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鏡の世界  作者: 現野翔子
序章
10/277

春と言えば

 今日は朝食後のゆったりした時間を過ごしていると、栄先輩がお出かけの準備を始めた。どこへ行くのだろう。


「羽衣も一緒に行こう。そろそろ土筆の季節だからね。」

「あっ、行く!私、土筆のきんぴら好きなんだよね。この時期しか食べられないの。」


 毎年父と取りに行っていた。小さい頃は少し苦く感じて食べられなかったけど、収穫して袴を取る作業は好きだった。今は食べるほうも好きだ。

 わくわくしながら私もお出かけの準備を手早く済ませ、先に玄関を出る。


「すごく好きなんだね。じゃあ、筍は好き?」

「すっごく!アクを抜かなきゃいけないんだよね。」


 どう抜くのかは知らないけど、そう聞いた覚えがある。エグミというものが口の中に残るそうだ。


「水煮の筍を使えば、そんな手間はないよ。今日の夕飯は、筍ご飯に、筍のかか煮、土筆のきんぴらとお吸い物だ。」


 歩きながら教えてくれるのは食品を買いに行った時のお母さんと同じだ。今は土筆を取りに行っているけど、そんなの大した違いではない。


「春らしいメニューにするんだ!私、筍のかか煮を次の日に天ぷらにしたのも好きなんだ。」

「かか煮を揚げるんだ?まあ、できるけど。いや、明日で食材を使いきらないといけないから。」


 冷蔵庫に残っている食材と相談になるのか。今回は諦めることになるかもしれない。してもらえるかなと期待しつつ見つめれば、ばちりと目が合った。


「分かった、明日は天ぷらにしよう。鶏モモの柚子皮煮の予定だったんだけど。」

「え?何、それ。それも気になる。」


 名前から想像はつくけど、食べたことのない料理だ。だけど、鶏モモのトマト煮も少しピリッとして、さっぱりと食べやすかった。


「それはいつでも作れるから。切干大根は置いておいても大丈夫だし、後はどの季節でも買い直せる物だから。余った食材は冷凍しておいてもいいし。だけど、筍は今の季節限定だ。」

「明後日は?」

「入寮日だからね、明後日は。」


 忘れていた。そうなると来週以降にお預けだ。その時まで楽しみにしておこう。

 今のところ、栄先輩の作るご飯は全て美味しいと感じられるものだ。おかげで、鏡を抜けてしまう前とあまり変わらない豊かな食生活を送れている。むしろ昼食に即席麺を食べなくなったことで、以前より健康的な食事になっているかもしれない。

 少し良い気分で歩いていると、近所のおばさんに声を掛けられた。私を兄のことが大好きな妹と勘違いしたおばさんとは別人だ。


「お散歩かい?仲良しだねえ。」

「ええ。二人で土筆を取りに行こうという話をしていて。」

「羨ましいねえ。私の下の子なんてまだ小学生だってのに、お兄ちゃんとは一緒に歩かない、なんて言い出して。」


 おそらくこの四、五日であのおばさんが話を広めたのだろう。近所の人の情報網は侮れず、朝犯した失敗がその日の夕方にはもうみんな知っている状況になっていることすらある。


「恥ずかしくなってしまう子もいるのでしょうね。」

「そうよねえ。妹ちゃんはお兄ちゃんとのお出かけ好きなのかい?」

「え、あ、はい。」


 私に話が振られるとは思っていなかった。そのため、驚いて簡潔な返事となる。それ以上何も言えない私を気遣ってか、栄先輩が会話を繋いでくれた。


「可愛いでしょう?俺の妹は。」


 ただし、あまり歓迎できない方法で。そんなことを言えばより仲良し兄妹だと思われてしまう。遠縁という設定はどこに行ったのだろう。


「ああ、そうだね。名前はなんて言うんだい?」

「羽衣です。鳥や蝶の羽に、衣と書く、羽衣はごろもとも読める字ですね。」


 私が答える前に、栄先輩が誤解の深まるようなことを言った。お兄ちゃんやお姉ちゃんも近所のお兄さんお姉さんも、この名前がよく似合う可愛い子と言ってくれていたけど、年長の人は年下の女の子に甘いものなのか。

 これ以上余計なことを言われる前にと、栄先輩の服の袖を軽く引く。


「栄お兄ちゃん、早く土筆採りに行こ?」

「羽衣ちゃんは少し人見知りかい?学校に行ったらお兄ちゃんにべったりとはいかないんだから、頑張りなよ。」


 特にべったりしているつもりはないけど、近所の人にはもうそう見えているようだ。鏡の向こうのお兄ちゃんと歩く時のように手を繋いでいるわけではないのに不思議だ。今の栄先輩の発言のせいだろうか。

