騎士と盗賊の子
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シーグは目覚めると同時に混乱した。
見慣れない光景。石と木で出来た部屋。微かだが何かを煮炊きする良い匂いもして来る。
ここが何処なのか解らない。
ゆうべ眠りに落ちる前、自分は何処に居て何をしていたのだろう。
もつれた記憶の糸を懸命に手繰りよせていると、部屋の扉が開き、太った中年女が入って来た。
「朝の湯あみの準備が出来ましたよ、さあさ、急いでください」
勿論、誰なのか解らない。折角手繰り寄せた記憶の糸がまた絡まった気がしてシーグは頭を掻きむしった。
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「ここはどこ?」
中年女がその太い腕で衣類を脱がせている中シーグは訊いた。
「宿屋ですよ。私はここの女将。着いた時はぐっすり眠っていましたからねぇ……おや?」
服を脱がせ終わった女将はシーグを見て目を丸くした。
「おやおや、まあまあ、あなた、女の子なのね」
別に隠していたつもりは無い。盗賊の子シーグにとって性別など意味の無いものだったから。
「旅の最中危ない目に遭わないように男の格好をしているのね。考えたわね、あなたのお兄様も」
勝手に解釈して勝手に感心しているので返す言葉を探す手間が省けたが、最後の言葉が妙に引っ掛かった。
「え?お兄様?」
シーグの言葉は女将に聞こえ無かった。
頭から湯をかけられたからだ。
「ぶはっ」
びっくりする間も無く頭や身体に香油を塗りたくられ荒く硬い布でゴシゴシと擦られた。
「凄い垢だわ!髪の毛もこんなに汚れて!おばちゃんが綺麗にしてあげるからじっとしてるのよ」
「痛い痛い」
シーグは思わず叫んだが、女将は「はいはい我慢してね」と云いながら楽しげに垢を落としていた。
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すすぎの湯をかけられた頃にはもう、全身ひりひりとしていた。
最後に柔らかい布で全身を拭かれている時、目の前に自分と同じように太った中年女に身体を拭かれている少女がいる事にシーグは気付いた。
良く見ると、それはシーグ自身だ。大きな姿見がかけられていたのだ。
鏡など見た事の無いシーグが手を動かしたり首を振ったりして珍しそうにしてる様子を見て女将は笑いながら
「良いこと思いついた。ちょっとそのまま待っててね」
……と、何処かに行ってしまった。
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戻って着た女将は手に薄紅色の布を抱えている。
「赤い髪にこの色はどうかと思うけど、ちょっと着てみて」
と、シーグにその布を被せた。
布のあちこちを整え、髪を整え「はい、見てご覧」と、鏡を指差す。
シーグは息を飲んだ。
そこに居たのは薄紅色の長い衣をまとった麗しい美少女だったから。
「ずっと男の格好をしてたんでしょ?たまにはいいじゃない。私が若い頃の服でちょっと流行遅れかもしれないけど、こうして見るとあなたお姫様みたいだわ」
シーグは胸の奥がくすぐったくなるのを感じた。
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この服をやる。と云った女将の気持ちは嬉しかったが、これを着て剣を振るい暴れ回る自分を想像するとかなり滑稽だと思い、シーグは丁重に辞退した。
「そうねえ、旅の間荷物になるものねえ」
女将はがっかりした様子だったが、またもや勝手に解釈と納得をしたらしい。
気を取り直し「そのかわり朝食は腕を振るうから」と言いながら、部屋へ連れて行かれ扉を開けると
黒く長い髪を後ろで束ねた人物が部屋の中に居た。
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「盗賊小僧、少しはさっぱりしたようだな」
背を向けたまま、顔だけこちらに向けそう云う。
低く静かな声。この声を何処かで聞いた事があるが思い出せない。
それにしても美しい青年だ。
昔話に出て来る妖精の騎士の様だ。
シーグがそう思っていると、やおらその男は立ち上がり身体を向き直す。
「あっ」
胸に輝くミスリルの胸甲。それを見た途端シーグは全てを思いだした。
「お前、あのヒゲ面のオッサンか!」
昨日は無精髭に覆われていたが、その髭も丁寧に剃ったようだ。間違いない。あの群青の衣の騎士である。
「オッサンは酷いな。これでもまだ23歳だ」
怒るでも無く騎士は楽しげに笑う。
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朝食には具沢山のスープとパンの他に鹿の炙り肉がついて来た。
凄い速さでそれらを平らげたシーグはしまいには皿まで舐め出す始末。
アーレフがいたたまれず、自分の炙り肉の皿を差し出すと、礼も云わずに貪り喰っていた。
「御主……歳は幾つだ?」
名残惜しそうに指に着いた脂を舐めとるシーグにアーレフは訊いた。
「十五」
やはり、ブロンウィン王女と同じ歳だ。
十五歳の少女と云うよりは、十歳の少年にしか見えないが。
「盗賊の仕事は辛くは無いか?」
アーレフがそう云うと、シーグは何とも言えない表情で固まってしまった。
「どうした?」
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次の瞬間、けたたましい笑い声が響いた。
「オッサン、それ、俺にとっちゃ“自分でいるのが辛いか?”って訊かれてるようなもんだぜ?」
アーレフは嗤われたのと、またもや“オッサン”と云われたのとで一瞬怒りが沸いて来たが、騎士としてのプライドがそれを露にする事を押し留めた。
「ところで御主、少し物を尋ねるが、変わった病を患ってはいないか?」
「病?」
「例えば、陽が出ているうちしか起きていられない、陽が沈むと眠ってしまう……とか」
それを聞いたシーグは、今度は何とも言えない表情でアーレフを見詰める。
例えて云うなら、憐れみと蔑みが入り交じったような……
「オッサン、大丈夫か?」
「何がだ」
「陽が出てるうちは起きて陽が沈んだら眠るって……それ、普通の事だろう?」
「いや、しかし御主、盗賊だろう?」
確かに、農民などはそのような生活をしていると聞く。しかし生意気な盗賊小僧は今度はこんな事を云い出す。
「早寝早起きは身体に良いんだ。父ちゃんが云ってたから確かだ」
アーレフはもう呆れて何も言えなかった。
自覚はしている。だがそれを“呪い”とも“病”とも思っていない。
単に鈍いのか、前向きなのか。
「ところでオッサン」あまりにも衝撃が強く、またもやオッサン呼ばわりされた事などどうでも良くなってしまったアーレフに、シーグは云う。
「何故俺を助けた?とどめはいつでも刺せた筈だぞ?」
. 図星だった。確かに、あのままこやつの首を持ち帰れば任務を果たせたのに。
何故それをしなかったのか、あまつさえ、一夜の宿まで与えて。
「子供を殺すなど騎士としてあるまじき行為だからな」
そうとしか言い様がない。
己れの判断と行為を説明するならば、そうとしか。
―何故、殺さなかった?―
自問自答するアーレフを、シーグは罵倒する。
「子供扱いするな!」
……と。




