万が一にもここで騒ぎが起きれば皇帝の信用低下を招く。武器を預けるという行為は皇帝への信頼の顕れでもあるのだ。
「……」
だが、それは王家を信用していればの話。
アランは周りの夜会参加者たちを見て、やはりと独りごちた。
誰も彼もが煌びやかで最高級のドレスを身に纏い、目元を仮面で隠していた。サリアたちには仮面をする旨は通達されていない。
そして、誰もが皆一様に夜会を大いに楽しんでいた。
城に来るときに、あの光景を目の当たりにしているはずなのに。
「見ました? あの庶民、カビの生えたパンを食べておりましたわよ」
「ええ、ええ。よくもまあ、あのような劣悪な環境で生活ができますわね」
あまつさえ、その光景を酒の肴に盛り上がる始末。
「……」
アランは確信する。
ここに、味方はいないと。
全員がこの状況に慣れている。つまり、全員がソルド皇太子の派閥の人間。
全員が敵の夜会で武器を預けることの、何が信用か。
アランは敵地で丸腰にされたことに警戒を強めるのだった。
「……サリア様。大丈夫ですか?」
アランは周囲の景色に気を取られ、主を気遣うことを失念していたことを思い出した。
が、隣に立つサリアは凛とした表情をしていた。
「……貴族、というものは、少しでも油断するとこうなってしまうものなのですね。我々はそうならないよう、常に己を省みないといけませんね」
「……そうですね」
場の雰囲気に飲まれず、自分を律する主の姿にアランは目を細めた。
あの小さかったサリアも、もう立派な淑女なのだと。
「いやー! 素晴らしい心構えだぁ!」
「!?」
「!」
そんな二人の前に、ソルド皇太子が大げさに拍手をしながら姿を現した。
「さすがは未来の我が妃。それでこそ、だ!」
「……」
満面の笑みで二人を見下ろすソルドを、サリアとアランは睨み付けるように見つめた。
一方その頃、ガルセンティア公国にはロレンスからの手紙が伝書鳥で届いていた。
『騎士団は全て黒。皇帝は呪い屋なる者の手に』
「……最悪だな」
ガルフォードは手紙の内容に苦虫を噛み潰したような顔を見せた。
「まさかあの忠臣として有名なガイアまでもが裏切っていたとは……」
かつて帝国との連合軍による戦でともに戦場を駆け回った同志が皇帝を裏切ったという事実にガルフォードはショックを隠せずにいた。
「……それに、呪い屋、か」
ガルフォードは呪い屋を嘯く老人の存在を知っていた。なぜなら、彼は帝国に赴く前にガルセンティア公国を訪れ、ガルフォードを誘ったからだ。
『皇帝を呪い殺して、次の皇帝になってみないか』と。
ガルフォードはそれを門前払いにした。
忠誠を誓い、ともに世を平和に導こうと言ってくれた皇帝を裏切るわけがなかった。
「……そのときに、拘束しておくべきだったか」
結果、老人は帝国に入り込んでソルドに取り入り、ソルドはそれに乗ったのだ。
「……愚かな」
ガルフォードは呪いのタネが毒であることを見抜いていた。
蓄積型の毒。輪番制の毒味役の穴をついた策略。
ガルフォードはその対策に、そのタイプの毒に対して解毒作用のある食材を必ず摂取していた。
皇帝にも進言はしていたが、徹底されていなかったようだ。
「……あの方は、あれで好き嫌いが多いからな」
会食でこっそり自分の嫌いな食材をガルフォードの皿にのせてきた皇帝のイタズラな笑みを思い出す。
「……変に人間味がありすぎた。だから、息子に対しても甘さが出たのか」
忠誠を誓う主でありながら友人のような関係性でいてくれる皇帝を思い、ガルフォードは目を細める。
だが、すぐに再び眉間に力を込めた。
「……騎士団がすべて敵となるとロレンス殿下もろくに動けないだろう。
そうなると、サリアたちが危ないな」
ガルフォードは立ち上がるとマントを羽織った。
「兵を集めろ。セントミリア帝国に行く」
「……仰せのままに」
ガルフォードに言われ、執事は粛々と頭を下げる。
『我が主にしては我慢した方だ』
執事は心のなかでそう呟いたのだった。
「……待っていろ。サリアたちも陛下も、俺が助ける」
自分を未来の妃と言って高笑いをするソルドに、サリアは見事なカーテシーをしてみせた。
「ソルド殿下。この度は夜会へのお招き、まことにありがとうございます。殿下にお招きいただき光栄でございます」
サリアはそう言って輝くような笑顔を見せた。花が咲いたようなその光景に周りの貴族たちも見惚れていた。
「うむ! 美しい! それでこそだ!
