第2話
丹部は、差し込んできた朝日に顔を照らされて意識を取り戻した。起きてすぐ、彼は見覚えのない小部屋にいる、ということに戸惑いの表情を浮かべた。が、すぐにその表情は焦りで歪む。
彼は柱に寄り掛かるように座っていて、両腕は柱の後ろに回され、手首の位置で縛られている。そして柱と体を固定するように、二の腕の辺りにも縄が巻かれている。
丹部は焦りを含んだ声を上げるが、布を詰め込まれさるぐつわを噛まされた彼の口からは、意味をなさない音しか出てこなかった。彼は唸りながら、縄をほどこうと必死で体を揺する。だが彼が動けば動くほど、縄は彼の身体に容赦なく食い込んできて、丹部の顔が苦痛で歪んだ。
と、部屋の隅から、引きつった笑い声が聞こえてきた。丹部が笑い声の方へ睨みつけるような視線を向けると、6畳ほどしかない小さな部屋の中には、鉄製のラック、床に乱雑に置かれたダンボール、そして畑中がニヤつきながら立っていた。
「お、起きた、ね」
畑中はそう呟くと、丹部が発する無意味な音を聞いて、さらにおかしそうに笑う。その笑い声を聞いた丹部が怒った声を出すと、畑中は少し体を引きながらも、余裕そうな声で呟いた。
「お、怒んないでよ。この状況で怒られたら、おれ、逃げ出しちゃうかも」
言いながら畑中は、ちらりとドアへ視線を向けた。厚い鉄製のドアは、丹部の声なんて一切通さないほど頑丈で。
驚きで大きく見開かれた丹部の目を見て、畑中はもう一度引きつった笑い声をあげた。立場が逆転しているという事実に歓喜するように。
「それ、おれは、やってないよ。でも、お、おれが皆に何も言わなきゃ、この部屋には気づかないよ。ドアは隠されてるし、声は通さないし、さ。良い隠し部屋、だよね」
畑中はいつも通りのどもりがちな口調で、しかし喜びに満ち溢れた声で言う。丹部は抗議するような声をあげたが、畑中は少しだけ意味を咀嚼する時間を空けてから、首を軽く横に振った。
「ほ、ほんとにおれじゃない。だっておれじゃ、丹部くん運べないもん。違う、見ちゃったんだ。夜、誰かがここに入っていくのを。・・・だ、誰かはわかんないけど」
信じたくないなら、信じなくてもいいけど、と畑中は語りかけながらしゃがみこんで、丹部と同じ目線の高さになった。未だに闘志を失っていない丹部の目を覗き込みながら、畑中は少しだけ困ったように言葉を続ける。
「おれ、実は助けたくないんだ。丹部くん粗暴だし、おれなんてすぐいじめられるし。・・・だ、だから取引、しよう」
そう言うと、畑中はスマホを取り出して、丹部へカメラレンズを向けシャッターボタンを押した。パシャリという音とともに、情けない姿の丹部が畑中のスマホに保存される。
そして畑中は、撮ったばかりの写真を丹部に突きつけた。今の状況を再認識させるように。視線を逸らす丹部に対し、視線の先に画面を持っていきながら、畑中は少しだけ笑みを浮かべた。
「取引、しよう?・・・か、解放したら、おれの指示に従って動いてよ。おれのボディーガードとして、さ」
それを聞いた丹部は、畑中を睨みつけながら怒ったような声を上げる。誰がお前なんか手伝うか、とでも言うように。未だに強硬な態度を崩さない丹部に対し、畑中は困惑するような表情を浮かべて立ち上がった。
「嫌なら、いいんだ。で、でもおれは助けないし、誰にも言わないよ。・・・み、水がなければ1日も持たないと思うけど」
その言葉に、丹部はようやく現実と向き合ったのか、わずかに目線を下に向けて唸り声をあげるのを止めた。それを見た畑中が、ポケットから別のスマホを取り出す。
畑中が手にしているスマホを見た丹部は、再び焦ったように体を揺すり、大声を上げた。縄が彼の身体に食い込み、その痛みに少しだけ顔を歪めながらも、必死で畑中の元へ行こうと無駄なあがきを繰り返す。畑中はそれを余裕そうな表情で見下ろしながら、スマホの画面を点けた。
「うん、丹部くんのスマホ、見ちゃったんだよね。ひ、暇でさ。ここは電波届かないけど、よく寝てたから、部屋の外でいっぱい見れたよ」
そう悪びれもなく言うと、ロックがかかっていない彼のスマホを操作し、とあるアプリを立ち上げて見せた。それはチャットが出来る一般的な連絡用アプリで、畑中は慣れた様子でその中の1つのチャットを開き、丹部に画面を見せる。そこには簡潔な文字でのやり取りと、動画が数本表示されていた。
抗議するような声をあげる丹部をよそに、畑中はマイペースにうんうん頷きながらスマホを操作する。
「これ、1週間くらい前の動画、でしょ?」
そう言いながら彼はスマホに保存された動画を再生する。その動画の中では、丹部がうずくまっている男性を蹴り飛ばしながら、下劣な声で叫んでいた。
『おっさん!はやく金出せよ!蹴り殺される前に!』
畑中はここで再生を止めてから、ニヤリと品のない笑みを浮かべた。
「は、犯罪だよね、これ。チャットの動画もスクショも、全部おれの携帯に、いれたんだ。暇だったから」
完全に黙り込んだまま畑中を睨みつける丹部に対し、畑中は再びしゃがみこんで、彼のスマホを床においた。丹部には絶対に届かない位置に。
「どうしたい、かな。ね、丹部くん、おれ本当は見捨てたくないんだけど・・・。あ、約束破ったら、分かるよね。証拠の類いは全部、クラウドにあるから、さ」
丹部は完全に言葉を失いながらも、精一杯の虚勢を張って、最低限の尊厳は失わないように畑中を睨みつける。
それでも畑中は一切怯まなかった。おどおどとした口調とは裏腹に、檻の中の獣を見るような輝いた目つきで、丹部の顔を覗きこむ。
「えっと、き、決めた?・・・おれの交渉を飲み込む?」
数秒間、丹部は動きを止めた。が、その後弱々しくも確実に、首を縦に振り、それを見た畑中が引きつった笑い声をあげた。
「交渉成立だね」
谷場は、フライパンを振るう音と香ばしい油の香りで目を覚ました。時刻は朝6時半。一つノビをすると、寝ぐせのついた髪を手で軽く整えながら起き上がり、音の元へと足を向けた。
ひょいとキッチンを覗き込むと、どこから持ってきたのかシンプルな青いエプロンをつけた那須が、機嫌良さそうに鼻歌を歌いながら朝食の用意をしていたところだった。
「はええな」
「あ、谷場さん。起こしちゃった?」
「いや、良い目覚めだった。・・・その量、1人で食わねえよな?」
谷場がフライパン一面に敷かれたベーコンを見ながら言うと、那須はいやいや、と呆れた表情を浮かべた。
「ちゃんと人数分作ってるよ。こんな狭いのに1人ずつ作ってたら大変だし」
「だよな。俺も何か手伝うか?」
「うーん、台所も狭いし・・・。あ、じゃあ野菜洗ってもらおうかな。そこにレタスあるから、お願い」
おう、と谷場は返事をしてからレタスとざるを手に取った。
那須が楽しそうにベーコンをひっくり返していると、谷場が手を動かしながら那須へ話しかけた。
「そういや、そこに焼きそばとかあったか?」
「焼きそば?・・・あ、お皿はあったかも。最初に洗っちゃったけど」