 簡単に返事をして、今度こそ目的地へ向かう。その間に、栄先輩に苦情を入れよう。


「ねえ、なんであんなこと言ったの?」

「あんなこと?」

「可愛い妹とか、羽衣はごろもとか。あんなこと言ったら、すーっごい仲良し兄妹みたいでしょ。」


 お兄ちゃんも言っていたけど、あれは生まれた時から見ていたことと、それを近所の人も知っていたからあの家はそういう褒め合いをすると分かってくれていた。その下地がない私と栄先輩で同じことをすれば、もうとても仲良くなれた兄妹になってしまう。


「半分は君の言動だよ。さっきの人に話しかけられても答える気がなかったよね。その上、俺の手を引いて話を切り上げさせれば、べったりと言われても仕方ないと思うけど。」


 気を付けよう。そう心を決めていたのに、追い打ちをかけられる。


「家の前をずっと見て帰りを待ってた話もあるんだ。それなのに俺があんまり冷たい態度を取るわけにもいかない。妹ちゃんはあんなに懐いてるんだからもっと優しくしてあげて、くらいは平気で言ってくるよ。」


 べったりと見られそうな行動を取っていたから、そうなる理由がありそうな対応を取った。そうすると一方的ではない仲良し兄妹の図になった、と。


「うー。じゃあ、仕方ないけど。あのおばさんの対応、小学生とかへの対応と一緒でしょ?なんか納得いかないなぁ。」


 これから高校生になる子に人見知りなんて言わないだろう。最初のおばさんとたくさん話したことが伝わっているなら、そうはならないはずだ。


「それだけここに来てから幼い言動をしてるってことだね。俺との比較もあるかもしれないけど。一つしか変わらないと思われてるわけだから。」

「何も覚えてないんだったら年齢より幼くても仕方ないでしょ。」


 設定を盾に言い訳をする。ぼんやりとしか覚えていない人たちと、記憶がはっきりしてから数日でもずっと一緒にいる人とを比べれば、今傍にいる人を頼ろうとするのは自然な行動だろう。


「それはそうだね。だから君の対応も俺の対応も間違ってなかったってことだ。」

「そっか。ん?」


 非常に仲の良い兄妹に思われる言動に苦情を入れようとしたのに、その対応は正解だったという結論に達している。誤解されたままになってしまう。そう気付いて指摘しようとしたのに、公園を通り過ぎようとした時、また子どもと遊んでいた赤坂くんが駆け寄って来た。


「今日も二人でお出かけしてんの?」

「そう。土筆採りに行くの。」


 だけど今晩は一緒に食べることになれば私の分の筍が減ってしまうかもしれない。誘うのは止めてほしいけど、来ないでというのは先ほどの流れから言い辛い。大好きなお兄ちゃんとの時間を邪魔されたくない妹に見えてしまいそうだ。


「へえ、栄先輩って人を餌付けする趣味でもあんの?」

「妹に美味しい物を食べてほしいと思うのは自然な感情だよ。」

「栄先輩の趣味じゃないとすれば、羽衣が食いしん坊だな。こんだけウキウキしてんだから。」


 そんなに態度に出ていたのか。確かにこの季節しか食べられない物で、今までと違う環境なのに同じような物を食べられると楽しみにはしていた。それでもスキップや鼻歌は控えていたから、周りには分からないと思っていたのに。

 指摘されればどことなく自分の表情が緩んでいる自覚も出る。意識してそれを引き締めて、別に早く行きたいと思っているわけではないふりをした。


「いや、今更キリッとしても遅いだろ。」

「羽衣は細すぎるからもっと食べてもいいくらいだよ。」


 私の周りには食べさせようとする人が多すぎる。一人前はきちんと食べているのに、食べているのかと聞いてくる人だっている。母も私はうっかりすると痩せるから三食きちんと食べなさいとよく言っていた。おかげで長期休みも毎日朝寝坊とはいかなかった。


「食べてるのに。」

「確かに見た目のわりに食べてたよな。栄先輩のご飯は美味しいから分かるけど。なあ、今晩もお邪魔していい?」

「駄目!明日、天ぷらできなくなっちゃう。」


 お母さんが作ってくれた時も、筍のかか煮が食べつくされれば、翌日の天ぷらはなかった。その時は天ぷらのためにもう一度筍のかか煮を多めに作ってくれたけど、今回は明後日が入寮日のため、次の機会がないかもしれない。


