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テンキー  作者: 鍵田紗箱
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序章 パドロックとキー


「はじめまして!突然ですが、生き返らせたい人はいませんか?」


 月明かりが、厚い雲に遮られた夜に、照明の光も借りようとしない部屋。

 そんな真っ暗な空間において、何よりも黒く映る存在が、その姿に似合わない明るい第一声を放つ。


「…あ、あれ、反応が鈍い?真っ黒に見えるのは、プライバシーの保護だから、決して怪しい人物ではないからね。……それとも、やっぱりテンション抑えた方がいいのかな…」


 闇の表情は全く読み取れない。

 それでも、少しだけそのテンションが落ちたということは、空間を陣取る黒色の面積が減っていくことから分かった。

 しかし、このまま消え入られてはたまったものではない。 

 突然のことで驚いたのは確か、目の前の存在を信じられないのも確か。

 ただ、その存在の提案が、とても心地好く耳から胸の内に吸い込まれたことも確かなのである。


「          」


「うん、分かってるよ。そして断言できる。私たち神様なら、あなたのその願いを叶えてあげることが出来る」


「          」


「何でもする?自分の命だって惜しまない?…そんなの当たり前だよ。人は誰だって自分が一番かわいい。…それでも、自分の命を懸けてもいいと思えるのが、大切な人なんだから」


 自分の『命を懸ける』という言葉が軽いものとして受け止められたわけではない。その重要性を理解したうえで、この存在は当たり前のことだと受け止めたのだ。

 一世一代の決断が否定され、次の言葉が紡げない自分は、逸る気持ちを抑え、神様のありがたいお言葉を続けざまに受け止めるしかなかった。


「あと『何でも』なんて言葉は、世界のことを何にも知らない人間が滅多に使っちゃダメだよ」


 声のトーンが落ちる。呆れられてしまったのだろうか。

 だが、このまま千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかない。今はおとなしく神様の言葉を受け止めるべきだ。


「そうそう、冷静にね。ここから先の話はとっても大切だから」


 神様のお言葉に従い冷静さを取り戻していくついでに、現状について思考を巡らせてみる。

 これは夢ではないか。

 この状況に直面した誰もが想うことだろう。

 だが、夢であるという証拠がない以上、現実の出来事であると結論付けたくなる。

 夢を叶える夢ほど虚しいものはない。

 では、願いを叶えてくれるはずのあの存在は、本当に神様なのだろうか。

 正直分からない。神様なんて会ったことも見たこともないんだ。今だってその御姿を目にはしていない。

 声の調子だけなら、目の前の存在が普通の女の子のように思えてくる。神様にしては、威厳というものが足りないせいだろうか。


「…ん?…何だか失礼なことを考えられているように感じる。…ここは一つ、神様らしい行いを見せちゃおうかな!」


 そう言った途端、部屋全体がうっすらと明るくなる。

 日の出を迎えるにはまだ早い。部屋の照明のスイッチは入れていない。


「選択権は貴方にあるから、さっきも言ったように、冷静に考えてね」


「          」


「よく出来ました、適当に口走らなくなっただけでも進歩だよ」


 皮膚を打つ音が聞こえる。おそらく拍手をしているのだろう。


「さて、人を生き返らせるという所業には、当然ながらそれに見合う対価が必要になります。古今東西の世界や物語の神様は、思い思いにその対価を選定していますが、私が求めるのは、私にしか見出せないものです」


 先程までよりは少しばかり丁寧な口調で、薄明るい部屋に佇む闇、もとい神様が言葉を紡ぎはじめる。


「私が求めるのは“労働力”。私たち神様が行う仕事を肩代わりすることを代償に、人を生き返らせるという願いを叶えます」


「          」


「人の話…神様の話は最後まで聞くものだよ。さっきも言ったけど、貴方達のような人間が、大切な人のために、文字通り身を粉に出来ることぐらい知っているんです。私が求めるのはそうじゃないの」