「ふーん。いや、昨日海老澤が丹部にって、置いてったんだ。食ったならいいか」
「そうなんだ。海老澤さん、本当に優しくて良い人よねー」
「・・・まあな。俺もだいぶお世話になった」
谷場がぶっきらぼうに応じると、那須はお箸を持ちながらどこか嬉しそうな口調で話し始めた。
「ほんと、私のことすっごい気にかけてくれるし、モテる人ってああいう人なんだろうなあって」
「・・・確かにそういうタイプかもな」
「女子にはもうモッテモテだと思うよー。私1人で良かったー、3人いたらもう取り合いかも」
那須がうっとりした表情を浮かべながら、ベーコンをお皿の上に引き上げる。だが谷場は、どこか呆れたような興味なさげな口調で、ああ、と生返事をした。
那須はそんな谷場のリアクションが不満だったのか、少しムッとして、食パンにベーコンとレタス、チーズをはさみながら言う。
「何その、どうでもよさげな反応」
「どうでもいいだろ。・・・それに俺、あいつどうにも好きになれねえ」
「はあ?昨日散々お世話になったじゃない。海老澤さんいなかったら、今頃丹部に殺されてたかもよ?」
那須が眉をひそめながら言うと、谷場はそうだけど・・・と言葉を濁してから、言いにくそうに小声になった。
「いや、具体的にどうとは言えねえんだけど・・・。なんか嫌なんだよ。なんか・・・。偽善が服着て歩いているようで」
「何それ、私に対してチャンスがないから、とかじゃないよね」
「チャンスなんていらねえよ。もう恋愛したくねえんだ、俺は」
谷場は不機嫌そうに言葉を返した。那須もイラついたように黙り込み、少し粗雑な動作で鍋に水を汲み、火にかける。そして棚からカップスープやらインスタントコーヒーやらを取り出しながら、谷場へぶっきらぼうに言葉を投げつけた。
「そろそろみんな起こしてきて」
「ああ」
谷場は言葉少なく答えて、それぞれの布団を回る。
まず南雲を起こすと、割とすんなり起きた。次に近くで寝ていた海老澤を起こすと、彼はまだ眠たげにしながら、なんとか上半身を起こした。
続いて丹部と畑中の布団を見るが、2人とも布団には姿がなかった。トイレかシャワーかと、深く考えずにキッチンに戻る。
キッチンでは、寝ぐせでボサボサの髪の毛の南雲が、マイペースにサンドイッチとサラダを机に並べいた。その隣で、いつの間にか髪の毛を整えた海老澤が、那須と何やら会話しながらカップスープを作っているところだった。
準備がほぼ終わった段階で、2人分の足音が聞こえてきた。見ると、どこかご機嫌な様子で歩いてくる畑中と、俯き加減にゆっくり畑中の後ろを歩く丹部だった。畑中が不器用な笑みを浮かべながら言葉を発する。
「お、おはよ」
「・・・おはよう。ご飯あるよ」
「あ、ほんとだ。うまそう」
畑中は嬉しそうに椅子に座るが、丹部は誰とも目を合わせないまま、無言で端に腰かける。それでも昨日の件があるからか、全員丹部には話しかけず、各々ご飯を食べ始めた。
サンドイッチを一口食べた海老澤が、わずかに笑顔を浮かべた。
「ん、うめえな」
「あ、ほんとですかー、良かったー」
那須が嬉しそうに笑う。
南雲と畑中もマイペースにサンドイッチを食べる中、丹部は俯いたまま何の反応も示さず、黙々とご飯を口に運んでいく。それを見ていた海老澤が、少し顔をしかめながら丹部に話しかけた。
「・・・丹部、具合悪いのか?」
丹部がその問いかけに返すより早く、隣に座った畑中が引きつった笑い声を上げながら返した。
「い、いや、寝起き悪いらしいよ、ね」
畑中の問いかけに、数秒経ってから首を縦に振る丹部。海老澤は少し腑に落ちなさそうな顔をしていたが、それ以上深くは突っ込まず、再びご飯を食べる作業に戻る。
その後は会話らしい会話もなく、全員黙々とご飯を食べ、完食した人からお皿を下げていく。最初に那須が寝床へと戻り、その後谷場、海老澤と席を立つ。
そして人よりも時間をかけて畑中が食べ終わると、すでに食べ終わっていた丹部がすかさず2人分の皿を運んでいった。それを見た畑中は満足げに頷くと、席から立ち上がって寝床へ向かって歩き出し、その後ろを丹部が追いかける。
そんな光景を、南雲は1人食後のコーヒーを飲みながら無言で眺めていた。と、柱の影から谷場が出てきて、南雲へ静かに声をかける。
「・・・なあ南雲。丹部、何であんな大人しいんだ?反省した?」
「なわけないよ。・・・谷場さん、気づいた?」
南雲が落ち着いた口調で言う。谷場が不思議そうな顔を浮かべると、南雲は少し恐怖の入り混じった視線を谷場に向けた。
「・・・丹部くん、二の腕と手首に、縄の痕がついてた」
「・・・縄?」
「うん」
谷場は少しだけその言葉の意味を考え込んでから、ゆっくりと畑中たちが去っていった方向へ視線を向けた。
「誰かに監禁されてた、ってことか?」
「かもね。それか畑中くんに弱みでも握られて、弄ばれた、とか」
「弱みねえ・・・。でもあいつ、そんな玉じゃねえだろ。弱み握られた瞬間にそいつ殺すぞ、あの性格なら」
「だよね。だからおれも不思議だったんだけど・・・」
よく分かんないね、と南雲はコーヒーに視線を落としながら呟いた。
と、耳障りな雑音が流れ出し、すぐにあの歪んだ声が倉庫中に響き渡った。
「おはよう、諸君。本日1つ目の指令を送った。健闘を祈る」
その言葉に、2人同時にスマホの画面を点けメールを確認する。
本文を読み終えた後も2人の間に沈黙が漂ったが、やがてスマホから視線を外した南雲が、谷場の顔を見上げた。
「そういえば谷場さんって、結婚、してたんですよね」
「・・・それがどうした」
「いや、昨日谷場さんのスマホの画面見えちゃって、その・・・。待ち受け画面、それ奥さんとお子さんの」
「お前には関係ないだろう。ただの俺の妻と娘だ」
「だって、谷場さん、これ・・・。何か事情がないと、来ないですよね」
そう言いながら、南雲は昨日見せたチラシを全面に広げて見せた。
『謎解き探偵ゲーム!興味がある方は、下記の時間に指定の場所までお越しください
・・・賞品あり!あなたも人生やり直して、さっぱり0からの再スタートを切りませんか?』
谷場が黙ってその文面を眺めていると、南雲は少しだけ声を小さくしながら言った。
「何か、やり直したいほど大きな理由があったんですよね。・・・奥さんとお子さんを捨ててまで、の」
「・・・俺が捨てたんじゃない、捨てられたから来たんだ」
「それって・・・」
「南雲、それは指令か何かか?それともお前の好奇心か?」
鋭い谷場の目線に、南雲は押し黙ってから俯いた。黙り込んだ南雲の姿を見下ろしてから、谷場は南雲の正面に腰かけ、顔を真っ直ぐ見つめながら問いかける。
「他人にそれを聞くってことは、自分も話すつもりなんだよな?」
「それは・・・」
「覚悟もないのに、他人の過去をほじくりだそうとしたのか?」
萎縮し黙り込んでしまった南雲を暫し眺めてから、谷場はため息をついて立ち上がり、どこかへ歩いていった。