これは招いた甲斐があったというものだ!」
サリアに負けず劣らずの美女たちを自身の周りに侍らせながら、ソルドは上機嫌に笑った。
「……」
ソルドを取り巻く女たちのサリアを見る鋭い視線にアランは気付いていた。
敵は、どこにでもいるのだ。
「もったいないお言葉。
殿下の周りにはすでに青薔薇のような美しい花々がいるというのに、私のような田舎者にもお心遣いをいただき、恐悦至極にございます」
「……」
しかし、サリアに賛辞され、周りの女たちも満更でもない様子だった。青薔薇に例えた誉め言葉は最上級の賛辞。
自らを貶め、ソルドの取り巻きを賛美することでサリアは余計な敵を作らないようにしたのだ。
「……」
すでに始まっていた戦いにサリアはとっくに覚悟を決めて参戦していた。
アランは自分の至らなさを恥じ、改めて気を引き締めた。
「……ふっ。いいな。思ったよりも良いぞ」
「!」
ソルドが女たちにここにいろと指示を出し、一人でサリアに近付いていく。
そしてサリアの眼前に立つと、サリアの目をまっすぐに覗き込んだ。
「……ふむ。良い眼だ。覚悟を決めた、戦う女の眼。おまえは俺が今ここでおまえのドレスをすべて破り捨てても、きっとその眼のままなのだろうな」
「……っ」
ソルドの脅し文句にアランは唇を噛み締める。
微塵の動揺も見せずにソルドを見上げるサリアの邪魔をするな。
アランは自分に必死にそう言い聞かせた。
「……まあ、そんなことはしないから安心しろ。男女問わず、覚悟を決めた眼をする者が俺は好きだ」
「……」
サリアはソルドのその姿が意外だった。てっきり覚悟も使命感も何もなく、ただ権力に溺れる愚か者だと思っていたが、もしかしたら彼は彼なりの美学でもってこんな馬鹿げたことをしているのかもしれない。
「……っ」
だが、だからこそサリアはソルドが許せなかった。
そうなると、自分のやっていることが悪いことだと知っていてやっていることになるからだ。
甘やかされて育ち、それが悪いことだと自覚せずに民に圧政を強いている王はまれにいる。それを正すのが本来の皇帝の役割。
だが、目の前の男は違う。
自分のやっていることが悪だと理解した上で、その上で民を虐げているのだ。
「……あなたは、なぜ……」
「そんなおまえに、褒美をやろう」
「!」
なぜそんなことをするのか。
そう問おうとしたサリアを遮るように、ソルドは両手を広げ、集まった人々をぐるりと見回した。
そして、
「お集まりの皆々さま!
私、ソルド・セントミリアはここにいるサリア・ガルセンティアと婚約することを今ここに宣言する!」
「!」
「なっ!」
ソルドは大勢の貴族たちの前でサリアとの婚約を正式に発表したのだ。
集まっているのはおそらくセントミリア帝国の有力貴族たち。この話は瞬く間に大陸中に響き渡るだろう。
そして、その話を聞いた各国の王たちはこう思うのだ。
『ガルセンティア公国はソルド皇太子側についた』と。
ガルセンティア公国は皇帝への忠誠心が高いと評判で、またその軍事力も帝国に匹敵すると言われている。
そんな国が皇太子を支持するのだ。
噂は聞いていながら、ソルド皇太子につくか否かを迷っていた各国の王たちはこれでこぞって自国の指針を決定するだろう。
「……っ」
サリアもアランもやられた、という気持ちを隠しきれずにいた。
ここでその宣言を撤回すれば確実に皇太子を敵に回す。それどころか皇太子の味方しかいないこの状況でそれは事態の悪化しか招かないだろう。
だが、撤回しなければ婚約を受け入れたことになり、ガルセンティア公国はソルドに恭順を示したことになる。
引くも押すもできなくなった状況に、サリアとアランは困惑したのだった。
「ふふん」
そんな二人をソルドは愉悦に浸った顔で眺める。
まんまと策にハマり、困惑のまま絶望を感じる。ソルドは人のそんな表情が好きだった。
強い者を折るほど楽しいものはない。
ソルドが覚悟を決めた眼をする者が好きだと言ったのは、そういう意味もあったのだ。
「ソルド殿下っ!」
「なんだ良いところに……」
そこに、一人の兵士が慌てて駆け込んでくる。
