第三十九話 壁を越えて
「おはようございますっ!!」
撮影所に入るのと同時に、
挨拶をして、頭を下げた。
監督命令とはいえ、
原因を作ったのは私。
昨日1日分の撮影スケジュールに、
穴を開けてしまったから。
「昨日とは別人のようだね、
聖音ちゃん」
後ろから声をかけられて、
振り返ると監督が立っていた。
「監督、すみませんでした!」
私は監督に頭を下げた。
監督は、
私の肩をぽんと叩いて、
「いい顔をしているね。
今の君なら、
とてもいい画が撮れそうだ」
そう言ってくれた。
ここにいる全員が、
いい映画を作りたいと思ってる。
そのために私達俳優は、
精一杯いい演技をしなければならない。
これは遊びじゃないんだ。
嫌いなあの人の言葉を、
自分に何度も言い聞かせる。
―――衣装に着替え、
カメラの前に立ったら、
スイッチが入る。
聖音じゃない。
私は衣里。
「シーン13。
よーい…」
カチンっ!
カチンコが鳴って、
カメラが回り始める。
―――シーン13。
いつもと同じ学校の帰り道。
アイスを食べながら帰る、
衣里と柊。
そして友達が数人。
「一口もーらいっ」
柊は、
衣里の食べているアイスを横取りする。
「あーっ!一口じゃないじゃん!!」
半分食べられて激怒する衣里。
「どうせ俺が買ったんだから、
いいだろー?」
「良くないー!!
バカ柊!!!」
じゃれあうように、
喧嘩する2人。
「もう2人共!!
痴話喧嘩はやめなって」
宥めに入る友人。
「痴話喧嘩じゃない!!」
「痴話喧嘩じゃねーよ!!」
友人に向かって、
同時に抗議する柊と衣里。
「カーット!!!」
そこで監督の声が飛んだ。
昨日出来なかった、
仲の良さがうかがえるシーン。
「聖音ちゃん、パーフェクトだよ。
その調子」
監督はにっこり笑って言った。
「ありがとうございます!!」
「よかったね、聖音チャン」
そう褒めてくれた侑人さんには、
思いっきりべーをして。
背中を向けた。
…私は壁を乗り越えた。
今はどんなシーンでもやれる。
大嫌いな人とだって、
大好きを演じられる。
そうなれたのは、
他の誰でもない。
侑人さんのおかげ。
だけど絶対に、
あの人には言ってあげない。
調子に乗らせたら、
今度は何を言うかわからないもの。
「聖音、どうしたの?」
京華が不思議そうに聞いてきた。
「どうしたって何が?」
「昨日までと、
演技がまるで違う。
なんか…こう…
貴臣さんに対して、
柔らかくなった」
「そ、そう?」
なぜか動揺してしまう私。
「その動揺も怪しいんですけどー?」
京華は探偵みたいな事を言い出した。
…怖い。
「なんか変な想像してるでしょ?」
「逆に聞くけど、
変な事をしたの?」
まさかのカウンター攻撃。
「するわけないでしょ?
嫌いな人と」
「へぇ~」
「だーかーらっ!
信じてよぉ」
「でも、
デートは楽しかったわけだ」
うっ…
それを言われると、
完全には否定出来ない…かも。
ちょっとだけ笑えたし…。
「それと演技は関係ないしっ」
「ふぅん…」
京華は全く納得してないけど、
それ以上は詮索してこなかった。
「…京華、
私はまだ誰も好きになれないみたい」
「別にいいんじゃない?
無理に誰かと恋愛しなきゃいけないなんて、
そんな法律もないし」
京華はあっけらかんと言った。
「……だよね!」
私は知らない内に、
自分で自分に呪縛をかけていたらしい。
早く誰かを好きにならなきゃっていう。
それが解かれた瞬間だった。