第五十話 涙味
「天也さんなら、
今、MMTテレビ局にいるよ」
瀧さんはすんなり教えてくれた。
なぜ瀧さんなら知ってると思ったか、
自分でもよくわからない。
ある種の賭けだったのかもしれない。
この人が知らなければ…と。
それに瀧さんは、
私達が知り合いだと知っているから、
教えてくれると。
そしてその賭けは、
正解だった。
マンションを出てすぐの道で、
運良くタクシーを拾えたし、
道も思ったより混んでなくて、
これは神様が会わせてくれるのかも!?
なんて思っちゃったりして。
会って、
何から話そうかな、
なんて考えて。
刻一刻と迫るその時に、
胸を躍らせていた。
テレビ局が見えた、
と思ったその瞬間……
「うわああっ!!」
タクシーの運転手の絶叫と、
トラックのクラクションが聞こえ、
車は左にカーブした。
キキィーッ!!
擦れるブレーキの音と共に、
車内は激しく揺れた。
シートベルトを思い切り握って、
体を丸めて、
耐えていた。
このまま死ぬの?と思った時、
真っ先に浮かんだのは、
他の誰でもなく、天也だった。
天也…!!
ドンッ!!という衝撃を受けて、
私は運転席にぶつかり、
目の前が一瞬で真っ暗になった。
―――私が覚えているのは、
そこまで。
気がついた時は、
もう病院のベッドの上で、
侑人さんが手を握ってくれていた。
…見ていた夢の中で、
私を暗闇から連れ出してくれた、
温かくて大きな手は、
この手だったんだ。
「ゆ…うとさん?」
「…聖音?
気がついた?」
私が呼ぶと、
ぱっと目を覚まして、
返事してくれた。
「うん…どうしてここに?」
「それはこっちのセリフだから!!
…良かった、無事で」
「はは…悪運強いでしょ」
「本気で心配したんだからな」
「ごめんね、心配かけて」
「俺、先生呼んでくるから」
「うん…」
侑人さんは病室を出ていった。
少しして、
侑人さんが戻ってきて、
遅れて先生が来た。
「朝日奈さん、
頭痛くないですか?
吐き気はないですか?」
「ないです」
あれほどの衝撃を受けながら、
私はほぼ無傷だった。
「CTでも異常は見当たりませんでした。
念の為に今日は入院して下さい」
「わかりました」
先生はそう告げて、
病室を後にした。
「ねぇ侑人さん。
聞いてもいい?」
「なんだ?」
「どうして来てくれたの?」
最後に連絡を取った人なら、
瀧さんだし、
家族なら音緒ママや聖斗パパのはず。
それに…
昨日あんな事があったんだから、
来てくれなくて当然なのに。
「…聖音のスマホの待受、
2人で撮った写真だっただろ?
それを見た、ここの看護師さんが、
俺のファンだったらしくて。
多分だけど、
こんな形でいいから、
話したかったんだろうな。
真っ先に俺に電話をくれたんだ。
事故に巻き込まれて、
搬送されたって聞いた瞬間、
飛び出してたよ。
喧嘩してたのなんか、
忘れて。
病院に着いて、
聖音の顔を見るまで、
ずっと祈ってたくらいだ」
侑人さんの気持ちを知って、
私は胸が痛かった。
侑人さんは多分、
私がタクシーに乗って、
どこへ行こうとしていたか、
聞かない。
何をしようとしていたかも聞かない。
だから、
責められるより辛かった。
こんな私を、
こんなにも心配して、
駆けつけてくれた優しい人を。
これから先、
もっと傷付けると思ったら。
謝っても謝りきれない。
これは神様が、
誓った愛を簡単に棄てた私への怒りだ。
「聖音の乗ってたタクシーの運転手も、
助かったみたいだよ」
「助かったんだ…」
それはそれで良かった。
死なれたら、
夢見悪いもんね。
「警察の人が言うには、
タクシーが黄色で直進した所に、
矢印出るの待ちきれなかったトラックが、
右折してきて、
それを避けようとして、
タクシーは電柱に追突したんだって」
「そうだったんだ…」
そんな大事故に遭遇して、
かすり傷程度で済んだのは、
本当に奇跡。
「ところで…一つ、
大事な話があるんだけど」
急に改まって、
侑人さんは言った。
何を言われるか、
ドキドキした。
悪い事を沢山してきたから、
身に覚えがありすぎて。
「うん…」
とりあえず冷静なふりで、
返事はしたけれど、
内心バクバクだった。
「迷ってたけど、
やっぱり受けることにするよ。
…聖音の主演するドラマ」
「え!?」
思ってもみなかった言葉に、
私は拍子抜け。
しかも、
このタイミング!?
「結婚発表して、
すぐに共演もどうかと思ってさ。
断ろうかと思ってたけど。
ドタキャンするわ、
事故るわで、
ほんと危なっかしくて、
目を離せないな」
「…それ、
完全に嫌味入ってるよね?」
何ヵ所か、
気になるんですけど。
てか、
事故は私のせいじゃないよね!?
「嫌味だって言いたくなるだろ!?
結婚目前に花嫁に逃げられた新郎を、
今なら全力で演じられるくらいだからな!」
侑人さん、
完全に怒ってた。
もう忘れてるのかと思ったけど、
そんなわけないよね…。
「ごめんなさい…」
「…俺はいつまで待てばいい?
それとも、
もう結婚する気はないとか?」
「……」
侑人さんの、
ストレートすぎる質問に、
私は答えられなかった。
ここでイエスと言えば、
侑人さんをもっと傷付けて、
私は楽になれるのかもしれない。
でも、
こんな顔をされて、
言えるわけない。
ううん…違う。
私が1人になりたくないだけだ。
ずる賢いんだ。
それでも側にいてほしいなんて。
「…答えは急がないから。
今日はそんな事、
聞きに来たんじゃない」
「……っ」
みっともない。
こんな事で泣くなんて。
「泣くなよ。
泣かれたら…
望みはないってわかるだろ……」
「ごめ……」
泣きながら、
それでも謝ろうとした私の口を、
侑人さんは塞いだ。
「それ以上、謝らなくていい。
聖音の気持ちがちゃんと固まるまで、
俺は待つから。
だから……」
そう言って、
侑人さんは私にキスした。
涙が混ざって、
しょっぱいキス。
それは…終わりの味。
「じゃあな」
侑人さんは私にそう言って、
病室を出ていった。
「待って…
侑人さん待って!!」
どんなに叫んでも、
侑人さんは振り向いてくれなかった。
“だからそれまでは恋人でもなんでもない”
そう言ってるような気がした。