水を差されたソルドは嫌な顔をしたが、焦った様子の兵士に仕方なしに耳を寄せた。
「……」
そして兵士が耳打ちをすると、ソルドは顔を大きく歪めた。
「……馬鹿め。大人しくしていればいいものを」
ソルドは眼差しを冷たく鋭いものに変え、射抜くようにサリアを見つめた。
「ひっ!」
その氷のような冷たい目にサリアは思わず後退る。アランがさっとそんな二人の間に割り込む。
「……どけ」
ソルドは氷の刃を突きつけるような声をアランに向けた。
「……お嬢様を、身の危険から守るのが私の仕事です」
アランはそんなソルドに負けないよう、サリアを庇いながらセリフを返した。
「……おい」
「はっ」
ソルドはその言葉を無視し、近くにいた騎士を呼びつけた。
「邪魔だ。こいつを殺せ」
「はっ」
「なっ……」
命じられた騎士は特に何でもないことのように返事をすると、腰に下げた剣を抜いた。
「だめえぇーーーっ!!」
それを見たサリアが慌ててアランの前に出てソルドに跪く。
「殿下。どうか、どうかそれだけは……」
サリアは床に頭をつけて懇願した。
いち近衛騎士のために主がそこまでする姿は、周りの貴族からはずいぶん滑稽に見えたことだろう。
実際、二人をクスクスと笑う者もいた。
「……」
ソルドはそんなサリアを冷たく細めた目で見下ろす。
「……貴様の父が、ガルセンティア公爵が挙兵した。軍を率い、セントミリア帝国に攻めてきているのだ」
「そ、そんなっ!」
「……」
淡々と告げられた事実に、二人は驚くしかできなかった。
ガルフォードの行動は正解でもあり不正解でもあった。
ソルドとサリアの婚約の話が広がるよりも先に挙兵したことで、後述となる婚約話が噂の域を出なくなったのだ。
さらに、ガルフォードは挙兵の理由を事前に各国に説明するに当たり、真実だけを話すことにしたのだ。
皇帝を病床に貶めたのはソルド皇太子。帝国民に圧政をしき、度重なる増税で贅沢三昧。そんな皇太子に娘を寄越せと言われた。さもなくばガルセンティア公国を貶めると脅されて。
そして、娘と皇帝を救出するために挙兵する、と。
ガルフォードは進軍と同時進行でそれらを各国に伝えさせた。まず間違いなく二人の婚約話よりも先にその話が各国に届くだろう。
そこに遅れて二人の婚約話の噂が舞い込んでくる。
そうなれば、いくら何でも各国の王は皇太子の企みに気付くだろう。
そして、挙兵の話を聞いた各国の対応の大半は、動かないことだった。
どちらが勝つか分からない状況で片側に肩入れするのはリスクが高い。
各国の王たちはそう判断した。
そして、それがガルフォードの狙いだった。
あわよくば援軍でもあればという思いがなかったわけではないが、横槍を入れられないだけマシ。あとは帝国との真っ向勝負。
ロレンスの存在によってソルドが直接動かせる戦力は王宮騎士団のみ。
いくら騎士団が精鋭揃いといえどもガルセンティア公国の軍隊ならば十分勝ちは見える。
もしも先に二人の婚約話が広がっていれば帝国に味方してガルセンティア公国軍の邪魔をしてくる者も現れるかもしれなかった。
そういう意味では、迅速に行動に出たガルフォードの読み勝ちと言えるだろう。
「……馬鹿な男よ」
国としては、だが。
「今この場にその助けようとしている娘がいるというのに、間に合うとでも思っているのか? 俺が、それほど気の長い男だとでも思っているのか?」
今この場面においては、ガルフォードのそれは最悪の一手でしかなかった。
「……」
ソルドが脇に控える騎士に目配せをする。
それを受けた二人の騎士が剣を抜く。
「二人の首を奴らが進軍してくる先の門に晒せ」
「……っ」
「お嬢様っ!」
アランはサリアに駆け寄ろうとするが近くの騎士に取り押さえられる。
サリアもまた、騎士によって押さえ付けられていた。
「くそっ! 離せっ! 離してくれっ!!」
アランは懸命に起き上がろうとするが、数人がかりで押さえ付けられていて身動きが取れなかった。
「じゃあな。お二人さん」
「……アラン」
ソルドの冷たい声とサリアの搾るような声が重なるとともに、騎士の持つ剣が大きく振り上げられたのだった。