聖女は憂い、皇子は嗤う
「……よし」
ガルフォードは窓から飛び立つ鳥を見つめる。
無事にガルセンティア公国に戻ってから、ロレンス第二皇子とは伝書鳥を使って何度かやり取りをしていた。
ロレンスによると、やはり帝国で暗躍する黒い組織はソルドと繋がりがあるようだった。だが、情報を知っているであろう者たちは口が堅く、また一部の実行犯を捕らえても内情を知らないことも多く、調査は暗礁に乗り上げているのだという。
そんななか、ガルセンティア公国の諜報部隊が興味深い報告を上げてきた。
『王宮騎士団の一部に組織との繋がりあり』
王宮騎士団とは国を守る兵とは違い、王や王族に直接仕え、彼らを守る、いわば王の守護者であった。
当然、長年に渡って皇帝を支えてきた騎士団となればその信頼は確たるもの。なかでも騎士団長は特に皇帝からの信頼を得ているのだとか。
そんな騎士団にソルド皇太子に通じる者がいるというのは、にわかには信じがたかったが、病床の皇帝亡きあと、次代の皇帝たりえるソルドに準じようと考える輩が出てきても不思議ではなかった。
ガルフォードはその旨を添えてロレンスに文を飛ばした。
これで少しでも膿を出せればいいと願いをこめて。
「……お父様。失礼します」
「!」
そこに、ドアをノックしてサリアが部屋に入ってくる。
後ろにはいつも通りアランが控えていた。
「ああ、サリアか。よく来たな。さあ、そこにかけなさい」
「……はい」
心なしか元気がないサリアに気付かないフリをして、ガルフォードはその向かいに腰を下ろした。
「……」
「……」
だが、その様子を見てガルフォードは理解する。夜会が正式に決定したことをサリアは分かっているのだと。
「……夜会の日程は、決まりましたか?」
「……ああ」
あのあと、しばらくしてから改めて正式にソルドからサリア宛に夜会への招待状が届いた。
ガルフォードは荒ぶる手を押さえ付けてそれにサインを書いた。
ガルフォードが無事に帰ったことにサリアは安堵の表情を見せたが、晴れやかではないガルフォードの顔でおおかたの事情を察したようだった。
「……すまない」
ガルフォードは頭を下げていた。
何に、ではなく、全てに。
自らの至らなさでサリアに負担をかけてしまうことの全てに対して、ガルフォードは頭を下げずにはいられなかった。
「……お父様。頭をお挙げください」
ガルフォードがチラリとサリアを見上げると、サリアは晴れやかな顔をしていた。
覚悟を決めた、とても強い顔だった。
「……これで、良かったのです。呪われた聖女である私のお役目は、これで。
ガルセンティア公国のためにソルド殿下のもとに行く。それでようやくお父様への、ガルフォード様への恩が返せるというものです」
「……サリア」
「ね。アラン?」
「……サリア……様。俺は……っ」
今にも涙がこぼれそうな表情で振り向いたサリアに、アランは思わず出てしまいそうになった言葉を飲み込んだ。
その代わりに剣の柄に手を添えてサリアに跪いた。
「俺は、あなたを必ず守ることをこの剣に誓う。あなたから預かったこの剣で。必ず!」
アランは力強い瞳でサリアをまっすぐに見つめた。
「……ふふ。それでこそアランね」
サリアはそんな真摯なアランにふっと笑みを見せた。
「……俺の方でも、出来るだけのことはする。だから二人とも、決して無理だけはしないでくれ」
そんな二人に、ガルフォードはそんな言葉をかけることしか出来なかった。
『王宮騎士団の一部に組織との繋がりあり』
「……っ」
ロレンスは受け取った手紙を見て、信じられない気持ちでいた。
王宮騎士団は城を守る最後の砦。皇帝の手足であり最高戦力。
だからこそ皇帝への忠誠は絶対。
そんな騎士団が皇太子だからといって兄の命に従うとは到底、思えなかったのだ。
「……だが」
逆に言えば、騎士団さえ味方につけてしまえば兄上に怖いものはなくなる。
父上が病床に伏せている今、騎士団を動かす権限は皇太子にある。
もしも、帝国最高戦力である騎士団が敵に回ったら……。
「……笑えないな」
自分が動かせるのは国を守る部隊の一部。主に治安維持のための一部隊のみ。それも、城のある帝都を守る分隊だけ。
