第六十七話 大好き
通りに出て、
拾ったタクシーの中で、
私は電話を掛けた。
「天也、
今から会いに行ってもいい?
違う、会いたい」
もう誤魔化さない。
もう逃げない。
私は天也が好き。
口にするのは怖いけど、
それよりも天也を失うことの方が怖い。
「……わかった。
じゃあ颯詩の店で落ち合おう」
「うん……待ってて」
そう言って、
私は電話を切った。
ここから颯ちゃんのお店までは20分位。
だけど、
電話をする前から、
待ち合わせ場所に決めてた。
お互いに分かりやすいからだと思うけど、
そんな小さな偶然もやっぱり嬉しい。
「運転手さん、
そのまま向かって下さい」
「わかりました」
タクシーから見上げた空は、
今にも雨が降りだしそうな曇り空だったけど、
私の心は晴天だった。
――――「ありがとうございました」
お店に着くと、
ちょうど颯ちゃんは客の見送りをしていた。
料金を支払って、
タクシーから降りると、
颯ちゃんは私に気が付いて、
駆け寄ってきた。
「聖音ちゃん、いらっしゃい」
「久しぶり、颯ちゃん。
天也、いる?」
「いるよ。
部屋に通したから、
聖音ちゃんも上がって」
「うん、ありがとう」
そう言って、
颯ちゃんはお店の2階へ通してくれた。
また写真撮られたらいけないって、
気を遣ってくれたんだ。
「天也は奥の部屋にいるから」
「わかった」
颯ちゃんに手を振って、
私は階段を登った。
一段上がる度に、
鼓動が速くなる。
会える嬉しさと、
今から話す事への恐怖とが入り交じって、
はっきり言うと、
私は緊張してる。
天也と会うのに、
これだけ緊張したのは初めて。
部屋の前に立って、
私は深呼吸してから、
ドアをノックした。
コンコンコン。
「はい」
中から天也の声がした。
「私、聖音。
入ってもいい?」
ちょっとだけ声が震えた。
ドアを挟んでるから、
きっと気付かれないよね。
「いいよ」
もう一度だけ、
深呼吸してドアを開けた。
その部屋は、
ソファーベッドが置いてあって、
その前にセンターテーブル、
大きなテレビが、
川の字に配置されていた。
天也は慣れた風で、
ソファーに座っていた。
「待たせてごめんね」
「そんなに待ってないよ」
そう言って、
センターテーブルに置かれたマグカップを手にした。
「私もなんか貰ってこようかな」
「あ、いいよ。
何がいい?
麦茶とコーラと、
水くらいしかないけど」
そう言って、天也は、
持っていたマグカップを置いて立ち上がり、
部屋の奥にある小さなキッチンスペースに行った。
「じゃあ……麦茶」
「了解、
ソファーに座って待ってて」
天也は食器棚からマグカップを取り、
冷蔵庫から麦茶のボトルを出して、
キッチンのテーブルに置いた。
私はソファーの端に座った。
天也は麦茶の注がれたマグカップを、
私に手渡して、
ソファーに座った。
「ありがとう。
よく来てるんだね」
私は麦茶を一口飲んで、
マグカップをテーブルに置いた。
「まぁな。
客じゃない時は颯詩のやつ、
お茶一つ出してくれねぇから、
勝手にさせてもらってんの」
「ほんと、仲良いよね」
そう言いながら、
私はほっとしてた。
スカイツリーデートの帰りのような、
あんな状態だったら……
そんな不安もあったから。
普段通りの天也で良かったって、
安心した。
「そんな事ねぇよ。
それより、また何かあったのか?
いきなり会いたいだなんて」
「何かあった訳じゃないの……
天也とちゃんと話したくて。
私の話、
聞いてくれる?」
そう言って、
恐々、
天也の顔を見た。
すると、天也は。
「えいっ」
「いったぁー!」
私にデコピンをくらわした。
こんな短時間で、
2度もデコピンくらうなんて。
一体何の罰ゲームなんだか。
「頭割れたらどぉすんのっ!」
左手でおでこを押さえて、
右手で天也の太腿を叩いてやった。
「あはははっ!!
