第1話
※完結済みです。続きは順次公開予定
コンクリートむき出しの床、壁、そして太い柱が立ち並ぶ、広い倉庫のような空間。その空間に、1人の男が横たわっていた。
天井近くにぶら下がった電球が、ジジジ、と少し耳障りなさざめきを発しながら揺らめく。その明かりは男の元まで届かないほど、か細く頼りない。
と、微動だにしなかった男が、少しうめきながら身体を動かした。やがて閉じられていた彼の目がゆっくりと開き、寝起き特有のぼんやりとした雰囲気で、目をキョロキョロと動かし辺りを見渡す。そしてゆっくりと上半身を持ち上げると、片手で体を支えながら目をこすった。そこでようやく状況を把握したのか、男は少しよろけながら立ち上がり、周囲を見渡した。
「・・・ここはー」
彼の口から独り言が漏れて、静かな空間の中に広がっていく。だが、その声に応える人はおらず、うっすらと反響しながら声は溶けていった。
男は両手で顔をこすってから、自身の身体をチェックし始めた。脂肪も筋肉もついていない細い体。濃い茶色の髪の毛は耳にかかる程度の長さで、癖なのか少し外側にはねている。前髪は短く切られていて、男性にしては大きな目と少し垂れ下がった眉がはっきりと見えている。どこかまだあどけない雰囲気が残る、20代の青年だ。
そして男が身に着けているのは、襟がよれ、袖口からは糸がほつれ、ところどころ生地が薄くなっているような、着古された灰色のTシャツ、膝が擦り切れ薄汚れたジーパン、履き倒された汚いスニーカー。装飾品の類は一切なく、清潔感という言葉とはかけ離れた、小汚い身なりをしていた。
男はそんな服装を気にすることなく、手で軽くジーパンの汚れを払ってから、ふと手をとめた。しばし考え込むように目線を地面に向けた後、ジーパンのポケットに手を突っ込む。そこから出てきたのは、折りたたまれた一枚の紙だった。白い紙に黒い文字。装飾もほとんどない、いたってシンプルな紙面。
そこには、こう書かれていた。
『謎解き探偵ゲーム!興味がある方は、下記の時間に指定の場所までお越しください』
男の目はその文を何回か往復してから、再び倉庫内に向けられた。周囲を油断なく見渡しながら、男の口から独り言が漏れる。
「そうだ、これに参加しようと書かれた場所にいったら、急に意識を失って・・・」
声に出したことで、男は自分がどんな状況に置かれているのか少しだけ理解したらしく、怯えるような表情を浮かべた。
男は考え込むように、紙を片手にしばらく立ち尽くしていたが、やがて緩慢な動作でポケットにしまうと、電球の頼りない明かりの中を歩き始めた。なるべく目立たないように、足音を潜め、ゆっくりと一歩ずつ。
と、彼の視界に、床に倒れている人影が見えた。周囲に目線を向けつつも、倒れている人影のそばに駆け寄って、軽く揺すりながら声をかける。
「あの、大丈夫ですか・・・」
「・・・んー」
男の問いかけに応えるように、倒れていた人影は軽くうめき声をあげた。
その人影は、癖毛だが豊かな黒髪、黒縁の眼鏡、白いポロシャツ、黒いスラックス、動きやすそうな革靴を身に着けた青年だった。がっちりとした体格で身長も大きく、スポーツマンのような良い体つきをしている。年の頃は20代半ばくらい。
ポロシャツの男は揺すられてから数秒後、それなりの勢いで体を起こした。どうやらようやく意識が覚醒したらしい。彼は呆然としたように倉庫を見渡してから、Tシャツの男へ目線を向けた。
「ここは・・・?」
「わからない、おれも、気が付いたらここにいて・・・」
その頼りない返答を聞いて、ポロシャツの男は少しだけ黙り込んだ。が、すぐゆっくりと立ち上がり、再び薄暗い倉庫をぐるっと見渡してから、独り言のように呟く。
「確か、ゲームに誘われたんだ。探偵謎解き・・・」
「あ、そ、それ、おれも、です」
Tシャツの男が立ち上がりながら、紙を引っ張り出す。ポロシャツの男がその紙に視線を向け、ああ、と納得したような声をあげた。
「あ、確かにそれ」
「良かった。あなたも参加者ってことは、仲間ですね」
「・・・みたいだな。それにしても手荒な参加受付だな。意識を失わせて、いきなり倉庫に放り込むなんて」
ポロシャツの男は、冗談とも本気ともつかないような口調で言った後、いきなり倉庫内を歩き始めた。Tシャツの男が慌てて追いかけながら声をかける。
「えっと・・・。2人だけ、なんですかね。最初の謎とか・・・」
「いや、先に中を調べたほうがいい。ここがそのゲームの会場だとは限らないだろう」
冷静な言葉に、Tシャツの男はどこかほっとした表情を浮かべつつ、後をついて歩く。
と、倉庫内の一角に、明るく照らされたエリアが見えた。2人は無言のまま、迷わずそのエリアへ足を向ける。
そのエリアには、数人の人影が立っているのが見えた。互いに会話もなく、怪訝そうに周囲を見渡している。最近よく耳にする、知らない人とも仲良く脱出ゲーム、なんて明るい雰囲気ではない。暗く淀んだ重たい空気が場を満たしている。
その重たい場に2人も合流した。暗闇から2人が現れても大したリアクションはなく、不安と敵対心が入り混じったような、嫌な視線を互いに送りあうだけだ。ポロシャツの男が質問を投げかけようと口を開いた瞬間、バリバリと耳障りな雑音が辺りに響いた。思わず全員が、音の発生源である天井に顔を向ける。
と、その耳障りな雑音とともに、加工されひどく歪んだ音声が流れ出してきた。
「ようこそ、ゲームの会場へ。私はメシア。私の招待を受けてくれたことに感謝しよう」
「何、この声・・・」
男か女かも分からない不快な音声に、集団の中で唯一の女性が顔をしかめた。そんな様子を一切気にせず、声が言葉を続ける。
「ゲームの説明の前に、まず、君たちのスマホを返却しよう。目の前の棚から各々取っていくがよい」
その声を聞いて全員が周囲を見渡すと、暗闇に紛れるように黒色の棚がおいてあるのが見えた。それぞれ無言で近寄り、各自のスマホを手にして元の位置へ戻る。誰も声は発しないものの、スマホが戻ってきたことに少しだけほっとしたような空気が流れた。と、その空気を壊すように声が続ける。
「では、招待の通り、君たちには今からゲームをしてもらう。ルールは簡単。君たちのスマホへ、私から指令メールを送る。それをクリアしていくだけだ。クリアしたら、クリアメールも届く」
「指令ってなんだよ。俺は、謎解きだって聞いたぞ」
少しボロいスーツを着た黒髪の男が、天井へ向かって怒鳴るように呼び掛けた。それに応じるように、歪んだ声が喋り始める。
「指令を元に謎を解いてもらう。もちろん、きちんとクリアすればいい褒美をやろう。私はメシア、救世主だからな。・・・もちろん、クリアできれば、だが」
その声が途切れたと同時に、全員のスマホがメールの着信を知らせた。一斉にスマホの画面を見る人々の頭上から、歪んだ声が降り注ぐ。
「指令は人によって異なり、他人に見せた瞬間失敗となる。クリアしたものに関しては、好きに話すがいい。そして部屋には布団と食料を用意しておいた。トイレ、シャワーもある。指令以外で外に出たり、外部と連絡を取った瞬間、それはゲーム放棄と見なす。最初の指令だけは同一で、自己紹介だ。では、健闘を祈る」
そういうと、不快な声と耳障りな雑音は途切れ、周囲に無音が戻ってきた。
全員スマホを片手に、無言で互いを探るような視線を向ける。と、その重たい空気を押しやるようにしてスーツ姿の男が前に立ち、全員の視線がその男に集まった。
