第五十六話 颯ちゃん
10分後。
到着したのは…
一見普通の家。
よぉく見ると、
『料理屋たつみ』と表札が出ている。
「練習終わりに、
ここに寄るのが日課なんだ」
天也は慣れた様子で、
引き戸の玄関を開けて、
中に入った。
「いらっしゃい!
…て、天也かよ」
店主は客が天也とわかると、
態度を一変させた。
「常連客にそれはねーだろ!」
天也も友達ノリで笑いながら、
ツッコミを入れている。
もしかして知り合いなのかも、
と思いつつ、
私もぺこっと頭を下げて、
天也の後について店に入った。
「珍しく女連れ…
って、聖音ちゃん!?」
天也を茶化そうとしていた店主は、
私を見て、とても驚いていた。
「私の事知ってる…あっ!!
もしかして颯ちゃん!?」
店主をよく見て、
私もやっと気付いた。
「当たり。
聖音ちゃん、美人になったな」
「颯ちゃんはおっさんになった(笑)」
「おいおい、まだ24だぞ?
おっさんは勘弁してくれよ。
なぁ天也」
「だな。
まだお兄さんって年だろ?」
「自分で言うー?」
私達は大笑いした。
この『料理屋たつみ』の店主、
巽颯詩は、
天也の親友で、
四葉高校のクラスメイト、
同じバスケ部に所属していた。
私にとっては、
四葉に遊びに行った時に、
構ってくれたお兄様方の一人。
「でも颯ちゃんが料理人って、
全然イメージ出来ない」
天也に負けず劣らずの、
筋肉バカってイメージしかない。
「ここは元々、
オレのじいちゃんがやってた店なんだよ」
「そうなの!?」
初耳だよ。
「大学2年に上がる直前にさ、
じいちゃん病気になって。
っても、ただの盲腸だったんだけど。
今まで一度も大きな病気を、
したことないって人だったから、
すっごい弱気になっちゃって。
店閉めるって言って。
でもオレ、
じいちゃんの料理好きでさ。
元気になってもらいたくて、
料理人になって、
じいちゃんの跡を継ぐって言っちゃったんだよ」
「なんかそれ、
とてつもなく颯詩らしいよな」
「うん、
でもかっこいい」
「そしたらじいちゃん、
前よりも元気になって。
オレに料理教えるんだって張り切って。
言った手前、
オレも引けなくなって、
大学辞めて、
調理師学校に入り直して、
修業して、
で、去年の10月から、
この店を任してもらってるんだ」
「で、俺は颯詩から聞いて、
場所が場所だったから、
休みとここの定休日以外は遊びに来てる」
「いいなぁ~そういうの」
ちょっと羨ましい。
親友がやってるお店で、
何気ない話をして、
1日の疲れを癒せるなんてさ。
「聖音ちゃんもさ、
いつでもおいでよ。
サービスするから」
「ほんとっ!?
私も通っちゃおうかなぁ」
「天也なしでも全然構わないから。
あ、何にする?
天也はいつものでいいよな?」
「ああ、頼むよ。
聖音も同じでいいだろ?」
「え、何?」
「来てからのお楽しみって事で」
天也と颯ちゃんの間で勝手に話は進んで、
颯ちゃんは“いつもの”の準備に取りかかった。
カウンター7席と、
テーブル2席の、
隠れ家みたいなお店。
テーブル席は家族連れで賑わっていた。
「素敵なお店だよね。
温かい気持ちになれる」
高級なレストランにはない、
ぬくもりが溢れている。
「そう言ってくれると、
オレも嬉しいよ。
じいちゃんのこの店、
大好きだったからさ。
はい、お待たせ」
颯ちゃんはそう言いながら、
私達の前に小鉢を置いた。
「これ…」
盛られている物を見て、
私は驚いた。
「ほうれん草のお浸し」
鮮やかな緑に、
鰹節のアクセント。
私は大好きだけど…
天也って、
ほうれん草ダメじゃなかったっけ?
