第二十七話 不思議な出会い
1週間後の11月26日。
私はとある芸能事務所にいた。
「初めまして、
井川あきると申します。
聖音さんのマネジメントをさせて頂きます」
差し出された名刺を受け取り、
私も挨拶をした。
「お世話になります、
朝日奈聖音です」
渡された名刺には、
『KVプロダクション 井川陽流』
と書かれていた。
「難しい読み方なんですね」
「え?あぁ、よく言われます。
学生時代はちゃんと呼ばれた事がない位。
だから今では、
最初にフルネーム名乗るようにしてるんです」
私も名乗ってもらえてなければ、
きっとわからなかった。
「大変だったんですね」
私もよく、
せいねって呼ばれてた。
その度に訂正して、
そんなに難しくないのにって、
いつも思ってたなぁ。
「早速だけど、
お仕事の話をしましょうか」
「はい」
陽流さんは契約書を取り出して、
机に置いた。
私は説明を受けながら、
サインする。
「はい、ありがとう。
これであなたは今日から、
KVプロの所属タレントよ。
プロの意識を持って行動すること」
「はい」
「今日はこれで終わり。
明日はドラマの、
顔合わせがあるから、
11時にマンションへ迎えに行くわ」
「わかりました。
宜しくお願いします」
「ごめんなさい、
今からちょっと出るから、
送っていけないわ。
いいかしら?」
「気にしないで下さい、
私なら大丈夫です」
「そう?本当にごめんなさいね」
陽流さんはそう言うと、
部屋を出ていった。
本当は新人タレントだから、
送迎のシステムもないはず。
だけど、
この事務所は以前、
音緒ママが所属していたらしくて、
その繋がりで私を歓迎してくれて。
おかげでちょっとVIPな新人。
そして、ゆくゆく知ることになるんだけど、
このKVプロ、
実は結構大手。
私にドラマのお仕事をくれた、
雑誌の撮影の時お会いした、
プロデューサーさんもかなりのやり手。
そういう訳で、
私は恵まれた環境で、
デビュー出来た。
聖斗パパも音緒ママも本名で活動してるから、
私も本名。
そもそも雑誌に本名出ちゃってるし。
だけど重くなるから、
名字はカット。
ますます、
せいねって呼ばれそうだけど。
そこは頑張って、
覚えてもらえるようにしないと。
―――「うーん、
どうしよっかなぁ…」
事務所を出て、
私は悩んでいた。
自宅マンションまで、
約1キロ。
歩いて帰れる距離。
引っ越して来て、
まだ徒歩5分圏内の、
しかもコンビニ位しか行った事がない。
はっきり言って、
全然知らない。
歩いて、
店とか道とか覚えるか、
タクシーを拾うか。
絶賛悩み中。
…よし、決めた。
歩こう。
運動よ、運動!
…ってな訳で、
歩いていたんだけど。
「ここは…どこだろ?」
はい。
見事に道に迷ったみたい。
知らない地名。
見知らぬ店。
通った記憶もない。
完全にやらかした。
「マジかぁ…」
助けを求めようにも、
聖斗パパは昨日から地方公演で、
東京にいないし。
音緒ママも埼玉でイベントでいない。
友達のいない私は、
誰にも頼れない。
「やっぱりタクシー使えば良かった…」
しかも運悪く、
裏路地に入っちゃって、
タクシーすら拾えない。
途方に暮れて、
座り込んでいた時だった。
「ねぇ大丈夫?」
「えっ」
突然話しかけられて、
後ろを見上げると、
同い年くらいの女の子が立っていた。
鍔の広い帽子を深く被って、
メガネをかけている。
それでも素材の良さは滲み出てて、
美人だってわかる。
「う~ん、顔色は悪くないなぁ…」
その子は私をまじまじと見て、
そう言った。
「あ、えっと…」
「もしかして、迷子とか?
…ごめん、
冗談のつもりだったんだけど」
冗談を言ったけど、
私の態度でそれが正解だと気付いたらしい。
「実は…この辺り来たの、
初めてで」
「そうなの?
家はどこ?」
「○○です」
「うっそぉ!?
あの金持ちしか住んでないっていう?」
私が地名を言った途端、
彼女は驚いた。
「引っ越してきたばかりで、
それはわからないんだけど…」
確かに高級住宅街っていうのは、
知ってるけど。
金持ちしか住んでない、
っていうのは知らない。
そうなのかな?
あんまり同じマンションに住む人と、
会った事がないし、
近所に住む人なんて、
もっと知らない。
もうすぐ2ヶ月経つのに。
引きこもりだったし。
「どこから来たのか知らないけど、
今あなたが向いてる方と、
反対の方角だよ?」
「えっ!?」
聞いてびっくり。
スタートから間違ってた…。
「説明しても迷いそうだね。
いいよ、案内してあげる」
そう言って、
彼女は私の手を取った。
「いいの?」
「帰るとこだったから、
いいよ」
「そうなんだ、
ありがとう」
「ううん、
大したことないよ」
彼女は私の手を握ったまま、
歩き出した。
私もとりあえず離れられなかったから、
そのまま歩く。
20分歩いて、
やっと近所のよく行くコンビニに辿り着いた。
「ありがとうございます、
助かりました。
もうすぐ家だから、
よかったら寄っていって。
お礼するから」
「そんなのいいよ。
じゃあこの辺で」
そう言うと、
彼女はUターンして、
すたすた歩き出した。
「あ、ちょっと待って!
あなたの名前…」
せめて名前だけでもと。
でも彼女は。
「また会えるよ、
じゃあね!!」
そう言いながら手を振って、
去った。
また会える?
この広い東京で?
どういう事なんだろう…。
不思議に思いながら、
私はマンションに向かった。
そして、
彼女と再会を果たしたのは、
その次の日だった。
この出会いがなければ、
もしかしたら今の私はないかもしれない。
それくらい、
小さくて大きな出会い。