少しボリュームのある黒髪を、目のすぐ上まで伸ばしている男性だ。いわゆる塩顔男子とでも言うような、流行りに乗っかったヘアスタイルが様になっている。顔立ちは比較的整っていて、いかにもモテそうな雰囲気を醸し出している。服装はごく一般的なスーツだが、どこか薄汚れていて清潔感がない。白いワイシャツやスプライト柄のネクタイにも、しわが寄っている。
それでも男は姿勢と襟元を正し、突き刺さる嫌な視線を悠然と受け流しながら言葉を発した。
「俺は海老澤。海老澤樹だ。樹木の樹、一文字でいつき。今年で30歳。・・・年相応に人生経験は積んできたつもりだ。よろしくな」
海老澤が落ち着いた良く通る声で自己紹介すると、重たかった空気が少しだけ和らいだ。
続いて前に出たのはあのポロシャツの男だった。彼はそれぞれの顔を見渡して、少しだけ笑みを浮かべながら言葉を発する。
「谷場周也です。・・・会社勤めのサラリーマン、です。よろしく」
谷場は落ち着いた低音でそういうと、軽く一礼をして元の位置に戻っていく。そのすぐ後、どこか不機嫌そうな顔つきで前に出たのは、小柄な男だった。
明るい茶髪の髪を固めて立たせ、目つきは鋭く常にどこか睨んでいる。まだ若く、20歳前後の青年だ。服装は、様々な英語が書かれた柄物の紺色のシャツ、それに赤を基調とした派手なズボン、厚底の赤いスニーカーを履いている。小柄ながらも体は引き締まっていて、筋肉がついているのが服の上からもわかる。
彼は睨みつけるように顔を見渡してから、ぶっきらぼうに言葉を発した。
「丹部昌大。職業大工。余計なことしたらただじゃおかねえからな」
丹部はそう威嚇するように言うと、集団から少し離れたところにある柱に寄り掛かり、スマホをいじり始める。谷場が何か言いかけたが、海老澤が無言で谷場を制してから、彼の隣にいた男を促して前に立たせた。
筋肉も脂肪も一切ない、細い体に白い肌。そして、オシャレという言葉がかけらも見当たらない、よれた灰色のスウェットを上下セットで着ている。黒髪も目にかかりそうなほど重く、ボサボサでまとまりがない。分厚いレンズが入った丸眼鏡の奥で、目が自信なさげに揺れている。まだ若い、20代前半の青年だ。
彼は、視線を地面に固定したまま、聞き取りにくい早口で言葉を紡ぐ。
「畑中、りゅ、琉人。と、年は23。よろしく・・・」
最後は消え入りそうな声で呟くと、そそくさと元の位置に戻っていった。丹部が舌打ちする音が、はっきりとした大きな音で響く。
続いて前に出たのは女性だった。つややかな黒髪、化粧っけはないもののはっきりとした目鼻立ち。きれいな大人びた顔立ちをしているが、それを打ち消すように目の下にクマが浮いている。白いブラウスに膝くらいの淡い水色のスカート、それにおしゃれなサンダルがよく似合っていて、かなりスタイルがいい。
男だらけの空間でも臆することなく、しっかりと前を見ながら彼女は言葉を発した。
「那須彩海。・・・働いてました。よろしくお願いします」
意味深な過去形にも誰も突っ込まず、那須は淡々とそう告げると元の位置へ戻っていた。
これで残ったのはTシャツの男1人になった。彼は緊張したような面持ちで前に立つと、他人の顔を見ないように視線を足元へ向け、ようやく聞こえる程度の小さな声で自己紹介を始めた。
「な、南雲聡、です。えーっと、25歳で、今フリーターです・・・」
最後にペコっと頭を下げると、そのまま顔を上げることなくそそくさと戻っていった。同時に全員のスマホが震える。それぞれにクリアメールが届き、誰かが安堵のため息を漏らした。
間髪いれず、次のメールが届く。全員口を閉ざし、互いに牽制するような視線を向ける。それぞれのスマホに指令が送られてきたのだ。と、スマホをポケットにしまった海老澤が、どこか見下すような表情を浮かべながら、南雲に近づいた。
「南雲、だっけか。飯は食ったか」
「いや、まだ・・・」
「ふーん・・・。じゃあ俺が作る」
海老澤はそう言うと、倉庫の中央付近に設置されたキッチンへと向かっていった。南雲が少し慌てた様子で、海老澤の後を追いかける。
「お、おれもつくる、作ります」
「・・・じゃあ俺の次な。冷蔵庫確認しとけ」
海老澤はそう言い捨てると、冷蔵庫から食材をいくつか取り出し、慣れた様子で調理を始めた。冷蔵庫、電子レンジ、まな板、包丁、シンク、持ち運びのできる小さいIHコンロ2つしかないキッチンで、海老澤は手際よく冷やし中華を完成させていく。
南雲が手際の良さに見とれていると、海老澤はぶっきらぼうに声をかけた。
「準備できてんのか」
「あ、いや。・・・海老澤さん、料理すげえうまい、あ、上手ですね」
「・・・空いたぞ。テーブルで待ってる」
「あ、はい・・・。何つくろう」
南雲は戸惑いながらいくつか食材を手に取り、ぎこちない手つきで包丁を握る。
やがて完成したのは、なんの変哲もないざる蕎麦と不格好に切られたリンゴだった。南雲がそれを持ってテーブルにいくと、携帯をいじっていた海老澤が面倒くさそうに顔をあげた。彼は自身の真ん前に置かれたざる蕎麦を眺めてから、ため息をついて正面に座った南雲の顔に視線を向ける。
「自炊したことねえの?」
「料理苦手で・・・」
「あっそう」
不機嫌そうな海老澤に対し、南雲はビクついた様子で恐る恐る箸を手に取る。それを眺めていた海老澤が、初めて表情を和らげた。
「そんなビビんなくても良いだろ」
「あ、えと、怒らせちゃったかなって・・・」
「・・・いや、すまんな。こんな変なゲームに巻き込まれた自分に苛立ってるだけだ。南雲のせいじゃない」
「そうなんですね。よ、良かったです・・・」
南雲は相づちを打ちながら律儀に手を合わせ、冷やし中華を口に運ぶ。しばし無表情で噛んでから、驚いたように顔をあげた。
「すげえ美味しい、です」
「だろ。あと別にため口でいい。敬語慣れてないだろ」
その指摘に、南雲は一瞬動きを止めてから頭をかいた。図星だったようだ。
海老澤はため息をつきながら箸を手に取り、そばをすすった。微妙そうな表情でそばを飲み込んでから、少しため息交じりに呟く。
「ちょっと伸びてんじゃねえか・・・」
「茹で時間長かったかな・・・。ご、ごめん」
「別に食えねえ程じゃないけど」
そう言うと、海老澤は黙々とそばを口に運ぶ。南雲も、もそもそと冷やし中華を食べ続けた。
先に海老澤が食べ終わり、無言でスマホをいじる。南雲がようやく食べ終わり手を合わせた瞬間、2人のスマホが震えた。先にメールを開いた海老澤が、喜びの声をあげる。
「っし、指令クリア。・・・って、南雲も?」
「うん、海老澤さんにご飯を作って食べさせる、ってやつで・・・」
「俺も、南雲に飯を食べさせる、だった。ちょうど良かったな」
「美味しかった。ごちそうさまでした」
南雲がわずかに笑顔を見せると、海老澤は少し照れ臭そうな表情を浮かべ、それを隠すように勢いよく立ち上がった。
南雲たちがキッチンを使い終わった後、続いてそこに立ったのは、谷場と丹部だった。
最初に、谷場が慣れた手つきでチャーハンを作り始める。丹部はその間近くの柱に寄り掛かり、スマホをずっといじり続けている。
と、谷場がチャーハンを完成させ、丹部のほうへ振り返った。
「できたぞー。次どうぞ」
丹部はその声には答えずに、乱暴に冷蔵庫をあけると、冷凍うどんをお湯に突っ込んだ。数分適当に待ってから、茹で上がったうどんに乱暴に麺つゆをぶっかけ、テーブルで待っていた谷場の前にドンと置く。
それを見て谷場が何か言おうと口を開いた瞬間、丹部は威嚇するような低い声で言う。
「食えるんだから食えよ、おっさん。言っとくけど、俺は慣れあう気はねえ。指令のためにとことん利用させてもらう」