騎士団が敵になったらまず敵わないだろう。
だが、まだ希望はあった。
騎士団長は皇帝との信頼関係もあり、ロレンスとも親交があった。
たとえ騎士団の一部がソルドに下っていても、彼がいれば立て直せる。
ロレンスはそう思い、サリアが夜会に来る前に手を打つことにしたのだ。
「ロレンス殿下。失礼いたします」
「ああ。ガイア。久しぶりだね」
そうしてロレンスの部屋に入ってきた筋骨粒々の大柄な男こそが騎士団を率いる団長、ガイアである。
「まあ、座って。少し話でもしよう」
「はい。失礼いたします」
ロレンスに促され、ガイアは年を感じさせない屈強な体を折り曲げて腰を下ろす。
数々の戦果を上げてきたガイアは四十を越えてもなお第一線で活躍していた。皇帝とともに戦場に出て、皇帝を命をかけて守ったこともあった。
そうした戦果と信頼が、彼を騎士団長にまで昇りつめせたのだ。
「……騎士団の中に、黒い組織に繋がる者が?」
「……ああ」
ロレンスはガイアに事情を説明した。
とある筋から情報を得たと、ガルフォードとの繋がりだけは伏せて。
「そんな……」
ガイアは青い顔をして、信じられないといった表情を見せた。
「……信じられないのも無理はない。騎士団は皇帝の剣。国を裏切るなど考えられないからな。だが……」
「ん? ああ、いえ。私が驚いたのはそれではなく……」
「……ん?」
沈痛の面持ちで共感するロレンスだったが、突然、声のトーンの変わったガイアに思わず顔を上げる。
「……まさかあなたが、そんなところまで届いているとは思わなかったのですよ」
「……ガイア、貴様……」
薄ら笑いを浮かべるガイアに、ロレンスは理解する。
「いや、まあソルド殿下からはもう無理に隠しだてする必要はないとは言われていましたが、我らを盲信するロレンス殿下にはなるべく気付かれないように気を使っていたのですよ」
一部などではない。
「いや、残念ですな。あなたにはこれからも何も分からずに政務に勤しむバカな第二皇子でいて欲しかった」
「……」
騎士団長を含めた、全部が真っ黒なのだと。
「さて、と」
ガイアは席を立ち、部屋を出ようと足を進める。そしてドアの前で立ち止まると、顔だけでロレンスに振り返る。
「ソルド殿下からの伝言です。『おまえにはこれからも政務を頑張ってもらいたいから何もしない。だが、余計なこともさせない。城の外に屋敷を用意した。これからはそこで政務をしながら過ごせ。ああ、おまえのお抱えの部隊もつけよう。最低限の治安維持は必要だからな。これ以上、無辜の民を売られたくはあるまい?』とのことです」
「……」
ガイアは黙りこむロレンスを冷たく見下ろす。
「戦況を見定め、つくべき相手を見誤らないことも戦をやる上では重要なポイントなのですよ」
ガイアはそれだけ言うと、では、と告げて部屋をあとにした。
「……すまない。ガルセンティア公爵。私は民を守ることで手一杯になってしまいそうだ」
ソルドはロレンスが夜会に手を出せないように釘を刺したのだ。
こっちに手を出していると民が犠牲になると。それは夜会当日、帝都にソルドの手の者が放たれるということ。
おまえはそいつらの相手をしていろということなのだろう。
「……アラン。すまない。君に託すことになってしまった。せめて、最後にこれだけは……」
ロレンスは近くて遠い隣国にいる親友に救国の想いを託し、窓から鳥を放ったのだった。
「……」
ガルセンティア公国。
明後日に夜会を備え、準備を終えたサリアが屋敷の窓から夜空を眺めていた。
「眠れないのか?」
「……アラン」
そんな後ろ姿にアランが上着をかけながら声をかける。
「夜会には俺も参加するから心配しなくていい」
それは近衛騎士のアランとしての普段の畏まった態度ではなく、幼少から人生をともにしてきたただのアランからの言葉だった。
二人以外に聞いている者のいないこの瞬間にだけ、二人は本来の関係性に戻ることができた。
「ああ! アランっ!」
そんな優しくも頼もしい言葉にサリアは思わずアランの胸に顔を埋める。
「……怖いわ」
「ああ……」
「……本当は、行きたくなんか、ないわ」
「……ああ」
