第六十話 壊れた心
―――「美味しかったぁ~。
ごちになりますっ!」
結局、
天也はここの会計もいつの間にか済ませてて。
私のお財布は1日中出番なし。
「しっかしよく食ったなぁ。
アイスにタルトにって」
「ほんと、
こんなに食べたの、
久しぶりだよ」
「俺もう無理だわ」
天也はお腹を押さえながら、
そう言った。
「ありがとう、
ご褒美いっぱいもらっちゃって」
これ以上のご褒美はない。
私には夢のような1日だった。
「俺こそ…
こんなに楽しかったのは久しぶりだ」
「私なんかが相手で、
ちゃんと楽しめた?」
最低の元カノと、
1日一緒って、
絶対疲れたよね?
本当に楽しんでくれたのかな。
そう思って聞いたら、
天也は私に痛くないげんこつを食らわせた。
「聖音、
自分を否定しすぎ。
聖音は人気女優なんだから、
嬉しくない男なんていないから!」
天也はちょっと怒りながら、
ちょっと照れていた。
「そんな事………」
私は天也に背を向けて、
熱くなった目頭から、
涙が出そうになるのを必死で堪えた。
お世辞だってわかるけど、
それでも褒められて嬉しくないはずない。
「……少なくとも俺は、
人気の美人女優と1日過ごせて、
とても楽しかった」
「私も、
日本代表のイケメン選手と過ごせて、
嬉しかったよ」
精一杯の笑顔を、
天也に見せた。
天也は真っ赤になって、
顔をそらした。
「か、帰るぞ……」
目を合わさずに、
天也は言って、
歩き出した。
「うんっ」
今度は私から、
天也の手をとった。
「帰り道わからないから、
ちゃんと連れてってね」
「……離すなよ」
そう言いながら、
私の手をきゅっと握ってくれた。
自分から繋いだのに、
私はちょっと後悔してた。
ただ手を繋ぐって、
こんなにドキドキする事だったっけ。
今日はずっと、
少女に戻ったみたいにドキドキしてばっか。
そんな純情じゃないでしょって、
言われちゃうけど。
今だけ……
ただただ天也が好きでいた頃の私に、
戻ってもいいかな。
今日が終わればまた、
ただの共演者になってしまうんだから……。
―――「ごめんな……」
帰りの車中で、
天也は突然、
独り言のように呟いた。
「どうして謝るの?」
天也、
何も悪いことしてないのに。
「去年のクリスマスイブ…
再会したあの時は、
聖音……本当に幸せそうだった。
でも今は…
気のせいかもしれないけど、
あんまり幸せじゃないんじゃないかって。
それって俺が……」
「違うよ」
何かのスイッチが入ったように、
天也は話し始めた。
「振った男になんて、
会いたくなくて当然だよな」
「違うって」
「もう嘘はいらない。
わかってるからさ」
否定的な言葉ばかりを、
無表情で淡々と話す天也。
さっきまで笑ってた天也と、
本当に同じ人なのって疑うほど。
それは、
天也の抱える心の闇が、
どんなに深いかを物語っていた。
「どうしたの、天也……?」
「今の聖音の周りには、
俺よりもいい男が沢山いるもんな。
そうだよな……」
私の言葉は、
全く耳に入ってないみたい。
「何言ってるの……違うよ」
その時、
天也は急にブレーキを強く踏み、
路肩に車を停めた。
衝撃で、危うく頭を打ちそうになって。
タクシーで事故した時の事を思い出した。
「天也…聞いて?」
天也は、じっと前を見つめた後、
鋭い目で私を見た。
その目を見た瞬間、
背筋が凍りつくような恐怖に襲われた。
殺されるかもって、
身の危険を感じるほどの。
「…なぁ教えてくれよ。
俺の…どこがいけなかったんだ?