その言葉に谷場は黙り込んだが、すぐに首を振ってから、チャーハンを食べ始めた青年へ話しかける。
「ちょっとは仲良くやろうよ。丹部・・・なんだっけ」
「にべしょうだい」
「かっこいい名前だよね。どんな漢字書くの?」
谷場が優しく話しかけると、丹部は少しだけイラついたように舌打ちしたあと、携帯に漢字を打ち込んで見せた。
「へえ、かっこいいね」
「うっせえよ。俺はお前と話す気ねえんだよ」
「それでも共同生活するんだから、最低限・・・」
「喋ってる暇あんならさっさと食えよ!」
丹部はそう叫んで谷場の言葉を打ち消した後、谷場が作ったチャーハンを勢いよく食べ進める。谷場が諦めたようにうどんを一口すすった瞬間、激しくむせ返り少し顔をしかめた。
「・・・つゆ、薄めた?」
「は?何それ。食えるだろ」
不機嫌そうに返す丹部に対し、谷場は無言で首を振ると席を立ち、水を持って帰ってきた。そして自分でつゆを薄めながらうどんをすする。一方丹部は、無表情のままチャーハンを食べ切った。食べ切った直後、少しだけ谷場の顔へ視線を移したが、すぐにスマホに視線を落とす。
ある程度の時間をかけ、谷場がようやくうどんを食べ切ったと同時に、2人のスマホにクリアメールが届いた。丹部はそれを確認すると、食器を残したまま席を立ち、谷場が慌てて丹部の背中に声をかけた。
「おい、食器くらい片づけろよ」
「は?そっちがついでにやりゃいいだろ」
「ふざけんな。共同生活するには最低限のマナーだ」
「俺が自分から望んで共同生活するわけじゃねえし。俺はさっさとクリアしてここから出るから、そんなマナーいらねえんだよ」
丹部はそう吐き捨てると、谷場の制止も聞かずに倉庫の暗がりに消えていった。谷場は怒りを通り越して呆然とした表情を浮かべていたが、すぐに無表情で食器を片付け始める。
谷場が食器をもって台所へ戻ると、畑中がキッチンの前で呆然と立ち尽くしていた。その後ろから、那須が冷たい目線を浴びせている。
谷場はその状況に少し戸惑いを見せた後、畑中に話しかけた。
「畑中、だっけ。・・・何してんの」
「あ、あ、えっと、ごはん・・・」
どもる畑中の後ろから、那須がため息交じりに補足する。
「ごはん作ったことないんだって」
「・・・1回も?」
谷場が驚いて尋ねると、畑中は視線を床に落としながら小さく頷いた。唖然とする谷場に、那須が少しだけ肩をすくめながら言う。
「あり得ないでしょ。どんだけお坊ちゃまな環境で生きてきたんだか」
「ああ・・・。とりあえず、最低限できてもらわねえと困る。せめて麺なら茹でられるよな」
畑中が曖昧に頷くと、谷場は棚からそうめんを取り出し、手順を説明し始めた。
柱に寄り掛かった那須がぼんやりとその光景を眺めていると、暗がりから顔を出した海老澤が声をかけてきた。
「谷場さんだっけか。面倒見いいな」
「ほんとにねー。こんなとこで他人に親切にしても、結局良いことなんてないのに」
那須がそう吐き出しながらスマホを触ると、海老澤は少しだけ苦笑交じりに応じる。
「でも、ああいう人間は絶対必要だろ」
「まあね。いたらいたで助かるけど」
「ところで那須は何してんだ?」
「ご飯作りたいのよ。あいつがぼさーっと突っ立って動かないもんだから、台所使えなくて」
「なるほどな」
2人が会話を交わしている間に、畑中は谷場の力を借りて、なんとかそうめんをゆで上げた。もちろん、めんつゆを薄めることも忘れずに伝えてから、谷場と畑中はキッチンを離れる。
ようやく使えるようになった台所を見て、那須は少しため息をつきながら身体を起こし、まあまあの手際で食事を用意し始めた。
やがて出来上がったのは、卵焼き、冷凍から揚げ、レタスのソテーがついたサンドイッチセットだった。バランスがいいのか悪いのか微妙なそれを、那須は畑中の元へもっていく。
畑中はそわそわと貧乏ゆすりをして待っていたが、やがて目の前に置かれたサンドイッチセットを見て、少しだけ首を傾げた。
「・・・弁当?」
「作ってもらったもんに文句言うな。さっさと食べて」
那須はそう冷たく言い放つと、1人で手を合わせてから、畑中がゆでたそうめんを無表情ですすり始めた。畑中は相変わらず貧乏ゆすりをしていたが、すぐにサンドイッチを手に取って一口食べる。
「・・・うまい」
「ハムとレタス、チーズ挟んだだけだけどね」
那須はそういいながらそうめんをさっさと食べ終え、食器をもって席を立った。畑中がのろのろと食べ進めている間に、那須は食器洗いまで済ませ、スマホをいじる。
しばらくごはんの時間は続き、畑中がようやく最後の卵焼きを口に放り込み、2人の元へクリアメールが届いた。那須はそれを見届けると、踵を返して暗がりへと消えていった。
ご飯を食べ終えた南雲は1人、ふらふらと倉庫内を散歩していた。
コンクリートの床と壁が続くこの倉庫は、学校の体育館以上の広さがあり、等間隔で大人が一抱えできる太さのコンクリート製の柱が立っている。壁際にはガラクタや段ボールが積みあがってたりするものの、倉庫として使われている形跡はない。ただ全体的にきれいで、割と清掃が行き届いている。しっかり管理している会社だったのか、それとも持ち主がきれい好きなのだろうか。
暗がりをスマホで照らしながらうろうろしていると、壁際にスイッチを見つけた。少々ためらいながらもパチンとスイッチを作動させると、蛍光灯が点き、倉庫内が一気に明るく照らされた。奥の方から、うおっ、まぶしっ、という悲鳴が聞こえてくる。
南雲も眩しそうに目を細めながら、天井を見上げて呟いた。
「・・・最初から点けといてよ」
そう独り言をぼやいた瞬間、あの例の雑音が流れ出した。全員、雑音に反応して柱のない一角に集まる。と、相変わらず歪んだあの声が6人の頭上から降り注いだ。
「全員、第一の指令をクリアした。ご苦労。こんな感じで指令は進んでいく。では、次の指令まで休息を取るがいい。健闘を祈る」
「・・・案外親切だな」
谷場がそう天井を見上げながら呟くと、隣にいた海老澤が肩をすくめながら応じた。
「そうか?逆にこっちのほうが怖くないか?・・・本当にこう、ゲームとして楽しんでる、って感じで」
「ゲームねえ・・・。クリアすれば俺らは褒美がもらえるけど、相手は何のメリットがあるんだろうな」
「だから俺らはゲームの駒なんだよ。谷場だってそうだろ。RPGをやるのに、パズルをやるのに、将棋をやるのに、楽しさ以外の理由は求めないだろ。ゲームの中で戦っても、人が死んでも、それはゲームの中の出来事だから俺らは傷つかないし」
海老澤の淡々とした言葉に、那須が少しイラつきを込めた声を出した。
「何それ、私たちが困惑してるの見て楽しんでるってこと?趣味わるっ」
「どっちにせよ、淡々とこなしていくかしかねえな」
海老澤がそう応じて離れようとすると、南雲がぽつりと呟いた。
「そういえば、この指令。・・・クリアできなかったら、どうなるの?」
その言葉に、全員が動きを止めた。しばしの沈黙の後、那須が声を震わせながら呟く。
「確かに、失敗したら、とか、ゲーム放棄、とかは言ってたけど・・・。具体的なこと、何も聞いてない」
那須の言葉で全員が口を閉ざした。沈黙が場を支配する。と、耳が痛くなるほどの無音を破るように、谷場があえて明るい口調で言葉を発した。
「・・・そんなifを考えても仕方ない。とりあえず休憩しよう。まだ慣れない空間で疲れてるだろうし」
その言葉には誰も答えなかった。全員が不安そうに携帯を見たり、倉庫内を見渡したりしている。と、黙って携帯をいじっていた丹部が吐き捨てるように呟いた。
