ゲバルト盗賊団
†
アズウェルとヴェロアに股がる山脈の、山の麓にある洞窟からは時折風が吹き込むらしく、竜の咆哮のような音がした。
「待っていろ、今、皆に事情を説明するから」
シーグは馬から降りるとアーレフにそう云い残し、洞窟の暗がりに消えて行った。
シーグの父……否、養父ゲバルトの率いる盗賊団の、ここがアジトだ。
もし、このままヴェロアに戻り兵士十人程で奇襲を掛ければ一網打尽に出来る。
これと無い手柄となる筈だ。
しかし相手が盗賊だとて、そのような騙し討ちは気が引ける。
騎士としてあるまじき行為だ。それに、
アーレフとシーグはある“約束”を交わしていた。
「アーレフ、入って来ていいぞ」
洞窟の奥からシーグの声が響いた。
あの暗がりに住まうは粗野で野蛮な盗賊共。
しかし、何処の誰とも解らぬ赤子を自分の子として育てた男を、アーレフはどうしても只の悪党とは思えなかった。
不安な様子を隠しきれない愛馬の手綱を近くの楡の木に軽く結わえ付け
「シルベリオン、もし、私が戻らなかったら、その手綱を引き抜いて逃げろ」
と優しく撫でた後、アーレフはまるで巨大な竜の口のような洞窟に入って行った。
光り苔だけを頼りに、途中何度も岩に足をとられながらも進んで行くと灯りが見えた。
そこだけ洞窟の上部に穴が開き、日光が取り込めるらしい。焚き火の灯りではなく陽の優しい光だ。
陽の光が当たる小部屋のようなそこには、盗賊達が石の寝台に横たわる男を取り囲んでいる。
その中の長身痩躯の青年が、一歩前に出るとアーレフに問うた。
「お頭は病の床に伏せっております。どうかくれぐれも無理をさせない様頼みます」
丁寧な言葉、静かな物腰、およそ盗賊と云うよりは修道士と云った風情のその青年は、他の盗賊達とその場を離れ、もうそこにはアーレフと、シーグと、そして盗賊頭ゲバルトだけになった。
「とうちゃん、話せるか?」
「何、寝るのも飽きて来た。退屈してた所だ」
伸ばしっ放しの髪と髭、無数に付いた顔の傷。
横になって居るから解りにくいが、立ち上がれば大層大きな男であろう、とアーレフは思った。
「ヴェロアの騎士、アーレフ・ローゼンマイヤーと申します。シーグの事で訊きたい事が」
「シーグを殺しに来たのか?」
ゲバルトは横たわったままぎろりとアーレフを睨む。
返答次第では直ぐにでもそこに立て掛けてある戦斧を手に取り、貴様の首を切り落としてやる。そう語っているかのような目だ。
「いえ、私は母の行方を知りたいだけです」
アーレフがそう云うと、ゲバルトの目から殺気が消え、穏やかな、悲しそうな色を映していた。
「あの女はおめぇの母親だったのか……」
遠くを、目には見えない遠くの景色を見ているような表情をしたかと思うとゲバルトは、アーレフの母フローラからシーグを託された時の事を語り出した。
そう、フローラの命の炎が燃え尽きた、その時の事を。
……望みが断たれた。
何処かできっと生きている。そう思っていたのに。
アーレフは悲しみとも怒りともつかぬ感情を、何処にぶつければ良いのか途方に暮れた。
両の目から涙が溢れて落ちるのを止められない。
「いいんだ、泣け、親が死んで悲しいのは当たり前だ」
ゲバルトが大きな、硬い皮膚のその掌でアーレフの黒髪を撫でた。
……暖かい。
唯一の救いは、フローラがこの暖かい掌と魂を持つ男に看取られたと云う事だろう。
「ちょっとまて、とうちゃん。今の話に出て来た赤ん坊は……まさか」
燃える様な赤い髪の少女は自分の信じていた“現実”を覆された事にその表情を凍り付かせる。
大盗賊ゲバルトの子
物心ついた時から信じていた。否、当たり前過ぎて、信じるも何も無かった筈の“現実”が。
「シーグ、この騎士殿の話によると、おめぇはヴェロアのお姫様だ。こんな小汚ねぇ、危ねえ所に居ちゃいけねえ」
「嘘だ!とうちゃんが俺のとうちゃんで無いなら一体誰がとうちゃんなんだよ!」
今度はシーグが泣きながらゲバルトに詰め寄る。
「ヴェロア国王、エーリッヒ二世だ」
アーレフがぽつりと云う。だがシーグがそんな事を訊いている訳では無いのは百も承知だ。
「俺は何処にも行かない、ずっととうちゃんの側にいる、お前なんて嫌いだ!どっかいけ!」
アーレフはシーグに無茶苦茶に叩かれながらシーグとの“約束”を思い出していた。
―少しばかり、自分の頼みを訊いてくれたら、このミスリルの胸甲をやろう―
様子を見に、先程の修道士の様な青年が松明を手に入って来ると、シーグは泣きながら気を失っていた。
「日が沈んで参りましたので灯りを……若はお休みになられましたか」
「騒ぎたてて申し訳ない」
「騒いだのは若の方でございましょう。騎士殿、今日は泊まっていかれなさい」
さっきまで陽がふり注いでいた天井の穴からは暗くなりつつある空が見えた。
†
次の朝、ゲバルトの容体は急変した。
手下達は大男の横たわる寝台を囲み、思い思いの励ましの言葉を掛ける。
「お頭!大盗賊ゲバルトが病に負けるなんて嘘ですぜ!」
「云ったじゃないっすか!今度はアズウェルの宮殿に献上する宝を狙うって!お頭が指揮してくれないと俺達だけじゃ無理っす!」
悪党でありながら、これだけの人望。手下達全員がゲバルトの死を恐れ、永遠の別れを引き留めようとしている。
そして
大男の毛皮の上掛けにしがみつき、何も云わず険しい目で、目に見えない死に神を睨みつけている小さなシーグ。
その深い森の色の瞳は充血した白眼に縁取られ、今にも零れそうな涙に潤んでいる。
泣いたら、死に神に負ける。とでも言いたげに、必死で堪えるその姿。
「とうちゃん、しっかりしろ!」
その声に、大盗賊は僅かにその傷だらけの顔に微笑みを浮かべ、分厚く大きな手をシーグの頭に乗せた。
「心配するんじゃねえ……シーグ……とうちゃんは、今までも、これからも、ずっとおめえのとうちゃんだ……だがな」
荒い息を整えながら、尚も続ける。この状態で長く喋る事は大変苦しい事だろうに。
「シーグ、おめえは“真実”を知らなきゃいけねえ……おめえを害する者達と闘って、“還るべき所”へ還らなきゃいけねえ……騎士殿、シーグを頼む」
アーレフは頷く。しかしシーグは、まるで別れの様なゲバルトの言葉に動揺を隠せなかった。
「とうちゃん!死ぬな!もうすぐ俺、凄いお宝を盗ってくるから死ぬな!とうちゃんの云う事ちゃんと聞くから死ぬな!」
とうとう、堪え切れずに涙が溢れた。
「シーグ……云ったろ?とうちゃんは何時までもおめえのとうちゃんだ……ずうっと見守っててやるからな」
シーグの頭に乗せていた大きな手が力を失い落ちた時、アジトの洞窟の中は盗賊達の慟哭が響いた。とりわけ、シーグの泣き声はアズウェルの街にも届くかと思える程だった。




