侍女堕ちした公爵令嬢とヒロイン脳の新人と。
「あっ、フェリクスさまぁ、ご機嫌よ 「お待ちなさいませ」
第2王子に向かっていきなり駆け寄ろうとした新人の侍女を、私はかろうじて引き留めた。
片手で彼女の手をつなぎ、淑女のお辞儀をしてフェリクス王子が通り過ぎるのを待ってから、なるべく穏やかな笑顔と口調で新人 ―― マリー・ハーン男爵令嬢 ―― を諭す。
「マリー様、王家の方々が通られる時には、端に寄り淑女のお辞儀をなさいませ」
昨日も言った。
一昨日も言った。
なんなら、3時間程前にも言った。
なのにマリー様はまたしても、ぷぅ、と頬をふくらませた。
「フェリクス様は、王家の方々の中でも偉ぶったところがなくて、舞踏会でも話しかけたら気さくに応じてくださる方なんですぅ!」
「 『様』 でなく 『殿下』 とお呼びあそばして。ここは王宮内で、今は日常で、舞踏会ではございませんのよ?」
「あたしの身分が低いから、見下してらっしゃるんですかぁ!?」
なぜそうなる。
「わたくしたちは、王妃殿下にお仕えする身です。王家の方々には、敬意を払わねばなりません。おわかりでしょう?」
「あっ、わかりましたぁ! あたしがフェリクス様と親しくなるのが悔しいんですねぇ、アデーレ様。それはそうですよねぇ?
公爵のお嬢様なのにぃ、婚約破棄なんてされてぇ、手持ち無沙汰だから王妃様の侍女しておられるんですものねぇ。ぷぷっ、おかわいそぉ」
ああ、話が通じない……。
―――― 確かに私は1ヵ月ほど前の舞踏会で、第1王子のライオネル殿下から婚約破棄された。
なんでも真実の愛を見つけたとかで、そこは普通に婚約解消を相談してくれればいいのでは、と思わずにはいられなかった。
けれども、王家と公爵家との都合で婚約している以上、王子ひとりの我が儘で両家が穏便に婚約解消するはずが、そもそもなく……
結果、ライオネル殿下は、公の場での婚約破棄という強硬手段に出たのだ。
ありもしない、私の罪状 ―― 確かライオネル殿下が偶然に何度も狩りのたびに出会ったという、肉屋のおかみさん (名前忘れた) を迫害した、とか ―― をでっちあげて。
うんうん。確かに、平民を迫害するのはよくない。いくら人妻のくせに王子狙いのアバズレでもね。
けど、あの時の周りの貴族たちは明らかに、トクトクと嘘の私の罪状を説明するライオネル殿下に 『こいつ終わってんな』 という眼差しを向けていた。
そして、そう思ったのは貴族だけではなかった。
国王陛下は、その場で (暫定的に) ライオネル殿下の王位継承権剥奪と平民落ちを決定。
(たぶんほとぼりがさめるまでだろうけど) 王宮を追われた王子の行く末を知っている者は、王家の家令しかいないそうだ。ご苦労様です。
で、私は、ライオネル殿下の代わりに (暫定的に) 王太子となったフェリクス殿下と婚約しなおし ――――
なんて、物語みたいなことには、ならない。
婚約破棄は貴族の間ではめったに起こらないだけに、起こった場合は、されたほうにも当然、傷がつく。
『婚約破棄 (なんてものを) された (どこかに落ち度のある) 令嬢』 という。
理不尽だが、そうなのだ。
そして私は、公爵家より王家への (王子に婚約破棄なんてものをさせてしまった) 詫びの意味もあり、侍女として王妃殿下に仕えることになった。
まぁ王妃殿下に対してしていることは、普段のお茶会で同席している時とあまり変わらない。
お話相手と、それに王妃殿下に不自由がないよう細かく気を遣ってサポートする。それだけだ。
だが、同僚 ―― 行儀見習いや婚活のために侍女として王宮に仕える貴族の令嬢たち ―― は、そうはいかなかったようだ。
王家と繋がりの深い上位貴族と、そうでない下位貴族の間には、天地、とまでは言わなくても、山の頂上と麓くらいの差がある。
ほぼ王家の一員扱いで、頂上に澄ました顔して君臨していた私が 『同じ侍女』 という立場に堕ちたならば ―― 手を伸ばしてさらに引きずり落とさなければ、どうやら気が済まないらしい。
彼女らも、下位とはいっても貴族のお嬢様方だ。公爵令嬢の私に、幼稚ないじめはしてこない。
しかし、高度ないじめはする。
―――― それすなわち、新人の教育係、というわけだ。
最初は気づかなかった。
「侍女となって日は浅いですけれど、どなたよりも立ち居振舞いの優美なアデーレ様のご指導が受けられれば、どれほど有難いことでしょう」
彼女らは口を揃えて、王妃の寵臣である侍女長のランゲ侯爵夫人に、私を新人の教育係として推薦した。
「少し奇異な振る舞いの多いご令嬢のようですけれど…… アデーレ様がお手本になってさしあげてくださらないかしら」
「かしこまりました、侯爵夫人」
ランゲ侯爵夫人から打診された私は、全く疑わずに役目を引き受けてしまった。
―――― だって、自分のことを、間違いなく優秀だと信じていたから。
私は、知らなかったのだ。