「あんな怖い王子のいる夜会に行って、どんな目に遭うか。ましてや妃になんて……考えただけでも、震えが止まらないもの」
「……」
アランは震える小さな体を思わず抱きしめたくなる衝動を懸命に抑える。
所詮は身分違いの身。ガルフォードが気遣ってくれていても、やはりそこは越えてはならない。
「……サリア」
アランは落ちかけていたサリアの上着をかけ直し、その肩に手を置いて、サリアの顔をまっすぐに見つめた。
「……ん?」
「……っ」
涙で濡れたサリアの青い瞳がキラキラと輝いている。
このままサリアの手を引いて、どこか遠いところに逃げてしまおうかという考えが頭をよぎる。
しかし、そんなことをすれば犠牲となるのはガルセンティア公国。彼らの犠牲の上で、帝国からの追っ手を気にしながら暮らしていくことなど出来ないとアランは甘い誘惑を断ち切る。
「……俺が必ず、サリアのことを守る。夜会であいつの好きにはさせない。絶対にまた、サリアをこの国に戻してみせる。この……っ!?」
この、命に換えてでも……。
そう言いかけたアランの口にサリアは人差し指を添える。
「……あなたと一緒に、帰るのよ。そうでないと、私のお役目の意味がないでしょう?」
「……ふっ。そう、だな」
悲しそうに微笑むサリアにアランは優しく微笑んだ。
「ともにこの国に帰り、また二人で青薔薇を見よう」
屋敷の庭園には、月に照らされた青薔薇が風に揺れていた。
「ええ」
サリアは肩に触れるアランの温かさと青薔薇の優美さに勇気をもらい、こくりと頷いた。
『私がアランのことを守る』
そんな想いを胸に抱いて……。
「ふんふふんふふーん」
ソルドは上機嫌だった。
いよいよ、夜会にサリアがやってくる。
呪われた聖女を我が物にできる。
神の奇跡など信じてはいないが、もしもあるのなら自分のものにしたい。
というより、この世の全てを自分のものにしたい。
ソルドの基本原理はそれだけだった。
べつにサリアに、呪われた聖女に執着があるわけではない。
本音を言えばどうでもいいとさえ思っている。
だが、手に入らないのなら欲しくなる。
他にないのなら欲しくなる。
神の奇跡を宿す聖女を妻に持つ皇帝。
「ふふふ、ふははははっ!」
素晴らしい!
まさに皇帝に相応しい称号だ!
本来ならば自分がその聖女とやらになりたかった所だが、生来のものならば仕方ない。
自分のものにしてしまえば自分がなったも同然。
「はははははははっ!!」
ソルドはもはや聖女を手に入れたも同然だと高笑いをするのだった。
「ほほほ。ご機嫌なようで何より」
「ん? ああ、貴様か」
そんなソルドのもとを、一人の老人が訪ねる。黒いローブに身を包んだ、いかにも怪しげな老人だった。
「首尾は?」
「ええ、ええ。問題なく。皇帝はもういつでも崩御させられますでしょう」
ソルドに尋ねられた老人は皺だらけの顔をさらに歪ませて、楽しそうに何度も頷いた。
「ふむ。始めは呪い屋など眉唾だと思ったが、なかなかどうして、ここまで使える奴だとはな」
「お褒めに与り光栄ですじゃ」
楽しそうに顎を撫でるソルドに老人はハハ~とわざとらしく頭を下げた。
この世界に魔法や呪いなどというものは存在しない。
老人も本当に呪いで皇帝を貶めたわけではないのだ。
医学の知識に長けた彼は皇帝に少しずつ毒を飲ませた。当然、皇帝の食事には毒味役がいる。だが、それは輪番制で、複数人が順に毒味を行っているのだ。
老人は毒味役にすぐに影響が出ずに体内に少しずつ蓄積するタイプの毒を皇帝に与え、毒味役よりも早く皇帝が体を壊すようにしたのだ。
だが毒でやったと言えば、怪しげで城内でも目立つ自分はすぐにお役御免となる。そうさせないために呪いと嘯き、自分にしか出来ない技だとして自らの利用価値を引き上げることに成功したのだ。
「父上め。俺ではなくロレンスを皇太子にしようとするからいけないのだ」
ソルドは吐き捨てるようにそう言うと、バッ! っと両手を広げて笑った。
「全て順調だ!
もうすぐ俺が皇帝となり、神の奇跡も手に入る! もはや俺に、怖いものなどない!」
城にソルドの笑い声が響き、夜が更けていく。
そして、夜会の日がやってくるのだった。