「んだよ、殺し合いとかねえし、つまんねえな。こっち来たら殺すからな」
そう言うと、彼は隅に敷かれた布団の元へと歩いて行った。那須もそそくさとその場を離れ、離れた位置に敷いてある布団に座り込む。畑中もそれにならい、折りたたまれていた布団を壁際に敷きはじめた。
南雲もその場を離れようとすると、谷場が引き留めて薄暗い一角を指さした。南雲は無言で応じて、谷場と一緒に歩く。
2人で人気のない暗がりへ移動すると、谷場が神妙な面持ちで南雲に問いかけた。
「なあ、ここで生活なんて、出来ると思うか?」
「・・・わからない」
「え?」
谷場の問いかけに対し、南雲は少し沈黙してから、目線を伏せゆっくりと首を横に振った。
「どうにかなってほしいけど・・・」
「どうにかって・・・。どうにかしようって思わねえか?」
谷場が苛立ちを隠さずに言うと、南雲は少しだけ目線をさまよわせてから、再び地面に向けた。
「ごめん、おれ、そういうの苦手で・・・」
「・・・じゃあ、他のやつらは見ていてどう思う?」
「どう・・・。ごめん、まだ、わかんない」
南雲がそう答えると、谷場は何も言わないまま南雲の顔を見下ろした。失望と諦めが入り混じったような、冷たい目をしていた。と、そんな2人の会話に海老澤が割って入り、谷場をなだめるように穏やかな口調で口を挟む。
「まあほら、まだ数時間だし、2人も無理やり連れてこられたんだろ。まだ受け入れられてねえのかもな」
「そうだけどな・・・。って会話聞いてたのか?」
谷場が驚いたように言うと、海老澤は頷いた。
「すまん、こそこそされると気になるたちで」
「・・・まあいいけど。内緒話するような仲でもねえ」
谷場が乱暴な口調で言うと、海老澤は肩をすくめて近くの柱に寄り掛かってから、2人の顔へ交互に目線を向けた。
「にしても、何が目的なんだろうな。こんな接点のない人間ばっか集めて」
「・・・何かの実験とか?おれ、心配させるような家族もいないし」
南雲が不安げな口調で言うと、3人の間には重い空気が流れた。それを打ち消すように、海老澤はあえて口角をあげ、明るい口調で話しかける。
「すまんな、話を変えよう。・・・褒美って何だと思う?」
「・・・何だろうな。願いをかなえてくれる、とか」
谷場がいうと、海老澤はほう、とどこか驚きと喜びが混じった表情で眺めた後、わくわくしたような口調で問いかけた。
「何か叶えてほしい願いがあるんだ」
「・・・ああ。まあ俺も普通の人生は送れてないものでな」
谷場の言葉を掘り下げようとはせず、海老澤は南雲へ視線を向けた。
「南雲は?」
「おれは・・・。どう、だろう」
おどおどと答える南雲へ、谷場が冷たい目線を浴びせた。
「願い事もねえのか?」
「おれ、将来のことなんて全然考えたこともなくて、何を願えばいいのか・・・」
ハッキリしない態度を取る南雲に、海老澤は呆れたような顔を見せた。谷場も心底呆れ切ったような平坦な口調で、南雲へ言葉を投げつける。
「よく生きてこれたな。そういうの、変えようとか思わねえのか?」
「・・・良くないとは思うけど、なんか、わかんない」
「ほらまた。南雲だって変われると思うぜ。自分が変わりたいと思うなら」
谷場がそう半ば吐き捨てるように言うと、海老澤も隣で何回も頷いた。南雲はその言葉に、どこか泣き出しそうな悔しそうな顔で、視線を地面に向ける。
と、黙り込んだ3人の間を切り裂くように、急に女性の叫び声が響いた。真っ先に海老澤が動き、声のした方向へと走っていき、南雲と谷場も慌てて後へ続く。
3人が声の主の元へたどり着くと、那須が布団の上で座りながら枕を振り回し、布団の近くにしゃがみこんだ畑中を押しやっているところだった。駆けつけた3人を見た那須が、少し取り乱した様子で叫ぶ。
「何しにきたの!3人も!何しにきたの!」
「那須、落ち着け。俺らは敵じゃない」
「嘘でしょ!帰って!帰って!」
谷場は、完全に取り乱している那須から畑中を引き剥がした。そのまま柱の裏手に引きずって行き、逃げないよう腕を掴みながら低い声で尋ねる。
「お前、何やったんだ」
「な、なにも、おれはなにも、ちがう、違うんだ」
「何が違うんだよ」
谷場がそう威圧的に言うと、畑中は口をもごもごさせ、言葉にならない言葉を並べ始めた。と、見かねた海老澤が間に入り、淡々とした口調で谷場を諭すように言う。
「こんなことしても話すやつじゃないだろ。畑中が悪いと決まったわけじゃない。落ち着けよ」
「・・・すまん。で、何があったんだ」
「なにも、なにも、な、何も」
畑中はしばらく意味のない文字の羅列を繰り返していたが、やがて落ち着いてきて、ぽつりぽつりと意味のある言葉を喋り始めた。
「コンセント、なくて、探してたんだ。スマホ、充電したくて」
「ああ、布団の近くになかったんだな」
「探してたら、あいつの布団蹴っちゃって、そしたらあいつ叫んで飛び起きて、枕振り回してきて」
「布団蹴ったのかよ・・・」
谷場が呆れた表情で言う隣で、海老澤が真剣な顔で畑中を見つめて言った。
「・・・那須以外は全員男だ。ここで寝泊まりするとなれば、神経質になってもおかしくない」
その言葉に、畑中は視線を逸らしながら小声で反論する。
「だからって、近づいたくらいで」
「・・・女性は男より力もないし、たとえお前みたいながりひょろでも怖がる女性がいるんだ。嫌われたくないなら覚えとけよ」
海老澤はそう淡々と返すと、那須の方へ歩いていった。畑中はそれを目で見送っただけで動こうとしなかったが、谷場がぐいっと畑中の腕を掴んで歩きだした。
「どうであれ、那須さんに謝ろう」
「謝る?何もしてないのに」
「怖がらせたのは事実だろう?」
「あ、あいつが、勝手に怖がっただけ。おれは何もしてない。だ、大体、なんで、あんなヒステリックなの。おかしい」
「それでも謝るんだよ」
体格の差で畑中を引きずるように歩き、2人は那須の元へ到着した。那須を慰めている海老澤の横で、南雲が所在なさげに立ち尽くしていた。不安、という言葉がそのまま顔に書いてありそうな表情を浮かべている。
谷場が畑中を前に押し出そうとするが、畑中は全力でそれを拒んだ。
「意味わかんない!意味わかんない!俺なんも悪くねえじゃん!」
「意味あんだよ。驚かせたら謝る。普通だろ」
「だ、だって、向こうが勝手に・・・」
「言い訳しない。静かに寝てた那須より、コンセントを探して歩き回ってた畑中の方が悪いだろ」
谷場の言葉に、畑中は口をもごもごさせながら黙りこんだ。と、海老澤が茶化すように言う。
「何か谷場って、お父さんみたいだな」
「・・・これでも俺、一児の父だったんで」
「・・・そうか」
一瞬の静かな間の後、布団を掴んで震えていた那須が、畑中を鋭く睨んで低い声で言った。
「・・・帰って」
「那須、落ち着け。こいつも悪気があったわけじゃ・・・」
「帰って!私に近寄らないで!ほっといていいから!」
那須が悲鳴に近い声をあげ、枕を投げつけた。海老澤が首を振りながら立ち上がり、ただただ那須を眺める3人の背中を押す。
「今は1人にしておこう」
そう言うと、3人を誘導してキッチンの前に連れていった。全員喋らず、那須に背を向けて黙々と立ち去る。
海老澤はキッチンの近くにあったぼろい木の椅子に腰かけ、一息ついてからそれぞれの顔を眺め、ふと思い出したように部屋の一角へ視線を向け呟いた。
「そうだ、丹部は?」
「あー・・・。そういえば、こんな騒いでたのに何も反応ねえな。俺、見てきますよ」
谷場はそういうと無言の3人の元を離れ、丹部の寝床へ向かった。