南雲は、その後ろ姿へ視線を少し向けてから、落ち込んだ様子で再びチラシをポケットにしまった。
一方。寝床でメールを受信した那須は、少しだけ眉間にシワを寄せた。
『第4の指令。那須彩海。SNSを利用し、誰か1人の過去を探し、このメールに返信で報告しろ。期限は2時間』
メール文にじっくり目を通した後、ため息をついて寝っ転がり、天井を見上げる。
「って言ったってさあ・・・」
「どうした?」
那須の頭上から声が降ってきた。彼女が起き上がると、海老澤が柱に寄りかかるようにして立っていた。那須はそんな海老澤の姿をみて、少しだけ苦笑いを浮かべながら答える。
「いや、大したことじゃないんですけど・・・。そうだ、海老澤さんって、何かSNSってやってます?」
「SNSなあ。一応アカウントはあるけど、あれ、何書けばいいのかわかんねえよな。結局、友達の連絡用になってるし」
「そうですか」
「那須はやってんの?」
海老澤の問いかけに、那須は少しだけ戸惑うように目線を揺らした。が、すぐに笑顔を浮かべながら海老澤の方へ視線を戻す。
「いや、私もよく分からなくて。暗黙のルールとか、難しいですよね」
「そうそう。あとネット用語ってのか?あれにもついていけなくてさあ。歳感じるよなー」
海老澤の言葉に、那須は苦笑いで返した。海老澤はそんな苦笑いの意味を追及することなく、じゃ、と言いながら去っていく。
那須はそれを見送ってから再び寝っ転がり、スマホに視線を移してため息をつく。
「過去ねえ・・・。んー、順番に調べるかな・・・」
彼女はそう呟くと、SNSのユーザー検索欄に、海老澤樹と打ち込む。いくつか出てきたアカウントを見ていると、ふと那須の手が止まった。見覚えのある顔写真のアカウントを見つけたからだ。
「海老澤樹、30歳、都内在住・・・。これかな」
何とはなしにクリックして、投稿の欄を眺めていく。一番最新の投稿は1年前、確かに全然稼働していないようだ。その最新の投稿はご飯の話。そして週に2つか3つ程度の頻度で、その日買ったもの、食べたご飯、見かけた猫など、まあ日常の投稿が続く。センスが良いのか趣味なのか、投稿されている写真は画質も内容もキレイで、好感の意味を示す笑顔マークがそれなりの数ついている。コメントも2つか3つ、大体が美味しそうとか可愛いとかの、写真の中身に言及した一言コメントだった。
「なんかなー、女の子みたいな投稿してるなー。ファッション!食べ物!猫!女子のSNS三大ジャンル!」
などと、那須は独り言を呟きながら、さらに投稿を遡っていく。
と、やがて彼女の手はとある投稿の画面で止まった。日時は1年半前。今まで掲載されていたお洒落な写真とは違い、庶民的な居酒屋に串焼きなんかのおつまみが並ぶ、どこか退廃的な写真だった。その写真と共に、簡潔な文が記載されている。
『離婚記念って飲みに連れ出されました笑 これからもっと飲めるようになるな!飲み友募集!笑』
離婚、と那須は呟きながらさらに遡る。
さっきの離婚投稿を境目にして、投稿の内容ががらりと変わっていた。
『本日発売の経済紙 BAGEL business onlineさんにて、私のインタビューが掲載されました。今までとこれからのIT企業の立ち位置について話しています!』
『関東日の出テレビさんより取材を受けました。社内環境とモチベーションについて放送される予定です!来週日曜23時放送予定です!』
『巨大プロジェクトが終了した記念に、会社内で寿司パです!職人さんを呼んでの寿司にみんな舌鼓を打ちながら、社長ごちそうさまです!と(笑) 社長の財布はこれで空っぽなので、また頑張ってもらいます!』
そんな投稿を眺めてから、那須は体を起こして海老澤が去っていった方向を見る。
「社長だったの・・・?」
しばしポカンとした表情を浮かべた後、那須は呆然としたままメール画面を開き文章を打ち込む。
『海老澤さん。社長で、1年半前に離婚』
そんな文章とともにURLを送ると、すぐにクリアメールが返ってきた。那須はそのクリアメールを無表情で眺めてから、再び海老澤のSNSを見始めた。
他方。寝床に戻った畑中はどっかりと布団に座ると、後ろをついてきた丹部に対し、どこか不気味な笑みを浮かべて話しかける。
「ほら、な、何も言われなかった。その縄の痕」
「・・・黙れ」
「でも、皆似たような反応だったね。誰も、動揺すらしなかったなあ」
その言葉には答えず、丹部は近くのコンクリートに腰を下ろし、半分俯きながらスマホをいじりはじめた。畑中はその様子を見てイヒッと引き笑いしてから、ゆったりとスマホの画面を点ける。
彼の携帯には、すでに指令メールが届いていた。
『第4の指令。畑中琉人。南雲聡から過去の話を聞き出し、このメールに返信で報告しろ。期限は2時間』
その文章を読んだ畑中は、余裕そうな笑みを浮かべ立ち上がった。
「じゃ、丹部くん。せ、宣言通り手伝ってね」
畑中のその言葉に、丹部は俯きながらふらりと立ち上がり、畑中の後ろにつく。まるでRPGのパーティーのように丹部を引き連れ、畑中は南雲のもとへと向かった。
まだ南雲は食卓に1人残っていて、コーヒーを無表情ですすっているところだった。彼は丹部を引き連れた畑中を見て、少しだけ困惑した表情を浮かべる。
だが、畑中はそんな南雲の表情には気づかず、南雲の正面に腰かけると不器用な笑顔で話しかけた。
「な、南雲くん。お話しよ」
「お話・・・?いや、それより、そのー・・・。丹部くんはどうしたの?」
俯いたまま、背後霊のように畑中にぴったりと張り付いている丹部を見て、南雲はピクピクと頬を引きつらせながら尋ねる。
けれど、畑中は笑顔のまま軽く手を横に振った。
「気にしないでよ」
「いや気になるよ」
「いいから。こんなやつより、お、おれと話そう」
畑中の言葉に押しきられ、南雲は仕方なさそうに畑中に視線を移した。そんな南雲の顔を見て、畑中は実に嬉しそうに話し出す。
「南雲くんは、どんな仕事してたの?」
「・・・あ、お話って、おれの?」
「うん。何で?」
畑中がきょとんとした、純粋な瞳で南雲を見つめる。南雲は少しだけ口を閉ざしたあと、もう一度真っ直ぐ畑中の目を見つめ、問いかける。
「俺が話したら、畑中くんの昔の話も、聞けるんだよね」
「お、おれの話?」
畑中が戸惑うように呟いてから、背後に立つ丹部の方へ視線を向ける。
南雲と畑中はなぜかしばらく丹部の方へ視線を向けていたが、やがて畑中がゆっくりと南雲の方へ視線を戻し、どもりながら答える。
「お、おれの話は、面白くないから」
「いやいや、おれの話も面白くないよ。大丈夫」
「おれは、な、南雲くんの話、聞きたいな」
「おれも畑中くんの話聞きたいんだけど・・・」
2人して終わりの見えない言い合いをしてると、急に丹部が叫んだ。
「うだうだうっせーな!さっさと話せや!」
急な怒号に2人はビビったように身を引いたが、すぐに畑中が丹部の方を向いて言う。
