報せはある日突然に
「へ、陛下っ! 大変です!」
「なんだ、騒々しい」
ある日のこと。
ガルセンティア公国を治めるガルフォード・ガルセンティア公爵の執務室に一人の家臣が慌てて飛び込んできた。
「緊急の案件ならば私は退室を……」
部屋には政務について話していたサリアとその斜め後ろにはアランもいたが、サリアはどのような内容の案件か分からないものを自分も聴くわけにはいかないと席を立った。
アランも当然それに従ってサリアをエスコートする。
「そ、それが、サリア殿下に関することでして……」
「!」
手に書状を持った家臣が額の汗を拭いながらサリアに視線を向けた。
どうやら本当に急いで来たらしい。
「……サリア。座りなさい。一緒に聞こう」
「……分かりました」
父に言われ、サリアは再び腰をおろす。
アランは不穏な気配を感じながらも再びサリアの斜め後ろに戻る。
「それで?」
ガルフォードが促すと、家臣は書状を広げた。
「え、えっと、差出人はセントミリア帝国のソルド皇太子です」
「……なに?」
「!」
「……」
その名を聞いただけで三人の顔つきが険しいものへと変わる。
セントミリア帝国はこの大陸を束ねる皇帝が直接的に治める大国で、ガルセンティア公国も帝国の属国にあたる。
そして、ソルドはその皇帝の正室の子であり第一皇子。すでに皇太子して確立されている存在である。
つまり、次の皇帝となるべき人物だ。
しかし、そのソルドには不穏な噂が絶えなかった。
病床に伏せている皇帝に代わって政務を取り仕切るようになってからは、その黒い噂がさらに増えていった。
度重なる増税で帝国の民の暮らしが困窮しているのもソルドの差し金だと言われている。
それによる治安の悪化。
強盗・誘拐・暴行・殺人。時には人身売買まで。
ソルドはそれらの取り締まりを第二皇子に丸投げし、自らは民から搾取した税で贅沢三昧な生活を送っているのだとか。
一説には民による悪事に紛れて、ソルド自身がそれらの一部を黒い組織に命じているのではないかとさえ言われている。
そんな皇太子から送られてきた書状。
公国にとって良い報せであるはずがない。
三人の顔色はどんどん悪くなっていった。
「……ソルド殿下は、なんと?」
ガルフォードが覚悟を決めて尋ねる。
「……は、はい。
それが、サリア殿下を、ソルド皇太子の婚約者として迎え入れる、と」
「……え?」
「!」
「バ、バカなっ!」
伝えられた書状の内容にそれぞれが三者三様の反応をするが、それらは総じて驚きであった。
サリアは時が止まったように動きを止め、アランは目を大きく見開き、ガルフォードは思わず声をあげて立ち上がっていた。
「見せろ!」
信じられないといった様子のガルフォードは家臣が持つ書状をひったくるように奪った。
そして、書状を文字通り穴が空くほどに隅から隅まで何度も読み返す。
「……く、ぐぐ」
「お、お父様……」
苦悶と怒りの表情で書状を読む父にサリアは不安げな顔を見せた。
「ふざけるな!!」
ガルフォードは書状を読み終わると、それをぐしゃっ! と握り潰した。
「何が『呪われた聖女』を娶ってやるだ! ありがたく差し出せ? 上納金を減らしてやる? ふざけるな!!」
ガルフォードはぐしゃぐしゃに丸めた書状を床に叩きつけた。
「……お父様」
はぁはぁと肩で息をする父をサリアが心配そうに見つめる。
ガルフォードはそれを受けて息を整えると、すっとサリアに向き直った。
「……サリア。心配するな。おまえは大事な私の跡取りだ。弟のビーノは病弱で私の跡は継げないだろう。ガルセンティア公国を次に治めるのはおまえだ。
あんな皇子になど、おまえをくれてやるものか」
自分の跡を継がせるため。
そんな建前を言いつつも、やはり自分の娘のことを案じていることがサリアには伝わってきた。
そうと分かるほどに父は怒っていたから。
「……」
チラリとガルフォードから視線を投げられたアランはこくりと頷く。
「し、しかし、相手は帝国の皇太子です! もし逆らえばどうなるか……」
書状を持ってきた家臣の男が血の気の引いた顔で進言する。
黒い噂の絶えない皇子。
言うことを聞かなければ国ごと滅ぼされるのではないか。
彼がそう思っても無理からぬ話だった。
「……皇帝は聡明なお方だ。あの方がこのような一方的な決定をするとは思えん。これはおそらくソルド皇太子の独断だろう。
皇帝に謁見を求める書状を送れ。俺が直接陛下に話をつける」
「し、承知いたしました」
ガルフォードの命を受けて家臣の男は足早に部屋をあとにした。
「アラン……」
「……サリア様のことは、私が必ずお守りします」
不安そうにアランを振り返るサリアに、アランは剣に手を添えてしっかと頷くのだった。