寝床へたどり着くと、丹部は布団の上に寝っ転がり、充電器に繋いだスマホをいじり倒していた。不機嫌そうなオーラ全開の彼に向かい、谷場が静かな声で話しかける。
「丹部くん」
丹部はその声に一切反応を返さず、指をひたすら動かし続ける。谷場はもう一度、先ほどより大きな声で呼びかけた。
「丹部くん」
「んだようっせーな!こっち来んなっつったろうが!」
一気にキレる丹部にも動じず、谷場は少し肩をすくめながら、言い訳するように答えた。
「丹部くんだけ来てなかったから、寝ちゃったのかと思って」
「黙ってろよ。俺はお前らと慣れ合う気ねえんだよ。こんなんさっさとクリアすんだから」
丹部が画面から目を離さず、吐き捨てるように言う。と、その言葉を聞いた谷場は、ゆっくりとその場に腰を下ろし、丹部の顔を横から眺めながら話しかける。
「クリアしてどうすんだ?」
「・・・クリアして、褒美で人生やり直す」
「へえ、丹部くんは、俺らとは話すつもりすらないのに、メシアだっけ?話したことない他人の言葉をそのまま受け取るんだ」
谷場がそう静かに言うと、丹部は初めて画面から視線を外し、上半身を起こして谷場のほうへ顔を向けた。谷場はうっすらと穏やかな笑みを浮かべながらも、どこかあざ笑うような口調で言う。
「褒美が何かすらわからないのに」
「・・・お前も、それ目当てでつられたんだろ。あのチラシ」
その言葉に、谷場はわずかに頷いた。確かに、ここに来るきっかけになったあのチラシには、クリアすれば賞品ありと書いてあった。彼がそれにつられたのは事実だった。
でも、と谷場は笑みを崩さずに続ける。
「もう今は褒美なんて考えるような余裕ないけどね。それに、その態度を何日間続けるつもり?」
「・・・何が言いてえんだよ」
必死に威嚇する丹部に対し、まるで小動物をなだめるときのような口調で、谷場が続けた。
「このゲームは、数時間、いや、数日で終わるものなのか?」
「・・・終わるだろ」
「それは勝手な君の希望だよね」
にこやかな態度から一変して、谷場が冷たく言葉を発する。丹部は一瞬だけ戸惑うように瞳を揺らした後、ハッと気づいて威嚇するような声を上げた。
「こっちに来るんじゃねえ、そう言っただろおっさん!さっさと帰れよ!」
「・・・また呼ぶからね」
そう言うと谷場は立ち上がり、その場から立ち去った。丹部は立ち去る谷場の背中を呆然と眺めていたが、やがて軽く鼻を鳴らし、再び布団に寝っ転がってスマホへ視線を向けた。
谷場が元居た位置に戻ると、そこには海老澤1人が残っていた。谷場の軽く肩をすくめた動作で結果を理解したのか、海老澤は少し笑いながら口を開く。
「まあ他人の心配なんてするタイプじゃないわな。お疲れ、ありがとな」
ああ、と谷場は軽く応じて、海老澤から少し距離を空けて椅子に座った。微妙な2人の距離が、その場の空気感を表しているようだった。互いにどう切り出そうか、少しだけ探るように視線を向ける。
と、先に口を開いたのは谷場だった。
「・・・こんなんでやっていけんのかな」
「どうだろうな」
「・・・こんな協調性のないメンバー、俺まとめられねえぜ」
谷場はため息をつきながら呟くと、疲れた様子でスマホを取り出した。海老澤はそんな谷場をどこか無の表情で眺めた後、無理矢理口角を上げて言った。
「まあ、指令は簡単だし、のんびりやろうぜ」
「そうだな・・・。にしても本当に、メシアってのは何が目的なんだろうな」
谷場の問いかけには応じず、海老澤は黙ってスマホを開いた。
谷場を追い返した丹部の元へ、メールが届いた。あの指令だ。彼は指を気だるげに動かしメールボックスを開く。
『第3の指令。丹部昌大。台所をきれいに片付けろ。期限は2時間』
そんな簡潔な一文を何回か読んでから、丹部は舌打ちをしつつ身体を持ち上げ、台所へ視線を向ける。台所近くの椅子には谷場と海老澤がいた。丹部には相性の悪い2人だった。
「畑中とか南雲なら脅してどかせんのに、あいつらかよ・・・」
舌打ち交じりにそう呟きながら、丹部は再び横になった。しばらくスマホをいじりながら台所を見ていると、ようやく2人が席を外した。
丹部はのろのろと起き上がり、気だるげな動きで台所の前に立つ。とはいえ谷場や那須が食器を洗ってくれたのか、残っているのは鍋と、ちょっとだけ汚れたIHコンロくらいだった。
仕方ねえか、と口の中で呟きながら丹部は近くにあった布巾を手に取り、冷蔵庫やIHコンロをきれいに拭いていく。
拭き終えた後、慣れない手つきで鍋を洗っていると、近くを通りがかった海老澤が声をかけてきた。
「お、掃除してくれてんの?」
「ああ?うっせえよ。お前らのためじゃねえよ、向こう行けよ!他人にも話すなよ!」
丹部が威嚇するように言うと、海老澤はふーんと台所を見渡した後、少しだけ笑った。
「俺らのためじゃなくても、キレイだと使いやすいから助かるよ。ありがとな」
そう言い残し、海老澤は倉庫の奥のほうへ消えていった。丹部はその言葉に少しだけ手を止めたが、すぐに鍋を洗い終え、調理器具をすべて元に戻す。
と、彼の携帯が震え、クリアメールが届いた。丹部はそれを何の感情もなく見つめると、やがて寝床に戻り、再び携帯いじりを再開した。
一方。隅っこで携帯をいじる南雲の元にも、指令のメールが届いていた。
『第3の指令。南雲聡。集団生活する上でのルールを話し合って決めろ。期限は2時間』
2時間、と口の中で呟きながら、南雲は顔を上げて周囲を見渡した。
今の彼の視界に入るのは、布団を抱えながらスマホをいじっている那須くらいで、他の4人は姿すら見えない。こんな状態で話し合いできるのか、と彼は何回も簡潔な1文を読み返す。それでも、指令が変わるわけもなく。
「海老澤さんか、谷場さん・・・」
この状況を打破できそうな人の名前を呟いたところで、ふと彼の脳裏に先ほどの谷場の言葉がよぎる。南雲だって変われると思うぜ。自分が変わりたいと思うなら。その言葉が深く南雲の心に突き刺さり、そしてえぐった。
だが、それでも彼はまだ、変わろうと思えるほどの勇気も気力も持ち合わせていなくて。彼の瞳は不安げな色を浮かべたまま、海老澤と谷場を探そうと歩き始めた。
広いとは言え、隠れるスペースはほとんどないこの倉庫。少し歩けば、柱にもたれかかるようにして座り、スマホを眺めている谷場の背中を見つけることができた。南雲は斜め後ろから近づき、谷場に声をかけようと手元を覗き込んだところで、動きを止めた。
彼が持っていた携帯には、可愛らしい女性、赤ちゃん、谷場の3人で撮った写真が映っていた。家族写真らしく、全員が素敵な笑みを浮かべている。
南雲は思わず固まって、どう声をかけようか迷っている間に、視線に気が付いたらしい谷場がスマホをしまいながら顔を上げた。
「・・・何、どうしたの急に」
「い、いや、えっと・・・」
南雲は少し狼狽えたが、有無を言わさない谷場の鋭い目線に負け、絞り出すように当初の予定だけを告げる。
「えっと、集団生活のルールとか、決めたほうがいいかなって。掃除当番とか・・・」
「・・・そうだな。なあなあだと不満もたまるし、決めるか」
賛成の言葉を聞いて、南雲は思わず安堵の息を吐いた。
2人で手分けして人を集め、不機嫌そうな丹部も何とか引っ張り出し、倉庫の一角で円形状に座る。と、谷場が無言で南雲に目線を投げた。言い出しっぺは南雲だろ、と言わんばかりの表情で。南雲は少し緊張しながらも、伝わるようにゆっくりと話を切り出した。
「えっと・・・。数時間で解放されるようなゲームじゃないっぽいし、ここで生活するうえでルールを決めたいんだけど・・・」