 見当違い。またしても、神様の機嫌を損なってしまったわけだ。

 「プンプン」と自分の気持ちをそのまま口にしている。そうされると、逆に自分の行いを楽観視してしまうわけだが…。

 しかしこの後の言葉が、自分の愚かな考えを真っ向から否定し、現状が夢であるという余計な不安を打ち消したんだ。

 だって夢なら、自分の深層心理にそんな最低な考えがあると認めてしまうことになるから。


「…私が求めるのは『貴方の大切な人の労働力』。先にちゃんと言っておくと、これは死と隣り合わせの仕事だよ。そうじゃなければ対価として不釣り合いだからね」


 揺れる視界に闇を捉え続ける。

 拙い呼吸で酸素を取り入れる。

 震える足で身体を支え続ける。

 自分のことならいくらでも捧げる覚悟が出来ていた。大切な人のためなら、他のどんなことも捨てていいとさえ思っていた。

 どうしてそれが対価なのだろうか。…いや、こう思っている時点で、対価としてこれ以上ないほどふさわしいのだろう。


「仕事内容の詳細は契約が成立してからになるよ。それを知ってしまった時点で、強制的な契約の締結となりかねないからね。……2分あげるよ、結ぶにしても断るにしても、契約の準備をしておきたいからね」


 そう言い残した闇の周囲に、見たこともない紋様が浮かび上がる。

 当然こういったことに縁なんてあるはずもなかったが、そんな自分にまでその闇の強い力は敏感に感じ取られた。

 遅ればせながら、目の前の存在が本当に神様であったのだと認識し始める。

 だから、目の前の存在の言葉は真実となるのだろう。

 また“アノ人”に会える。

 伝えきれなかったことを伝えることが出来る。

 届けられなかった想いを届けることが出来る。

 果たせなかった約束を果たすことが出来る。

 ただもう一度だけでも、あの声を聞くことが出来る、あの手に触れることが出来る、あの笑顔を見ることが出来る。

 それを叶えた途端に、“また”失うかもしれない。

 それは、失うことの悲しみを知っている分だけ、一度目の別れよりも辛いことだ。

 “アノ人”自身はどうだろう。

 もしかしたら、再会を喜んでくれないかもしれない。危険な目に遭ってしまう境遇を作り出した自分を恨むかもしれない。

 そもそも、この契約には不明瞭な点が多すぎる。

 それでも…


「          」


 目の前の存在に届くかどうかの声で独りごちる。たったそれだけのことだが、言葉には覚悟が付いてくるものだ。

 もう迷わない。

 人は自分が一番かわいい、その通りだ。

 自分の未来のために、大切な人が隣にいて欲しいのだ。

 そのためなら、大切な人の命すら惜しくない。


「良い顔になったね」


 準備とやらが終わったのだろう、闇の輪郭がくっきりと浮かび上がる。

 そこで初めて、目の前の闇がこちらへ手を差し伸べていることに気づいた。


「掴んで」


 躊躇わず自分の手を伸ばす。


「契約は簡単、お互いを知ること。もしも願いを叶えたいなら、あなたの名前を教えて」


「          」


 表情は見えなかった。

 だが、目の前の存在が笑ったように思えた。

 それは、こんな不明瞭な契約を結ぶ神様にありがちな不敵な笑みではなく、安堵と覚悟が滲んだ微笑。


「ありがとう、私の名前はアカリだよ!………これで契約は成立。さあ、行こう!」


 こちらの手を掴み返した目の前の存在から光が溢れ出す。

 その光によって明らかになっていく闇の姿に


 普通の女の子みたい


 という感想が最初に浮かんだのは、内緒にするべきなのだろう。











 開いた瞳孔に、これでもかという光が差し込む。

 初めは闇の姿を照らすほどだった微小な光が急成長し、暗い部屋に慣れてしまっていた自分に襲いかかってきたのだ。

 思わず視界を瞼で閉じ、襲いかかる光を左手で遮る。

 そんな無防備な状態で頼りになるのは、アカリという神様に引かれている右手のみ。

 地面を蹴っている感覚はない。だが、浮いているという感覚もない。

 引かれるままとはいえ、自分が閉じこもっていた暗闇の部屋から、どこかに向かって真っすぐ走っていた。

 疲れのためか、この状況への興奮のためか、上がってきた息に自分で気づき始めた頃、周りの空気が一変する。