世の中には、理解の範疇をやすやすと超えてしまう人がいるということを。
幼い頃に母親を亡くし、ベタベタに甘やかされて育って我が儘なところがある ―― とは、聞いていた。
だが、蓋を開けてみれば、彼女 ―― マリー・ハーン男爵令嬢の振る舞いは、決して 『我が儘』 だけでは説明しきれないものだったのだ。
一言で表すならば、それは 『自覚の無い礼儀知らず』 。
もう一言付け加えるならば 『学ぶ気もない』 。
「マリー様、ほかの皆様には、少し大変でしょうけれど、ご自分からご挨拶なさってくださいませね」
「えーっ、同じ侍女ですのにぃ!」
「マリー様は新人でしょう? それに、ほかの侍女の皆様はマリー様より位の高いお家のご令嬢ですのよ」
「あたしがぁ、最下位の男爵家の出身だから、見下してるんですねぇっ!?」
「きちんと秩序を守っていただけるのでしたら、どなたも見下したりはなさいません、マリー様」
「というかですねぇ、ウチは王室に、どこよりも多額の寄付をしてるんですよぉ。お金でいうならぁ、皆様があたしに頭を下げるべきじゃないでしょうかぁ!?」
―――― それがあるから、マリー様を王妃殿下の侍女として王宮に上がらせる旨を、断れなかったんである。
「失礼ながらマリー様、身分は王宮内の秩序でございます。
序列を守ることを覚えていただかないと、今後、マリー様ご自身が苦労されることになりましてよ? ご実家の評判を下げる言動はお慎みなさいませ」
「あっ、あたしを、脅してるんですねぇ……! 公爵令嬢だからってぇ……!」
いやそんなことしないし、するならわからないよう、もっと巧妙にやりますって。
バレバレの手段を用いて下々を迫害するなんてマネ、上位貴族ならば絶対にやらない。ただでさえ、身に覚えがなくても恨みを買いやすい立場なんだから。
―――― けれども、マリー様の頭の中では、気にくわない男爵令嬢を権力で潰しにかかる公爵令嬢のストーリーが進行中らしく……
涙目でプルプルしたあと、ダッと駆け出して行ってしまった。
「あの、廊下は歩くものでございます……!」
聞こえてない。
―――― というか、そこまで注意しなければいけないなんて、4歳児かな?
―――― ともかくも。
これが、教育係として最初のやりとりだった。
その後も一事が万事、この調子である。
礼儀を守らず振る舞っては、注意すれば秒で被害者ヅラになるのだ。
先輩の侍女の皆さんも、ひとことなりとも注意してくれればいいのに、表向きはにこやかに知らん顔をなさって、陰でヒソヒソ、私とマリー様の悪口で盛り上がってらっしゃるようだ。
ああもう泣きたい。
―――― そして、10日ばかりも経ったころ。
「王妃殿下のお茶会の招待状を、マリー様、書いてくださいな。アデーレ様、いつもどおり、教えて差し上げて」
ランゲ侯爵夫人から、仰せつかってしまった。
「あの、侯爵夫人……?
そちら、わたくしが書いてもよろしうございましょうか。
(意訳 : マリー様に、とか無茶振りすぎません?)」
「新人を育てるのも、アデーレ様のお仕事ではなくて?」
「おっしゃるとおりに、ございます……」
正直、マリー様にも私にも、荷が重いと思う。
―――― だってマリー様は、王子を呼ぶのに 『殿下』 とさえ言えない子なんだよ!?
まともな招待状など、書けるのだろうか…… 考えるだけでなんか、頭痛くなってきた。
けど、引き受けた以上は…… やらなければ、仕方ないよね……
そんなわけで、私とマリー様は、王妃殿下の部屋の隣の、侍女用の多目的室とでもいうべき部屋で招待状を書いていた。
(冒頭、フェリクス王子にマリー様が凸していったのは、この部屋に入る直前のこと。たまたま王妃殿下に呼ばれた王子と行きあったのだ。)
―――― 予想どおり、かなり難しい。
「マリー様、『前略』 はいけません。お友達に書くのではないのですから、きっちりと時候の挨拶からお始めくださいな」
「えーっ、面倒くさいですぅ。お手本とか、ありませんかぁ?」
「王妃殿下のお名前で出す招待状の文言を、『手紙文例集』 そっくりそのままになさるおつもりでしょうか?」
「そんな嫌味言わなくてもぉ。アデーレ様が考えてくださったら、いいじゃありませんかぁ」
嫌味ではなく、普通に教えているつもりなのだけれど…… まぁ、通じないのは今に始まったことじゃない 。
「まずはマリー様が考えてごらんなさい? それも練習でございますから……」
「あっ、あたしのこと頭悪いと思って、試してるんですねぇっ……!」
なぜそうなるのだ。
うう…… 胃が痛い。
―――― しかし、ここで負けるわけにはいかない。
私は、かろうじて穏やかな笑顔をキープした。
「あら、綴り字が違い…… 「そんなのぉ。書く前に言ってくださらないと、わかるわけがないでしょうっ!?」
「それくらいにしておいて、あげたまえ、お嬢さん」
不意に背後からした声に振り返れば……
そこにいたのは、フェリクス王子だった。