「いらねえだろ。淡々と指令クリアしていきゃ問題ねえだろうが」
丹部の不機嫌そうな言葉に、南雲がうっと言葉に詰まった。と、隣から谷場が丹部の顔を鋭く見つめながら言う。
「丹部。キッチンもトイレやシャワーの水回りも、全部共用だ。今はいいが、6人もいると掃除しねえとすぐ汚くなるぞ。男ばかりだし」
「やりたいやつがやりゃいいだろ」
「掃除なんて誰がやりたいんだ。メシアがいちいち、指令で掃除当番指名してくるとでも?」
「すんじゃね。建物だってそいつ名義だろ。汚れた一番困るのはメシアだろうがよ」
投げやりな丹部の返答に対し、谷場は怒りを抑えた声で淡々と諭すように言う。
「・・・丹部。使ったら使った人が片付ける、それがマナーだ。駄々をこねるな」
「うっせーよ、おっさん。善人ぶってると足元掬われんぞ」
「善人云々の話じゃねえ!人間として生活する上での、最低限のマナーだ!」
谷場と丹部がやりあうのを、南雲と畑中は不安そうな顔で、海老澤は少し呆れた顔で、那須は興味なさげな顔で見守っている。
うだうだと文句を並べる丹部に対し、谷場がとうとうキレて叫んだ。
「文句を言うな!お前、どんな育ちしてきたらそうなるんだ!親には教わらなかったのか!?」
「・・・うるせえ!うるせえうるせえ!育ちとかマナーとか知るかバーカ!」
丹部はそう捨て台詞を吐きながら、どこかへと走って行ってしまった。海老澤が追いかけようと腰を浮かすが、谷場が怒りを露わにしながらそれを制した。
「海老澤、いい。あんなのほっとけ」
「でも話し合い・・・」
「いらねえよ、あんな和をかき乱すやつ。・・・すまんかった、南雲進めてくれ」
「あ、ああ・・・。はい」
南雲は戸惑いながらも、4人の顔を見渡しておどおどと話を切り出した。
「えっと、それで、倉庫の床は広いからあんま汚れないだろうし、キッチンと水回りの2か所だけでいいと思うんだよね・・・」
「キッチン清掃と、トイレシャワー清掃?」
海老澤の質問に、南雲は頷きながら続けた。
「そう。だから、両方1日1回清掃で、名前順でやればいいかなって思ったんだけど・・・」
「名前順かあ。確かにそれなら平等かもね」
那須が同意するように頷いた。賛成意見を聞いて、南雲はホッとした表情を浮かべながら続ける。
「1人2か所は大変だから、キッチンは上からで、水回りは逆に下から順番でやっていけば、6人だし重ならなくてちょうどいいかなって・・・」
「ふむ・・・。名前順だと、海老澤、谷場、南雲、那須、丹部、畑中か。確かにちょうど良さげだな」
海老澤の言葉に、畑中が少し慌てた表情を浮かべた。
「えっ、おれ今日当番?」
「ああ。いつかはやるんだ。早いほうがいいだろ」
「・・・寝る前でいい?」
「もちろん。シャワーなんてまだ誰も使ってねえし。簡単でいいよ、汚れてたらそこだけ洗って、後は髪の毛取るくらいで」
海老澤の言葉に、畑中はどこか落ち着かなさそうに頷いた。と、那須が興味なさそうな淡々とした口調で言う。
「でもそれ、丹部はどうすんの?外すの?」
「それだと、おれが重なってキッチンと水回り、2か所やらなくちゃいけなくて、今どうしようって・・・」
南雲が弱々しく言うと、谷場がまだ怒りが残った口調で吐き出す。
「いや、丹部にも絶対やってもらう。あんな態度とってるから外す、なんて考えらんねえよ」
そう言いながら立ち上がろうとした谷場を、今度は逆に海老澤が制した。
「谷場、そんな怒りながら言ったって、あいつには逆効果だろ。・・・俺と南雲で行くよ。待っててくれ」
「・・・頼んだ」
自身が冷静になってない自覚があるのか、谷場は再び地面にどっかり座り込んだ。一方南雲は、急に名前を出されたことに少し慌てながら応じる。
「お、おれ・・・?」
「そりゃそうだろ、言い出しっぺなんだから。システム発案も南雲だし」
「ええ、できるかな・・・」
海老澤は、不安げなままの南雲の腕を無理矢理掴み、丹部が走っていったほうへ歩いていく。
姿を探しながらしばらく歩くと、丹部はちょうど集まった場所からは死角になるような、柱の陰に座り込んでいた。丹部は不機嫌そうな表情のまま海老澤と南雲を鋭く睨みつけ、その視線に怖がった南雲が、少しだけ後ずさる。
「ほら、南雲」
海老澤が小声で南雲を押し出し、南雲は少し震えながらも丹部の前に一歩踏み出した。腰は引け、今にも逃げだしそうにしながらも、震える声で丹部に話しかける。
「あ、あのね、掃除当番を決めまして・・・」
「・・・やんねえって言っただろうがよ」
「な、名前順にしたから、丹部くんの担当は・・・。明日の水回りと、5日目のキッチンを、よろしくお願いします」
「やんねえよ」
「つ、伝えたから!」
南雲は限界を迎えたのか、それだけ言い残すと先ほど集まっていた場所へ走り去っていった。海老澤と丹部はそんな逃げ去る南雲を少し見つめていたが、やがて丹部は舌打ちして視線を前に戻した。海老澤も緩く頭を振ってから、落ち着いた声で丹部へと声をかける。
「・・・まあ、あんな気弱な人間が勇気をだして伝えに来たんだし、それに免じて協力してくれねえか?」
「やだっつってんだろ。聞いてただろ、さっきの喧嘩」
「なんか谷場とは相性悪いみたいだけどな。俺は違うだろ?・・・それに、さっきキッチン掃除してくれてたし」
「指令に決まってんだろうが。・・・他には言うなよ」
丹部が少し声のトーンを下げながら言うと、海老澤は軽く笑った。
「もちろん分かってるさ。この通り、皆の前では言ってないだろ?」
「・・・お前、嫌な奴って言われない?」
「丹部ほどじゃないよ」
「やっぱ嫌な奴だわ。どっか行けよ」
丹部が顔をしかめながら言うと、海老澤は笑みを崩さないまま念を押すように言う。
「じゃあ、明日の水回りからよろしくな」
「やんねえからな!」
「はいはい」
丹部の威嚇の声を受け流しながら、海老澤は4人がいるスペースへと戻ってきた。不安そうな表情を浮かべる南雲、畑中、そして不機嫌そうな谷場、興味なさげな那須に向かって、海老澤は精一杯の穏やかな声で言う。
「ちゃんと言ってきたから大丈夫。6人で回そう」
「良かった・・・。すみません、集まってもらって、ありがとうございました」
南雲が心底安心したように呟いて頭を下げると、那須と畑中は安心したような表情になり、立ち上がってどこかへ行ってしまった。それを見送ってから、海老澤がわずかに笑みを浮かべる。
「いずれ決めるべき事柄だったしな。ちょうど良かったわ。ありがとな」
「いえ、おれは何も・・・。海老澤さんも谷場さんも、ありがとうございました」
南雲が頭を下げると、谷場が不機嫌そうに呟いた。
「・・・何なんだよ、あの丹部ってやつ。ろくに協調性もねえし、ずっと腹立たしい態度ばっか取るし。・・・っざけんなよ」
「谷場、落ち着け」
「・・・ああ、外にも出れねえし、酒もねえ。くそが」
谷場はいらついたままそう吐き捨てると、どこかへ行ってしまった。南雲は不安そうにその谷場の背中を見つめていたが、やがて海老澤のほうへ不安げな視線を向ける。
「大丈夫、ですかね」
「どうだろうな。いい大人だし、自分で処理してくれると信じたいが・・・」
海老澤も、不安そうなに軽く首を横に振りながら応じる。2人はしばらく不安げにその場に立ち尽くしていたが、やがて海老澤はため息とともに別の方向へ歩いていった。
と、1人になったのを見計らったかのように南雲の携帯が震え、指令のクリアメールが届いた。南雲はそれを見て、安堵なのか不安なのか、自身にすらわからないため息をついた。
