第2話 飴ちゃんはおいしい
遠くからでも聞こえた僕を心配するその声は、僕の好きなカリーヌ鳥の声に似ていた。カリーヌ鳥は、「るろろろ、るるる」と歌うように美しい声で鳴く、赤い色に薄緑の羽が混じった色の鳥。
風で、その少女の緩やかにウェーブした金色の髪の毛が揺れた。彼女は立ちあがったと思うと、湖を背にして僕に近づいてくる。
近づくにつれて、彼女の顔立ちがはっきりと見えてくる。年は多分僕より一つ二つ下の気がする。16歳くらいだろうか。少しだけ勝気そうな瞳、うっすら朱の入ったほほに、赤く色づいた唇には、笑みを浮かべている。
服装は、一式布の服。
彼女の連れているあのモンスターは、あれはもしかして……ノルカヒョウだろうか? 猫よりも何倍も大きく尻尾が二本生えている。気怠そうにのそりのそりと彼女の後ろについて歩いていた。金色の目が鋭く光っているが、気配はとても穏やかだ。
ノルカ地方のレベル90のダンジョンには、幻の猫型のモンスター、美しい獣の姿をしたノルカヒョウがいるといわれている。
レベル90のダンジョンに挑む屈強な冒険者ですら、ノルカヒョウに遭遇すると命を落とす。ノルカヒョウは絶対に会ってはいけない、冒険者に絶対的な死を齎すモンスターなのだ、という噂がまことしやかに流れている。
だから、正確にはそうではないかもしれない。伝説のように伝わっているだけの存在だから……。
けれど、
――あのモンスターとやりあったら、僕は確実に一撃で死ぬ。
ということだけが『読み取り』を使わなくても気配で分かった。仲間から見捨てられて、その上今日が命日なんて、絶対にごめんだ。
僕の緊張した目線の先がどこに向いているのか気づいて、
「あっ、ごめんなあ。この子、うちと一緒に来たんやけど、やっぱり怖い? 可愛いと思うんやけどなあ」
と言うと、そのモンスターの顎を愛おしそうに撫でた。モンスターが撫でられて気持ちよさそうなのが、声と表情から伝わった。割と大音量だが、猫のように目を細め、ドルルルルと喉を鳴らしている。
「いや、だ、大丈夫」
少し声が震えた。
こんなに美しく恐ろしいモンスターを従えた猛獣使いに会うのは初めてだった。それなのに、服装は防御力も低いただの布の服、このアンバランスさは異様だ。
このレベルの猛獣を従えることのできる猛獣使いはそうそういない。というか、このモンスターがもし本当にノルカヒョウだとしたら、恐らくこの目の前の彼女しかいないだろう。
「まあ、座り」
と促されて、僕はすとんと座る。ノルカヒョウは僕と彼女を挟んで反対側にゆったりとくつろいだ。
「はい、飴ちゃん」
「飴…」
彼女は、年季の入ったつぎはぎの珍しい柄の袋を持っていた。その袋をごそごそと探り、飴と思しきものを取り出した。彼女の手から差し出されたそれは、見たこともない白い包みに入っている。握るとクシャクシャパリパリと軽妙な音が響いた。
多分この中身が飴なのだと思うのだが、きっちりと封がされていてうまく開けない。手紙のように蝋で封をされているなら外に蝋がついていないとおかしいし、一体どうやってこの袋の中に入っているのだろうか?