「きゅ、急に怒鳴らないでよ」
「あ?てめえうっせえよ。話すならさっさと話せ」
「・・・い、良いの?そんな態度で。今すぐばらしても、い、いいんだよ」
険悪な雰囲気を漂わせる畑中と丹部に、南雲はわたわたとしながらも言葉を挟む。
「ご、ごめん、変な会話して。ごめんね畑中くん、話そうか」
「いや、丹部はおれの奴隷だから」
「奴隷?・・・ほんとに2人って」
何があったの?と南雲が尋ねるより早く、畑中が大声で遮るように話し始めた。
「そ、それで南雲くんってさ、何やってたの?」
南雲は腑に落ちなさそうな顔をしたが、ため息をついてから、畑中の質問の答えを口に出す。
「おれは、今はフリーターだよ」
「学校出てからずっと?・・・そ、そもそも大卒?」
「大卒。いや、ちゃんと会社には勤めてたんだけどー・・・」
南雲は言葉を濁した。畑中がじっと顔を見つめ話の続きを促すと、南雲は少しだけ俯いてから、小声で付け足した。
「ど、色々あって、止めちゃって」
「そ、それでフリーターに?」
「うん、そう」
「・・・な、何があったの?」
遠慮ない畑中の問いかけに、南雲はどう答えるか、しばし悩むように腕を組んだ。畑中がそわそわと見つめる中、南雲は少しだけ苦笑いを浮かべながら口を開いた。
「ちょっとね、会社と合わなくて」
「ふーん・・・」
畑中は若干つまらなさそうに相槌を打った。南雲がごまかしたことが、少し気に入らなかったらしい。それでも南雲は無理やり笑顔を作り、畑中へ尋ねる。
「で、畑中くんは?」
「・・・おれは、べつに」
「話してくれないの?」
「・・・そ、そのうち!丹部くん、行くよ!」
そう叫んで、畑中は席を立った。南雲は急に叫んだ畑中に困惑しながらも、冷めたコーヒーを飲みほした。
寝床に戻ってきた畑中は、体育座りをしながらスマホを開いて、今の話を簡単にまとめて送信する。すぐにクリアメールが届き、安堵のため息を漏らした。と、畑中の視界の外から何者かが手を伸ばし、そのスマホを奪い取った。
畑中が顔を上げると、丹部が無表情で畑中を見下ろしていた。手には畑中のスマホが握られていて、畑中が慌てて手を伸ばす。
「ちょ、ちょっと、返して」
「ああ?てめえ人が黙ってりゃいい気になって、何調子乗ってんだ?お前に力がついたわけでも、超能力を持ったわけでもねえってこと、忘れてねえだろうな」
丹部がドスの効いた声で詰め寄ると、畑中はおびえた表情で後ろに下がった。とはいえ、後ろはコンクリート製の壁で。
逃げ場を失った畑中の前髪をつかみ、丹部は顔を寄せた。
「覚悟はあんだろうな?ずいぶん世話になったしなあ」
「せ、せわ、た、助けた、おれ、おれたすけ・・・」
「うっせえんだよ!」
丹部が遮るように畑中を布団の上に引き倒した。仰向けのままおびえて丸くなる畑中を、丹部は立ち上がって真上から見下ろした。
「スマホがなきゃ何もできねえよなあ?」
「だ、だめ、やめ」
畑中は起き上がって丹部が持つスマホに手を伸ばすが、丹部の蹴りがわき腹に入り、ゴファッという声とともに再び布団の上に転がった。
丹部はそんな畑中を見て、今日初めての笑みを浮かべた。自らの力を再認識したかのような、残虐な笑みだった。
「・・・ちょっとはいい夢見れたか?雑魚」
「ご、ごめん、だめ、ぼく、ぼく・・・」
「あー、うっせえな。ほんっとうっせえなー!」
丹部は畑中のスマホをいじりながら、自然な動作で畑中の腹を踏みつけた。畑中の喉からつぶれかけのカエルみたいな声が漏れる。と、そこに気弱そうな男の声が割り込んできた。
「ちょ、ちょ、丹部くん?ダメだって、死んじゃうって」
「ああ?雑魚その2か。黙って見てろよ。今丁寧にお礼してんだよ」
丹部がドスを効かせた声で凄むが、南雲は少し怯みながらも畑中を守るように間に割り込んだ。どかされた丹部は一瞬南雲を睨みつけた後、もう一度笑みを浮かべた。
「へえ、身の程知らず。俺と真っ向から喧嘩するつもり?その壊れやすい人形を守りながら?」
「い、いや、そういうわけじゃなくて・・・。何があったかわかんないけど、殺すのはまずいんじゃ」
「先に殺されかけたのは俺だけどな!」
そう叫びながら、丹部は南雲へ遠慮容赦一切なしの前蹴りを放った。それはきれいに南雲の太ももを捉え、弾き飛ばす。南雲はバランスを崩しながらも、どうにか畑中の上に落ちることは回避して、コンクリートの床に倒れ込んだ。痛みでうめき声をあげながらも、顔だけは丹部のほうを向いている。
丹部はそんな南雲を一瞥した後、まだ仰向けで寝っ転がる畑中に近づいた。
「南雲、こいつの後で存分に相手してやるよ」
「・・・おい!おい!丹部!何してんだ!」
騒ぎを聞きつけたらしい海老澤と谷場が走ってきて、丹部は舌打ちをしながら畑中の腹に蹴りを入れた。痛みで唸る畑中を無視し、丹部は海老澤と谷場に向き直る。
「邪魔しに来たんだよなあ?そうだよなあ?」
「止めに来たんだよ!今朝はやけに大人しいと思ったら・・・」
「まあ理由があってな。ようやく今、畑中にお礼してるところだからさ」
海老澤と谷場が丹部の顔を睨みつける。少し離れたところで、那須が少し心配そうにその光景を眺めていた。
と、ふらりと立ち上がった南雲が、斜め後ろから丹部に声をかけた。
「その理由って、丹部くんについてた縄の痕と関係ある?」
その南雲の言葉に、丹部は振り向いて鋭く睨みつけた。その反応だけで、何かがあったということは確実で。
海老澤が、寝っ転がってうめいている畑中に声をかけた。
「なあ、畑中、何があったんだ?」
畑中が答えるよりも早く、丹部が海老澤と谷場に向きなおり、瞳に怒りをたぎらせた。
「ここにいる中で、俺と畑中以外に事情知ってるやつ、いるだろ!」
丹部は鋭くそう吠えながら、ぐるりと4人の顔を見渡した。海老澤も、谷場も、南雲も、那須も、誰一人動かない中、丹部は谷場に目線を向けた。
「・・・お前か!?」
「何が」
谷場が冷静に丹部の言葉を受け流すと、丹部は海老澤へ視線を移した。
「・・・じゃあお前か!」
丹部が海老澤の胸倉をつかみながら言うと、海老澤はその手を振り払いながら睨み返した。
「何を言ってるのか分かんねえが、俺じゃない。それよりその暴力癖を何とかしろ」
「お前じゃねえのかよ!」
「だから何があったんだよ。断片的すぎて伝わんねえ」
「に、丹部くん、捕まってたんだ」
畑中がようやく体を起こしながら、か細い声で言う。丹部は舌打ちしたものの、特に止めるようなことはせずイラついた様子で畑中の言葉を待つ。畑中はよろよろと起き上がると、近くにあった壁から取っ手を引っ張り出し、壁に隠されていた小部屋のドアを開け、中を見せた。
鉄製のラック、床に乱雑に置かれた段ボール、そして部屋の中央に立つ木製の細い柱、柱の周りに散らばった縄と布。そんな小部屋内を覗き込んだ4人に向け、畑中は話を続ける。