1人になった畑中は、そわそわと落ち着かない様子のまま、スマホ片手にうろうろと周囲を歩く。そのスマホの画面には、こんな一文が書いていった。
『第3の指令。畑中琉人。自分以外の誰か3人の好きな食べ物を調べ、名前と好物を書いてこのメールに返信しろ。期限は2時間』
その画面へ時折視線を向けながら、畑中はターゲットを探す。那須は先ほど怒られたから嫌だ。谷場はなんかキレているから怖い。丹部も話しかけられない。
そこまで考えて、彼の動きが止まった。3人、これは難しいのではないだろうか。そんな途方に暮れる畑中の隣を南雲が通りがかり、畑中は慌てて呼び止めた。
「な、なぐも、くん」
「ん?ど、どうした?」
気弱な2人が、互いに不安そうな表情を浮かべたまま見つめ合う。と、ようやく畑中が言葉を振り絞って、南雲へ問いかけた。
「えっと・・・。好きな食べ物、何?」
「好きな食べ物ねえ・・・。何でもいいの?」
「なんでもいい」
畑中の答えを聞いて、南雲は少し考え込むように手を止めた。が、すぐに曖昧な笑顔を浮かべながら口を開く。
「好きな食べ物は納豆巻き、かな」
「へー・・・。どうも」
素っ気ない返事をする畑中に、南雲は少しだけ不思議そうな表情になったが、畑中は気にせず立ち去った。
次に彼の目がとらえたのは、海老澤だった。椅子に座ってぐったりしている彼に、遠慮がちに声をかける。
「え、えびさわ、さん・・・」
「・・・ん、畑中か。どうした?」
海老澤が少し目を開けて応じると、畑中は少しもじもじしたあと、先ほどと同じように質問を投げかけた。
「好きな食べ物、何?」
「食べ物なー、なんだろうなー・・・。ああ、ハンバーグかも。大きな、分厚いハンバーグ。・・・これでいい?」
笑顔で答える海老澤に、畑中もつられて笑顔を浮かべながら、ペコっと頭を下げた。海老澤は片手をあげて応じてから、再び目を閉じる。どうやら疲れているようだ。畑中は休憩の邪魔をしないように、そそくさその場を離れる。
畑中はスマホに2人の好物を打ち込みながら、誰に聞くのが一番ましか、3人の顔を順繰りに浮かべていた。丹部、谷場、那須。誰が一番優しく応じてくれるだろう。
と、そんなぐるぐる回る思考を、唐突な怒号が打ち消した。男性の声が倉庫内に響き渡る。驚いて立ち止まる彼の隣を、海老澤が走り抜けていった。その様子を見て彼も我に返り、反射的に後を追いかける。
怒号の主の元へたどり着くと、谷場が丹部の胸倉を掴んでいるところだった。海老澤が仲裁に入るが、谷場は手を緩めることなく丹部に向かって怒鳴りつける。
「っざけんな!何が掃除当番やらねえだ!やりたくないなら結構、ゲームを放棄していますぐ出ていけ!」
「近づくな、おっさん。暑苦しい。俺はゲームしに来ただけなんだよ。くだらねえ慣れ合いなんて」
「慣れ合いじゃねえ!てめえはトイレもシャワーも使わねえのか?飯は一切食わねえのか?使うだろ?食うだろ?使ったら汚れる、だから片付ける。当たり前なんだよ!」
「谷場、落ち着けって!」
海老澤が引き剥がそうとするが、体格差では2人に勝てず、逆に激高した谷場に突き飛ばされてよろけた。慌てて近くにいた南雲が海老澤を支える。
胸倉を掴まれた丹部が、鬱陶しそうに谷場の胸倉を掴み返し、握った手に力を込めながら静かに言い放った。
「うっせーよ、おっさん。そもそもお前、俺と喧嘩して勝てると思ってんの?」
「これは喧嘩じゃねえ。必要な教育だ。お前に圧倒的に足りてねえもの」
「・・・黙れっつってんだろうが!」
丹部が叫ぶと、そのまま膝蹴りを放った。避ける間もなく谷場の腹に膝が入る。不意打ちを食らってグッとうめきながら手を離した谷場へ、さらに太ももに鋭い蹴りを入れてから、丹部は手を離した。
谷場は崩れ落ちるように、地面に膝をついた。荒く呼吸を繰り返しながらも睨みつけるのを止めない谷場へ、丹部はさらに追い打ちをかけるように蹴りを放った。その足先は真っ直ぐ谷場の頭に向けられている。と、咄嗟に海老澤が丹部を羽交い絞めにし、バランスを崩した丹部の蹴りは谷場の顔の横を掠めた。南雲も加勢し、2人がかりで丹部の動きを止めると、丹部は力任せに暴れながら叫んだ。
「何が教育だ!親ですらないくせに出しゃばんな!」
「丹部、落ち着けって、ほんと・・・」
海老澤が苦しそうに言うが、丹部は落ち着く気配を見せず、2人を引きずりながら谷場の元へ向かう。谷場は少し咳き込みながらもようやく立ち上がり、闘志を失っていない鋭い目つきで丹部を睨みつけた。そんな谷場に向け海老澤が叫ぶ。
「おい谷場!離れろ!止めろ!もう抑えきれねえ!」
「ああ?喧嘩上等だよ!」
「ふざけんな!2人の喧嘩、誰が止められんだよ!やめろ!やめてくれ!」
海老澤が悲鳴に近い声で叫ぶ。那須と畑中が柱の陰に隠れながら見守る中、ようやく谷場と丹部は動きを止めた。谷場はしばらく丹部を睨みつけていたが、舌打ちをするとどこかへ歩き去っていった。丹部もすぐに海老澤たちの手を振り払い、谷場とは反対方向へ大股で歩いていく。
残された海老澤と南雲は肩で息をしていたが、やがて海老澤は大きく息を吐くと、その場にしゃがみこんでしまった。
「あいつら・・・。何なんだよ、もう」
「海老澤さん、大丈夫・・・?」
「・・・ああ。南雲、ありがとな」
海老澤はそう言うと、ふらっと立ち上がりどこかへ歩いて行ってしまった。南雲は少し不安そうな表情を浮かべたが、すぐにスマホの画面に目線を落として、その場から離れる。
残された那須と畑中は少々呆然としていたが、やがて畑中が、少し離れた位置にいる那須へ声をかけた。
「那須さん、好きな食べ物、何?」
「・・・桃」
「え、あ、うん、桃。・・・どうも」
答えをもらえると思ってなかった畑中が、慌てながらスマホにメモを取った。そして南雲、海老澤、那須の好物を書いたメールを返信すると、すぐに彼のスマホにクリアメールが届いた。
いつの間にか那須もいなくなっていて、再び静かになった倉庫内で、畑中は軽く頭をかきながら寝床へと戻っていった。
「・・・くそがよ」
谷場は1人、倉庫の隅で震えながら悪態をついた。
下手に叫ぶこともできない、どこかの施設へ遊びに行くこともできない、酒もない、タバコもない。ないもの尽くめの現状に、谷場はもう一回壁を殴りつけて、歯を食いしばった。自らの感情を抑え込むように。
数分経ち、ようやく自らの気持ちに区切りをつけた谷場は、ふーっと息を強く吐き出しながらスマホを開いた。そこには指令のメールが届いていて。
『第3の指令。谷場周也。この中の誰か1人のSNSアカウントを見つけろ。SNSならどのサービスでも可。見つけたらURLを記載してこのメールへ返信しろ。期限は2時間』
谷場は何も考えずに、スマホの検索画面に丹部昌大と打ち込んで検索ボタンを押す。
検索結果一覧に、ずらっとSNSのアカウントや名前が似てる他人の名簿なんかが並ぶ中、彼の目はとあるネット掲示板のタイトルへくぎ付けになった。
「関東で最も荒れている地域、ウミサキ区自慢・・・?」
そう呟きながら掲示板を開き、書き込みを下へスクロールしていくと、すぐにこの掲示板が検索に引っかかった理由が出てきた。
『126 ウミサキ区のななしさん 2012/06/23 15:53:ウミ一中は伝説がいたからな。丹部昌大って知ってるか?小柄なくせに先輩ぼこって、2年で全校掌握したやべえやつ。
127 ウミサキ区のななしさん 2012/06/23 16:35:>>126 先輩から聞いたわー 小さいころ親が出て行って1人暮らしなんだろ?
