出発、そして、帝国の現実
『陛下……まさか、このようなことになろうとは』
『……それで? 力は、どうなんだ?』
『……残念ですが、お生まれになった御子に神の奇跡は宿っておりません。聖女の反応が見られないのです』
『……そうか』
『……いかが、なさいますか?』
『……そうだな……』
「……夢、か」
目を覚ましたアランが呟く。
それは本来、彼が知ることのないはずの記憶。何がそれを彼に見せたのか。しかし、目覚めた瞬間に彼はその夢の内容を忘れてしまっていた。
「……はぁ」
いくら来て欲しくないと願っても、朝は皆平等にやってくる。
朝日は必ず昇るのだ。
アランは何だか重たく感じる体を無理やり起こす。手早く朝の支度を終えると外に出た。
「ふっ! ふっ! ふっ!」
まだ昇ったばかりの朝日を浴びながら日課の素振りをする。
サリアが起き出すまでに自己の鍛練は終わらせなければならない。アランは毎朝、誰よりも早く起きては屋敷の庭で自己鍛練を行っていた。
近衛騎士であるアランにはガルフォードやサリアが暮らす屋敷に部屋が与えられていた。アランの両親である子爵家がある地は屋敷から遠いのだ。
「精が出るな、アラン」
「……ガルフォード陛下」
木剣で素振りをするアランのもとにガルフォードが現れる。
アランは手を止め、主に跪く。
「……今は誰の目もない。気を使わないでくれ、アラン」
「……そういうわけには、まいりません」
眉を下げるガルフォードだったが、アランはかしずく姿勢を崩すことをしなかった。
「やれやれ。頑固なところは誰に似たのやら」
「……誰にでしょうね」
苦笑いを浮かべるガルフォードにイタズラな笑みを返したアランはどこか幼く見えた。
「……よし」
「……陛下?」
ガルフォードは持っていた木剣を構える。
「来い。久しぶりに稽古をつけてやろう」
「……もう、俺の方が強いですよ?」
「俺に勝ってから言え、ガキ」
ニヤリと笑うガルフォードに、アランも嬉しそうに立ち上がって剣を構えた。
「……来い」
「はっ!」
飛びかかるアランの剣をガルフォードが受ける。
返す刀でガルフォードが切りかかればアランもそれを受ける。
「……今朝、夢を見てな」
打ち合いながら、ガルフォードがポツリと呟く。
「夢、ですか?」
ガルフォードの攻撃を受けながらアランが応える。
「聖女が、生まれた日のことだ」
「……」
「ガルセンティア公国の、王の第一子は必ず女が生まれる。そして、その子は聖女としてその身に神の奇跡を宿す。聖女は教会の神官がその身に神聖が宿っていることを確認することで聖女認定される。
マリアも、その身に神の奇跡を宿した聖女だった」
「……」
マリアとは亡くなったガルフォードの妻で、本来のガルセンティア公国の王であった女性だ。ガルフォードは妻亡きあとに王位を継いだ婿養子なのだ。
「マリアは生まれつき体が弱かった。子供を一人産むだけでも相当な負担だったはずだ。
だが、産まれた一人目に神の奇跡は宿らなかった」
「……」
打ち合いながら、アランはガルフォードの話に耳を傾けていた。
話しながらでも、ガルフォードは強かった。
「マリアは責任を感じていたのだろう。俺がもう子供はいいと言ったのだが、あいつは頑なに二人目を願った。
ほどなくして二人目が産まれたが、やはりその子にも神の奇跡は宿らなかった。
そして、マリアはそのまま逝ってしまった」
「……なぜ、神の奇跡は宿らなかったのでしょう」
「!」
ポツリと呟いたアランにガルフォードも首を傾げた。
「さてな。もしかしたら、神がそんなものはもう不要だと判断されたのかもしれない。まさに、神のみぞ知る、だ」
「……だとしたら、神も不親切ですね」
「!」
アランの剣が強くなる。
「事前に説明してくだされば、は……マリア、様がご無理をされることもなかったのに。
サリアが、呪われた聖女などと呼ばれることもなかったのに……」
「……」
「……神は、いつだって突然で、残酷だ!」
「くっ!」
勢いよく振られたアランの剣はガルフォードの剣を弾き飛ばした。
「あっ! 申し訳ありません!」
我に帰ったアランが慌ててガルフォードに駆け寄る。
「……アラン」
「はっ」
ガルフォードに名前を呼ばれ、アランが畏まる。
「そんな怒れる剣では、サリアを守れんぞ」
「!」
ガルフォードは強く剣を握りしめたままだったアランの手を優しく包んだ。
「神を呪っても自分が不幸になるだけだ。本当に守りたいものがあるのなら自分の手で守れ。できる限りの努力をしろ。
それでもどうしても届かないその時にこそ、神は手を差し伸べてくださる。
真に努力した者にしか、神は微笑まないのだ」
「……神は、ずいぶんストイックなんですね」
アランはふっと笑って、握りしめていた木剣を放した。
「まったくだ」
それを見てガルフォードも笑う。
「……アラン。サリアを頼んだぞ」
「はっ」
「……だが、サリアの命と同じようにおまえ自身の命も大事にしろ。おまえは、自分の命の価値を理解しているだろ?」
「……はっ」
諭すように語るガルフォードに、アランは返事を返すことしか出来なかった。
「さあ。そろそろサリアを起こしてメシにしよう。今日は二人を送り出すからって料理長が張り切っていたからな」
ガルフォードは話は終わりだとアランに手を差し出した。
「……それは楽しみです」
アランはそれに笑みを返してガルフォードの手を握り返した。
庭園の青薔薇は二人を見守るように今日も青空に咲いていた。