「よ、夜、誰かがここのドアを開けて何かしてて、朝早く目が覚めたから入ってみたら、丹部くんが意識を失ったまま、その柱に縛り付けられてたんだ。さ、さるぐつわも噛まされてて」
「台所に放置されてた焼きそば食ったら急激に眠くなって、目が覚めたらそこにいた」
丹部がぶっきらぼうな口調で付け足す。4人が呆然と話を聞いていると、畑中はどもりながらもしっかりとした口調で続けた。
「で、お、おれ、いいチャンスだって、丹部くんに恩を着せれば、きっと有利になるって思って、取引持ち掛けたんだ。でも・・・」
「まあ丹部はそんな恩を感じるやつでもねえだろう。で、逆に殺されかけた、と」
「うん。・・・た、助けなきゃよかったなって、痛いっ」
畑中の余計な一言を聞いて、丹部が思いっきり畑中の足を踏みつけた。悲鳴を上げてうずくまる畑中をよそに、丹部は小部屋を覗いている4人を睨みつけた。
「畑中の言っていたことが本当なら、この中にそういうことをしたやつがいるんだろ」
「畑中が嘘をついてる可能性は」
海老澤が冷静に言うと、丹部は無言で畑中の身体を見下ろした。筋肉も脂肪も一切ついていない細身の身体を。
「俺は筋肉も脂肪もついてる。こんな那須より力のなさそうな人間に動かせるわけねえだろ。いくら寝てるとは言え、こいつに運べるわけねえよ」
「・・・それもそうか」
全員がすんなり納得する中、再び丹部が威嚇するように4人を見る。
「で、誰がやったんだ?まさか幽霊ってわけじゃねえよなあ?」
「丹部、落ち着け。誰であろうと、言い出したら殺されかねない状況で名乗り出ないだろ」
谷場が落ち着いた声で言うと、丹部は思いっきり谷場を睨みつけた。
「ああ?喧嘩吹っ掛けておいて、自分の行動には責任持たず、ばれたら困るんでさよならー?・・・上等じゃねえか」
その言葉には誰も答えず、丹部はいら立ったように壁を一発蹴り飛ばしてから、どこかへ歩いて行ってしまった。
完全に姿が見えなくなってから、海老澤がぐるっと3人の顔を見渡した。
「・・・本当に、誰も知らないのか?南雲も?」
「おれじゃないです。そもそも、こんな部屋あったんだ、って」
「確かに。パッと見、こんな部屋見つけらんないよな」
谷場が同意するように頷く。と、那須がどこか興味なさげに言う。
「あいつの自作自演とかは?正当なもっともらしい理由で暴力を振るえるように、みたいな」
「・・・丹部は、理論とかで動くタイプじゃねえだろ。理由あろうがなかろうが暴力ですべてを解決するタイプだ。そもそも、自分で自分を縛るのは難しいぞ」
「う、うん。結び目はかなりきつかったから、た、たぶん、誰かがやったんだと思う」
ようやく復活した畑中が立ち上がりながら、海老澤の言葉に賛同する。と、那須はそんな畑中へも疑いの目を向けた。
「じゃあ、逆に畑中と丹部が手を組んだとか」
「那須さん、いくらなんでも、畑中くん殺されかけたんだよ。それはないよ。第一、畑中くんにも丹部くんにもメリットがなさすぎる」
南雲が言うと、那須はふーんと言ってからスマホに視線を落とした。それを見て、畑中の顔からうっすらと血の気が引く。
「あ、お、おれ、まだスマホ返してもらってない・・・」
「ああ・・・。スマホがねえと指令受けれないな。それは困る」
海老澤が追いかけようとすると、谷場がそれ制した。意外そうな顔をする海老澤へ、谷場はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「あいつはまだ興奮状態だろう。俺ら全員が敵に見えてるはずだ。俺1人で行く」
「だからって1人じゃ・・・」
「この中じゃ俺が一番体格もいい、そうそう危険なことにはならねえから。・・・頼む。叫び声が聞こえたら、来ていいから。スマホも俺に任せてくれ」
海老澤は何か言いかけたが、谷場の真っ直ぐな目を見て諦めたように頭を振った。
「・・・じゃあ俺らはここで待ってるから」
「ほんとに大丈夫、なんですか・・・?」
南雲が不安そうに言うが、谷場はこくりと頷きだけを返し、4人の元を離れ丹部の元へ向かった。
丹部は1人、柱に寄り掛かりながら畑中のスマホをいじっていたところだった。谷場はゆっくりと近づきながら声をかける。
「・・・丹部」
「ああ?んだよおっさん、もう話は終わっただろ」
「いや、俺からの話がある」
「・・・スマホを返せってか?俺が先にスマホ奪われたのに、今度逆に奪われたら大人に泣きついてだずけでー、か。根性ねえな」
丹部は余裕そうにスマホを軽く空中に投げながら言う。谷場は少し距離を空けながら、そんな丹部の真正面に立って口を開いた。
「それもあるが、その前に俺からだ。・・・丹部、昨日はすまなかった」
「・・・は?谷場、てめえがやっぱり俺のことを!」
一瞬で沸騰する丹部を、谷場は片手で軽く制した。
「違う、そっちじゃなくて、お前と口喧嘩になったときだ」
「・・・ああ?」
言葉の意味を理解しきれなかったのか、丹部は拳を握りしめながら威嚇するような声をあげる。それでも谷場は怖がることも怒ることもなく、淡々と言い聞かせるように丹部に話しかけた。
「丹部がキレたとき、俺はなんて無礼なやつなんだって思ってた。ただただ人の言葉すべてに突っかかってたのかと思ってたんだ。・・・悪いけど、そのあと丹部のことを少し調べさせてもらった」
丹部はようやく落ち着いて、拳を下げた。だがまだ警戒心は消えず、谷場の言葉を睨みつけるように聞いている。
谷場はあくまで穏やかな口調を崩さず、語りかけるように続けた。
「親御さんは?」
「・・・親なんていねえよ」
丹部が吐き捨てるように言って、軽くそっぽを向いた。以前の谷場なら、ただの強がりだとしか見てなかっただろう。けど、今なら丹部の心情が手に取るように分かった。
「さすがに詳しくはわからなかったが、それでも中学時代にはほとんど生活に親が関わってなかったんだろう。・・・まだ、親からの愛情が必要な時期に。丹部がキレたポイントは、一緒だった。親からの教育とか、しつけとか、一貫してた」
丹部は少しだけ目を見開いたあと、黙ったまま視線を足元へ向けた。そんな丹部を暖かく見つめながら、谷場は穏やかな口調で続ける。
「親からの教育は、つまりは愛情と言い換えてもいい。俺にも娘がいたから分かるが、可愛いから、我が子が世界で一番可愛いから、何かやらかしたら怒る、悲しかったら一緒に泣く、楽しかったら一緒に笑う。我が子が大事だから」
谷場は何かを思い出したのか、少しだけ涙を浮かべた。それでも詰まることなく、子どもに言い聞かせるようにゆっくりとはっきりと、丹部へと語りかける。
「家庭環境なんて全員一緒じゃない。確かに丹部に悪いところはたくさんある。だからって、俺が無意識に傷つけていいわけじゃなかった。・・・すまなかった」
「・・・んだよ、痛いのが嫌だからって命乞いか?」
谷場が頭を下げるが、丹部はそんな彼から視線を逸らしながら、精一杯の強気を見せた。それでも谷場は穏やかな顔のまま頭を上げ、落ち着いた口調で続ける。