128 ウミサキ区のななしさん 2012/06/23 16:44:なにそれはじめてきいたkwsk
129 ウミサキ区のななしさん 2012/06/23 17:01:そのまんまだけどな だから中学生の癖に1人暮らしで日用品とか食い物もカツアゲで賄ってたんだってよ 先輩から聞いただけだから真偽不明』
谷場はそれを戸惑いながら読んでいく。と、彼の脳裏に先ほどの丹部の態度がよみがえった。彼がキレたきっかけは、確かに谷場が親について言及した直後で。
そこまで考えて、谷場は頭を振って掲示板を閉じた。所詮掲示板だ、と彼は呟きながら、検索結果一覧に出てきたSNSを開く。すると、丹部が本名でやっているらしいアカウントが出てきた。写真的にも本人ので間違いないだろう。投稿を遡ってみるが、あまりSNSを使用している形跡はなく、昔のダチという丹部と男の2ショットの写真、スマホゲームのスクショが数枚載っているくらいで、特に面白みはなかった。
谷場は事務的にURLをコピーしてメールに返信すると、すぐにクリアメールが返ってきた。と、再び谷場は元の検索画面に戻り、再びあの掲示板にアクセスする。
丹部に関する書き込みには、さらに続きがあった。
『130 ウミサキ区のななしさん 2012/06/23 18:49:中学生で一人暮らしとかwwwイキりたいガキの妄想だろwww嘘乙wwww
131 ウミサキ区のななしさん 2012/06/23 19:31:>>130 俺の親が教師してるけど、まじでそういう生徒いるらしいよ。どういう事情か知らないけど、親が常にいない家庭。さすが暴走族が生き残る町ウミサキだよな。
132 ウミサキ区のななしさん 2012/06/23 20:00:あーな、ガキでも喧嘩激しいしなー その丹部ってやつ、隣の二中の生徒3人と2日間に渡って喧嘩して、最終的にナイフ持ち出して3人に大けがさせて施設送りされたんだって
133 ウミサキ区のななしさん 2012/06/23 20:27:それ3vs1?丹部も下っ端引き連れてたんだろ?
134 ウミサキ区のななしさん 2012/06/23 20:34:>>133 3人を1人で相手したらしい
135 ウミサキ区のななしさん 2012/06/23 21:22:やっばw俺四中でよかったわーww』
谷場はそこまで眺めてからスマホを閉じ、大きく息を吐きだしながら壁に寄り掛かった。
「・・・所詮は、掲示板の噂だしな」
もう一度そう呟きながら、谷場はどこか寂しげな表情を見せた。
一方。喧嘩のあった場所から離れた那須もメールを開いていた。
『第3の指令。那須彩海。現在無職の人間を1人探し出し、名前を記載してこのメールに返信しろ。期限は2時間』
「無職ねえ・・・」
そう呟きながら、那須は周囲を見渡した。南雲、丹部、谷場は自己紹介で職業を言っていた。ということは、残っているのは。
「海老澤さんか畑中かなあ・・・。海老澤さんかな」
那須は導き出した答えを呟きながら倉庫内を歩く。あのスーツ姿を探しながら倉庫内をさまよっていると、苦しげな呼吸音が聞こえてきた。その音の発生源にそっと近寄ると、海老澤が柱に寄り掛かりしゃがみこんだままお腹を抑え、静かにうなっていた。
「・・・海老澤さん!?大丈夫ですか!」
「・・・那須、か。大丈夫」
「さっき殴られたとか・・・?」
「いや、ちょっと慣れない生活で、腹を下しただけだ。ほっとけば治る」
「そうですか・・・」
那須は戸惑いの表情を浮かべたが、改めて海老澤のほうへ向きなおって質問をする。
「海老澤さんって、今無職ですか?」
「・・・ストレートに聞くなあ。無職だよ」
苦笑いする海老澤に対し、那須はバツが悪そうな表情を浮かべた。と、海老澤も那須の顔を見上げながら尋ねる。
「そういう那須も無職だよな?」
「・・・無職です」
「だよな」
仲間だな、と呟きながら、海老澤はスマホを開いて何か打ち込み始めた。那須もそれにならって、先ほどの指令メールに答えを書いて返信する。と、お互いのスマホが震えた。どうやら2人一斉にクリアメールが届いたようだ。それに気づいた海老澤が、少しおどけた表情で尋ねる。
「・・・なんだ、同じ指令か?」
「無職の人間を見つける、ですか?」
「うん、そうそう。なんだ一緒だったんだ。仲間」
言葉の途中で、海老澤が苦しそうに咳き込んだ。思わず那須が手で背中をそっとさすると、海老澤は手でそれを制した。
「ありがとう、でもすぐ治るもんでもないから、本当にほっといてくれて構わない」
「・・・そうですか」
那須が手を止めると、海老澤は少し咳き込んだあと、再び那須の顔を見上げて問いかけた。
「那須は大丈夫か?急にこんな男だらけの場所に放り込まれて、プライベートもほとんどない。辛いだろ」
「・・・まだ、大丈夫です。早く終わってほしいですけど」
那須が困惑しながらもそう応じた瞬間、天井から雑音が漏れだした。そしてすぐ、倉庫内にあの歪んだ声が響く。
「本日の指令はすべて終了した。全員クリア継続。明日は朝8時に指令を送る。健闘を祈る」
それだけ告げると、声は途切れた。那須と海老澤は互いに安堵の表情を浮かべ、海老澤がスマホの画面を見ながらゆっくり立ち上がる。
「・・・もう19時か。飯を用意し始めても、罰は当たんねえな」
「もうそんな時間・・・。っと、本当に大丈夫です?」
ふらついた海老澤を那須が支えると、海老澤はありがとうと言いながら姿勢を整えた。
「・・・ちょっとあいつらを止めるのに、体力使っちゃったかな」
「無理はしないでください。・・・谷場と丹部が喧嘩したら、もう止められるの海老澤さんだけなんです」
那須の言葉に、海老澤は少しだけ神妙な面持ちになったあと、安心させるように笑みを浮かべた。
「ああ、大丈夫だ。寝れば治る。それより、飯の用意手伝ってくれないか」
「・・・もちろん」
那須はそう快諾すると、2人でキッチンに向かい、ご飯の用意を始めた。海老澤はかなりの手際の良さで、人数分の焼きそばと中華スープを完成させていく。皿を用意しながら、海老澤は那須へ声をかけた。
「全員呼んできてくれないか。もう出来上がるから」
「はーい」
那須が呼びに行ってから数分、最終的に食卓には5人が集まった。不思議そうな顔をする海老澤へ、谷場が少しぶっきらぼうな口調で言う。
「丹部は後で食うそうで。ほっとけ、あんなやつ」
「そうか・・・。まあ来ないなら仕方ない。先食うか」
狭いスペースに無理矢理並べた皿を囲み、全員で焼きそばを食べる。互いに会話もなく、黙々と焼きそばをすすっていく。
と、あらかた食べ終わったとき、南雲が口を開いた。
「・・・シャワーと寝る時間、どうします?」
「んー。広さを考えるといつ浴びようが騒音にはならないだろうし、好きなタイミングで入ってもらえればいい。掃除も入ったついででいいし。消灯は22時くらいでいいだろ」
海老澤が応じると、畑中が安心したような顔で頷いた。じゃあ、と谷場が那須へ視線を向けながら言う。
「最初那須入るか?それとも最後にするか?」
「・・・いいの?じゃあ食べ終わったらすぐ入ってきていい?」
「ああ、構わん。どうせ俺らは1日浴びなくてもどうってことねえし、野郎が使うとすぐ汚れるしな」
谷場が言うと、那須は笑いながらありがとう、と言った。
後は誰も喋らないまま全員食べ終わり、海老澤が食後の片付けを始める。と、すぐ横で谷場も一緒に片付け始めた。海老澤が驚いたように谷場を見る。
「当番じゃねえだろ、休んでおけよ」
「いや、今日は迷惑かけちまったし。恩返しじゃねえが、せめて手伝わせてくれ」
「・・・じゃあお言葉に甘えて。喧嘩しないのが俺にとって一番の恩返しなんだけどな」
海老澤が軽く言うと、谷場は少し苦笑しながら返す。
「悪かったって。俺ももう少し大人になるよ」
「丹部も落ち着いてくれればいいけどな」
「ああ。・・・片付けはこんなもんか?」
キレイになった台所を眺めながら谷場が言うと、海老澤も頷いた。
「汚れが目立ってなければいいだろ。余った飯はラップしておいとくか。数時間じゃ腐んねえだろうし」
「・・・海老澤は優しいな」
谷場が呟くと、海老澤は少しだけ黙った後、寂しげな笑顔を浮かべた。
「別に、優しくねえよ」
「いや・・・。まあいいや」
谷場は何か言いかけた言葉を止めて、海老澤の肩をポンと叩いた。
「おやすみ。また明日もよろしく」
「ああ、おやすみ」