なぁ?言ってくれよ」
「……っ!」
天也は、
私の肩をぐっと掴んだ。
「言えよ…」
そんな事言われても、
答えられる訳ない。
「………ない」
「なんて?」
「だからっ……
天也のいけないところなんて、
何もないっ!!」
天也に非は何もない。
私には最高の、
最愛の人だったんだから。
「じゃあどうして…」
「……っそれは」
勢いに負けて、
言葉にしてしまう所だった。
こんな状態で全てを知ったら、
天也は壊れてしまう。
「……信じて。
天也の悪い所はない。
私が…天也を好きだったから……
だから別れた。
こんな体で天也の事を、
支えていきたいなんて、
わがままだって思ったから……」
今はなんでもいい。
天也を納得させられれば。
「そんな事…信じると思ってるのか?」
「天也……」
これ以上言い訳をしても、
天也は納得しない。
そして、
言えば言うほど…
状況は悪くなる。
「天也……天也の気が済むようにしていいよ。
あなたにはその権利がある」
私は目を閉じた。
その瞬間、
私もおかしくなったんだと思う。
天也になら、
殺されてもいいなんて。
本気で思っちゃったんだから。
それで天也が救われるのなら……って。
肩を掴んでいた天也の手が、
ゆっくり動いた。
そして私の首に触れた。
私はより深く目を閉じた。
だから、次の瞬間……
「………!!」
天也の唇と、
私の唇が重なった時は驚いた。
長いキスの後…天也は気を失ってしまった。
眠るように……
―――「…ん………」
天也が目を覚ましたのは、
気を失ってから1時間ほど経った頃。
「天也?」
「……ここは?」
「車の中だよ」
「なんで車の中?
俺寝てた?」
明らかに先程とは様子が違う。
穏やかな眼差しで、
いつもの天也に近い。
そして……多分、
さっきの会話を何も覚えてない。
「きっと疲れたんだよ。
いっぱい歩いたもんね。
でも楽しかった」
わざと私も知らないふりをした。
「ああ、俺もだ」
天也は微笑んだ。
「……っ」
それが……辛かった。
「…なに、泣いてんだ?」
「…なんでもないっ!
ゴミが入っただけだよ」
「変なやつ。
車出すぞ」
それから…家に着くまで、
私はずっと泣いてた。
天也は時々気にしてくれて、
途中からは見ないふりをしてくれた。
「…気を付けてな」
「心配しなくても、
もう家の前だよ?
天也こそ、
気を付けて帰ってね」
私は車を降りて、
天也に手を振ってからドアを閉めた。
いつもは車が走り出すまで見送るけど、
今日はすぐにマンションへ向かった。
本当は…
暫く会えないから、
ちゃんと見ておきたかった。
でも……
そんな事を忘れるくらい、
逃げたくなって、
部屋に駆け込んだ。
掴まれた肩に、
重ねられた唇に
天也の感覚が残ってる。
同じくらい、
恐怖が頭から離れない。
「もしもし颯ちゃん…
今話せる?」
考えるより先に、
手が動いてた。
「いいけど……
天也の事?」
颯ちゃん鋭い。
一発で当ててきた。
でも考えてみれば、
私が颯ちゃんと話すことって、
天也の事だけだもんね。
「うん、実は………」
私は颯ちゃんに、
さっきの出来事を話した。
一人で抱えることが辛くて。
なにより…
今の私より天也の事をわかってるのは、
颯ちゃんだと思うから。
「……それが、
天也の心の病気なんだよ」
私の話を聞き終えて、
颯ちゃんは言った。
「病気……」
「天也本人も知らないし、
もう1年以上出てなかったんだけどな…」
「それ、どういう……」
「天也が自殺未遂したって、
前に言っただろ?
その後から、
今聖音ちゃんが言ったみたいな状況になることが、
何度かあったんだ。
突然人が変わって、
その時に話した言葉を覚えてないって事。
幸か不幸か、
今まではオレといる時と、
お兄さんといる時だけだったから、
言わなくてもいいと思ってたんだけど…」
「……そう、なんだ」
「こんな事が公になったら、
天也の選手生命終わりだからな。
それだけは絶対にさせたくない…!」
颯ちゃんはずっと、
私の代わりに重い荷物を背負っててくれたんだね。
でも今日からは、
私も一緒に背負うよ。
どんなに痛くても。
天也の心と向き合うって、
決めたんだから。
「…颯ちゃん、ごめんね」
「なんで聖音ちゃんが謝るんだ?」
「なんでもないよ、
謝りたくなっただけ」
颯ちゃんもきっと辛かったはず。
それも全部、
私が原因。
…なんて言ったら、
颯ちゃんは気にするでしょ。
「あんまり自分を責めるなよ?
聖音ちゃんまで壊れたら、
オレの手に負えねぇからな」
「はは…大丈夫、
私も一回壊れてるから。
もうこれ以上は壊れないよ」
「いや、意味わからんわ。
じゃあ、またな」
「うん、遅くにごめんね」
そこで電話は切れた。
そして私はそのまま、
ベッドに倒れ込み、
深い眠りについた。