「いや、違う。丹部がそういう行動をとる理由が少しだけ分かってな。・・・弱さを見せたら、生き残れなかったんだろう」
「・・・それは」
丹部が珍しく言葉に詰まった。谷場は軽く目を伏せてから、再び丹部の顔を見つめた。
「丹部のことを傷つけた犯人も捜す。俺も協力する。だから・・・。だから、すまなかった。落ち着いて、まずはこのゲームを乗り切ろう。スマホも返してほしい」
谷場が言うと、丹部は黙り込んだ後、谷場へ畑中のスマホを押し付けた。そして、キッと谷場の顔を睨みつける。
「優しい言葉をかけたら扱いやすくなるだろうとか、そんな野暮なこと考えんなよおっさん。俺は俺だ。ここの目的は変わらない。ゲームに勝って賞品をもらって帰る。・・・勘違いすんなよ」
そう、どこか無理矢理強がったような声で言い捨てると、丹部は再びどこかへ消えていった。谷場はそれを黙ったまま見送ってから、4人の元へと戻る。
座り込んでいる畑中へスマホを返すと、海老澤が驚いたように谷場の顔を見つめた。
「・・・素直に返したのか?あいつが?」
「まあな。いろいろあって」
「・・・谷場、さん。あ、ありがとう」
畑中が小声で言うと、谷場は軽く肩をポンとたたいてから、4人に背を向けてどこかへ歩いて行った。
1人になった瞬間、谷場のスマホが震え、クリアメールが届く。
『谷場周也。第4の指令、他人の困りごとを解決する クリア』
谷場はそれを見て、安心したように座り込んだ。
そして、ようやく1人になった南雲は再びスマホに視線を落とした。
『指令。南雲悟。料理を教われ。期限は2時間』
「・・・俺の名前の漢字、違うし」
南雲はそうぼやいてから、ちょっと考えて、海老澤の元へ近寄った。
「海老澤さん」
「あ、南雲。何?」
「いや、俺料理下手で、さすがに麺類しか茹でれないのはなーって。だから料理教えてほしくて」
「ああ、そんなことか。俺で良ければ、喜んで」
海老澤はそう快諾すると、南雲を連れてキッチンへ立った。
「・・・とは言えまだ腹は減ってないし、簡単なスイーツでいいか。何かあるかな」
海老澤はそう言うと戸棚なんかを漁り始める。しばらくして、良いもの見つけた、と言わんばかりの笑顔を浮かべ、材料をどかどかとキッチンに置き始めた。
南雲は、机の上に積みあがっていく材料の山を無言で見つめてから、なぜか怯えるような視線を海老澤に向けた。
「えっ、な、何作るの?」
「あんま腹も減ってねえし、かといって時間かかるのも嫌だし、みたらし団子でも作るか」
「え、団子?団子って家で作れるの・・・?」
「簡単だしおいしいぞ」
海老澤はそう笑いながら言うと、粉を南雲に押し付けた。南雲が戸惑ったようにその粉を手に取ると、海老澤はボウルを南雲の前に置いた。
「それ上新粉と白玉粉。それを上新粉3、白玉粉1の割合で入れて、砂糖1さじ入れて、水加えながら混ぜて」
「えっと、何?3対1・・・?」
「うん。上新粉3に白玉粉1。まあ大体な。適当でいいよ、適当で」
南雲は戸惑いながらも、慣れない手つきで粉と水をボウルに入れてこねていく。やがてまとまった生地になると、海老澤が手慣れた手つきで丸め始めた。
「良い硬さだな。じゃあこんな感じで、丸めていって」
「ああ、こんくらい・・・」
そう呟きながら南雲が生地を丸める。少し凸凹とした、不格好な丸ができた。その不格好さに海老澤は笑いながらも、そうそうと頷く。
生地がすべて不格好な丸型になるころには、海老澤が用意したお湯が沸騰していた。南雲は海老澤の指示に従って鍋に団子を放り込み、5分ほど茹でる。
濡れたキッチンペーパーの上に茹であがった団子を置いてから、小型の鍋に切り替え、海老澤の指示の通り醤油、砂糖、水、片栗粉を突っ込み、火にかける。弱火でかき混ぜていると、南雲が驚いた声を上げた。
「すげえ、段々タレっぽくなってきた。透明感出てきたし」
「だろ?・・・うん、それくらいでいいかな」
海老澤がスプーンで少しすくって味見すると、真似して南雲もスプーンですくい、ペロッとなめた。
「・・・うん、まあこんなもんだろ」
「ん、おいしい」
「じゃ、団子を容器に入れて、みたらしを上からかければ完成だな。ほれ、こんな感じ」
「・・・おお、すげえ、うまそう」
盛り付け終わったみたらし団子を見て、南雲が軽く目を輝かせる。海老澤はそれを見て軽く笑った。
「甘いもん好きなんだ」
「もちろん。週に数回は食べてるよ」
「そうか。・・・皆呼んでくるか。せっかく作ったし、2人じゃ食べ切れないだろ」
とのことで、海老澤は那須、谷場、畑中を連れてきた。南雲が少し不安そうに4人の顔を見ながら言う。
「丹部くんは?」
「一応声かけたけど・・・。お?来た」
少しムスッとしながらも丹部が顔を出し、海老澤が意外そうな顔で受け入れる。と、机の上に並んだみたらし団子を見た那須が、笑顔を浮かべた。
「わー、おいしそう!」
「南雲手作り。うまいぞ」
「海老澤さんの指示に従っただけだけどね」
南雲が曖昧な笑顔で答えると、那須は嬉しそうに席についた。谷場もそれを見ながらわずかに笑顔を見せる。
「朝っぱらからいろいろあったからな。甘いもんは嬉しいな」
「まあ食べようぜ。出来立てがうまいんだ、こういうのは。じゃ、いただきまーす」
海老澤の合図で各々団子を口に運ぶ。と、那須が口いっぱいに団子を頬張ったまま笑顔を浮かべた。
「んー!おいしー!」
「うめえな。たまには和菓子もいいな」
「・・・もちもちしてる」
那須、谷場、畑中が食べ進める中、丹部だけは戸惑ったように、恐る恐る団子を口に運ぶ。が、一口食べてから少し目を見開き、がつがつと勢いよく食べ始めた。海老澤はそれを少し目を細めて見た後、自身の分に手を付けた。
やがて全員が食べ終わる頃に、南雲と海老澤のスマホが震えた。互いにクリアメールが届いたようだ。南雲が少し意外そうな顔で海老澤を見る。
「・・・あれ?海老澤さんも?」
「ああ、特技を披露しろって内容でさ。・・・料理も特技カウントだったらしい」
海老澤はそう言って笑った。と、にこにこと笑顔を浮かべていた那須が、そういえば、と立ち上がった。
「さっき着替えないかなって探してたら、面白いもの見つけてね」
そう言うと彼女は、キッチンの裏手にある黒いタンスの前に立った。不思議そうな顔をしながら、丹部以外の4人がついていく。
那須がタンスの一番下の引き出しを開けると、そこにはおもちゃの王冠、薄っぺらい赤いマント、杖、そして茶色の長そでシャツが入っていた。奥のほうには何かブレスレットのような小物も見える。それを見た谷場が、ほー、と呟きながら王冠を手に取った。
「・・・コスプレ衣装?」
「かもね。なんかここに似合わな過ぎて、面白くて」
「確かにな。・・・ほれ、海老澤がたぶん一番似合うぞ」
「似合わねえよ」
海老澤は若干うんざりした表情を浮かべたが、谷場は面白そうにマントと杖も手に取った。
「絶対似合うって」
「何で俺なんだよ・・・」