「天也、
いつもこれ食べてるの?」
「ああ、食べてるよ」
天也は平然と返事しながら、
ぱくぱく食べていた。
「食べれなかったよね?」
「今も颯詩の作るお浸し以外は食べない」
「一番最初に来てくれた時に、
他のお客様の注文と間違えて出しちゃったんだよ。
オレは知らなかったんだ。
天也がほうれん草嫌いなんて。
でもしょうがねぇって言いながら、
嫌々食ってくれて。
そこからハマったというか、
これは食えるって、
来る度に頼んでくれるんだ」
「へぇ~偉い偉い」
私は天也の頭をなでなでした。
「いいから、
聖音も食ってみろよ。
絶対にハマるから」
「じゃあ、いただきますっ」
天也のお墨付き、
ほうれん草のお浸しは…
「美味しいっ!
颯ちゃん天才!!」
「これはじいちゃんの味なんだ」
颯ちゃんは、
とても誇らしげに言った。
だけど本当に、
今まで食べた中で一番美味しいお浸しだった。
―――「ごちそうさま。
いつもお浸しだけで悪いな。
今度はちゃんと他の料理頼むからさ」
「はいはい」
颯ちゃんは、
またかという返事をした。
多分そう言いながら、
天也はずっと頼み続けてるんだろうなって。
「ご馳走さまでした。
あ、帰る前にお手洗い借りていい?」
「どうぞ」
颯ちゃんに案内してもらって、
私はお手洗いへ行った。
席に戻ると、
今度は天也がお手洗いに向かった。
すると、
颯ちゃんがカウンター越しにとても小さな声で言った。
「聖音ちゃん、
天也とヨリ戻ったんだ?」
「え!?」
「あいつ、死にそうだったからな。
本当に良かったよ。
あんな楽しそうな顔も、
久しぶりに見たし」
「ちょっと待って。
ヨリ戻したとかじゃ…」
「別に隠さなくても」
颯ちゃんは私の言い分を何も聞いてなくて、
勝手に話を進めてる。
「だから違うって!
てか、死にそうって…誰が?」
「誰がって…天也しかいないだろ」
天也が死にそうだったって…
どういう事?
「それ、どういう…」
颯ちゃんに聞こうとした瞬間、
「おしゃべりはそこまでだ」
天也が戻ってきて、
私の口を塞いだ。
「お、天也。
早かったな」
「颯詩、余計な話をすんなよ。
聖音、帰るぞ」
口から手を離して、
さっさと店を出ていってしまった。
「え、ちょっと待…
ごめん颯ちゃん、
また今度!」
私も慌てて、店を出た。
「お、おぅ」
颯ちゃんは唖然としながら、
一応見送ってくれた。
天也はもう車に乗っていて、
いつでも出発出来るという雰囲気だった。
「ごめん、お待たせ」
「聖音ん家、どこ?」
カーナビを操作しながら言った。
「私の家は……だよ」
天也が私の告げた住所を入力すると、
『音声案内を開始します』
とカーナビの音声が流れて、
道順を示していた。
天也は完全に何も聞くな状態だった。
だけど、知りたい。
別れてから今日まで、
天也がどういう時を過ごしてきたのか。
天也に負わせた傷の深さを、
私はちゃんと理解出来てないかもしれない。
だからこそ、
知らなきゃいけないと思う。
「ねぇ、たか…」
思いきって話しかけた。
でも…
「…悪いけど、今は話したくない」
天也は完全に拒否。
「…ごめん」
私はそれ以上聞けなかった。
―――「この辺だよな?」
天也が車を止めた所は、
ちょうどマンションの前だった。
「うん、
このマンション。
ありがとう」
車を降りて、
天也から鞄を受け取った。
「忘れ物ないな?」
「大丈夫。
気を付けて帰ってね」
「明日は朝7時に迎えに来るから。
2週間は俺が送迎するから、
マネージャーとかにそう言っとけよ」
「あ、うん…わかった。
おやすみ」
私は手を振ってから、
ドアを閉めた。
そして私が離れると、
車はゆっくり走り去った。
車が見えなくなるのを待って、
私は鞄からスマホを取り出した。
…ネット社会に感謝しなきゃいけないね。
その禁じ手を使って、
ある場所へと電話を掛けた。
「もしもし颯ちゃん―――」