そんなんで割れる訳ねぇだろ!!」
天也は私の小さな抵抗を防御しつつ、
ゲラゲラ笑った。
「あー笑ったわー」
「天也の意地悪っ!」
「……そんなさ、
眉間に皺寄せて、
怖い顔で話すなよ。
俺、ちゃんと聞くし」
急に真面目に話し出したから、
ドキッとした。
まさか……
私の緊張を解してくれた?
「天也……」
「でも俺のも聞いてくれよ?」
その優しさに、
私は嬉しくて、
ちょっと泣きそうだった。
ぐっと堪えて、
天也の方を向いて、
座り直した。
「なんで正座?」
「いいの!
あのね天也。
私はこんな分かりやすい人間だから、
もう天也も分かってると思うけど……
私は……
私は天也が好き。
他の人とも付き合ったし、
ずっと忘れられなかったなんて、
言える立場じゃないんだけど……
でもね、
ずっと好きだった。
振っておいて、
調子のいいこと言うなって言われるのも、
わかってる。
だけど許されるなら……
もう一度天也といたい。
どうしても許せないというのなら、
それも仕方ないと思ってる。
それだけの事を私はしてしまったから。
その時はもう二度と、
あなたには会わない。
これが今の私の気持ち。
天也の気持ちを、
思ってることを聞かせてほしい。
どんなことでも、
私は受け止めるから……」
言い終わって、
私はぎゅっと目を瞑った。
天也の顔を、
直視出来なくて。
どんな表情で、
どんな言葉が出るか、
考えてたら怖くて。
それでも顔を反らしたくないと思ったから、
苦肉の策。
膝に置いた両手が震えた。
「……も………だ」
暫くの沈黙の後、
天也が何か呟いた。
「え……何?」
聞き直したと同時に目を開けると、
天也に抱き締められた。
「たかっ……」
「俺には……
初めて会った日からずっと、
聖音だけだ。
この先も、
ずっと……」
「そんな嬉しいこと……
言わないでよ………」
私は天也に身を委ねて、
泣いた。
もう戻れないかもしれないと思った、
天也の腕の中で。
もう感じられないと思った体温を。
鼓動を。
しっかりと刻み付けて。
「……もう離れていくな。
ずっと側にいろ。
これはお願いじゃない、
命令だから」
そんな命令、
喜んでされるに決まってる。
「はい」
涙を拭いて、
最上級の笑顔でそう言った。
そしてまた、
天也の胸に飛び込んだ。
私はここにいていいんだね。
優しく頭を撫でてくれるこの大きな手が好き。
大きな体で包み込んでくれる抱っこが好き。
天也が大好き。
「聖音、愛してる」
「私も……愛してる」
見つめ合った後で、
私達はキスをした。
甘い甘い、
とろけちゃうようなキス。
このまま溶けて、
一つになって、
もう二度と離れなければいいのに。
だけど、
それは無理な話。
だから、
口に出して、
誓うよ。
「もう二度と離れない。
たとえ天也が私の事を、
嫌いになったとしても、
絶対に別れてあげないんだから」
「その宣戦布告、
絶対に忘れんなよ」
私達は見つめあって、
笑った。
今なら世界が滅びても、
悔いはないって思える程、
幸せな時間。
……訂正。
やっぱまだ滅びたら嫌だ。
この幸せに浸っていたいもの。
「一応颯詩に報告するか」
「うん、色々気を遣わせたし」
「ほんと、お節介なんだよな。
人の事とやかく言ってる場合じゃないってのに」
「ふふっ、
それは天也の事愛してるからじゃないの?」
「げっ、気持ち悪い」
「そんな事言ったら、
颯ちゃん可哀想だよ」
そう言ったら、
痛くないげんこつが飛んできた。
「なんで颯詩の肩を持つんだよ!」
……ヤキモチ焼いてる?
ほんと可愛い人なんだから。
「私の大好きな人だから、
皆から慕われてるって話なんだよ?」
そう言ったら、
天也はちょっと照れて、
「なんだ、そうか」
って、目をそらせた。
空になったマグカップを片付けて、
私達は手を繋いで、
部屋を出た。
颯ちゃんはそんな私達を見て、
「良かったな」って言って、
ちょっと涙ぐんで笑った。