海老澤は文句を言いながらも、一応アイテムを身に着けてみる。スーツ姿に赤いマント、王冠、木製の杖というちぐはぐな姿に、思わず南雲と谷場が吹き出した。那須は顔を覆いつつ、プルプルと笑いをこらえている。畑中は笑いをこらえようとして失敗したのか、大きくむせ返った。
谷場が笑いを抑えながら、海老澤の顔を見て呟いた。
「・・・似合う似合う。うん」
「うっせえよ。・・・谷場のほうが似合うんじゃないか?」
「いやいや、俺は無理。海老澤に着られちゃあ、ねえ」
「あ、最初から逃げる気だったな」
「逃げてない逃げてない」
谷場はそう笑いながら海老澤から距離を取った。と、海老澤の視線がすっと南雲と畑中のほうへ移動し、慌てて畑中が南雲の背中に隠れた。
ポカンとする南雲と海老澤の視線が交わった瞬間、海老澤はつかつかと南雲に近寄り、腕を引っ張った。
「目があったな」
「え、え、いやちょっと待って、え?」
戸惑う南雲を引っ張り出すと、海老澤は身に着けていた道具を次々と南雲に持たせる。ぼろいシャツとジーパンの上におもちゃの王冠、赤いマント、杖という格好の南雲は、調子に乗った男子小学生のようで。その姿を見た4人が笑いを嚙み殺す。
それを見た南雲が、不満と不安が半分ずつ混ざったような表情になりながら海老澤を睨むと、海老澤は笑いをこらえつつなだめるように声をかけた。
「俺より似合うよ」
「似合ってないよ・・・」
「南雲くん、もっと自信もって!王様なんだから!」
那須が笑いながら言うと、南雲はようやく不満10割の表情を浮かべ、身に着けた道具類を片付け始めた。と、ふと時計を見た谷場が、一気に真顔に戻りながら言う。
「ああ、もうすぐ10時になるな」
「もうそんな時間か。・・・皆は指令終わった?」
その海老澤の問いかけに、谷場、那須、畑中が頷いた。海老澤はテーブルのほうに顔を向けて尋ねる。
「丹部は指令終わった?」
「・・・ったりめーだろ。他人のスマホから返信しろ、だったからな。しょうもないことで遊んでるくらいなら、次に備えろよ」
丹部がスマホから目を離さず返事をすると、畑中は若干不快そうに丹部を睨みつけ、海老澤が呆れたようにため息をついた。
と、不意にあの耳障りな雑音が流れ出した。全員その場で動きを止めて天井を睨みつけ、その表情をあざ笑うかのような楽しげな歪んだ声が、6人に告げる。
「ここまで1人の脱落者もなく、クリアおめでとう。さて、ここからはちょっと趣旨を変えたゲームをしようじゃないか」
「急に何言ってんだ、こいつ・・・」
谷場が鋭く天井を睨みつける中、歪んだ声は楽しげに続ける。
「今まではメシアたる私と、それをクリアする君たちという構図だったが、今回のゲームは違う。指令を出すのも、クリアするのも君たちだ」
一拍置いてから、声が続ける。
「王様ゲームだ」
「・・・変なこといいやがって」
谷場が舌打ち混じりに言う。その直後、全員のスマホがメッセージの着信を告げた。それを待ち構えていたように、声が続ける。
「王様と奴隷に分かれ、王様は指令を出し、奴隷は指令を実行する。今回は3対3の同数だ。ああ、気分が盛り上がりやすいように衣装も用意した。詳しくはメールを見てくれ。では、健闘を祈る」
その説明を聞きながら、各々がメールを開く。そこには、細かいルールが記載されていた。
『王様が3人、奴隷が3人に分かれて行う。王様が出した指令を、奴隷は忠実に実行しなければならない。指令を全部こなせれば奴隷側が、こなせなければ王様側が勝利となる。
王様側は1時間に1人1つ、合計3つまで指令を出すことができる。対象は個人でも、全員相手でもいい。最低でも1時間に1つは指令を出すこと。夜はメールの合図をもって終了とする。
指令の効果は基本的には1時間。装飾品の装着など、負担がかからない指令の場合、期限を1日とすることができる。期限が明示されてない場合は1時間ですべてリセットとする。
そして、以下のルールに従っていない指令は全て無効となる。
・自分自身も含め、殺害やケガなど、病院へ行かなければならないほどの危険を伴う行動。擦り傷や打撲など、軽微なケガは含まれない。安全に注意して行えば平気な行動は、指令の中に注意喚起を入れること。
・性器の露出などの、公序良俗に反する行為。キス、ハグ以上の行動はすべて無効とする。同性への指示も含む。
・大元のゲームのルールである外部への連絡、外に出るなどの行動。王様、奴隷であるという公言は可。
・他、特殊な道具の調達が必要など、倉庫内部での完結が不可能な指令はすべて無効とする。
衣装はキッチン裏、黒いタンスの一番下に入っている。次に届くメールでそれぞれの役割が書かれている。勝利できなかった者は指令失敗となる。では、健闘を祈る』
「・・・案外しっかりとルールあるんだな」
内容を読んだらしい谷場が呟くと、海老澤が少し肩をすくめた。
「まあ何もなかったら、地球を爆破しろとか言ってれば終わっちゃうだろ」
「合コンで嫌われるタイプだな、そいつ。というか衣装って・・・。これか?」
谷場が先ほどまで身に着けて遊んでいた王冠セットを引っ張り出す。と、奥から黒い革製の腕輪と首輪もいくつか転がり出てくる。南雲が、若干呆れた声で呟いた。
「・・・そんな真面目なものだったんだ」
「散々ネタにしたから、身に着ける気にならねえな・・・」
谷場も同意するように呟くと、丹部が舌打ち交じりに叫びながら立ち上がった。
「あー、くだらねー。こんなくだらねえことしに来たわけじゃねえのになー」
「丹部、奴隷側引いても文句言うなよ」
「知らん、勝手にやってろよ」
丹部はそういうと集団から離れ、少し離れた柱に寄り掛かった。と、海老澤がおどおどしている畑中に声をかける。
「畑中は大丈夫か?」
「え、えっと・・・。王様ゲームって、何?」
「そこからか・・・。確かに縁ないか・・・」
海老澤は少しだけ頭を抱えた後、畑中にも分かるようかみ砕いて説明する。
「合コンのゲームとしてやることが多いんだけどな、人数分の割りばしとかに数字とマークをつけた棒を用意して、王様だーれだって一斉に引くんだ。んでマークを引いた人が、1番と5番がキス。みたいに指示を出す。お酒の場の遊びだな」
「たまにいるよねー、盛り上がらない変な指示出したり、逆にずっとできなーいって言い張るやつとか」
那須が口を尖らせながら言うと、谷場が苦笑いを浮かべた。
「まあそれぞれだからな。ただ今回はそんなこと言ってられねえが」
「まあな。・・・ところで、これ期限とか書いてねえんだな」
海老澤の言葉に、全員が動きを止めた。南雲が恐る恐る口を開く。
「・・・それって、いつまで続くかわかんない、ってこと?」
「・・・だな」
「しかもこれ、入れ替えとかも書いてないけど・・・。勝利できなかったら失格って、これ、半分落ちるってこと?」
那須が呟くと、全員一斉に沈黙した。ずどんと重たい空気が場を支配する。そんな空気を吹き飛ばそうと、谷場が無駄に明るい声を出した。