「……それでは、いってまいります」
父にそう告げるサリアの顔はスッキリしているようだった。
不安はあるが決意は固まった。そんな感情がこもった表情だとガルフォードは感じた。
「……」
ガルフォードがチラリとアランを見ると、彼はこくりと頷いた。どうやら彼が昨晩のうちにフォローしておいてくれたようだ。
「……ああ。気をつけてな」
ガルフォードは多くを語らず、ただ優しい微笑みをもって娘を送り出した。
「……アラン。頼んだぞ」
二人をのせた馬車をいつまでも見送りながら、ガルフォードはそう呟いたのだった。
「……朝、お父様とどんなお話を?」
「観ておられたのですか?」
馬車に揺られる車内でサリアがアランに話を振る。
護衛や世話役のメイドたちは他の馬車や馬で同行しているため、この馬車の中にはサリアとアランだけだった。
「……聖女が産まれた日の夢を見たと」
「!」
「そして、マリア様のことをお話になりました」
「マ……お母様の、ことを」
サリアは複雑な表情を見せた。サリアが物心つく頃にはもうこの世を去っていたマリア。本物の聖女。
『呪われた聖女』と言われてきた彼女には、たびたびマリアと比べられてきた過去があった。
「マリア様は、神の奇跡で当時のガルセンティア公国の大凶作を救ってくださいました。俺の両親もそれにはだいぶ救われたと言っていました」
ソルドは聖女の神の奇跡を眉唾だと言っていたが、ガルセンティア公国においてはその事実は史実として明確に存在していた。ただ、ガルセンティア公国が意図的にそれを国の外に出さないようにしているため、他国では噂程度の信憑性となっているのだった。
聖女の実績を知っているのは他国では皇帝だけ。皇帝もまた、聖女の神の奇跡を誰かに漏らすことはしない。
実子であり皇太子であるソルドがそれを知らないのが何よりの証拠だろう。
「……」
「そ、そうだ!」
先代聖女の偉大な功績にサリアが顔を曇らす。
それを見たアランが慌てて話を続ける。
「ガ、ガルフォード陛下は、当代の聖女に神の奇跡が宿らなかったのは、神がそれをもう必要ないだろうと判断したからではないかと仰ってました」
「……お父様が、そんなことを?」
「はい。もう人間に神の奇跡は必要ない。これからは自分たちの手で乗り越えていきなさい。
神は、そう仰っているのだろう、と」
「……そう」
最後の言葉はアランの創作だった。そうであってほしい、とアラン自身が思っていたから。
「……ふふ」
アランの話を聞いたサリアが口元に手を当てて微笑む。
「だとしたら、神様はずいぶんと不親切ね」
「……俺も、同じことを言いました」
二人は眉を下げて苦笑したあと、お互いの顔を見て大きく笑った。
「……大丈夫よ。神の奇跡なんてなくたって私は大丈夫。私には奇跡よりも心強い騎士がついてるもの」
そう言って、サリアはアランの手に自分の手を重ねた。
「……ええ。俺が、必ずあなたを守ってみせます」
アランはサリアの手を強く握った。その手の震えごと包み込むように。
「私を守るからには、あなたも最後まで生きて守ってくれないとダメなんだからね」
「……敵いませんね」
自分と同じぐらい強く手を握り返してきたサリアにアランは苦笑するしかなかった。
「……これは、思っているより酷いわね」
二人の和やかな雰囲気は帝国の領地に入った瞬間に一変する。
「……」
街道の整備はずいぶん行われていないようで、草木は生え放題で道はガタガタ。必然的に馬車の移動速度もゆっくりにならざるを得なかった。
そして帝都に入ってからは、また別の惨状が広がっていた。
普通、他国の貴族を招く際に使われる街道には細心の注意が払われる。
悪路などひとつもなく、街では、チリひとつない道を身なりを整えた民衆が歓迎の意を示す。
しかし、帝都にはそんなものは微塵も存在しなかった。
「待てー! 泥棒っ!!」
「誰か助けて!」
「ママ、お腹すいたよぅ」
あるのは薄汚れた街と痩せ細った民。響くのは怒号と嘆き。
度重なる増税で立ち行かなくなった民たちの成れの果て。それが延々と続いていた。
「……酷い」
サリアは馬車の窓から見える光景から思わず目を背けたくなった。
「……あ!」
窓の外でボロボロの子供がすれ違う大人とぶつかって転ぶ。酔った大人は子供に文句を言いながら去っていった。
残された子供が一人、わんわんと泣いていた。
それに嫌な顔をする者はいても手を差しのべる者はいない。
「……っ!」
サリアは思わず馬車から飛び出そうとするが、アランがその手を掴んで止めた。
「……あの子だけを助けるわけにはいきません。他国の人間にすぎない我々に、今できることはありません」
「……っ。わかってるわ」
目先の気まぐれな救済は逆に悲劇を生むこともある。
一人の子供を哀れに思い施しを与えても、すぐに周りの大人に奪われるだろう。または自分にも寄越せと馬車に群がってくるだろう。
もしもどうしてもその子を助けたいのならそのまま馬車に乗せて自分の領地まで連れ帰るしかない。しかし、その子供はこの国のもの。他国の貴族が勝手に連れ去るわけにはいかない。
もしも助けたいと思うなら、その者の人生すべてに責任を持て。
サリアもアランも、ガルフォードからそう教わっていた。
「……ごめんね」
目の前で餓え、泣いている子供に何もしてあげられないことに、サリアは胸を痛めることしかできなかった。
「……」
アランは優美なはずの帝国をこんな地獄に変えた人物にこれから会いに行くのだと、改めて気を引き締めたのだった。