「食いしん坊って言われて取り繕ってるのに、そこははっきり言うんだな。」

「だって食べたいもん。ねえ、栄お兄ちゃん、一昨日赤坂くんすっごく食べてたよね?残るくらいある?ないよね?」

「ないね。今日は遠慮してくれるかな。」

「了解。羽衣に嫌われたくないからな。じゃ、ばいばい。次は学校かも。」


 公園に戻って行った。これで今日と明日の夕食は安泰だ。思う存分、筍を堪能できる。その前に土筆を採りにいかなくてはと足を進める。

 知らない人ばかりのここで、食事は私の大切な楽しみの一つだ。それなのに、隣から笑い声が聞こえる。


「何がおかしいの?」

「いや、なんでも。でも、良かったの?同じ学年の、同じ編入生と仲良くなるチャンスだったのに。」


 それはそうだ。だけど、クラスは分からず、寮は違うと知っている。学内で関わる機会があるかは不明だ。それなら学校に入ってからよく関わる人と仲良くしたほうが、調査もしやすく、学校生活も送りやすくなるだろう。

 何より、赤坂くんは知ったばかりの相手を呼び捨てにできるくらい社交的な子なのだ。これくらいしても、学内で見かければ私でも声をかけられる。つまり、断る危険なく、自分の分の筍を確保できるのだ。


「うん、筍のほうが大事。」

「そっか。まあ、食べたいと思ってくれるのはありがたいけど。公園から見てた大人たちからはまた、お兄ちゃんにべったりな妹ちゃん、に見えただろうね。」


 一緒に来ないで、ではなくご飯の話を出したのだから、誤解は避けられているはずだ。


「なんで?」

「駄目、しかたぶん聞こえてない。ご機嫌だったのに話しているうちに笑顔がなくなって、その後、駄目、と聞こえてくる。君が俺に何かを訴えている姿も見えただろうね。それから恭弥が子どもたちの相手をしに戻ってきた、という流れになるわけだ。」


 ご飯の件は聞こえていない。ずっと大きな声で話していたわけではなく、大人たちは近くに立っているわけでもない。子どもたちのはしゃぐ声で掻き消されたことだろう。


「そこからどう想像するかというと、今まで聞いた話からの想像になるから、恭弥が一緒に行こうか遊ぼうか誘って、君が断ったように見える。その上、君は足早にそこから離れた。お兄ちゃんとのお散歩を邪魔されて不機嫌な妹ちゃんの完成だ。」

「そうじゃないのに。もう、何でこうなるの。」


 もうその印象は覆せないのか。だけどそれもここにいる間だけだ。大半が学校や寮で過ごすことになるなら、大きな問題ではない。学校でも会うかもしれない赤坂くんは会話の内容まで分かっているだけだから、公園の人たちのような誤解は生じていないはずだ。

 予想外の事件に不満を抱きつつ、畦道に辿り着く。土筆はどこだろうと目を向けつつ、着いて行けば、栄先輩は真っ直ぐ物置小屋のような建物に向かっていた。


「何するの?」

「ちょっと挨拶。勝手に入って採るのは良くないからね。それに、今年は来ないのかって連絡入れてくれたから。ああ、ほら出て来てくれた。」


 お爺さんだ。髪は真っ白だけど、歩き方はしっかりしている。杖はついておらず、腰も曲がっていない。


「よく来た。おお、その子が妹ちゃんか。可愛らしい子だね。」

「羽衣です。」


 これ以上要らぬ誤解を招かないために、自分で名乗る。きちんとお辞儀もすれば、何でも兄に任せっぱなしの妹には見えないはずだ。


「羽衣ちゃんは、土筆は好きかな?昔はみんな自分で採って、処理して食べていたのに、今は加工済みのものをスーパーで買う人が増えて。子どもたちがここに挨拶に来て、一緒に採る楽しみもあったというのに。」

「じゃあ、今日はお爺さんも一緒に採りましょう。その時の子どもたちほど小さくはないかもしれませんけど、話すくらいならできますよ。」

「おお、優しい子だね。年寄りの長話を聞いてくれるなんて。」


 昔のことはお年寄りからしか聞けない。確かに何度も同じ話が繰り返されることもあるけど、役に立つ知恵だってその中には含まれている。お年寄りの話の聞くことは私にとっても利のあることだ。楽しい話も混ざっているから、先入観から聞き流すことさえしなければ、決して避けたい時間ではない。

 思わぬ出会いのおかげで、私は思った以上に有意義な時間を過ごせることとなった。


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