「まあ、人かどうかも分からない声野郎の指令じゃない。目の前で血の通った人間が指令を出すんだ。まだ気楽だろう」
谷場の言葉は誰にも響かず、虚しく宙へ散っていった。全員表情は暗く、一言も発さずに互いの動きをうかがう。
と、一斉にそれぞれのスマホが震えた。来た、と誰かが呟いた。メールに目を通してから、海老澤がぐるっと顔を見渡す。
「・・・王様だーれだ」
その言葉に応じて手をあげたのは、南雲、畑中、海老澤だった。
「この3人か・・・」
海老澤が呟くと、南雲がホッとしたような表情で頷いた。心なしか畑中も若干嬉しそうに、南雲の隣に並ぶ。
海老澤はタンスに入った王冠たちに視線を向けた後、谷場へと声をかける。
「もうこっちはそれ着ないけど、谷場たちはどうする?」
谷場は少しだけ無言で考え込んだ後、茶色の長そでシャツを1枚手に取って広げてみる。シャツはかなり大きいサイズで、180センチ越えの谷場ですら少し袖が余りそうな代物だった。新品らしく、まだどこも汚れていない。
まあせっかくだし、と谷場は呟いてから、ポロシャツの上からそのシャツを身に着けた。袖を軽く捲り上げながら、谷場が言う。
「でけえな。那須とかもうワンピースになるんじゃねえか?」
谷場がシャツを差し出すと、那須もブラウスの上からシャツを着た。確かに水色のスカートをも半分覆い隠すほどの丈の長さで、袖に至っては手先まですっぽりと覆い隠されている。那須は鬱陶しそうにしながら袖を折り畳んだ。
続いて谷場は、少し離れたところにいる丹部にもシャツを差し出した。
「丹部は?」
「着るわけねえだろ」
「そうか」
谷場は淡々と言うと、シャツを元のタンスにしまってから、海老澤のほうを軽く睨みつけた。それは宣戦布告の合図のようで。
海老澤はその布告を受けるように真正面から受け止めた後、谷場、那須、丹部の顔を順番に見る。
「安心しろ、さすがに他人が傷つく姿を見るのは好きじゃない。だからルールは守る。・・・ただ、もう仲間ではないが」
「・・・ああ、そうだな」
谷場が真剣な表情で頷いた。と、海老澤は不安げな表情で辺りを見渡す南雲へと声をかけた。
「とはいえ、初っ端から吹っ掛けるわけにもいかないしな。南雲、何か指令行くか?」
「え、おれ?うーん・・・」
「そうだ、指令のテンプレートも決めてくれよ。ふざけて言った言葉がカウントされたらたまったもんじゃない」
谷場の言葉に、海老澤は少し考えた後、じゃあこうしよう、と前置きしてから言う。
「だれだれから、丹部、谷場、那須への指令です。で指令内容。これでいいだろ」
「ああ、それなら分かりやすい」
谷場と那須が納得したように頷いた。
南雲は少し悩んだ後、じゃあ、と前置きをしてから3人の顔を見渡した。
「えーっと、南雲から丹部くん、谷場さん、那須さんへの指令です。・・・腕輪を1つ装着してください。期限は今日が終わるまで」
「腕輪。・・・ああ、これか」
谷場はすぐに革製の腕輪を取り出し、那須と丹部へ差し出す。那須も丹部も文句を言わずに受け取った。ベルト状のそれをそれぞれ腕につける。と、那須が装着した腕輪を眺めながら呟いた。
「というかこれって、何?」
「何だろうな。俺のイメージだと、奴隷って手足に金属製の輪っかをはめているイメージなんだが、それのオマージュとかか?」
谷場が応じると、畑中が小声で呟いた。
「そ、それ、金属製の金具ついてるでしょ。そ、そこに紐とか通して、拘束、するやつ・・・。い、いやもちろん両手に着けないと、意味ないと思うけど」
「あー・・・。なるほど」
畑中の解説に、谷場と那須は納得しながらも、どこか複雑そうな表情を浮かべた。海老澤が少しだけ肩をすくめながら言う。
「・・・そういうの、もしかして詳しい?」
「あ、いや、えーっと・・・。ゲ、ゲームで・・・」
「何の・・・。いや、いい、深く聞かない」
海老澤はあえて強引に話を打ち切ったあと、ちらりとスマホを見る。
「10時か。1時間単位ってことは、次は11時か。・・・畑中は何か指令出してみるか?」
「・・・い、今はない」
「ん。・・・じゃあこの時間の指令は以上だ。また後で」
海老澤の言葉に反応して、それぞれが散っていく。と、海老澤は南雲と畑中へ、小声で話しかけた。
「南雲、畑中、ちょっといいか?」
「何?」
「・・・俺たちは、指令を出して勝たなきゃいけない」
「・・・うん」
南雲が戸惑いながらも頷いた。海老澤は息を大きく吸い込んでから、2人の顔を見る。
「作戦決めないか?あいつらがしたくないと思うような指令を考えるんだ」
海老澤の真剣な表情に、南雲は少しだけ不安げな表情を浮かべた。その南雲の表情の意味を尋ねる前に、畑中がどこか嬉しそうに応じる。
「う、うん。勝たなくちゃいけないもんね、おれら」
一方、谷場は那須とともに倉庫の端でため息をついた。
「よりによってこっち側か」
「しんどいね」
「まだ様子見はするだろうが、あいつのことだ、すぐ本気を出して来るだろうな」
「どうすれば良いんだろう・・・」
那須が小声で呟くと、谷場は少しだけ遠くを見つめて目を細めた。
「・・・あいつらがどう出るか、だが、策がないことはない」
「どういうこと?」
那須が谷場の顔を見上げると、谷場は少しだけ目を閉じてから、那須の顔を見た。
「丹部を暴走させる」
「暴走・・・?」
「つまり、指令の枠を強制的に狭めるんだ。暴力を振るわないとか、そういうのに指令を使わせる。出せるのは1時間に3つまでだから、1つ削るだけでもだいぶ楽になる」
「なるほど・・・」
那須が驚いたように谷場の顔を見ると、彼はどこか平坦な口調になりながら呟く。
「使いたくはないけどな、そういう意味では那須も・・・」
「・・・女としての武器を使えって?」
「ああ。海老澤はともかく、南雲と畑中なら落とせるんじゃないか?それでまた指令の枠狭めることが出来れば、俺らはかなり有利だ」
那須は少しだけ目線を落とし、左手首にはめた腕輪を眺める。蛍光灯の光を受け黒く輝くそれをしばらく見たあと、覚悟を決めたような鋭い視線を谷場に向けた。
「やるよ、私。勝たなきゃダメだもんね」
「・・・ああ。海老澤が向こうの頭脳だろうから、そいつさえどうにかできれば後は人形だ。丹部にも伝えよう」
「丹部って、一緒に動いてくれるのかな・・・」
「あいつの目標は、このゲームをクリアすること。それが優先であるかぎりは協力してくれるだろ」
そう言うと、谷場は丹部の姿を求めて歩きだした。那須も後ろにつく。
と、向こうから南雲が歩いてきた。彼は何か言いたげに立ち止まったが、谷場は南雲を強く睨み付けると、その横を通りすぎた。南雲が困惑したように立ち尽くす。
南雲の姿が見えなくなってから、那須は少し不安そうに問いかけた。
「谷場さん、いいの?」
「・・・もう敵同士だ。どうせ腹の探り合いだし、話す意味はねえ」
谷場はそう言うと、少しだけ歩くスピードを上げた。