 それと同時に、目の前を走るアカリの走るペースが徐々に落ち、そして、止まる。


「じゃあ手を離すね。これから先、一緒に歩んでいく相手は私じゃないから」


 こちらの了解もなしに、アカリの手がするりと抜けていく。

 まだ視界がぼやけたままだ。こんな状態で一人にしないで欲しい。

 多少の恐怖が襲い始めようとした瞬間、それを見透かされたかのようなタイミングで、温かい両の手が、自分の手を包み込んだ。







「感動の再会は済んだね。それじゃあ、仕事内容を確認するよ!」


 空間中に届く声によって、幸せな逢瀬ですっかりと抜け落ちていた呪いが蘇る。

 そう、これは呪い。自分の大切な人に宿っているように見えて、その実、自分を苦しめていくことになる呪い。

 空間にいる人間たちは、自分たちの置かれている状況を思い出したのか、大切な人との間に距離を置く。

 これで全てということならば、自分たちも合わせてちょうど20人。そのうち半分は生き返った人間に分類されるとすれば、自分と同じ状況の人間は10人。

 感動の再会とはいかなかったペアもあるようだが、ここにいるということは気持ちの上では同じ重さを有しているのだろう。


「これから君たちにやってもらうことは仕事だよ、ゲームじゃない。働いてもらった分だけ報酬が払われる。…まあ、今回は先払いだけどね」


 空間に連れてこられた人間は、自分の犯した禁忌への罪悪感に、生き返った人間は、自分に降りかかる災厄への恐怖に押しつぶされぬように、お互いの存在を肌で感じながらアカリの言葉の続きを待っていた。


「まずは皆さんの役割について…」


 パドロック。

 錠の意。大切な人が生き返ることを望み、この空間に連れてこられた10人が該当する。

 キー。

 鍵の意。生き返った10人が該当する。


「次に皆さんの仕事について…」


 キーの仕事はゲートと呼ばれる存在と戦うこと。

 パドロックの仕事はキーの管理を行うこと。

 ゲートについて深い説明はなかったが、放置しておくと世界に災いが降りかかる類のものらしい。


「          」


 何処からともなく非難の声が上がる。先を越される形となったが、自分も同じ気持ちだった。

 キーと呼ばれる存在の中に、騎士や魔法使いのような戦闘経験が豊富な者は当然いない。子供や女性も混じっている。

 いくら仕事といえど、非力な彼らが得体の知れない存在と戦い、2度目の命を易々と失って欲しくはない。


「安心して、私もそこまで鬼じゃないから!こう見えて神様です!」


 そう言ってアカリが指を軽く1、2回振るうと、キーの懐から綺麗なカギが現れる。

 現代で一般的に用いられている鍵に比べれば、ややアンティークな、物語の看守が手にしているようなタイプである。

 その鍵が、逃れられない世界に閉じ込められたかのように連想させ、とても不快な気持ちになったのを覚えている。


「その鍵がキーの皆さんの力を開放してくれる。能力に差異はあるけど、ゲートと戦うに値する力は得られるはずだよ」


 キーの能力は生前の生き方、願いや魂といったものに見合うものになるらしい。

 それが本当に役立つ能力なのかは定かではないが、みすみすゲートに殺されるということはないのかもしれない。


「あとは目標を決めておかないとね。倒して欲しいゲートの数は10だよ」


 ゲートは一の門から十の門。

 十の門を倒した時に、残っている人物が元の世界に返れるということを、死という悲しい未来をオブラートに包むことなく説明してくれた。

 仕事を果たすまで、自分たちが過ごすのは、元の世界によく似た別の世界。虚空間。

 アカリ曰く、元の世界に生き返らせる労力が死というもので台無しになるのが嫌らしい。


「それじゃあ質問が無ければ、虚空間に移動してもらうよ。一の門は一日目の夜に開かれるから、それまでの間は自由に過ごしていてね」


 質問がある者は空間に残り、無い者は近くに現れた扉をキーの鍵で開け、虚空間へと歩を進めた。

 これからどうなるかは分からない。

 でも、今も隣にあるこの温もりだけは失いたくない。

 だから、戦ってもらおうと思った。自分の最も大切なこの温もりに。












 グチュ…バキッ……グシャ…バキッ…


 もう息をしていない目の前の存在を、意味もなく乱雑につついてみる。

 …ん?違う…かな?

