第四十話 一転
それからというもの、
嘘みたいに順調に撮影は進み、
気付けばもう6月。
今日から1ヶ月間、
撮影所を離れて、
ここ北海道での撮影。
…だったんだけど。
機材トラブルで、
撮影が中止になってしまった。
そんな訳で、
私は今、
函館の五稜郭タワーにやってきた。
もちろん、観光。
京華と、おまけの侑人さんと3人。
なんで侑人さんがいるかって?
答えは簡単。
勝手についてきた。
「来たものはしょうがないから、
せっかくだし、
3人で回ろう」
そう言ったのは京華だった。
「…相道さんは、
本当に優しいな。
誰かと違ってさ!」
侑人さんは私がいいと言ってないのに、
もうその気で。
しかも、嫌味まで言う。
「勝手にすれば!」
「…だそうですよ、貴臣さん」
「そろそろ、
侑人くんって呼んでくれない?
相道さん」
「過激なファンに殺されるのは嫌なので、
遠慮します」
「名前で呼んだくらいで、
殺されはしないでしょ」
「それがなくてもお断りします。
親友を好きって言ってる人を、
くん付けで呼べると思う?」
「もしかして、ヤキモチ?」
「そんな訳ないでしょ!」
2人はなんだか、
楽しそうにしてたから。
私は2人の3歩前を歩いていた。
ちょっとだけ、
疎外感感じて。
だけどこの状況が、
そんなに嫌じゃなくて。
とても不思議な気分だった。
初めての北海道に、
生の五稜郭に感動していたからか。
それとも、
この心が、
あの人を受け入れ始めているからか。
私自身わからずにいた。
…その問いに答えが出たのは、
わずか2時間後だった。
―――市内のレストランでの夕食後。
「ごめん、戻る前に、
お手洗い行ってくる」
京華はそう言って、
退席した。
「俺は、
会計済ませて来る」
「私は先に出るから」
侑人さんも席を立ったので、
私は店の外に出た。
…そこで運悪く、
酔っ払いの大学生グループに捕まってしまった。
「あれ、女優の聖音じゃねー?」
「…違いますけど」
そう否定しても、
マスクしてるだけの変装ではバレバレ。
「絶対に聖音だって!!」
「私、人を待ってるんで」
「そんな事言わずにさぁ、
ちょっと付き合ってよ」
グループの一人が、
私の肩に手を回してくる。
「リキ、調子に乗りすぎだろ」
「いーじゃん、別にー。
いいとこ行こうよー」
リキと呼ばれたその男は、
強引に私を連れて行こうとした。
「…!やめてくださいっ!!」
私は肩に置かれた手をどけようとしたけど、
それより強い力で引っ張られてしまった。
「やだっ!!放してよっ!!」
「遊びまくってるくせに、
ぶってんなよっ」
その一言はショックだった。
以前なら、
何の躊躇いもなく殴ってたと思う。
だけど今は…
出来ない。
そんな事をして、
大問題になれば、
どれだけの人に迷惑が掛かるか…
この3年間、
芸能界で生きてきて、
何度も見てきた。
たかが、が通用しないこと。
「リキ言い過ぎ」
「うっせーよ。
シンだってそう思ってんだろ!?」
「…俺は知らねーからな」
シンと呼ばれた男と、
傍観者をしていたもう一人の男は、
リキを止めることをやめて、
去ってしまった。
「ふん…バカな奴ら。
俺達だけで楽しもうか」
リキはにやりと笑って言った。
背筋が凍りついて、
私はもう抵抗出来なかった。
その顔が、
天也と付き合ってすぐの頃に、
襲ってきた奴らと全く一緒だったから。
誰も見て見ぬふりして、
助けてはくれない。
…また私は、
誰かに汚されるんだ。
心を踏みにじられて。
確か、
レストランの一本裏の通りには、
何軒かラブホテルが並んでた。
リキはそこに私を連れ込む気でいる。
…もうダメだと諦めかけた時だった。
「てめぇ、
誰の女に手を出してんだよっ!!」
リキはその声に反応して、
振り返った。
次の瞬間、
リキは崩れていた。
声の主の放ったパンチが、
リキの顔面を直撃。
口から血を流している。
「逃げるぞ、聖音!!」
「侑人さ…」
声の主は、
深くキャップを被った侑人さんだった。
侑人さんは、
私の手を掴んで、
全力で走り出した。
私も必死でついていく。
「2人共、乗って!」
走った先で待っていたのは、
1台のタクシーと、
京華だった。
「ハァ…ハァ…、
先に乗れ、聖音」
息を切らしながら、
私をタクシーに乗せてくれた。
侑人さんが乗り込むと、
京華の合図でタクシーが動き出した。
「ありが……とう」
「…泣くなよ、バカ」
「泣いてなんか…」
そうだよ、あんなの…
何でもないんだから。
「…悪いけど相道さん。
先に1人でホテルに戻ってくれる?」
「言わなくてもわかってるから。
運転手さん。
申し訳ないけど、
次の信号を、
右に曲がった所にあるホテルで、
1度止まってください」
「あ、はい。
わかりました」
タクシーは、
京華の言うとおりに、
今日から1ヶ月間、
宿泊するホテル前に停まった。
「皆には上手く言っとくから」
京華は侑人さんにウインクして、
タクシーを降りた。
「悪いな、気を使わせて」
「…全部聖音の為よ」
そう言って、
ホテルへと入って行った。
「出して下さい。
それから…
運転手さんのオススメの場所、
連れていって下さい」
「…わかりました。
任せて下さい」
私達を乗せたタクシーは、
ゆっくり走り出して。
私はずっと、
景色を眺めていた。
「…初めてじゃないんだ、
さっきみたいなこと」
「え…」
「前の方がもっと酷かった」
「んだよ…それ」
「だけどね、
その時も助けてくれた人がいて。
…なんか色々思い出しちゃった」
「無理に言わなくていいから」
「かっこよかった、侑人さんが」
「俺はいつもかっこいいの!」
「あははっ!
どんだけナルシストなの」
「…さっきは咄嗟に言ったけど、
俺は本気だから」
急に侑人さんは、
真剣な眼差しで言った。
「…うん」
本当は、
もうとっくに気付いてた。
侑人さんが、
本気で私に好意を持ってること。
私もそれに惹かれ始めていること。
だけど認めたくなかっただけ。
壁を作ることで、
虚勢を張ることで、
ずっと自分から前に進むのを拒んでた。
絶対に好きにならないと言っていた人を、
私は好きになった。
「私…元ヤンだよ?」
「そんなの、どうでもいい。
俺が好きなのは、
今目の前にいる聖音だから」
「性格悪いし、
体だって悪いし。
侑人さんみたいな人に、
私は釣り合わな…んんっ!!」
侑人さんは、
私の言葉を遮るように、
手で口を塞いだ。
「好きだよ」
侑人さんは、
手を離すのと同時に、
私にキスをした。
そのキスを、
ゆっくり目を閉じて、
受け入れた。
―――北海道初日。
私達は初めて結ばれた。
久しぶりに感じる、
心からの幸せ。
重ねた肌から伝わってくる、
人のぬくもり。
…でもね、
ごめんなさい侑人さん。
あなたの腕の中で、
私は…
天也の腕の中を思い出していた。
昨日の事のように覚えてる。
いつか…
ちゃんと思い出になるから。
必ず……。