第2章・4 大都市アーカイブ
焼け付くような日差しの中
日傘を差し
上品なマダム達に連れられて
噴水の水しぶきに
びしょ濡れになって遊ぶ子供達の声が高らかになる前に
陽気な道化師と
軽快な音楽隊に今日もチップを入れ
ビンに詰め込まれた
色とりどりなキャンディーが評判のショップの角を曲がると
ショーウィンドウに飾られた
操り人形のレディーに軽くご挨拶。
焦げる様な厳しい午後の日差しさえ喜びに感じるのは
甘酸っぱいダークチェリーパイ。
果実のリキュールに注がれた
スパークリングワインと共に流れ込み
まるで優雅なバレリーナのように
僕の足どりを軽やかにする。
今夜の夕食はトリトン通りにある
とろけるように柔らかい鴨料理が評判の店か
3つ星が輝くあのレストランにするか。
大都市アーカイブの繁華街の雰囲気に夢心地の中
自分が何処の誰であるのかさえも忘れ
町を出て何ヶ月も経っている事に気が付いたのは
「エドじゃない?」
何度も通っている華やかな通り。
「イザベラ?」
「そうよエド!見間違える所だったわ!」
大きな袋を抱えた
ダニーを探し突然家を出た彼の妻イザベラとの再会だった。
「何をしてるの?」
「今日の夕食を何処にしようかと」
「誰と来てるの?」
「いや・・・1人」
「1人?」
「1人」
「1人で?」
「ああ。1人で」
「何で?」
この次は何を聞かれるのか
どう答えて良いのか判らない。
「もう!久しぶりに会えたのに!もっと喜んでよ!」
「いや・・・喜んでるよ」
「そうだ。丁度良かったわ」
「何?」
「今夜は夕食を一緒にどう?」
突然現実に舞い戻り
エドの頭の中がパニック状態になってる事に
イザベラが気が付くはずもなく。
「判ったわ!アンテナが、この街にも進出するのね!」
「進出?」
「そうでしょ?スゴイわ〜エド!」
「そ・・・そうかい?」
「そうよ!この街でも噂になってたのよ!」
撤回する時間も息つく暇も貰えず
イザベラの勝手な妄想話に合いの手を出しながら
1度も通った事のない裏路地へ彼女の後ろを着いて行く。
ここは何回か行った高級レストランが立ち並ぶ路地の裏だろうか。
勝手口らしき扉の前には見覚えのあるウエイトレス。
チップを渡したから憶えている。
店の中で料理を運ぶ彼女は
上品な女性だったはずなのに
大股を開いて階段に座り込みタバコをふかす姿は娼婦のよう。
その先の気品高いバリスタもコックと何やら博打ごと。
ココにいる誰を見ても、まるで別人のよう。
人間の裏と表。
見てはいけない物を見たような罪悪感さえ感じた。
「ソコで働いてるのよ」
道を挟んで左側にある赤レンガ造りの建物。
「あら。イザベラが男連れなんて珍しいじゃない?」
「友人よ」
「亭主がいなくなって溜ってるんでしょ?」
「蜘蛛の巣張った女の穴掃除かい?」
向かい側の建物の段差に腰掛けて
タバコをふかし笑い茶化す3人の女達。
こんな失礼な言葉を吐くなんて。
例え女性だと判っていても許せない。
きっとイザベラは心底傷ついたはず。
ここは友達として。
男として。
ここ数ヶ月の間に身に付いた
まがい物の紳士として。
断固彼女達に一言言わなければと思った瞬間
「うるせえんだよ!この色キチガイが!」
イザベラの口から出たとは思えない言葉に
思わず呆然とし足が止まってしまった。
正気に戻ったエドの視界に写る3人の女達が笑っているのは
きっとイザベラの事じゃない。
僕の事を笑っている。
3人の視線と指が物語っていた。
「エド行くわよ?」
「あっ・・・ああ」
「さあ入って!」
女性から受けた羞恥心。
恥ずかしさから逃れるように
開けられた錆びた小さな扉を自分から閉めると
「暗いから気を」
暗闇の中イザベラの言葉を全部聞き終える前に
何か大きな物に思いっきり足をぶつけた。
嫌な気分がさらに滅入る。
そんな気持ちを止めてくれたのは
大きな袋を片手に持ち替え差し出されたイザベラの右手。
「ちょっとエド!大丈夫?」
「大丈夫だよ」
「本当に気をつけてね」
彼女の手を握るのは何年ぶりだろう。
蘇る忘れていた恋心。
イザベラが気が付く前に離すタイミングを伺うけれど
逆に不自然で思い出されるかもしれない。
重厚な鉄の扉の中には、さらに大きな扉。
扉を開ける度に一度離される右手。
閉める度に握り戻す右手。
「暗いのは、あそこまでだから」
暗闇に目が慣れたエドに
突き当たりにある扉までが
彼女の手を握れる時間だと知り
久しぶりに感じる何とも言えない気持ちは
「遅いわよ!」
幸運にも、中から扉が開けられた事によって
繋いでいられる満たされた時間が延びた。
扉が開けられた途端に聞こえた
大勢の女性の声と
嗅いだ事もない柔らかな麗しいほどの香り。
ここは一体?
思わず目を閉じて酔いしれるエドが
部屋に入って、やっと目を開けたのは
イザベラの手が離れ不安を感じたのがきっかけだった。
「ゴメン!嬉しい事があって」
「その方は?」
「私の古くからの親友なの!偶然出会ってね!」
「私はヘレンよ。どうぞヨロシクね」
イザベラに紹介されて彼女と握手をしたような気がする。
樽の中に素足を入れ
歌を歌いながら足踏みで洗濯をする女性達。
しわくちゃだった物体が一振りでシャツになった脱水作業は
まるで手品を見ているよう。
色分けされた樽から流される色落ちした排水。
手を繋ぎ踊っているかのように
上空を舞う白いカッターシャツの群れ。
サーカスのような光景に夢中になるエド。
「面白いでしょ?」
「ああ。すっごく面白い」
「だろうと思ったわ」
「これは洗濯をしてるのか?」
「そうよ。洗濯屋。ランドリーよ」
「ランドリー・・・」
自分が子供のように目を輝かせてるのは判ってる。
その顔を見て女性達が笑みを浮かべているのも判ってる。
大人の男として
普段なら隠し平穏な顔をするのかもしれないけれど。
そんな理屈はどうでも良い。
目の前に広がる光景とシャボンの香り。
「じゃあ、ここで待っててね!」
次の仕事を受け取りに出て行くイザベラを見送る事もなく
衣類と女性達の壮大なパフォーマンスに拍手喝采を贈った。