クルクルと回して見ていると、彼女は僕を見ながら不思議そうな顔をしていた。
「あれ、食べへんの?」
「いや、えと…」
「お兄ちゃん、もしかして飴ちゃん食べたことないの?」
「食べたことはある。あるけど、この周りに巻き付いているこの袋は、どうやって開けるんだ?」
「あ、飴ちゃんの袋? お兄ちゃん袋入りの飴ちゃん食べるの初めて?」
僕の手のひらに握られた飴をそっと持って行って、袋の端のギザギザの部分からピッと切れ目を入れてそれを裂いた。
中からコロリと、甘い匂いのする塊が出てくる。
なんだ? これが本当に飴? こんな甘酸っぱいいい匂いのする飴は初めてだ。
「この『いちごみるく』味の飴ちゃんは、ウチのとっておきやで」
と、彼女は笑った。
口の中に入れると、砂糖だけではない甘さが口の中いっぱいに広がる。砂糖だけでできた飴は、ただ甘いだけだ。だがこの飴はただ甘いだけじゃない。爽やかないちごの甘みと濃厚な牛乳の甘みが見事に絡み合って、鼻からふわふわと夢見心地に抜けていく。ささくれ立った僕の心をほぐしていくように優しく溶けていく。
「美味しい……」
コロコロと口の中で飴を遊ばせている内に、僕はいつの間にか涙を流していた。
「……せやろ。『いちごみるく』の飴ちゃんはなあ、甘くて優しい味で美味しいよなあ。ウチの一番好きな味なんよ。……お兄ちゃん、そんな死にそうな顔して、何があったんや。ウチで良かったら話聞くで?」
優しい問いかけに、僕は拭っても止まらない涙を必死で堪えて、何があったか話そうとすると、突然空から光の柱が降りてきた。
この現象は、ダンジョンを攻略した際に目にする、スキル取得時に起こる現象だ。何でダンジョンを攻略したわけでもない今、スキル取得の柱が降りてくるんだ……?
「『いちごみるく』の効果により『スキルレベル上限突破』を取得しました」
「え……?」
その光の柱は、その言葉を残してスゥッと消えて、後には静寂だけが残る。
どういうことだ? 『スキルレベル上限突破』…?
そんなスキルは聞いたこともない。
「『いちごみるく』の飴ちゃん食べたらこんなふうになるんやねえ」
飴をくれた少女は、隣に寝転ぶモンスターを撫でながら、のほほんと笑っている。
スキルが記載されたカードを慌てて見ると、SMのマークの横に『+』がついている。
こんな表記は見たことがない。
「なんなんだ、これ……?」
混乱が大きすぎて、僕は味わって食べていた飴を、ごくりと飲み込んでしまった。
「そういえば、結局お兄ちゃん何があったんや?」
少女は、何事もなかったかのように聞いてくる。
あ、ああ……びっくりしすぎて飛んでしまった。この『スキル上限突破』のことを聞きたいのはやまやまだが、僕は苦しい気持ちを吐きだしたいのもあって、さっきここに来るまでにあったことを話した。話しながら頭の中は整理されてきて、胃の辺りにあった吐き気にも近い重い何かが落ち着いてきた。
少女はうんうん、と僕の話を根気よく聞いてくれた。
「そうか~、そんなことがあったんやねえ。辛かったねえ」
僕が苦しそうに話していたからだろうか、彼女は僕の背中をゆっくりと何度も撫でながら、優しく暖かく相槌を打ってくれる。背中がぽかぽかと暖かい。背中に添えられた手から、心に鬱屈しているどす黒いものが出ていくような気さえした。
「それで、これからどうするの? 一人が辛いんやったら、ウチ一緒についていってあげよか?」
「それは、僕のパーティに入ってくれるってこと?」
それは、願ってもない申し出だった。なにせ、こんな高位の猛獣を連れた猛獣使いがパーティにいれば、百人力だ。
「うん、そう。良ければやけどね。ウチもなあ、この子以外は誰も知り合いがおらんから、ちょっとどうしようかと思ってたところだったんよ」
彼女は、困ったような顔を一瞬して、悩んでいた。
……?
どうかしたのだろうか。
「話してええことか分からんのやけど、お兄ちゃんウチなあ……大阪から来たんよ」
「オーサカ?」
「そうやねん、それでなあ。綺麗なお姉ちゃんからな、なんやよう分からんけど、転生させます~って泣かれてなあ……」
そうやねんと言われても……。
オーサカがどこなのか、僕は知らないので、なんとも言いようがなかった。