 この子に呼吸する能力があったのかなんて分からないもん。次に戦う時は、ちゃんと確認してから息の根を止めるようにしよう。

 元々の姿が分からなくなるまで遊んだ私は、スカートのポケットから黒色のハンカチを取り出し、手のひらの汚れを拭っていく。


「色が目立たないから、楽でいいんだよね」


 貰い物のこのハンカチも、以前はもう少し鮮やかな色をしていた気がする。その色を思い出せないのは、それほどまでに長い年月が経ったからなんだろう。

 神様の役割にも色々ある。世界規模で物語を構成する存在、人の願いを叶える存在、人ではなく神を御する存在などなど…。

 私が担当しているのは災厄調整係。

 重要なお仕事であることは理解しているが、どうにもやる気が起きない係だ。 

 といいつつ、今もこうしてゲートを完膚なきまでに倒しているあたり、仕事に対する責任感はあるんだ。…神様ですから。

 やる気が起きない理由は分かっている。

 人間を知らないからだ。

 ゲートを倒し損ない災厄の門が開かれても、それで困る人間という多数の存在を知らないからだ。

 今は負けず嫌いのようなものでゲートを倒してはいるが、いずれは全てのゲートをスルーしてしまうかもしれない。

 まあ、そうならないように、今回のゲームを考えたんだけどね。


「こんなに汚してしまわれて、タオルや雑巾じゃないのですから、もう少しきれいに保つようにしてくださいね」


 私の頬に残っていた黒滴を自身のハンカチで拭う存在が、真っ黒なハンカチを見ながら口にする。

 腰に届くほどの長い黒髪、その一本たりとも乱れがない姿は、この方を表しているように思えた。

 この凛々しくも柔らかな雰囲気を携えている存在こそが、私にハンカチを贈った神を御する存在、アオイ先輩である。

 

「アカリに呼ばれてわざわざ足を運んだのですから、もう少し整った場を設けてもらいたかったですね」


 それは本当に申し訳なく思っている。

 いつもなら容易に注意を払えるそんなことにすら気が回らないほど、今日の私は興奮していたのかもしれない。


「アオイ先輩、私の仕事って本当に意味があるんですか?ゲートを見逃したからって、そんな大事になるとは………」


「一万五千」


「え?」


「あなたと同じような疑問を抱いていた神が、つい最近、出来心からゲートを通したことがありました。一万五千とは、開いた災厄の門によって引き起こされた災害で亡くなった人命の数です」


 息をのむ。

 その災害は知っていたものの、自分と同じような神によって引き起こされたものだとは知らなかった。

 間接的に自身の在り方まで否定されてしまったように感じる。

 でも、私は違う。私はきちんと仕事をこなしている。その毎日に多少の嫌気がさしただけ。


「意味云々はともかく、ゲートを通さないのも問題です。人間に多少の災害は必要ですから」


「でも…」


「でも、ゲートに負けたくはない、見逃したくもない…と。そのような現状に対して、何か策を講じたいがために私を呼び出したということですね」


「はい、実は………」







「…なるほど、それは結構なことです。あなたが人間を知るうえでも、そのゲームはとても有意義なものになるでしょう」


 多くを言わずとも私の意向を汲み取ってくれる。アオイ先輩はいつだってそうだ。

 そんな先輩を従えているとかいう神は、いったいどれほどの神格の持ち主なのだろう。


「そのゲームにおいて、私が協力できることは手を貸しましょう」


「ありがとうございます!」


 これで、私は退屈な毎日から解き放たれる。

 この時の私は、その思いでいっぱいだった。


「そうそう、アカリの考えたゲーム、とても良くできていると思います。…ただ、ひとつ考慮に入れておくべきことがあります」


 今の私なら、この時のアオイ先輩の言葉の真意が痛いほどよく分かる。


「人間は滑稽です。おそらくたくさんの面白い姿を見せてくれることでしょう。…でも、侮らないほうがいい。彼らは本当に面白いのです」


 神と人間は、互いに鶏と卵。神ならば誰であろうと一度は聞いた言葉だ。

 だが、強大な力を持つのは我ら神の側。だからいつの間にか、人間という矮小な存在を侮るようになってしまう。

 





 今の私なら、この時の暗い私とは異なった結末が紡げるのだろうか。

 いや、紡いでみたい。

 だから始めよう、二度目の『テンキー』を



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